『カラマーゾフの兄弟』で描かれる「罪」の理解がどうもよく分からんと思っていたら、ロマ書の5章12節~21節の理解が違うためだったらしい。
この箇所では、アダム1人の罪で人類全体が罪人とされる一方、キリスト1人の恵みにより人類全体が義とされることが述べられる。
しかし聖書注釈者によってはこの箇所を、人類1人の罪で人類全体が罪人とされる(連帯責任を負う)ことを意味する、と拡大解釈することがあるらしい。
これが通説的な理解かどうかはよく分からないのだが、どうもドストエフスキー自身はこういう解釈に立って小説を書いていたらしい。
その結果、人類1人1人の愛で人類全体が徐々に義とされるという理解になるらしい。
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