ロマ書の続き。
道徳がなぜ存在するかという点について、日本の教育現場とキリスト教で、考え方が全く異なります。
日本の道徳教育においては、道徳は、これを”守らせる”ために存在します。
しかし道徳(いわゆる忠孝仁義)を守ることが大変困難、ないし不可能であることを、我々は経験上知っています。
守ることが不可能だと分かっているルールを誰が守るのでしょうか。道徳教育の効果は甚だ怪しく、むしろ他人に対する道徳的批判を鋭敏にしただけではないかという疑問が湧いてきます(増田はネットの小競り合いを観ていて特にこれを思います)。
他方、キリスト教では、人が道徳を守ることをハナから期待していません。
道徳は、これを守らせるためではなく、万人に罪の認識を起こさせるためにあります。道徳を完全に守ることが不可能である以上、「だれ一人神の前で義とされない」のです。
その結果、人は行き詰まります。道徳をいくら守ろうとしたところで罪から逃れられないからです。
おわり