モラトリアムという言葉がある。若気の至りで職につかず、フリーターや学生、旅行者として自由を満喫する期間とでも訳せばいいのだろうか。
この言葉は仕事での成功や結婚、育児などそのあとの生活があることを前提とした言葉だと思う。いわゆる大人としての生活だ。
仕事での成功は大学入学時点で90%くらい決まってる気がするし、次世代に負担を残し続けがちな人間という生き物による社会に我が子を残すのは忍びない。
また、日本では出稼ぎ外国人や社畜らがコンビニを始めとした各職場で奴隷ともとれる労働力を提供してくれているので、恵まれた、次世代を残すべきような教育を受けてきた20代の間では結婚しなくても幸せな社会という雰囲気ができつつある。特に女性を中心に。
“なんでも「◯◯女子」とか「◯◯男子」って名前つけるのやめろや〜” とかよく言ってるけど、同じ事じゃないか。
いや、ネガティブな呼び名をキャッチーな言葉にしてみせました風な分、「無敵の人」の方が質悪い。
実態をとらえられない相手に、名前をあてがってるだけでしょう。
あと「(失うものがなにもないので)向かうところ敵なし」っていう意味で「無敵」って使ってるのかしらんけど、意味違くないか。
むしろあの人たち「お前ら全員敵」って思っているんじゃないのか、こちらのこと。
そこに無自覚すぎるんじゃないのか。
社会から拒絶されたと(一方的にしろ)感じて、刃を持つに、殺意を持つに至るんだから、むしろ敵意ありありでしょう。
「無敵の人」と呼ばれてる人たちがやったことを肯定するつもりは全く無く、むしろ怒りしか感じないけど、
結局、そういう人たちの内実を知れるわけでもなく、自分に置き換えて考えられるわけでもなく、遠くから指差すだけしかできないでいるうちは、そんな風に呼ぶべきじゃないと思う。
住んでる場所にもよるけど一応歩き前提で。
デスクワークで滅入ってる人も、ちょい中座して歩くと気分転換になるよ。
・特に目的地を定める必要はないから、とりあえず自宅周辺を15~20分くらい歩いてみる(スマホなりでアラームを仕込んでおく)。
・アラームが鳴ったら引き返して家に戻る(周囲はそれほど他人を気に留めてないから、不審がられることを不安に思う必要はない)。
・翌日は違う方向へ同じように歩いてみる。
まずはこれを数日繰り返す。間は開いてもいい。
飲み物は自販機でもいいし、100均とかでカラビナ付きのペットボトルホルダーを買って腰につけててもいい。
季節を変えてもういちど挑戦を。
お前は正しい
はてなーと一括に行ってもユーザを選別してるわけでは無いのだから、そんなことあるわけないやろと今まで思っていた。
あれだけはてなーに擁護されていた女性専用車両の話題で、女性専用車両は障害者へも開かれているという既存の言説がちょっと揺らいだだけで300ブクマも行かないような状況になってる。
過去、女性専用車両を擁護する言説は短時間で500ブクマとかパッと超えるようなこと結構あったよね?
それなのに読売新聞が記事を公開してからかなり時間立ってるのに全然伸びない・・・えっ!?マジでお前らそうなの?
いいえ、夫がおります。
初めて、お客としてみえた知り合いから「増田さんだよね?」と声をかけられたんだが、すんごく引かれてた。意気消沈って顔されたw
お互い別に会って嫌な相手ではないんだけど、でもまあわかる気がするなぁ。
コンビニに来るお客さんの多くが放心・脱力状態でレジに並んでる時も精算の時も上の空だよね。私も客としてよそのお店に行く時はそんな感じだけど、気を張って来るとこじゃないんだろう、コンビニって。
そんな所で少し気を引き締めて会わなきゃいけない知り合いに会ったらビビるよなあ。
私は仕事中でいつも以上にパリッ!シャキッ!てしてるので、脱力状態の知人とカウンター挟んで向かい合うとなんというかフェアじゃない感じというか、そりゃ知人は引くだろうと思う。
懲りずにまた来店して頂きたいけど避けられてしまうかなぁ。
夏だから仕方ないけど店の中に虫が沢山侵入して来て困る。誘蛾灯ないんだっけこの店。歩く誘蛾灯みたいに変な客惹き付けまくってる社員はいるのだが。
某嫌な客ご来店。いつも500mlの紙パックのジュースを買っていくらしい人なのだが、何も言わんでストローが出て来ないとすごい勢いで怒る。
と。私、500mlも入ってる紙パックにストロー挿して飲もうと思った事がないからそういうの普通だって感覚なかったんだけど、黙っててもストローつけて貰えるのは当たり前なのか?解せぬ、と思ったけどまたキーキーヒスられても面倒だなと思って、言われる前にストロー付けた。なんか敗北感。嫌なお客様、カームフルに去る。
どっと疲れが出た。
オペレーティングシステムがユーザにとって解りやすく使いやすくなったお陰で、パソコンやスマートフォンは急速に普及し、ユーザは意識しないでコンピューティングが可能となる時代になりました。
過去に定義されたパーソナルコンピュータの時代へ突入しており、1ユーザ1コンピュータは夢物語などでは決して無くなっています。
しかし、過去の使いにくかったオペレーティングシステムはユーザ間同士の情報共有、技術継承が密にあったこともまた事実で、時代が進んでオペレーティングシステムが使いやすくなったことでユーザ間同士の公助文化が絶たれ、ITリテラシーの共有・継承が難しくなっている時代へと突入しています。
パーソナルコンピュータが定義された時代では、1ユーザ1コンピュータによりユーザは必要な情報へ自由にアクセスし、ユーザ毎に持つ課題をコンピューティングによって解決するということが想定されていました。
しかし、実際には1ユーザ1コンピュータの時代へ突入してもユーザは必要な情報へ自らアクセスをしないということが解ってきました。
最早これはパーソナルコンピュータ論のバグと言っても過言でなく、このバグへ対応するべきであるという声も少なからず挙がり続けましたが、コンピュータの普及の速度はバグ対応の速度よりも圧倒的であり、気付けばバグ対応へ大きなコストを支払わざる得ない状況へと陥いりました。
コンピュータウィルス、フィッティング詐欺、アカウント乗っ取り、倫理に関わる失言etc...と組織が想定しなければならないコストは膨大となるようになったのです。
そしてそのコストの支払い先として選ばれたのが、組織単位へ向けてITリテラシー講習を商材として提供する新しいビジネスです。
それまで高いITリテラシーを有している一部の専門家、パワーユーザー達のノウハウそのものが注目される時代が来ると予想されるようになったのです。
さて、ここからが私の未来予想となりますが、数年以内に必ず「高いITリテラシーを有している一部の専門家、パワーユーザー達のノウハウへアクセスできるマッチングサービス・クラウドソーシングサービスが登場する」はずです。
専門家やパワーユーザは様々なユーザから持ち寄られたITリテラシーに関する課題に対して回答し報酬を得るというサービスが発生するでしょう。
もしかしたら、それは既存のクラウドソーシングサービスを行っている企業が始めるかも知れないですし、スタートアップでいきなり立ち上がるかも知れません。そこは予測が難しいです。
しかしながら、ITリテラシーの共有と継承が絶たれた今の時代に需要のあるサービスであることは間違いないのです。
私はこの点に注目していきたいと思っています。
地味に楽しみにしてるから、
今日シャンプー担当してくれた人がマッサージの途中(というかほぼ序盤)でスタイリストに呼ばれて、
そのままうやむやに終わったからもうすーーーごいテンション下がった
クレーム入れたり口コミに悪く書いたりするほどじゃないけどまだムカついてる
スタイリストめちゃくちゃ感じ悪い印象になってる……
1万以上払って休日にこんなしょうもない嫌な思いさせられるとか
クソクソのクソ
プリキュアという名を聞くと三つ目がとおるのOPを思い出すし、その後はビゴーとフラッシュ、ギャバンとサイキック斬、太陽にほえろとコナンのあれなどを思い出し、El cascabelや東ドイツ国歌に遠く思いを馳せ、プリキュアについては割とどうでもよくなることをどうか許してほしい。
チャーチルが言うように、民主主義はこれまで存在した他の統治方法と比べれば最高のものであって、決して素晴らしい価値のみがあるわけではない 人間が世界や社会を思うとおりにするのは不可能なのだから
西日本新聞の記事で、「低能先生とはネットで誹謗中傷する荒らしの『総称』」との記述があり、otuneが間違いを指摘している。低能先生とははてなで荒らしをする特定個人を指す蔑称のことである。西日本新聞の記事はひどい誤解である。
“批判者の象徴”狙う? IT講師刺殺1週間 容疑者、ネットで複数と衝突|【西日本新聞】
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/429024/
低能先生とはネット上で他人への誹謗(ひぼう)中傷を繰り返す人の総称。「ほんとお前は低能だよな」などと頻繁に書き込むことから名付けられたという。松本容疑者もそんな「低能先生」の一人だったとみられる。
そもそもはてな匿名ダイアリーの投稿は、有名匿名掲示板のようにハンドルネームの設定もできず、投稿者IDも表示されないので、外部から投稿者を特定して識別する確実な方法は全くない。
その状況で、匿名ダイアリーのユーザーの一部は、投稿の文体、文脈から「この投稿は低能先生のもの」だと特定して、トラックバックを送ったり、まとめ記事を作ったり馬鹿にしたりしている。
しかし、その投稿が「特定個人である低能先生」のものだとする保証は全くない。何となく流れで認められているだけだ。
場合によっては、「低能先生による自作自演のやり取り」だったり「低能先生を装った自作自演のやり取り」だったりするかもしれない。
しかし、そうした疑問を、匿名ダイアリー上で誰も出すことないし、答える者もいない。
そうした「低能先生」を巡る匿名ダイアリー上での狂ったやり取りを見た外部の者が、「低能先生は総称で、匿名ダイアリーの中には低能先生として投稿する者が複数いるのではないか」と思っても不思議ではない。実際にそうだったかもしれない。
匿名ダイアリーから飛び出た低能先生が大量IDコールをしてアカウント停止になって匿名ダイアリーに戻ってくる、というやり取りも何となくこれは低能先生だと判断して行われているだけで、匿名ダイアリー上では個別の人間だと特定することはできない。
「これは低能先生の投稿だ」と鑑定している匿名ダイアリーユーザーにとっては「低能先生」は特定の一個人を指す言葉なのかもしれないが、判断される方からすれば「低能先生」は「総称」になったりもする。
匿名ダイアリー上でちょっと乱暴にはてなユーザーを批判する投稿を書いたりしたらトラックバックで「低能先生」と呼ばれてしまったこともあったとかなかったとか…。その頃は低能先生が何かは知らなかったから非常に不気味だったとか。
つまり、今回の犯人は確かに「低能先生」ではあったが、低能先生をめぐる匿名ダイアリーの投稿の中で、低能先生認定されてた者は複数いたことは否定できないし、総称として受け取られていたことも否定できない。当時の低能先生をめぐるやり取りを外から見て、低能先生とは総称ではないかと誤解してもおかしくはない。