約5年前から精子提供のボランティアをしてる。といっても、いくつかのサイト(トンベビとか)に登録して、文字通りシリンジ法で相手女性に精子渡してるだけである。
こんな自分でも、プロフがまあまあなのと、メッセージセンスも増田とかはてなで鍛えたのもあって、年に一度以上は精子提供の機会がある。
今日、ついに怖くなった。自分には、最大で8人の子どもがいることになる。シンプルな事実である。
今、結婚するかもしれない人がいるんだけど……トンベビ経由でできた子どもって、法的には俺の子どもになるんだよな??
もし将来、俺のことを探し当てる人がいた時に、どうすればいいんだろうと思うと、正直ビビっている。
プロフ内容がまあまあとは書いたけど、東京大学卒業とか、スポーツで賞を取ったとか、〇〇会社に勤めてるとか、大体は嘘である。
清掃員、警備員、介護士、トラック運転手なんか、夜勤がなかったら社会は回らへんのや。
もし回らなくなったらロボットが即座に開発されて
夜中に働く連中のせいで世の中が停滞しているともいえる
そいつらが働き続けるばっかりに
田舎に住み続けて男をあてがわれ、
同居させられ家事全部押し付けられながらもフルタイムで働かされ
子供は男児が生まれるまでガチャ感覚で産まされることだと思うんですけど
そういう奴ってさ
なるほど、夜勤についての批判や健康リスクの話をしてはるんやな。
確かに、夜勤にはデメリットがあるのは事実やけど、一方でそれを選んで働いてる人もたくさんおるんやで。
夜勤が合う人もおるんや。例えば、夜勤の方が静かで集中しやすかったり、日中の混雑を避けて過ごせたりする。さらに、夜勤の方が給与が高めに設定されてることも多いから、それを選ぶ人も多いんや。自分のライフスタイルやニーズに合わせて、働き方を選ぶ自由は大切やで。
確かに、夜勤による健康リスクはあるけど、それをしっかり管理して働いてる人もたくさんおる。例えば、適切な休息や食生活の工夫、運動によって、健康を保ちながら夜勤を続けてる人もいるんや。「夜勤=健康被害」という一方的な結論はちょっと極端やと思うな。
夜勤で働いてる職種、たくさん挙げられてるけど、どれも社会にとって欠かせん仕事ばっかりや。清掃員、警備員、介護士、トラック運転手なんか、夜勤がなかったら社会は回らへんのや。誰かがその仕事をしてくれてるから、私たちは安心して生活できてるんやで。
「夜勤はやめとけ」と言うても、それぞれの事情や理由で夜勤を選んでる人がおるんや。留学生やダブルワークの人にとって、夜勤がなければ生活が成り立たへんこともある。それを「人間構造に逆行してる」と一方的に批判するのは、ちょっと失礼やと思うで。多様な働き方があってもええやんか。
「命を削って仕事してる」って、確かに過酷な面もあるかもしれんけど、全員がそう感じてるわけやないんや。自分の健康と仕事のバランスを取りながら、夜勤を選ぶ人もおる。大事なのは、自分に合った働き方を見つけて、無理せず続けることやと思うで。
NHKの番組「プロジェクトX」の題材は、人々の生活を劇的に変えた新製品の開発や、日本人の底力を示す巨大プロジェクトなど、さまざまな挑戦者たちの物語です。
旧シリーズでは、戦後復興や高度経済成長をテーマに、ダム工事や家庭用ビデオのVHS開発など、戦後の画期的な事業を実現させた無名の人々を描きました。
それが今や電動アシスト自転車か〜
電動アシスト自転車を悪く言うわけではないがね
不同意性交で訴えるような女とは性行為しなければいい、というのなら
中絶の同意もしてくれない男とは結婚しなければいい、とも言えるんじゃないの?
原発って国内に原子力技術を有する人材を維持するって目的もあったと思うのだけど全然出ない。
実際、核弾頭を作るとなると全然違うとかあるのだろうが、全く何も無いところから始めるよりはマシ。
車や船もそう。
そこらへんにガソリンスタンドのディーゼルなくなったらとか、そういうのもない。
人材についても、機械や電子戦に作ろうと本気で思ったときに、転属できる人材育成ってこともない
半導体で地政学的リスクが~と言っても、パソコンとスマホがどうなるとか、そういう話ばかりで、軍用機用の半導体どうするってのはない
そう言うふうに言いたくなっちゃう気持ちはわからないんじゃないけれど、深呼吸して自分の書き込みを読み直してみるといいよ。増田の書き込みは、増田の嫌ってる財務出動派と、ベクトルが違うだけで全く同じ病理になってる。
どこが病理かっていうと、「じゃあどれくらい財政出動すべきなの?」っていう数字が一切語られていないこと。
現実の日本の政府財政において、財政出動してないかっていうと毎年してるわけだよね。国債だって刷ってる。
積極財政派が嫌悪するザイム省ですらみとめてやってるわけだ。つまり、「財政出動してない」は偽なわけ。また一方で財政規律を良しとする立場の人だって「出動ゼロにしろ」とは言っていない。バランスの中で適度にしていこうっていうのが、現実の主流派であって彼らはコンセンサスを得てそれをやっているわけ。
それにたいして、その現実の支出量(数字)をまったくあつかわず「とにかく増やせ」「増やすな」って言ってるのは、一見対立しているように見えて、「現実の数字を気にかけない」「具体的な数字を要望しない」「配分の運用手法を語らない」という点で全く同一のセンスを持った集団だと思うよ。相手の言動を悪魔化することによって、議論の内容とは無関係に主張を通そうってするのは、ポピュリズムの悪いところだよ。
PS.上のは議論の手法や現在のノリに対する苦言だけど、個人としての見解を付け加える。現在の世界経済の状況、IMFの発表するポストコロナ世界の途上国金融再建と、EUの陥落、アメリカの不透明感とあわせると、「日本政府の財政規律問題」って、もはや「日本財務省と庶民生活」っていう視点で語って良い変数の域を超えちゃってると思うよ。はっきりいうと、この議論には、海外の勢力がかなりのところ跋扈してると判断してる。「そのうえで」日本国民としてどういうスタンスを取るべきかっていう視点は、持つべきじゃないかな。