はてなキーワード: 炭鉱とは
S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。
H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。
引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います。男子も女子もジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。
とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです。
私は学校の勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。
放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。
でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。
遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民の子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?
中学の頃にはずっと新住民と原住民の子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらからも自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います。
新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民は教育を学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います。
けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民の子供はほとんどいなかったからです。
小学校の頃からの原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっています。フリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困の連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。
ロンドンの暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。
「頑張れば抜け出せる」
それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが、日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います。母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います。
頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です。
中国のパチもん新幹線事故なんだが、実は、もっとたくさん死んでいるという話が出ている。大紀元の記事なんだが、
「脱線・落下した6つの車両は満員時には600人乗れる。新華社の数字に基づいて計算すると、600-211(負傷者数)-35(死亡者数)=354人。
この354人はどこに消えたのか?なぜ慌てて埋めたのか?」
そもそも、「なんで35人死亡なのか?」という理由なんだが、どんな事件事故でも、35人を超えて死ぬと、その地区の共産党委員会の書記が更迭されるという規則があり、なので、どんな事故や災害でも必ず、死者は35人だそうでw
事故後、「35人は訳あり数字だ」と書き込むユーザーがいた。「今回の高速鉄道は35人死亡。河南省平頂山の炭鉱事故も35人死亡。重慶市の暴雨による死者も35人。雲南省の暴雨被害も死者35人。『35』のカラクリを教えよう。実は、死者36人以上の事故が起きた場合、市の共産党委員会の書記が更迭されることになっている。そのため、事故が起きた当初から死亡人数は35人以下と決まっていた」
中国だけに、ありそうな話ですw で、政府は必死に事態の沈静化を図っているようだが、
▼死傷者数は権威部門の発表に基づく▼報道頻度を控える▼市民の献血やタクシー運転手が搬送を支援するなどといった感動的な出来事に焦点を合わせる▼事故原因を掘り下げない、権威部門の発表に準ずる▼反省と評論を避ける、というものだという。一連の中宣部の報道規制は、民間メディアが政府の責任を問う声を封じ込める狙いがあるとみられる。
マスコミに余計な事は報道しないで、騒ぎを大きくするなと指令しているようだが、まぁ、今じゃ中国にもネットがあるので抑えようがないですねw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%82%AD
俺は「糞を掃除する」側になった覚えが無いから特に同意する気持ちは無いけど、なんか心打たれるものが有るというか、格好良い文章だ。多分他の多くの人はそつの無く批判もされない文章を書こうとして結果的に論点をぼやけさせてしまうのに対し、この人の場合は自分の体験をそのまま、物事を一面的に、考え過ぎず素直に、思った事をありのまま書いているからこれだけの迫力が出るんだろう。
あと幼少時の一人称が「ぼく」な点から察するに投稿者は男なのか。殆どの一人称が私なのと文体で女だと思ってた。
汚れ仕事ををやる
「を」が一つ多い。
金がないってのは、そういうことだよな。
どんな発電所がどこに建てられるかは単に地域間の貧富差では決定しない。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
には、土地代は幾らか、土地の面積はどの位か、電力需要の高い地域から近いか、地形的にどんな発電所が建てられるか、貯水池の渇水期、凍結、降水量事情は水力発電が可能な程度か、炭鉱が有るか、大容量の電力連携系統が有るか、等様々な考慮すべき要素が挙げられている。福島県に原子力発電所が建てられたのは「金がない」からではなく「金がない事も含めた諸条件が揃った」からだ。
34ページ
3) 電源別平均的出力当敷地面積と建設費
電源別の代表的発電所についての出力当敷地面積(m2/kW)については、
石炭火力発電、原子力発電、石油火力発電、LNG火力発電の順に面積が小さくなっていることが観察される。
石炭火力発電については貯炭場*4、灰処理場などを併設する必要から敷地面積が極めて大きく、
原子力発電については、原子炉・発電設備などの面積は小さいが放射線管理のため
「周辺監視区域」という空地を設定する必要から敷地面積が大きくなっている。
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
福島県民も東京電力の有する福島県第一原子力発電所の電力を使っている。
また糞を掃除する、つまりは発電所を押し付けられる側は一方的に押し付けられていたのではない。1990年代前半迄は東京電力と東北電力は電力を季節毎に融通し合っていた。
福島の原子力 - 科学映像館 http://www.kagakueizo.org/2011/01/post-332.html
14分40秒
発電所で起こされた電気は、ここ、新福島変電所を通して首都圏に送られると同時に、東北電力の送電線に由って地元でも使われます。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
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1-4-2. 最大送電(kW)計画の推移 (図1-4-2-1.~-3.参照)
地域間連系送電に関する一般電気事業者の8月最大送電(kW)計画によれば、
大需要地である東京・関西の最大電力需要に対し、それぞれ東北、九州・四国などから大規模な
送電が行われていることが観察される。
東京、関西は1990年代前半は送電であったものが1990年代後半から受電に変化しており、
反対に東北、北陸は1990年代前半は受電であったものが1990年代後半から送電に変わっている。
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2) 東 北 (図2-1-1-2a,b. 参照)
東北においては、夏期に水力資源が豊富であり需要期に東京へ連系送電を行っている。
一方、冬期においては水力発電所が渇水・凍結により運用できない問題があり、1990年代
前半においては東京・北海道から連系受電し需要を賄ってきた。1990年代中盤以降東北及び
いやあんたそもそも北海道電力や東京電力や日本原子力発電の電気を福島県民として使っていた事を忘れる以前に知らなかったろ。関東人として福島県に罪悪感を抱く一方東北人として北海道や関東に罪悪感を抱かないのはちぐはぐだ。
自分が言いたかったことは1つなのですが、そこから自分が気が付いて欲しかったのは3つのことなのです。
1つのことっていうのは
なのです。
「原子力は安全」と思っている人にも、こういった事故は絶対起こらない・・・と思っていた人はいたかと思います。
が、3つ目のことから、「原子力は危険だけどある程度ちゃんと制御すれば事故は起こるかもしれないけど安全」と思っていた人の方が多かったのではないでしょうか。
自分はむしろ「原子力は安全じゃないじゃん」と言っている人「事故なんて起こしてけしからん」と言っている人、事故を見て原発を即時停止しろと叫んでいる人こそ事故は100%起こらないと思っていたのではないかと思いますし、そういう人は別の発電方法では100%事故は起こらないと思ってそういうリスクから目をそむけているのではないでしょうか。
実際、火力発電所の事故は、燃料・・・たとえば石炭であれば炭鉱爆発や落盤による事故、石油であれば油田やヤードの火災やタンカーの座礁による原油流出事故、天然ガスならパイプラインやガス田での爆発事故があり得ます。
そういった事故から目をそむけていませんか?という意味でこの記事を書きましたし、原子力は絶対安全なんてありえないから原子力に頼るのはもう限界なんじゃないか・・・と言う意味でもこの記事を書きました。
自分は、「原子力は人が扱えるような代物ではない」と常々思っていました。所謂「パンドラの箱」です。
「原子力は危険だけどある程度ちゃんと制御すれば安全」って言うけど、結局は人が制御できるような代物ではなかったんだ・・・と言う感じでしょうか。
ですが、柏崎の原発が1機止まっただけで夏場に電力不足騒ぎが起こったのですから、原発即時停止は現実的でないように感じます。
Japan's hydra-headed disaster: The fallout
Some natural disasters change history. Japan’s tsunami could be one
http://www.economist.com/node/18395981
ツナミという言葉は、数少ない、世界で通用する日本語のひとつである。この言葉は日本がいかに自然災害に見舞われやすい国であるかを表している。しかし今回の日本の窮状は、過去の痛みよりもいっそう悲惨だ。国内観測史上最大のマグニチュード9の地震。そのエネルギーは30000回のヒロシマに相当する。続いて起こった大波は村々を押し流した。故郷を直撃された被災者の声からは、染み付いた恐怖の深さがみてとれる。冷たい水流は破壊された家屋を遠く内陸まで押し込み、老人や逃げ遅れた人々を殺した。公式の死亡者数は5429人だが、これからも増え続けるだろう。なかには半数の村民が死亡・行方不明となっている村もある。
災厄に直面して、この国の国民は著しい辛抱強さを見せた。略奪はなく、津波被災者からの不満の声はほとんど聞こえてこない。東京都民は税申告の列にじっと並ぶ。あらゆるところで、この混乱のなかに秩序を生み出そうとする静かな決意がある。ボランティアは救助に殺到した。神戸の地震で出遅れた自衛隊は、すみやかに被災地域に向かった。地震直後の時点で非常に低い支持率だった管直人首相は、いかなる指導者にとっても厳しいであろうこの一連の試練を受けてなお、一応の秩序を保つことに成功している。神戸の震災での政府の無能さは、日本の自信に突き刺さっていたのだ。
直近の悲劇は日本だけだろう。しかし、長期的には地球全体の人々への影響が出るとの見方もある。世界第3位の規模の経済が受けた衝撃への恐怖は、株式市場を揺るがせた。日本の中央銀行は経済恐慌をおそれる声を巨大な流動性注入によって抑えた。被害総額は当面の推計では神戸の1000億ドルをやや上回るとされているが、日本の裕福さをくじくほどではない。電力供給の乱れは経済成長を妨げると思われ、実際にアジアの一部では供給経路に問題が生じているが、インフラ整備への投資によって成長の鈍化はある程度防げるだろう。
こうした公算は、原発事故が悪化すれば大きく変わる可能性がある。本稿執筆時点で、ヘリコプターからの放水によって、福島第一原子力発電所の過熱を冷ます試みがなされている。これまでには爆発、火災、そしておそらく日本当局が認めた以上の放射能漏れが、そこでは起こっている。日本の原子力業界は長らく隠蔽と失敗を続けており、個々の作業員の勇敢さは別として、問題の発電所の管理者である東京電力の対応も残念ながら例外ではない。
今回の事故が早急に解決し、放射能漏れが健康に影響を与えないレベルにとどまったとしても、原子力業界への衝撃は、日本の内外を問わず非常に大きなものになるだろう。ドイツは既に、原子力発電所の耐用年数を延ばすという政治的に複雑な決定を差し戻した。アメリカでも、今回生じた懸念による費用の増大が無視できず、原子炉の新造への動きは後退する可能性が高い。
原子力の推進を目指す中国も停止を宣言した。27基と世界で突出する数の建造中の原子炉を持つ中国は、世界の原子力のほぼ半分を占めており、さらに50基を計画している。長期的には、こうした当局が計画を放棄する可能性は低く、少なくとも民意を考慮してそうすることはないだろう。中国でのエネルギーへの渇きは深刻であり、あらゆる井戸へ手を伸ばそうとしている。原子力以外にも風力、ガス火力を強化する計画があり、石炭火力はそれ以上の増加が見込まれる。
ここに原子力のジレンマがある。原子力の安全性を最大限に得るためには、よい計画とよい技術が必要だ。説明責任と透明性を生み出す社会がなければならない。そして信頼に値する組織をつくらなければならない。この理想を達成した国はなく、日本の失敗は今後より明確になっていくかとも思われる。それでもこうした組織を作るのに適しているのは民主主義である。一方で、一定の数の頑固な少数派によって動きを止められることが起こるのも民主主義であり、原子力に関してはそれが十分起こりうる。それが根ざすべき安全性の文化を持ちそうにない社会で原子力が普及していくというのは、こうした事情による。中国に次いで新造計画を多く作っているのはロシアである。
原子力を捨てるとしたら、民主主義各国は間違っていると言わざるを得ない。原子力には電力の安定供給のメリットがあり、一定のエネルギー安全保障となり、自身への電力供給と建造のほかに二酸化炭素排出をしない。死亡者の総数でみても、今までのところ、それほど悪いわけではない。チェルノブイリでの死者は、推計には不明確な点が残るが、おそらく数千である。一方中国の炭鉱での死者は毎年2000人から3000人である。石炭によるスモッグはさらに多くの死者をだしている。ほとんどの裕福な国家では、原子力をある程度の割合で保ちつづけるのが合理的な選択だ。それは少なからず、原子力についての経済的、技術的な優位を保つことで安全性と核不拡散を達成するためでもある。しかしその合理的な道は、煙を吐く煙突への恐慌と、見えない脅威への恐慌とにはさまれており、簡単ではない。
その選択による痛みが日本ほど強くなる国はほかにない。原子力を恐れながらも、自国で産出する代替物はない。原子力の放棄は、ガスと石炭の大量輸入を意味する。現状を保つためには、今回のトラウマを克服し、次の災害というわずかではあるが現実にあるリスクを受け入れなければならない。
あまりも多くの災厄に襲われた日本の歴史から分かるのは、災厄のあとに大きな変化が起こるということだ。1923年の地震のあとには軍国主義が台頭した。第二次世界大戦敗戦と原子爆弾投下のあとには、平和な繁栄に邁進した。神戸の震災は日本に内向化を強いた。
この新しい災厄もやはり、日本という国の精神に大きな衝撃をもたらすだろう。災害に対する優れた対応能力と、彼らの禁欲さに対する諸外国の驚嘆とが、この国が求めてやまなかった自信を取り戻させるのかもしれない。原子力発電所運用の不手際に象徴される、秘密主義のシステムの失敗が、政治改革へとつながるのかもしれない。政府の放射線情報は信頼できると管氏が国民を納得させ、そうして津波被災者の飢えと寒さを和らげることができれば、日本を自由化しようとする彼の基盤が強固になる可能性もある。あるいは、すべてが悪い方へと進むのか。
賭け金は大きい。失意の国、日本は、機能障害を起こした政治機構を抱え、変化を求めてやまない。安全圏から見る限りでは、日本人は、このつらい局面を死と悲嘆のときではなく、再誕のときとして迎えてゆくように思えてならない。
原子炉の冷却作業にあたっていた東電職員2名と作業員2名が爆発で負傷し、
二次災害に巻き込まれる危険を冒しながら被災地で活動をしている。
家族も心配しているだろう。本当に頭が下がる。
働いて死ぬ人がいる。
炭鉱で働き、肺が粉塵にまみれて早死にする人がいる。
彼らの両親が大富豪で、一生働かずに暮らせる生まれだったとしたら、
もしくは教育費をかけられて、代替の難しい知的技能を身につけていたとしたら、
好き好んでそんな職には就かなかっただろう。
食っていくため、家族を養うために、命を削って働いている。
生まれつきの運が良く、資産や教育や家庭環境に恵まれた人々は、
そういった人々が命を削って生み出したものを享受して、そこに依存して、便利な生活を送っている。
職務のために死ぬ人々はあまりにもおろかにうつることだろうと思う。
仕事ごときのために死ぬ。収入ごときのために自由を犠牲にする。
私もそういった、危険な仕事に就かなくてもとりあえずは生きていける。
生きる死ぬどころか、どうにも気に入らないことがある、それぐらいで今の仕事をやめる可能性もある。
はてな界隈で「仕事はクソ」と言っている人々からすれば、それは正しい働き方なのかもしれない。
自分を犠牲にして働く人をおろかだという人は、"自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている"のだ。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110306
ニートや、私のように働いても働かなくてもいい状態で気楽に働いている人間が、
自分を犠牲にして働いている人を笑うのは、みにくく、おろかなことだ。
私たちはみな、職務のために死ぬ人々に依存して生きている。
いや、だからさ。そういうことではなく。
「理不尽にぶっ殺されることのないよーにしようね、俺もキミも命大事だよね」ってのが「普遍的人権」であってさ。
それは共同体の規範として導入される観念であって、「殺人」のようなイレギュラーな事態を論じるものではないよ。
そして、これが一番大事だけど。増田は既に、「基本的人権」の恩恵に浴してるんだよね。
例えば、「おまえちょっと国家のために北海道の原野開拓して来い。これツルハシな」って事態にはならない。
職業選択の自由があり、こうして増田をやる自由もある。炭鉱にぶち込まれて働かされることもない。
それはあなた、お腹一杯メシ食いながら「俺にとってメシは何の価値もない」って言ってるのと同じ。
最近ブラック企業とかアレだけど、日本はかなり人権をしっかり守ってる国ですよ。そのオイシイとこをしっかり享受しながら
「何の価値もない」って、おまえアホだろって話。
「親なんかクソだぜ」って言いながら、親の作ったメシ食ってるニート状態ですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20101016012817
気持ちはよーくわかる。何故なら俺も躁うつ病だからだ。
とゆーわけで誰かの役に立てばということでこんなことかいてみる。
ちなみに、当方現在リーマン。躁うつ病患者にありがちなことに、高校大学ともに一回中退してる。
鬱レベルは大したことないが、躁レベルはそこそこ高くふと思い立って借金して海外生活を始めるレベル。
①日記をつけよう
躁鬱というのは躁と鬱を行ったり来たりする病気である。
「躁の時はマジ俺ドラゴンボール集めて世界の覇者になれるんじゃねーの?カンボジア辺りにあるんじゃねーの?」
とか思ってリアルにカンボジアに行ってしまうし、ひとたび鬱に入ると
「生きる価値もないゴミムシです、俺を殺して5匹のワラジムシを代わりに生かすべき」とか真剣に考える病気です。
しかし、近年は鬱を抑える薬も躁を抑える薬も出ているので、躁の時には下げる薬を鬱の時には上げる薬をっていう
対症療法で基本的には間違いありません。色んな説があるけれど、個人的に双極性障害(=躁鬱)というのは遺伝的・器質的なもので完治はあんまりないと思った方がいいと思います。母親も祖母も躁鬱でどっちも自殺してるんで、なんとなくそんな気がする。
そーいうわけで、基本的には現状把握こそが何より大事だということを頭に叩き込むべき。
これはどうすればいいかといえば、日記をつけるしかないです。鬱は単純に体調・気分が最悪になるので本人にもすぐわかりますが、スカーっと脳が晴れ渡って万能感に支配される「躁」はまず自分では気づけません。
どこで気づくかといえば、睡眠時間のリズム。人によっては食欲。だから日記は「睡眠25時→7時、食事朝カロリーメイト、昼ラーメン、晩焼き魚定食」みたいに必要事項だけをサクっと記入しておけばオーケイ。もし暇なら睡眠時間と食欲の変化グラフをつければ、あなたの躁鬱の波がはっきりとわかるはず。鬱の時は10時間とか寝てるし、躁になると2時間寝てないみたいにわかりやすい。これで、睡眠時間が減ってきたら下げ、増えてきたら上げる。これが人生の基礎になります。自分がどんな波を持っているのか理解しておいてください。日単位で変わるラピットサイクラーには対応出来ないかもしれないけど。
②警戒すべきは鬱ではなく躁
「死因・躁鬱」ってことはまずないです。躁うつ病患者が死ぬときは、躁で空を飛び回った後垂直落下して自殺するパターンが多い。
というのは、もちろん病態として躁の波が大きければ大きいほど鬱の落下も激しくなる、というのもあるんですが、躁のときに「やらかした」ことを鬱の時に受け止めるハメになり「死ぬしかねぇ」になるパターンが多いです。躁が終わった後借金の請求書の前で自殺を検討した俺が言うんだから間違いない。つーわけで、とにかく鬱はしょーがないものと受け容れて、躁を抑え込むことに全力を費やしましょう。薬を使ってきっちり寝ること、躁の時は全ての判断を保留すること、酒を控えること、適度な運動。とにかくこれしかないです。
③躁をどこで発散するか
躁スイッチがオンになると、マジで全身がムズムズします。会社に辞表を叩きつけてユーラシア大陸横断しようかなぁ、とか真剣に考え始めるわけですよ。これは適宜発散しないとマジやばいです。俺は「持っているものを捨ててどこかへ旅に出てしまう」タイプの躁人間ですが、友人には「買い物フィーバーを起こす、免許もないのにハーレー買った」とか「危うく都内に家を立てるところだった」とか「オーストラリアの炭鉱で露天掘りをしてきた」とか色んなヤツがいます。俺自身も、高校中退→旅に出る、大学中退→旅に出る、と人生で二回やらかし、二回目では借金が200万以上出来ました。なんとか人生立て直して今に至りますが、マジこれはシャレにならない。結局、これを抑え込むには運動くらいしかないです。「酒」ってタイプもいるけど、こっちはオススメしない。マジでアル中一直線なので。他に、「創作活動をする」なんてのもオススメ出来るかもしれません。ジムでガシガシ筋トレするとか画材買いこんで絵を書くとか、小説書くとか漫画書くとかそういう躁の時のための趣味を持っておくのが大事です。
④金銭面でのパートナーを作ろう
躁鬱野郎に金銭管理能力は無いです。誰かに管理してもらわないと、あなたはいつかカネでやらかします。
つーわけで、既婚者・もしくは恋人がいる人はヨメ(ダンナ)に口座の管理をしてもらい、自分の口座には10万以上いれないことにしましょう。基本的にお小遣い制度じゃないと、我々は上手く生きていけません。そして、金遣いの荒さを観測してもらい、向こうの判断で薬を飲むなり病院に行くなりしましょう。俺自身も(躁鬱病患者にありがちなことですが)非常に結婚が早く、二十歳そこそこで結婚して以来全てのカネの管理はヨメにやってもらってます。給料が真っ直ぐヨメの口座に入るようにした方がいいかと。ヨメなんていねーよって人は親ですね。もちろん、「ヨメに使い込まれたらどーするんだ」とかそういう疑問があるのは当然なんですが、そのリスクを勘案に入れても尚やった方がマシです。躁鬱病患者の金遣いの荒さはマジで異常なので。他、薬の管理も俺はヨメにやってもらってます。オーバードーズで胃洗浄はもうイヤですから。
⑤友人にカミングアウトしよう。
早めにやっといたほうがいいです、これ。
というのも、躁が強めの躁鬱病患者は「破天荒な面白い人」と周囲に認定されているパターンが多く、場合によっては一種のホーリー・フールとして変な尊敬を勝ち取っている場合さえあります。(これを中島らも型亢進と呼びます。今作ったけど)この状態は、物凄く病気を悪化させるのでさっさと周囲に打ち明けて「俺こーいう病気やねん、やばそうなら止めてくれ」と言っておきましょう。躁の部分に変なアイデンティティを持ってしまうとえらいことになります、というかなりました。現在俺は会社以外のほぼ全ての人間関係に自分は躁鬱だとカミングアウトしているので、しょっちゅう「躁臭いから薬飲めよ」という忠告をいただきますが、これくらいの状況だと結構躁は抑え込めます。
⑥躁鬱の波を乗りこなそう。
しかし、躁の波は上手く乗りこなせば中々良い結果を生むことがある。これを使いこなして人生なんとかするのが基本です。
躁というのは抑制して乗りこなせば、単なるエネルギーの奔流に過ぎません。ここまでたどり着けば、躁鬱は個性(キリィ!となれます。大学受験のとき、就職活動のときにたまたま躁がかぶっていい結果を出した俺が結果論でほざくけれど、躁のキチガイじみたエネルギーを乗りこなせば、人生は結構這い上がれる。そういう意味で、躁は病気と言うよりは個性と呼んだ方がいい面もあります。とにかく、自分の状況を見極め、適宜調整し上手く生かしましょう。躁鬱病患者のラリった集中力・行動力のいい面だけは美味しくいただける状況に自分を持っていくのを目標にして、前向きに躁鬱ライフを生き抜きましょう。借金はするなよ!
いや、欲しければ買えばいいと思うが?
欲しくて買っても5万ぐらいなんだから、悲観することもないだろって話をもともとしているわけで。
昔はよかったとかいう人もいるけど、昔だって野麦峠もあれば、炭鉱で死ぬ人もいたし、ついバブル期を含め最近まででも、ずっと高卒で肉体労働コースで事故して・・・という生活をしているひとがいないととでも思ってるのだろうか?
というか、ベクトルがオカシイって話だよ。
なんで、XXを買うぞってのがモチベーションになっているのかと。いや、わかるんだけど。
XXを作るぞ ってのが、本来のモチベーションだと思うんだよね。
それこそ、ビルを作るぞでも、作品作るぞでも、あたらしい食品を作るぞ、薬を作るぞ、なんでもいいけど、
もともと仕事って その仕事がしたい、先生になりたい、消防士になりたい、芸術家になりたい、という仕事について、その仕事をすることそのものがモチベーションなのに
仕事で金をもらって、何かを買うことがモチベーションじゃ、そら、続かねぇなぁと
まぁ、いいんだけどさぁ、昨今の買いたいものがないっては、物がないわけで、やっぱり、そういう作り手としてのモチベーションが無い人が多い社会なんだからじゃないかみたいなことは、たまに思うわけだよ。
というわけで、元に戻って、あんまり、何を買うのか?というベクターじゃなくて、自分が何を作りたいのか?というベクターで選んで、そこでお金稼いで、余暇として物を買えばいいと思うんだよね。金を稼ぐために働くから、モチベーションが下がるし、伸びないから収入も下がるんだろうと
横からだけど、ダイアモンドはどうなんだ?
デビアス社による寡占による価格調整が行われているのは周知の事実。
デビアス社とは関係ないけど、現場は炭鉱で労働はブラック。また、戦争の火種にも成っていたり、犯罪の温床にもなっている。
消費者は喜んで買うけど、実際は、炭素と言う地球にありふれている素材で出来ていて採掘量も多い。
デビアス社が価格調整やイメージ操作をしなければ、いまよりも価格はぐっと低いといわれている。
実際、ルビーやサファイアとちがって、いろいろなところで見かけるでしょ?ダイアモンド。あんだけ数が溢れている宝石というのも珍しい。
でも、イメージで消費者は買う。しかし、同時に、マスコミなどで、それはデビアス社による価格調整である。というのも、いわれているし、現場がブラックであるというのもいわれている。
これ、消費者はよくしってるよね?
悪いと言うつもりはないんだけど、良い例だと思うのでテーマとしてあげておくよ。
炭鉱夫が仕事を失ったのは、効率的な掘削が実現できたからではない。
今だってそう、仕事を失ったのは生産性が向上したからじゃない、市場が冷え込んだから
その上で、昔だったら生活できた人も、いまは生活するのが難しい。
でも山谷なんかでは、昔ながらの低いレベルの生活を維持できている人がいるよ。
それは、そこがそう言う街だからだ。
そういう生活レベルが許容されているんだ。(是非の話はしない)
私が小さい頃は、子供は継ぎ接ぎの服を着ていて普通だったし、長屋暮らしの家庭も多かった。
次男は長男のお下がりをもらうのが当たり前だったし、ファミリーレストランは「贅沢」だった。
そのころの暮らしと同じ事をするなら、いまの物価でも、生活できる人は大勢居ると思うが?
炭鉱のトンネルの穴が小さくて済む、という理由で子どもが炭鉱で働かされていたが、政府がこれを禁止した。
すると、炭鉱会社は「これではコストが高くなり、石炭の価格が上がって産業に悪影響が出る」って抵抗した。
しかし、150年前のイギリスでは、
そんな劣悪な条件で子どもを働かせるくらいなら、石炭代が上がっても炭鉱会社が潰れても構わない、
という結論に達した。
日本の産業界も、国民も奴隷労働をさせるくらいなら、失業率が上がっても、
そんな奴隷労働に依存した低収益な企業なんて、なくてもいい、というスタンスで臨むべきなんだよ。
そもそも、この企業の経営者たちは、自分の子どもが派遣や請負になるなんて想像していないだから。
やたらと対極的に考えるよりも行動に移しやすいことから考えるのは良い手法だと思うけれども
労務費の増加で企業の収益が悪化して世界的に競争力が落ちてしまうと、雇用維持が難しくなることは最低限理解しないといかんと思う。
まあ、こういうこと書くと、内部留保が云々と言う話になると思うんだけれども。
こういった政策的な対策が結果的に雇用環境の改善、賃金の上昇に繋がるのではないかと思う。
働く側の人間としてはかつての炭鉱労働者のように転職、新たな職業訓練を余儀なくされるわけですが。
現状、組合活動の結果得られるのはワークシェアによる雇用維持と引き換えの賃金減少なんじゃないでしょうか。
父親の一族は九州の炭鉱で財をなしたひとで、母親は吉田茂の娘。
自身の資産は数十億程度だが、グループ企業や兄弟が所有している資産も多く、その実態が表にでてくることはない。
渋谷の豪邸は土地代だけで50億を超えるといわれるが課税評価額は4億程度しかない。
申しわけ程度に公開してみたかんじだ。
他方、こちら"も"父親が総理大臣。
弟も同程度の所有をおこなっている。
まだ母親名義だが豪邸があり数十億の資産価値があるといわれている。
数百億円あつめようと思えばあつめられるひとたちが庶民のため!と合戦を繰り広げている。
アホくさ・・・。
日本だけではない。
世界もそうだ。
お金を使い彼らのルールでプレイする以上この呪縛から逃れることはない。
http://anond.hatelabo.jp/20090630173224
稼がないと減っていく程度のお金なら、
稼がなくても実はさしたる差はない。
ばっくとぅぶつぶつ交換。
なんか勘違いしてない?高校ってのは高等教育なんだよ。特に普通高校ってのはそう。職業能力に必要なことを身に付けてさらに余裕があるから別のことを勉強するってのが普通高校。それができない人とか、あるいは仕事と関係ないことは勉強したくない人は工業高校とか専門学校とか高専とか、行くべきところはいろいろあるはず。
それは建前だろ?底辺の学級崩壊とか知った上での話?中卒だと雇われないからいってるだけの話で勉強したいやつばかりが言ってるわけないでしょうが。
何でもかんでもできるならやるべき。実際、俺はできたよ。別に「俺ができたんだからお前らもそうしろ」というつもりはないが、できる人間の足を引っ張ってまで「必要なことだけ教えろ」なんてことを無理強いしないでくれと言ってるんだよ。
一応つられておくが、嫌がってるやつに勉強させるのはむりじいじゃないの?
高校進学率9割超えてるんだから何でもかんでもできる人ばかり入ってるわけじゃないのは知ってるよね?
必要なことは人それぞれなんだから一律にする必要ないといってるんだよ。
文学に限らずどんあものでも楽しいかどうかは人それぞれ。古典に限らず学校の授業に苦痛を感じる生徒が少なくないのは常識じゃないかと。
義務教育であるかどうかと楽しいかどうかは別。義務教育=楽しさを教えるところという認識なら遊ばしておくばかりでいいじゃないか。
いやがってるやつに教えるのは金や労力や時間の無駄遣い。ゆとり教育は叩かれすぎだと思う。正しい政策だったと個人的には思ってる。学校で教えないならやらないなんてやつは教育しなくて結構。
反知性主義というか、国全体を(マスコミで言われている意味での)ニートにしようという発想ですな。じゃあ、誰が明日の飯を稼いでくれるわけか?
つまり君は日本人がゆとり教育にしたら飯が食えなくなるほど勉強しなくなり働かなくなるやつばかりだと思ってるの?
現実にはそうなってないから、詰め込み世代が氷河期でフリーター多くなってるのに、ゆとり世代がどんどん内定取れて食い扶持あるわけで。学校の勉強なんてこの程度のもの。嫌がってるやつに無理やり教えてエリートにしても変な国になるだけじゃないかな。ひょっとしたらゆとり教育は受験勉強を押し付けられたエリートたちの反乱かも。
授業時間だって有限だからそりゃ各教科の授業時間減らせば全部薄く教えるしかないし、深くやろうとすると分野は絞らないといけない。
あのね、勉強ってそんな人月計算できるものじゃないんだよ。一つやればいろんなことが面白くなって相乗効果が出てくるもの。高校の勉強なんて、部活もやって片手間にできるもんだろ。
君がそういう人間なのかもしれないが、そういう人ばかりじゃないから。片手まで理解できる人ばかりなら成績悪い人いないし、楽しさがわかる人ばかりばら授業中い眠りもない。
世の中もっと多様な人間がいるってことは年とればそのうち実感するだろうけど。
観光業や製造業だけでGDP決まってるわけじゃないんだから比べても意味ない。
なんだそりゃ。観光が主力産業でも十分豊かになれるだろって話だろうに。少なくとも「観光なんかじゃ食えない」っていう意見の反証には十分だよ。
観光なんかジャ食えないといってるわけじゃなくて食えるやつもいるが量は限られてるということ。あと国によって条件違うんだから他国でうまく言ってるのをまねすりゃいいってものじゃない。
誰が「観光『だけ』で食え」と言ったかね。日本全体で考えなくても、都市単位、地域単位なら観光産業を振興する余地はいくらでもあるでしょ。都市と地方の格差だとか過疎に悩んでいる地域は、そこに知恵を注ぎ込む余地はあるんじゃないのか。
それはほかの産業にもいえること。何で観光産業だけ特別扱いなのかがわからんのよ。観光地に向いてるか工場が向いてるかどうかだって地域によって違うでしょ。自分は観光でも製造業でも特定産業ばかりの取り上げるのは税金無駄遣い利益誘導で大嫌いだからついつい反発してしまう。過疎地の夕張だって炭鉱無理だから観光業に力注いで破産して結局ツケは税金で尻拭いでしょ。もうちょっと現実見るべき。