2017年11月09日の日記

2017-11-09

ジョギングする→眼鏡のネジが緩む→ズレる→支えようとして妙な力が入る→不細工

眼鏡メンテ重要

眼鏡不細工陣営に向けてシェアしとくわ

日記に使えるwebサービス

以前はそういうスマホアプリ使ってたけどpcシームレスに同期できないので代替案をつのりたい

ツイッターの鍵アカウントも考えたけど1画面の情報量が少ない、過去投稿を参照しづらい、画像を見づらいetcパス

なんかない?

川島さんと高垣さんは

お付き合いされてるのかしら

細胞図が彫ってんとりにあるけど、あの字面みるたびにねぎぼうずって言葉が思い出されてどうもいかんわ

あらゆる問題解決するたったひとつシンプル方法

気にするな

anond:20171109184930

なくならないだろうね。でもそれはキモカネおばさんだって同じ処遇になっているわけだからある意味平等だよね。

ピル飲んでるのに生理きた。

最近トキメク人がいて、

その人のこと毎日考えながら眠りについてたら

休薬期間(生理がくる期間)でもないのにドバドバでてる。

なにこれ女性ホルモンピル凌駕したの?

なんて冗談いってないで、明日病院いこう。

”明鏡トトロ

1 件 (0.32 秒)

「この人と結婚するって思った」ってなに。

たまに婚活漫画とかで書いてるやつ。

「会った瞬間、なぜだかわからないけどこの人と結婚するって思った」

ってなんなの。

みんな本当にそんなこと思ってるの?

思えない人とは結婚しない方がいいの!?

ワカラナイ!!!

カナル式のイヤホン音漏れってヤバない

ヘッドホンでジャカジャカ言わしてるクズはもう見慣れたけど

イヤホンしかもカナル式のやつでジャカジャカ聞こえて来るのってヤバくない?

鼓膜もう破れてんだろ

anond:20171109201631

可愛く擬人化した時点で

キモ

おっさん

消失するだけだろ

貧乏美少女なんて腐るほどおるわ

あのさあ……廃人って人生終わってる人間のことだよな?

ゲームをやりまくった結果月数十万稼げてたなら、それって廃人じゃないよね?

だって十分生活できちゃってるんだもの

廃人ってのは誰かの助けが無ければ生活できないか自分が今まで稼いできた金を食いつぶして継続不可能生活を送っているような完全に終わっている人間を指すことだばだろ?

ゲームやりまくってますお金で稼げてます廃人じゃねーべ。

どんだけやり込んでいたとしても趣味人でしょ。

ゲームぶっ通しでやって病院行きましたや死にましたならまだ分かるけど元気に生きてるんでしょ。

それは廃人っていわねーよ。

俺に言わせれば廃人定義プレイした時間じゃない。

人生を捨てているかどうかだ。

普通人生を捨てているか」どうかじゃない。

自分から見ても人生を捨てているか」だ。

辞めなきゃいけないのに辞められないっていう薬物中毒状態廃人

辞める気はないぞなぜなら俺は今幸せからだと本心から言えて、そしてそれが本当にこれから継続できるやつが廃人なのってんじゃねえよ。

ただのガチゲーマーってだけだろうが。

そんな奴が偉そうに「廃人定義(キリリリ」だぁ?

笑わせんな。

畜生完全に100文字超えてやがる。

しゃーないか増田に貼るわ。

貼ったわ。

中華料理の半チャーハンセットは要らない

白米と薄味の漬物がいい

働くということ/失うということ

もうすぐ二十七歳になる。

無性に文章が書きたいので、これを書く。





最近自分が何歳なのか、よくわからなくなる。

から時々確認しなくてはならない。

紙に書いて壁に貼って、誕生日になったら剥がせばいいのかもしれない。

「今、俺は26歳! 社会人4年目! ここが頑張りどき!」

みたいなことを正月にでも筆で書いて、壁に貼っておく。

誕生日が来たら剥がす。そして次を貼る。

「今、俺は27歳! 社会人5年目! 上から評価だけでなく、後輩の育成も、ね!」




時間は流れてゆく。

いや、流れているはずだ。

僕の中の時間は止まったまま、現実世界時間けが過ぎている。

27歳になるのもビックリする。

22歳になったときはまだ覚えている。

そこからの5年、何かあったのか?

子供のいたずらで、時計を針をぐるぐると何回も何回もまわして、気がついたら2017年になっていたような気さえする。





サラリーマンになんてなりたくなかった。

けれど、時間に押し出されるようにして、僕は選択を迫られた。

フリーターになって夢を追うとか、まあそのぐらいの選択肢はあったけれど、実質的就職する以外の選択肢はなかった。

労働ということに、価値を見出せなかった。今もそうだが、昔からそうだった。





2012年のあの頃、僕は叫ぶようにして面接をしていた。

就職活動

長い年月を費やしたけれど、今の僕にはほとんど記憶がないのは、忌々しい記憶だったからだろう。

ずっと組織集団といったものに馴染めなかった。

日本企業なんて、大半は気持ち悪い集団だった。

それでも、「御社への志望動機は…」という話を延々とした。

そして一社だけ内定をもらえて、そこで働き始めた。

長い就職活動だった。

会社に入ってくる後輩は、学歴就職活動ハードさも、ワンランクもツーランクも落ちるような奴らだった。

結局は運なのだと思う。

僕の同期は、就職留年したり、未だに実家寄生したりするが、それはなんだったのだろうか?

そんなもの存在しなかったかのように、日経平均は上昇し続けている。

そして僕もまた、そんなもの存在しなかったかのように、安定した暮らしをしている…






リクルート的な価値観に従うならば、仕事というのは自己実現手段でなければならない。

仕事を通して、大きな変化を社会に与えて、それを通して自分という存在が救われるのである

その文脈において、僕がしている仕事は、まったく価値のないものしかない。

僕の勤めている会社利益だけを考え、その関係者けが幸せになるものしかない。

どちらかといえば、『課長 島耕作』とかの世界観に近い。

やっていることが、FAXからExcelの穴埋めに変わったくらいか

古いシステム会社である








会社から評価されている。

上司は恵まれている。

技術者気質だが、管理職としての自分役割理解して、高いレベルバランスのいい部長がいて、

放任気質でどうでもいいところはノータッチにして、締めなければいけないところは締める課長がいて、やりやすい。

そういう上司のもとで、それなりの成果が出せている気がする。

そんな恵まれ環境でも、三年目くらいまで、どうしようもないくらいの焦燥感があった。

自分技術力とか、会社の求めているマネジメント能力とか、そういうものへの反発があった。

早晩潰されてしまうのではないか、という不安は常にあったけれど、色んなものに恵まれて、そんなことはなかった。

仕事ができる人間‘」として扱われる環境は、居心地がいい。

自分人生ではじめての環境なのかもしれない。

僕が居心地がいい環境というのは、ずっとなかった。

家庭でも、学校でも、バイト先でも、そんな環境はなかった。友達恋人の部屋でさえも、僕は居心地の悪さを感じていた。





極力シンプルに生きようと思っている。

仕事が終わったら帰って、一人でビールを飲んで、早めに寝る。

平日はそれで過ぎていく。

休日に色んなことを考えてしまうが、それだけが僕の生きている時間なのだと思う。

平日はそれでいいと思う。

休日も、ぼんやりしていたらすぐに終わってしまう。

今の僕が失ったのは、休日焦燥感である

よくもわるくも、僕はサラリーマン社畜である自分を受け入れつつある。

今の日本には、僕と同い年で、同じくらいの給料をもらえている人間なんてほとんどいないのだ。

そのデータは、大学に行ったおかげでわかっている。

けれど、それは結局、失われた20年に突入した日本の大半の若者が得られなかった、ある時代は当たり前だった待遇しかないのだと思う。

もちろんそういう詭弁をもって、仕事をやめて、自由を手にしようということではない。

何が言いたいかというと、このままだと、僕に許された幸福に続く道のりは、

いい奥さんをもらい、仕事を頑張り続けることだということしか残されていない、ということなのだ。

幸福に関しては書きたいことがたくさんあるけれど、はたしてそんなことなのだろうか?

僕にはわからない。

わかる人間なんているのだろうか?






この文章で、誰かを批判しようとか、肯定しようとかい気持ちは一切ない。

とにかく僕が、シンプルに生きようとしている、ということだけを書きたかった。

それにまつわる複雑性について、夾雑物を捨てるように、書きたかったのだった。

anond:20171108232010

俺はほどほどに勉強して

立命館あたりに進み

博報堂に勤めるという人生設計

10歳のときに立てたけど

今ではりっぱにニートやってるから

そこまでみんな利口なわけではないと思う。

てか中学の頃に友だちもいない、先生からもまともに相手にされないような生徒になってしま

それから自分は頑張っても評価されない日陰者なんだ」といろいろなことを諦めてしまった。

二次性徴が始まって性への関心が高まっていったのも小学生の頃だが

やはり中学生の頃に「僕みたいな人間が異性から認められることなんて有り得ないのだろう」と悟った。

未だ童貞能動的に行動していれば誰かと交際できたとは今でも全く思っていない。

未婚の友達を見回すと、良くも悪くも変わり者ばっかだ。人として好きだから友達やってるんだけど、変わってるとは思う。

私ってここまで変わり者じゃないと思うけど、未婚だし結婚の予定もないから、他人から見たら同じくらい変わってるのかな?うーん。

とか思ったけど、そういえば既婚は既婚でよく見てみると変わり者も変な人も多いし、未婚でも超普通な人もいるし、なんだかな〜当たり前だけど一括りにできるようなもんじゃいね

結婚って巡り合わせでしかないんだろうな。

anond:20171109201432

標準化するにはそれなりの規模できちんと話し合って合意を取らなきゃいけない

要は日本人にはこれができないの

からよくわかってないエライ人が勝手に決めてやがて「現場運用」になってグダグダになる

anond:20171109200402

結婚するとなると、大部分の夫婦間ではどちらかの収入が多かったり少なかったり、差が出てくる。日本では、一般的収入が少ない女の方が男の姓に合わせることによって丸く収まる。最近では、妻の方が学歴収入が上の夫婦が増えているので、夫の方が妻の姓を名乗るケースも増えてきているらしい。

やはり、夫婦同姓は今後も続くんじゃないかな。完全に別姓が認められてしまうと、収入の多い方の不満が溜まり続けてしまうだろう。「私の方が学歴収入も上なのに、対等なわけがない!」ってね。

死、怖い

から"死"というものがとても怖かった。特に友達とか家族死ぬのを想像するのはとても怖かった。一時期は知り合いが死ぬのを経験するのが嫌だから死にたいとまで思っていたほどだ。

何故そんなに怖いのか。言葉として表すならもう会えなくなるから、というのが適切かと思うけど、ただ本能的な怖さな気もする。とにかく死、怖い、めっちゃ怖い。

そういえば、私は『世にも奇妙な物語』のホラー物の話が昔から怖くて仕方がなかった。正直大人になった今見ても怖い、風呂に入るのが嫌になるぐらいには。

だが同系列の『本当にあった怖い話』はそこまで怖いとは思わなかった。

怖いとは思うのだけど後に引きずるほどではなかったのである

過去に何人かの友人にこの事に同意を求めたのだが、周りの意見は総じて「普通に本怖の方が怖い」であった。本怖は実体験だけど世にもは創作と明言されているかららしい。

かに、と思ったのだが創作とわかっていてもやはり世にもの方が怖いと思ってしまう。別に演出は同じくらい怖いと思うのだが何故。

そして最近この理由を考えていてもしかして死が怖いからじゃないか、と気づいた。

本怖は私の知ってる限りでは基本的に死にはしない、だって実体験だし。でも世にもは死ぬであるしかも後味が悪いことが多いから余計トラウマものだ。

世にもを見ていると創作とわかっていても(自分にも起こり得るんじゃないか...)とか、(知り合いが巻き込まれたら...)とか考えちゃうわけだ。

いや、死、めちゃくちゃ怖い。改めて考えてなんで皆この恐怖も感じないような振る舞いができるのか不思議なくらいには怖い。私はこれから先もこの感覚に苦しめられることになりそうだ。

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