人民の敵認定受けたみたいだな。
うーん、ちょっと違う。
一連の流れでいちばん重要な点が抜けている。嘘ニュースを信じてしまう人は前からいた。今回は「NEVERやtogetterなどTwitterの発言をまとめるサイトで、釣られた人の晒しあげが行われた」が一番大きい。
この行為が多くの人の癪に障ったため大炎上したのだが、なぜかまとめサイトで吊しあげた人ではなく、ネタ元の虚構新聞のほうに非難が集中してしまった。その非難が不当だと感じた多くの人が反論したために、状況が泥沼化している。
テキトーに名前付けられてる子はそりゃ少なからずいるだろうけど
いい年した大人なら、ストレートに子供に「お前の名前に意味なんてねぇわ」とは言わないよね、
なにかしら意味をでっちあげてでも、子供が自尊心を満たせるようなエピソードを教えてやるだろうよ。
お前のそれは「対案なき批判」ってヤツだよ。
いや、対案はあるにはあるんだけど対案が幼稚すぎる上実効性に乏しいからないのと同じだ。
橋下がよく言う「対案なき批判」ってのはイラッとくるのがよくわかった。
規制違犯の場合の罰則強化→具体的にどこからどこまで強化すんの?
現行の建築基準法違反は即逮捕?無理だろ。金のない事業者どうするんだ。
行政が補助金出す?税収減ってんのにどっから出すんだ。自治体破産するわ。
規制違犯の通報制度→罰則強化が無理ならこんな制度あっても仕方ないだろ。
規制監視要員の大幅増員(予算増加)→だーかーらー、その予算はどこから出すんだよ馬鹿。
お前は行政の財布の中身をのぞけないし、天下りを減らせば!とかムダを削減すれば!とかいうけど
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/folder/507159.html
そもそも今発達障害だの精神障害だのとされている人達って、大体は労働問題や経済問題で解決できる部分だと思う。仕事がきついから、給料が安いから、生活費が無いなら、だから鬱になるんでしょ?なんで先にそっちを解決しようとしないかなあ。
ニートやホームレスに発達障害が多いっていうけれど、逆だと思う。ニートやホームレスという苦境にあるから本来何でもない個性が障害認定されるんだよ。そういう立場の人を救うのは障害者認定する事じゃなくてもっと広範に世の中の方を変える事である筈だ。さかな君も発達障害かもしれないって言われてるけど別に困ってない。本来はみんながそうあるべきだ。
勉強は出来るけど無愛想、コミュ力がない。こういう本来何の問題もない筈の人間を社会から除外したり障害者として特別な支援の対象にするのはそれこそ人的資本の損失だと思う。
まじで、その通り。
一種のゲームなんだよね。
「虚構新聞」は新聞という形式で嘘をもっともらしく語る面白さが売りのネタのゲーム。そこにツッコミを入れて遊ぶゲーム。
「また釣られたw」感を楽しむゲーム、あるいはそれに釣られる奴を馬鹿にして遊ぶゲーム。
そして、このゲームは釣りタイトルというルールを用いるゲームだった。
そして、この「釣りタイトル」はアクセス数アップにつながるものだ。
これをまとめサイトが大っぴらに用いるようになった。
まとめサイトがやってるゲームは「虚構新聞」とは違うゲームだ。
単純に、人目のつくようなタイトルをつけてアクセス数を稼ぐゲーム。
まじかよ、と思ってクリックする奴をおびき寄せるゲーム。そして、それが釣りタイトルでしたともネタバレしないゲーム。
しょーもない奴らが同じルールを用いるようになったことで、すでに「虚構新聞」がやってるゲームの正当性は棄損されていたことが、政治ネタに触れて明るみになっただけ。
釣りタイトルのネタ元、虚構新聞のネタ元は「東スポ」だが、なぜ「東スポ」は釣りタイトルをやめろという抗議行動が起きないのか。
あるいは起きても止めずにすんでいるのか。なぜ東スポは「東スポだからなー」で済んで、「虚構新聞」はネタでは済まされないのか。
「東スポ」と同じゲームにもっと悪質な形で参入してくる奴がもっといれば、「東スポだからなー」では済まされなくなっているだろう。
だが、新聞という形でこのゲームに参加するにはかなりの参入障壁がある。だから東スポだからなー、で済まされている。
しかし、インターネットは参入障壁ゼロだ。「U-1速報」というまとめサイトが現れたとき、ある種の衝撃を俺は覚えたが、もっとひどいサイトはいくらでもある。
インターネットにおいて、そのネタをネタとして遊ぶ場を守る障壁はゼロに近い。
それはインターネットそのものの特質でもあるし、最近のインターネット利用者、広告利益の変化によるものでもある。
簡単に言えば「バカが参入しはじめたら、そのゲームは終わり」とも言えるだろう。そして、そういう環境にインターネットはなってしまったということだ。
その障壁をインターネット上に設けるとしたら、閉鎖したSNSでゲームを行うか、一定のリテラシーや用語が必要なゲームを行うかしかないだろう。
ある種のゲームが楽しまれ、そしてネタで済まされたものは、同じルールを悪質に用いるものが現れた時に破壊される。
これはコンプガチャやその他のゲームにも当てはまることかもしれない。
ここで言う「ゲーム」とはこの世の中すべてのことだ。
アイドルファンもある種のゲームを行なっている。AKBの盛り上がりの根底にあるルールというものは数多の評論家が指摘している通りだ。
ファンやユーザーが自発的にルールを設定、あるいは読み込み行うゲームもあれば、仕掛け人がネタとして楽しめるゲームを提示し、ルールを設定するゲームもあれば、その両方もあるだろう。
しかし、このルールを行なってもっと悪質でもっと過激なアイドルゲームが行われ、そこに陳腐化や悲劇が起こったとき、AKBを始めとするアイドルゲームは毀損されるだろう。
過激すぎると話題になっていたAKBのドキュメンタリーをDVDで見たのだが、俺は2パックの悲劇を思い出さざるを得なかった。
「"DIS"って"ネタだけどリアル感はある"ってゲームじゃなかったのかよ....」と通じるものが、確実にある。
AKBとヒップホップシーンを(肯定的に)比較する評論がすでにネット上にあって、やはりなと思ったのだが、そこには肯定的にしろ否定的にしろ共通するものがある。
というか「ハイコンテクストな場を楽しむ」というゲームはどうしたってそういったものを含むのだ。
そして、ゲームは続いていく。
あと、ここまで書いて思ったが、「Web 1.0」的な虚構新聞がCGMに殺られた、あるいはネット上のゲームの変化を読み損なったとかいう話もできると思った(小並感)
http://anond.hatelabo.jp/20120514122336
http://anond.hatelabo.jp/20120516163256
http://anond.hatelabo.jp/20120515220559
じゃあどうやったらその仕組みが作れると思うの?
結局は金なんだよ
みんな金がたんまりあるなら、ワザワザ違反を放置したままにはしないし
富裕国から転落するってのはそういうことなのさ
2chをそれなりに知っている人なら、バーボンハウスと呼ばれる釣りスレを知っていると思う。
バーボンハウススレは人を惹きつけやすいタイトルで立てられ、一番最初のレスにこの文面が張られる。
やあ (´・ω・`)
ようこそ、バーボンハウスへ。
うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。
でも、このスレタイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい
そう思って、このスレを立てたんだ。
そう、「ときめき」
「ときめき」を感じたいんだよ!
ちなみに自分はしょっちゅう釣りスレにひっかかりますが、必ず本文を確認する習慣がついているので騙されたまま拡散したことはないです。
俺はガムパッチンは分かりやすい例えだと思いましたが、批判する人は考えが凝り固まってるのか。
をするべきではない点について、
例えば、俳句本文中は目で見たそのままよりも趣の方を大事にしませんか?
例えば、映画やドラマとか見てて、「あ、これは死亡フラグだな」と分かってても、これは死亡フラグだとテロップなり明確に示されたらどうでしょう?
そういった類いのものですよ。単に面白さがわからんというならまだしも、何でこんなに論理的に批判しようとするのかよくわかりません。芸風を論理的に批判ならまだしも。俺はこういった動向がモンスタークレーマーと似てる気がしてなりません。まあそんな俺も凝り固まってるかもしれませんが。
上記の”例えば”を見ればわかると思いますが、「虚構新聞」だと付けろ!ということで「虚構新聞」の意味がなくなる。映画の例で言えば、死亡フラグを明示されて劇的なシーンが冷めるように。または(悪質でもないのに)ジョークなんか言うな!と言ってるように聞こえてなりません。
あと、リテラシーの点で言えば、一般の人がネットを使うようになったからと言って、なんでレベルを低い方に合せなきゃいけないのか?そうする事の方が大きな問題のように思いますが?
完全非対応 という対応ならあるだろうけど 対応していて不具合が出る。となると 最悪 製造物責任法 とか 製造物の責任ってあるからな。
会社の看板があったりすると(うちはないけど) そうもいかないだろ。
フォントにしろ、画面サイズにしろ、発色にしろ、違うものを大量に出されるとアプリメーカーのコストがたまらないって、ちょっと前にニュースになってるのに、コレだからな。
スマホとタブレットは画面サイズが一緒でもDPIが違うから、やっぱり、チェックしないといかんし。
たいていはAndroidがなんとかしてくれるけど、見た目の問題はどうにもならんからな。
そういう事件の再発防止として、行政は「規制の強化」を掲げている。
(例=ツアーバスの運転手1人運行距離の短縮化)
行政は「規制を強化すれば、自動的に事故も防止できる」と安易に考えていないか?
今回の事故の教訓は、
「規制を作るだけでは何の意味もなく、規制が遵守される仕組み作りの方がはるかに重要」
ということじゃないのか?
具体的に言えば、規制違犯の場合の罰則強化であり、規制違犯の通報制度であり、
「そもそも最低賃金が守られてない現状を放置したままで、法令だけ書き換えても、
実際の手取額はなんら変わらない」んじゃないか?
行政側は「性善説、基本的に規制は遵守されるもの」として制度設計しているが、もはや
「性悪説、基本的に規制は違犯されるもの」という前提で、警察的強制権で制度設計するしかないのでは?
「行政が、各業界団体に、再発防止の取り組み、法令順守の要請を行なった」というニュース。
これなんか、行政が「一応は事故対策の取り組みをしましたよ」というアリバイ工作をした、という
以外の何者でもない。
陸援隊のような「確信犯的違反者」はそもそも業界団体なんかには加入しないだろうし、
仮に入っていたとしても、業界団体から流れてくる要請には「馬耳東風」だろう。
昔の「霞ヶ関と業界団体による、美しきカルテル護送船団」であれば、
世間は業界団体のカルテル的体質を、そして業界団体と霞ヶ関の癒着を、許さなくなった。
なのでツアーバス業界などでは「美しきカルテル護送船団」などは、とうの昔に崩れ去っているのだが、
行政側はかつてのやり方でしか対策を打てない。(その対策は何ら意味がない)
穿った見方をすれば、霞ヶ関が「美しきカルテル護送船団」を本能的に維持しようと思っているのは、
「規制手法として、それが手っ取り早い、ラクチンだから」じゃないのか?
「愛情を受けていない」ということを否定するんで無ければ
それはそういう事実を確認出来たってことで良いんじゃないの。
としているなら問題だけど、そういう家庭もあるんだという
事前にわかっていれば、手を打ってくれるところが多いよ。
たとえば、お母さんのなんとか、という課題の時
お父さん or お母さん がいない子がいる > ご両親どちらかの
まぁ、先生によるんだろうけど。そういう事もあるということで。
こういう病的な書き込みをする奴が常駐しているのがマスダっていう印象。
結局なんの根拠も論理も示せず、「俺が嫌いな奴は異常者だ」扱いばっかりしているよな、おまえって。
モンスターペアレンツが、自分の娘にDQNネームを名付け、
それを知ったモンペが
「マトモな名前を付けた親に逆キレする」という話が、はてなブックマークにあった。
http://gasoku.livedoor.biz/archives/51908606.html
この話の真偽については、一部「ネタじゃないか?」との意見があるが、
そもそもこの手の
「自分の名前の由来・意味を調べましょう」という小学校の授業自体に、
問題があるのではないか?
この授業の前提としては
「親は、子供のことを考えて、最高に意味のある、最高の愛情を込めた名前を付ける」という
「素晴らしき親」「パーフェクトペアレンツ」が前提になる。
「適当に名前を付けられた」というケースも、あるのが普通では?
言い方を変えれば、「40人の中で、パーフェクトペアレンツでない親が数人程度いる」のである。
本人は「パーフェクトペアレンツ」であると意識していても、傍目には
まさにモンスターペアレンツ、DQNネームの親なども、それに該当。
「皆が皆、パーフェクトペアレンツである」という「神話」を前提として組み立てていて、
それゆえに
「パーフェクトペアレンツの無償の愛を子供に体感させる」という授業がなされる。
「パーフェクトペアレンツの無償の愛を体感させれば、子供の情緒にプラスになり、
パーフェクトチャイルドになる」という目論みなんだろうが、
この授業計画は、パーフェクトペアレンツでない親が混ざっている時点で、見事に破綻する。
その場合、後に残るのは
「パーフェクトペアレンツ(とその子供)による、ノンパーフェクトペアレンツ(とその子供)への差別・イジメ」だけである。
「親の愛情を子供に取材させて、体感させる」という授業展開だが、愛情希薄な場合、
あるいは愛情をうまく伝えられない親の場合、授業計画は破綻する。
で、
「お父さんお母さん、いままで僕を愛情一杯に育ててくれてありがとう」と子供に語らせるのが
この手の授業の「予定調和的展開」であるが、これって保守トンデモの「親守詩」と、
やってることが何ら変わらん。
いい加減、
「パーフェクトペアレンツっぷりを子供に体感させる授業」は、止めにしてはどうか?
現実世界は、文部科学省や教育委員会が期待するほど、パーフェクトペアレンツは多くない。
そもそも、「古き良き日本」では、結構子供はいい加減に命名されていた。
一番目の子供だから「太郎」、二番目だから「次郎」、てな感じ。
「もう子供なんかイラネ」「男児が欲しかったのに、女が産まれやがって」というホンネを隠さずに、
おおっぴらに「トメ」とか「ステ」と命名されていた。
突飛な仮説だが、