はてなキーワード: 製造物責任法とは
さわったら、戻す
触れる
というのは、店のためにやっているのか?利用者のためにやっているのか?
というときに、利用者のためだ、店はさわらないでほしい、と言った。
わかりました。では、ラベルを触らなくても見えるようにして下さい。
テレビは国が配りましたが、スマホは配っていないから、客がもっているとは言えない。
べつに、貧乏人はセブンを利用するなということはできるが、おそらくいわないだろう。
コロナでというが、お前のところの包装紙はつばがとおるので、いままで、何十年も運営していたんですね
あなたが、超えると主張するなら
19年以前 どうして、その状況で販売していたんですか?
創業以来 何十年の管理不行き届きの責任について釈明を求めます
へたすりゃ
感染に、セブンが問題が合った 製造物責任法上 問題のある 包装だった という事ですか?
ちなみに、政府が行ったのは 濃厚接触を前提に、密をさけましょうであって
すれ違いがだめだとはいっていない。
何重にも検査をして場合によっては弁護士の確認を受けてから発表する
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20200317/1040009185.html
↑
これ読んで思ったんだが、
「マスクを高齢者施設や児童養護施設に配ることを約束しました。」
って書いてあるけど、それやって大丈夫なのかね。
製造物責任法とかどうなんの。
品質が悪かった結果なんらか感染とか発生したとしても、どう考えても作った女の子に責任は問えないし、保護者の責任を問うのも無理だろう。配るのは県なんだから。
それとも、医療用品としてではなくて、「使ってどうなるか分からないけど使いたければ使ってください。自己責任で」って渡す気かね。
がっちり警告表示の書面整えて、何があっても県が責任取ります、とでも記載するのかね。
業務としてどういう扱いになるんだろう。
ここに、本件っぽいことをいろいろ書いてあったよ。
http://www.law.co.jp/okamura/PL_Law/
引用「このような中間(ソフトウェア単体と埋め込みマイクロチップとの中間形態)にあたるのが、まず、OSやソフトウェアがプレインストールされたコンピュータである。これについては、ソフトウェアに欠陥があった場合、ハードウェアとソフトウェアのメーカーが同一であれば製造物責任法の対象になるが、ハードウェアとソフトウェアのメーカーが同一でなければ、ソフトウェアに欠陥があっても製造物責任法の対象にならないと考える説、プレインストールされることによって製造物の一部になったとする説(岡本佳世ほか「企業のPL対策」(商事法務研究会、1995年)67頁)など、説が対立している。」
つまりは、はっきりこうと言える条文は無いんじゃないかな?
低額訴訟とかなら個人でもできるし。
そもそも、携帯の電話番号を使って認証をしているのが、是なのか非なのかわからないし
携帯の番号はリサイクルされることは前提で、既知の事実であるにもかかわらず、対応していない。
業務上の過失かどうかは、訴えてみないとわからん。
モバゲーをやるためにモバゲーの過失でかかった費用(事務手数料とか)は訴えて勝てるかどうか、微妙。負ける可能性もあるが、勝つこともあるだろ。
特定の顧客がサービスを受けられない、というのは公平性の観点からも、問題とはされるだろうし。
いちおう、企業の設立に関する法律で、特定の個人にたいして、正当な理由なく利益または不利益を享受することは禁止されてるはず。
システム上の問題が正当な理由とみなされるかどうかだけど・・・、なんでそう言う風に作ったの?ってはなしで・・・
ただ・・勝っても数千円で、裁判の手間を考えたら、ふつうはやらんし 正確に法律を調べるコストで 赤字化する。
いちおう業界的には電話番号や携帯の固有IDを、キャリアー以外が認証に使うことは
セキュリティー上の欠陥になりかねないので、非推奨だしなぁ。
完全非対応 という対応ならあるだろうけど 対応していて不具合が出る。となると 最悪 製造物責任法 とか 製造物の責任ってあるからな。
会社の看板があったりすると(うちはないけど) そうもいかないだろ。
フォントにしろ、画面サイズにしろ、発色にしろ、違うものを大量に出されるとアプリメーカーのコストがたまらないって、ちょっと前にニュースになってるのに、コレだからな。
スマホとタブレットは画面サイズが一緒でもDPIが違うから、やっぱり、チェックしないといかんし。
たいていはAndroidがなんとかしてくれるけど、見た目の問題はどうにもならんからな。
元増田です。丁寧なお返事ありがとう。こちらも同じく暑くて眠れないので返事します。
一方で、「原子力村」の「ウソ」は、彼ら活動家とは届く範囲が違っていたし、時間的な長さも違う。広く一般の人々が読む新聞で、前の投稿に例示したような「安全だという宣伝」を重ねてきた。
それが「ウソ」だというのが理解できないというのは述べたとおり。航空会社が「飛行機は安全だ」と主張してもそれを「ウソ」というわけにはいかないでしょう。御巣鷹山(余談ながら、このニュースのあたりから記憶がかろうじて断片的に残っている)以降国内航空会社で重大事故がない(と記憶している)にしても、JALの整備がひどかったとか、そういう問題は数々ありました。
少なくとも3.11までの日本の原発は所外にリスクを伴う放射能漏れ事故を一度も起こしていなかったわけで(念のため、JCOは「原発」ではありません)「安全」と宣伝する資格はあったと思います。
ちなみに国内最大の原発事故は福島だと私は思っていません。あれは「国内最大の放射能事故」ではあるにしても(広島・長崎は別格)、みんななぜこの事故のことを忘れているのか私は不思議でなりません。こういうことが、反原発派が「命が一番大切」とかいっても信用できない一因です。
http://www.jaea.go.jp/04/turuga/jturuga/mj_anzeniinkai/2/siryou_2-3.pdf
「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」これを「絶対安全」の主張だと思う人は「馬鹿」だといってよいでしょう。
そういう「馬鹿」を基準にしなければならないんだ。少し極端な言い方をするが、PL法(製造物責任法)もそういう思想のもとにある。
ではなぜ「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」は社会的に許容されているのでしょうか?なぜ「原発は安全です」だけが許されないのでしょうか?それは差別というものではありませんか?
元増田へ。レスありがとう。言いたいことは十分に伝わってくる。怒りも伝わってくる。
以下、少し乱暴な物言いになるかもしれない。夜中で眠いので(暑くて眠れないのだが)、気に障る言い方をしてしまうかもしれないが、許してほしい。
そうか、2006年か……。不運なことだが、やはりこれを一般化してはいけない。むしろ、「自分に入ってくる情報が特殊だった」っていうことだ。ちなみに、俺は世間並み以上にニュースに接しているし、どちらかといえば「エコ」志向で、原発はなければない方がいいのではないかとずっと考えてきたような人間だが、それでも、チェルノブイリについて、「最終的な死者の数は10万人から20万人くらい」なんていう話は、今はじめて聞いた。それは一部の、極端な、「反原発運動の活動家」の、具体的根拠のない意見で、一般的ではない(ということは元増田はわかっていると思うが、俺の知り合いで鼻息を荒くしていた奴はわかっていなかったので……しつこくてごめんな)。「10万人から20万人」などという大雑把すぎる数値を聞かされて、真に受ける人がいるとは思えない。というより、そんな数値を鵜呑みにするのは、「絶対安全」と勝手に解釈するのと同じくらい、バカなことだと思う。
ただ、チェルノブイリの事故から時間が経過するにつれて、一般のニュースで話題にならなくなった分、情報源として彼ら、極端な「反原発運動の活動家」以外には何もなくなった時期があったことは確かだ。事故当時子供だった元増田のような人たちは、問題に関心が高ければ高いほど、彼らの歪んだ情報に接することにもなっただろう。それは気の毒だと思うし、申し訳ない。俺たちのように事故当時、ニュースを見て、ニュースの内容をだいたいは理解できていた者が、その後、チェルノブイリへの関心を失い、何がどうだったのかを伝える努力をしなかったことにも責任の一端があると思う。その点、済まなかった。もっと努力すべきだったし、根拠の薄い過激な主張にはもっとつっこみを入れるべきだったのだろう。
一方で、「原子力村」の「ウソ」は、彼ら活動家とは届く範囲が違っていたし、時間的な長さも違う。広く一般の人々が読む新聞で、前の投稿に例示したような「安全だという宣伝」を重ねてきた。それも、本当は地震対策が不十分なのにそれを認めなかったり、隠していたり、もっと悪いことには事故隠しやデータの捏造といったことまでやってきた。しかも彼らのバックには国家がついていた。
「ウソだった」ことでは「原子力村」も「過激で根拠のない反原発活動家」も同じだ。しかし深刻さが違う。届く範囲が違う。今、問題とされているのは、そのことではないだろうか。
最後に、小バカにしているように聞こえたら済まないと思うが、
「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」これを「絶対安全」の主張だと思う人は「馬鹿」だといってよいでしょう。
そういう「馬鹿」を基準にしなければならないんだ。少し極端な言い方をするが、PL法(製造物責任法)もそういう思想のもとにある。
これは本当にその通りだ。「反原発」だろうと、「原発推進」だろうと、どちらもだ。そこが、今、福島第一の事故を経験した日本人が立ち帰るべき出発点ではないか、と俺は思っている。
それを改めて確認して、次の世代に「まともな国、日本」を残せるよう、努めていくのが俺たちの責任じゃないか。
さて、そろそろ本当に眠くなってきた。蒸し暑くて寝苦しいが寝るよ。おやすみ。