仕事があれば、欲しいものは大抵は買える。車だって何だって、中古品を探せば程よいものが転がってる。
平和は日本ならすでにあるし、安全もすでにある。空気もあるし、水も有る。家も服もある。
何かを望むことによる膨大なデメリットに比べれば、望まないほうがマシだ。
食べられない人参を吊り下げる奴らの餌食になりたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20130911131953
今後もしばらくは応援しつづける所存だ。
理由は3つ。
1. 箱押しが楽しい
私はれに推しである。
単純に箱押しすることも考えたが、やはりれにの素晴らしさは半端ない。れに寄りの箱推しだと明言できる。箱で推さないなんてMOTTAINAI!!
れに推しでまとめることも考えたが、かなこぉ↑の笑顔、しおりんやあーりんの可愛らしさ、そしてももかの頑張りぷりを考えると今は箱推しの方が賢明。将来的にはどうなるかわからん。
ジョギング中にウォークマンでももクロ。長距離を走り続けることができる。
ペースが落ちてきたら走れ!を聞けばいい。
車のHDDにもアルバム三枚入れてある。ドライブが最高のイベントになる。電池に不安のあるiPhoneなんていらない
3. 日々の疲れや何もかもを吹き飛ばしてくれる
しかし、動く彼女らが見たくなったらyoutubeという手がある。
ただ、現時点ではyoutubeがももクロの動画を参照するに適した手段ではないかと思われ。
私がももクロに固執する理由はこんな感じ。
で、本題。
グリーン、イエロー、ブルー、ホワイト、レッド 馬鹿じゃないか?
ブルーはあっても無くてもいい。でもそれ入れたら6色いるでしょうがっ!!
ホワイトってなんだよ。箱色か? 知らねえよ。
パープル用意しとけよっ! 誰が買うのって? 俺だよ俺。俺俺。
会議のシーンだったように思う。
半沢チームの作成した資料を嫌がらせ?で「隠す」上司?たち…小学生……?
あるいは少女漫画の「バレエシューズに押しピン!!!」てやつ…?
それをカバンのチェックですよ~と公開処刑チェックする。会議で。いい大人たちが。
小学校の「終わりの会」なのか…?大人なんだろうみんな?え?え?
他人のカバンも投げたりする。中身ぶちまける。書類の束ねられたファイルだって投げる。小学生か?
大人なんだから他人のプライバシーや趣味嗜好くらい尊重しようや
会議?なのに、罵倒、罵倒、罵倒、悪口、プライバシーあばく、公開処刑……?
あの、小学生の学級会なんですか???身体は大人、頭脳は子ども!ってやつなんですか?
メガバンなんだよね?一流の教育を受けた人たちが働いてる会社なんだよね?
ファンタジーだから野暮なのかもしれないが、それにしても耐えられなかった。
ファンタジーって、いや、ファンタジーだとして全く意味のないファンタジーだよね???
まったく、美しくも何でもない。身体は大人!頭脳は小学生!その名は・・・半沢直樹!!!!
男子小学生の日常~♪っていうシュールギャグドラマです…っていうのでもないんだよね?
一応あのへんは真面目なシーンなんだよね?日本の会社のリーマンは理不尽に耐えてる…みたいなシーンなんだよ…ね?
まじかよ
だれも、このあたりにツッコミはなかったのか??
メガバン?なのにこんなんでええの……あ、男子小学生の日常っていうファンタジーギャグだからいいのか、って誰も思わなかったの???
MH3Gは右手親指に視点変更(タッチパネル)と溜め維持(Xボタン)の2つの役割が割り振られていたため、特殊な持ち方をしなければ
溜め+移動+視点変更ができず、それは致命的だったという意見はよくわかる。
でもMH4は視点変更が右手親指(タッチパネル)、溜め維持は右手人差し指(Rボタン)になったじゃないか。
溜め+移動+視点変更をするために、持ち方を工夫する必要は全く無い。
確かに視点変更しながら回避(Bボタン)をスタンバイすることは出来ないけれど、そんな操作が必要な場面はえらく限定的だと思う。
結局、後述するどっちを使うかって話だけれど別にモンハン持ちは通常持ちの上位互換ってわけではないし、変な持ち方をする苦労や操作ミスのリスクに較べて得られるリターンが割に合ってない気がする。
※両方とも、常にLボタン操作(背面へカメラ移動、タゲカメ、アイテム操作)可能
たまに、泣きそうになるけど。俺のスキルは、俺の代で終了。受け継がれることもなく滅びる。これが出来るのは俺だけじゃないし。いいといえばいいけど。
そうやって、失われていくスキルが多いんだろうな。
近頃じゃ 肉体労働系ですら溶接が上手な奴が減ったそうだ。スキルがどんどん失われていく。泣きたくなるね。
いまさら、アセンブラレベルからスクリプト言語まで、ハードの知識込みで学ぼうというやつはいないわな。 そういう自分も修行中の身ではあるが、もう、アセンブラの後継者はほとんどいないだろう。
俺の場合は 教え用にも それが必要とされる基礎知識 が必要とする 基礎知識 すら持ってない奴が99%ってところだよ。
日本の学歴社会のテストじゃないんだから。 問題に対する答えを教えても仕方がない。 問題に対する解き方を教えたいんだが、それには基礎知識や基礎知識の基礎知識が必要だ。
だが、たいていのやつは答えが知りたいだけだ。 そんな奴らに答えを教えるのは、努力して自分で答を見つけた奴らに対する冒涜だ。
教えられることはなんでも教えたいけど、自分で考えた奴らを邪魔することは教えられない。
基礎知識の基礎知識から聞くなら、いくらでも教えるけど、そういう奴らは、基礎知識や基礎知識は学ぼうとしない。
自分で考えた奴らを打ちのめす今すぐ役立つ知識が奴らの所望だ。それは無理。
今持ってる知識を、ちゃんと1から教えるだけでOJTでやりながら10年かかるよ。 そんだけの期間下積みできるやつなんて、今は殆どいないだろ。
今、私はガラケーを使っている。
今後もしばらくは使い続ける所存だ。
理由は3つ。
単純に複数回線持つより安上がりということもあるが、カネというより気持ちの問題。 MOTTAINAI!!
テザリングでまとめることも考えたが、バッテリー・帯域制限・回線維持費を考えると、今はまだルーターの方が賢明。将来的には通話機能とルーターは集約されると思う。
特にプロバイダ契約ブッチして、E-Mailさえ使えなくしてからは充電頻度が激減した。
キャリアが提供する通話サービスは、SkypeやLINEに取って代わられるかもしれない。
ただ、現時点ではガラケーが最も通話に適した手段ではないかと思われ。
私がガラケーに固執する理由はこんな感じ。
情報を他人に教えるかどうかは個人のポリシーなので、どうこう言うつもりはない。
教えたくないなら教えないでOK。
でもそういう人にはこちらの情報も届かないようにしたい。なんとかならないかなと思っている。
株式とか金銭に関わる情報じゃなくて、趣味的な軽い話なんだけどね。
だから他人に教えても自分が損するわけじゃないはずなのに、絶対言わない。
人から貰うばっかりで、感謝すらしてくれず、そればかりか「○○についての情報ないのかなーチラッチラッ」とか言ってきたり、自分が先に情報を入手した時に他人に絶対教えない。
そう言う人だけに情報が届かないようにしたい。
よく「子供達に夢を与える為に、東京五輪を誘致しよう!」とキャッチフレーズで言われる。
60年前の子供なら、テレビもあまり普及してなかったし、ゲームなんてなかったから、
「五輪が最大の娯楽」たりえた。
だから1964五輪は子供達にとっても最大の娯楽コンテンツで、夢を与えられていた。
・毎月のように販売されるゲームソフト
・そして世界人口の分だけ発信されるネット、ユーチューブ、ニコニコ動画
大人の場合、
「2020に見ておかないと、しばらくは日本で五輪見られない」と「計算が働く」から、
それなりに「今回の東京五輪を観戦しておこう」のインセンティブが働く。
面白くなければ、「あと数十年は五輪見られない、五輪を見ようよ」と大人に説得されたところで、
子供は「只今現在食べたいものを食べる、値段が安くても高くても関係ない」
「今見逃したら、後50年は見られないから」と打算で計算したからではなく、
五島勉の最新作「H.G.ウェルズの予言された未来の記録」を読んだ。
「あのウェルズが予言をしていた」って内容で、それはそれでいいのだが・・・。
これを、その時代(日中衝突の時代)には、「日本にアーモンドが咲いている」=「世界の富や文化が日本発で」という解釈はいかがなものか。
「アーモンドの詩」は、「もうそれを私は見れないのだろうか?」につながっているので、「アーモンドの花が見れなくなる」っていう予言なのでは?
「アーモンドの花が見られなくなる」←「ミツバチが姿を消す」→「アインシュタインの予言(ミツバチの絶滅後4年で人類絶滅)」と言う風に、当然つながってくると思うんだけど、もう、五島勉にはそういうひらめきはないらしい。
「アーモンドの詩」を見直すと、「アーモンドの花、美しい富士山、かわいいものに満ちた宝島、それらはもう見られない(=滅びる)」と読めるので、「ミツバチの絶滅」、「富士山噴火」が予言されているのが明らかだと思うんだけど。
ちなみに、誕生日プレゼントなんて、もう20年近くもらってないよ。 それを人はボッチというのだよ。
どうせ貰えない。だから、期待もしない。
20年無視されれば、今更何をもらっても、無視されたという方がデカイ。ということでいいだろ。
願い事は、この願い事以外の、他人から与えられたのじゃない自発的な願い事がほしいかな。
それがあれば、それを目指して頑張れるのにね。
じゃぁ、受け取らなきゃいいじゃん。
ない。
ない。
ない。
どこを探しても、ない。
誰かに何かをしてもらって、そのとき「ありがとう」と言うのだけれど、それがどうにもこうにも気持ち悪い。
ほんとうはこれっぽっちも感謝なんてしていないのだ。
やって当たり前のことに、与えて当たり前のことに、いちいち「ありがとう」なんて言う必要があるのか?
いちいち感謝しなきゃ行けないの?
けちくさい世界だな、ここは。
「多分、バリキャリの年収って300万だろう…」って考える人が書いてるって事じゃない?その人のリアルってそういう事なんだと思う。
反対に続きに興味が出てきたよ。もっと続けて欲しい。