http://anond.hatelabo.jp/20160817222557
・私はクリスチャン歴1週間の超ひよっこクリスチャンなので、以下の話は話半分に聞いてください。私の話と矛盾することを言っている人がいたら、たぶんそっちが正しいです。
・聖書(の中でも特にヨブ記)は多様な解釈を許す書なので、そもそも「自殺を望むのはNGだけど自然死を望むのはOK」というのも一つの解釈(私の読んでる注解書の解釈)です。反対説もあります。
その上で、まず議論を整理します。聖書は何を禁止しているかをまとめます。
(c) 「自然死を望むこと」:OK
*なお、ここでは「自然死」を病死、災害死、事故死、他殺を指す言葉として使います。そのため「自然死を”する”」ということは言葉の定義上あり得ません。
ではなぜ上の結論になるのでしょうか。
(1) まず、(a)「自殺をすること」、(b)「自殺を望むこと」が禁止な理由はクリスチャンの間でも議論が分かれるところなので調べてください。私には、このような深遠な議論をまとめる能力がありません。
(2) その上で、(c)「自然死を望むこと」はなぜOKなのでしょうか。
ア. まず、自然死とはいえ死ぬ点では自殺と一緒ではないかという疑問が生じます。
しかし、両者はやはり異なります。第一に、自然死を望んだところでそれが実現される可能性は低いです。自然死を望んだ直後に、偶然殺人鬼がやってきて自分を殺したり、交通事故に遭ったりすればいいですが、そのようなことが起きる可能性が低いことは統計的・感覚的に分かることだと思います。第二に、自殺は「自分による自分に対する殺人」という意味合いがありますが、自然死にはこれがありません。
イ. 他方、自然死を望むのは、精神的に健康とは言えず、これも禁止すべきではないかという疑問が生じます。
しかし、私としては、ここが聖書のやさしさなのだと思います。人生つらいことがあったときに、そのつらい状態から脱する手段として死を望むことは人間の自然な感情です。この感情を持つことまで禁止してしまっては、あまりに人を追い詰めすぎるのではないでしょうか。
以上をまとめると、「自然死を望むこと」はなぜOKなのかというと、①望んだところで実現可能性が低いから、②殺人の意味合いがないから、③聖書はやさしいから、ということになります。
ヨブ記がすげーのは、人生でめちゃくちゃつらい時があったとき、自殺を考える/するのはダメだけど、自然死を望むのはOKってところ(「死のう」はダメだけど、「俺を殺してくれ...
自殺はダメで自然死を望むのは問題ないという点をもっと詳しく。 同じことじゃないの?
1. 話の前提 ・俺はクリスチャン歴1週間の超ひよっこクリスチャンなので、以下の話は話半分に聞いてください。俺の話と矛盾することを言っている人がいたら、たぶんそっちが正しい...
なにゆえに聖書を読もうと思ったの?煽りではなく
思いつく順に列挙すると、 (1) 今の人生がとにかくつらくて、悩みを解決する処方箋が欲しかった。 (2) ジブリ作品、フィンチャー作品、『資本論』を観たり読んだりしたせいで、消費社...