はてなキーワード: 合唱コンクールとは
と思うので、誰か褒めてよ、という話である。
地方の公立から東大に入って上京した時には、同じクラスの開成や麻布の連中が眩しくて気後れしたものである。漫画の「東大リベンジャーズ」とかいうのを見たが、俺が現役だった20年以上前もあんな感じだったのだ。
うちの息子の話になるが、できは悪くないので、塾に行かせて中学受験をさせてという一連の流れの中でうまい具合に収まりそうなんだが、はっきり言って、昨今のSAPIXから鉄緑会と御三家を経て東大に大量に送り込む流れは完全にシステム化されてて生徒自身は大したことないと思うのよ。
地方の公立中でヤンキーと同じクラスで「生活指導」を受けたりとか「合唱コンクール」とかやりながら高校受験し、そのあとZ会とか河合塾とか組み合わせて這い上がった俺の方が100倍偉いってそう思うのよね。
クラスでは、ガリ勉でどんくさい僕を、いつも叱ってくれましたね。
委員会の仕事でミスをしたときは、他のメンバー全員を訪ねて謝罪するまで、先生は口をきいてくれませんでした。
部活では、いつまで経っても基礎練習から卒業できない僕を、厳しく指導してくれました。
ただ、ボールを触ったことが数えるくらいしかなかったのは、残念でした。
そんな僕をみて、クラスや部活のみんなは楽しそうに笑っていました。
僕も、笑っていました。
印象を悪くすると、進学に響く。
だけどあの頃は何にも言えなかった。だから、今、ここで吐き出してしまおうと思います。
恩なんて一切感じていません。
あなたから教わったことに、有意義なことは一つもありませんでした。
叱られた理由は今でもわかりません。
直接伝えようと思ったこともありましたが、僕も大人になりました。
思ったよりも世の中はクソではないし、いい人もたくさんいることに気が付きました。
だから、この辺で、この思い出は成仏させてしまおうと思います。
その為に、ここに書き込むことにしました。
波物語(NAMIMONOGATARI)の狼藉の影響で、各自治体が施設利用に対する締め付けを強烈に厳しくしている。
具体的には、「原則として開催中止か延期。どうしても公演をやるなら、観客を含めたすべての施設利用者の陰性証明を行うことで許可する」というものだ。
その影響で音楽フェスだけじゃなくいろいろな方面に影響が出ているのでまとめてみた。
やや相貌失認ぎみだけどある程度までは把握できる(身長が5cm違うとか髪の長さが2cm違うとかなら区別がつく)
そういう時に問題が自分の能力や才能ではなくて人格にあるとされて擦られることにいい加減疲れた
音痴の子供が合唱コンクールで悪ふざけを続ける小悪党としてなじられ続けるような
幼稚園の頃から空気が読めないとかノロイだとか一緒に遊びたくないだとか何考えてるのか分からんとか言われてきた
小学校に入る頃には人と関わるのがすっかり嫌になってずっと一人遊びをしていた
中学高校ではそういったアスペっぽい連中同士でつるんでもみたけどやっぱアスペってアスペからみてもウザイので1年ぐらいで自然消滅した
人間と付き合うのが面倒くさい
恋バナをしろと振られることがあるが無茶を言うなと思う
そういう人間は技術職になるといいらしいが自分は大学で選んだ専攻を4年間ですっかり嫌いになったので事務職をしている
事務の世界でもエクセルを使いこなせればスーパーマンになれるらしいが、我社のパソコンはクソポンコツなのでそもそもエクセルでマクロをまともに組むことも出来ないからその道は閉ざされている
それどころか今どきメールもロクに使わずにFAXが主流の地獄の世界だ
FAXはメールと違って開封確認が出来ないので届いたことを電話で確認するのは必須になる
辛い
FAXを送っているのに電話で確認するという作業の虚無感が辛い
内容について質問が来たら当然電話で答えるのだがヒトと会話することが本当に辛い
そんな会社辞めてしまえばいいと言うのは簡単だが、このゴミのようなFAX社会に一度組み込まれて15年以上暮らしてしまえばもはや同年代との事務能力の差は恐ろしいことになる
穴あけパンチで上手に穴をあける技能が役に立つような職場は、結局同じレベルの昭和世界だ
平成の世界に辿り着こうとしても、マクロの組み方もよく分かってない上にコミュ障の事務が必要とされることはない
今いる会社、今いる業界のことについてなんとなく知識がついていることだけしか今の自分に人材としての価値はない
詰んでしまった
技能を身に着けなければ生きていけないような人間として生まれてきたのにそこから逃げてしまった
高校時代にゲームばかりせず勉強をしていれば同じ専攻でももっと楽しめたのかも知れない
そもそも楽しくなくてもいいからその業界で必死に生きればよかったんじゃないのか
自分は注意力がない
人の顔が覚えられない
なにもない
生きていけない
生きて行きたくない
新人や同僚で自分より少しだけアスペがひどい人が凄い勢いで悪口を言われているのをよく聞かされる
これはお前に対しても言っていることだがお前は治す機会を与えてやっているんだぞ優しいだろうという言外の声が否応なく突き刺さる
取引先の顔を咄嗟に忘れたり恩義のある先輩の名前を間違えたりするとそうかやはりこの世界は私の居場所じゃないんだなと感じる
全てのデータが自動的に電子的なログとして残る世界ならもう少し呼吸がしやすいはずなのに限りなくアナログな世界で生きる
そしてその世界で居間も暮らしているヒトの多くがアナログの繋がりこそが大事なんだよなと私に同意を求める
ちげーやバカ野郎畜生が私は毎日そのことで死にかけてるんだぞ?
もう無理だ
この人生をこんなことにしてしまった自分が間抜けすぎてその悔しさだけで死にたくなる
職場の自殺防止パンフレットにはふと死にたくなったらどうこうと言うが
私はこの38年間ずっとずっといつだって死にたかったのだがどうしたらいいんだ
死ぬぐらいならいっそ休んだり会社を辞めればいいというが私は何をやめたらいい
人生を降りろというのか
残酷だ
そういった言い方をすれば人生を降りる必要を感じる人間がいるという発想自体がない人間が多数派で
正常なのだと突きつけてくるがそれはあまりにも暴力的で卑怯じゃないか
数が多いと言うだけで我らこそが正しいのだお前らは私達に嫌な気分を味あわせないよう工夫してそっと死になさいなと
だけど私はそういった卑怯者達に多数派の暴力に負けてしまって毎日必死に媚びへつらって生きているんだ
こんなに悔しくて辛くて死にたくてどうしようもなくて馬鹿馬鹿しいのはなんなんだ
きっと私と同じようなヒトもたくさんいるだろうに皆多数派に媚びへつらって必死に口をつぐんでいる
その横で彼らはこの世界はとっても素晴らしいから次に生まれてくるウチの子も幸せなのよと語り合う
ふざけないでくれ私はこの世界に生まれ落ちて少なくとも38年間辛かったぞ
この世界が人を幸せにする機能を持っているというのならいい加減今までのツケを払ってくれ
私の積み上げた幸福と不幸のアンバランスのツケがどれほど膨れ上がっているのかいい加減分かってくれ
もうダメだ
自分を騙していても仕方ない
生きていてもこんな世界じゃ幸福にはなれないことにまた気づいてしまう
でも嫌だ
ツケを払わせずに死にたくない
今まで必死に生きてきた私達に対してお前らのやってきたことはちゃんと結果に結びついたぞと言ってやりたい
飛びゆくは常に暗雲
翼を休める場所を求めて
獅子王がロンゴミニアドは速くなったけど軽くなったと言われてご立腹だった。他にもモーション改修されたトリスタンやガウェインと模擬戦闘をして試していた。そこにアヴィケブロンが謎の小さな結界に気付いた。その中には煉獄父の幼少の姿があった。とりあえず夜になったので3人で布団に入り、獅子王が朝早く起きるのに合わせて起きて修行をしようと思った。獅子王が布団から出るのに気付いて目が覚める。布団から出ると煉獄父が何かを抱きしめるように丸まっている。お兄ちゃんが恋しいのかと近寄ってみるとがっしりと抱きつかれ離れられなくなってしまった。仕方が無いので一緒に二度寝することにする。
目が覚めると合唱コンクールの練習が始まった。ちょうど外でオーストラリアの子供が歌いながらするリレーをしていた。合唱コンクールの曲を歌いながら参加することにする。修学旅行中で、同級生2チームと現地の小学生2チームと対戦する。課題曲は全体曲のはずなのに、思い出せなくて某社畜キャラのソロ曲を歌いながら走った。走り終わるととにかくヘトヘトになって、地面に押し付けられるかのようにうつぶせから起き上がれなくなった。目の前に100円ショップを見つけ、なにか買おうとするも起き上がれない。
元増田です。投稿して1日経って自分の記事を見返すと、賛否両論の反応が多数あり驚いている。いただいた否定的な反応で正直意外だったのが『動物園』という言葉自体に対する抵抗感がこんなにも強いのかと言うことだ。公立中学校全体に動物園というレッテルを貼るのは確かによろしくない軽率な言い方だなとは思う。
だが、差別心の表れと言われればその通りなんだろうが、俺は正直に言うと最初に『動物園』という言葉を聞いて、上手いこと言うなぁと思ったのだった。なにせ俺が経験した公立中学校の荒れている生徒は言葉も道理も通じない連中で、まさに動物としか言いようがなかったのだから。
公立中学校に通っていた20年前のあの町にいた頭のおかしなやつがどんな感じだったかと言うと、人の消しゴムを盗んでカッターで切り刻んで「増田の消しゴムを芸術作品にしてあげた。バイト代よこせ」と言ってきたり、(派生パターンでいつのまにか上履きにナイキのスウォッシュを落書きしてきて(略)とかもあった)、合唱コンクールの練習中にひな壇の上の段からキックかましてきて「ダサい歌なんか歌うより後ろからどついた方がバラエティ番組みたいで面白いだろ!」と言う状況で、まさに『動物』としか言いようが無いなと言うのが正直な感想だったのだ。
で、地元に残って教師をしている友人から最近の公立中学校の様子はどうよと聞くと、まぁ似たり寄ったりという状況で、当時からあまり改善はされてないようである。そんなわけで差別と叩かれても俺が再度主張したい事は公立校も問題行動を切り離して大多数の真面目な生徒を守れるようにしろと言う事である。私立だと、問題行動を起こせる生徒は退学処分にできる。だが公立高、それも義務教育の中学校はそう行かない。で、学校の選択肢のない地方だと、同級生ガチャにミスって問題行動を起こす生徒と同じクラスに当たると学生生活がメチャクチャにされてしまう。どんな生徒でも分け隔てなく扱うべきと言う理想そのものは否定しないけれども、10人の問題児の権利のために残り数百人の権利が侵害されている現状を俺は残念ながら肯定できない。ちなみに、進学に対して不利な状況にある我が街の大学進学率は20%代と全国平均の5割超に比べて大幅に低い。
俺が言いたいのは、こういう状況はフェアでないのでどうにかすべきだと言ってるのだけれど、なかなかわかってもらえないものなのだなぁ。
そもそもこの手の意見の歌唱力こそ本当に重んじられるべきっていう一種の技術力信仰みたいな考えが理解できん。
アイドルに限らんが歌をコンテンツとして見たとき、歌唱力なんてものは魅力を形成する一要素に過ぎないんだよ。
そりゃあレベルが高ければ高い方が良いが、他の魅力があれば多少下手でもカバーできる程度の要素でしかない。
そんなに歌唱力が大切なら合唱コンクールみたいな競技でもやってりゃあ良いんだよ。
個人の好みとして歌唱力が低い歌コンテンツは好きになれないって話なら分かるけど、歌唱力が重視されない現実を異常とまで言い切るほど自分の価値基準を絶対的なものと思える傲慢さはどこからくるんだろうな?
体育祭のリレーの選手、文化祭のポスター絵、合唱コンクールのピアノ……学校には様々な行事があり、その度に「押し付けられる人」が出てくる。
別にやりたくないのに仕事を押し付けられて嫌々とやる人もいれば、クラスメイトから期待される事は満更でもなさそうに引き受ける人もいた。
私はとにかく羨ましかった。〇〇さんなら出来るよね、任せても良いかな、頑張ってね、そんな会話に私の名前が挙がることは今までに一度も無く、恐らくこれからも無いであろう。
私は中高一貫校に通っていた。高校生になった時ぐらいだっただろうか、表舞台に出るのはいっつも同じ人だな、と気付いた。私は選ばれない側だということを初めて知った。それは思春期の私にとって、学校行事が急に憂鬱な地獄と化すのに十分な理由だった。
嫌々押し付けられた人からすれば、選ばれた側の苦労も知らないくせに羨ましかったとかふざけんな、というような感じだと思う。本当は私だってそっち側の人間になりたかった。期待を背負ってみたかった。やりたくない〜自信ない〜と言いながら満更でもなさそうにしているクラスメイトを見る度に、じゃあ私にやらせてくれよと感じていた。
オチがないな。