はてなキーワード: 半笑いとは
お前半笑いじゃねーかよw
結論から言うと小さい頃から父親に顔のことをバカにされている。
私は一重だが、両親とも二重である。だから「父さんたちの子じゃない」「ガッツ一重」「ぶっこ〇〇(私の名前)」と言われ続けてきた。
今調べたら物故という言葉がある事を知ったが、私は不細工な子の略称なのだとずっと思っていたし、今も思ってる。
現在、アラサーだが今まで整形はしていない。理由は単純に怖かったからって言うのと、母が「あんなこと言うやつ気にしないで。顔はバランスが大切。あなたはちゃんと可愛いんだよ。」と私の顔を肯定して守ってくれていたから。
家族で食事をしていた際、テレビで整形番組がやっていた。容姿にコンプレックスを抱く女性が、プロ達の力と本人の努力によって全身整形で美人になった姿をみて「二重に整形したら黒目ってでかくなるの?」と父が母に聞いていた。
母は「まぁそうだね」と言った。
すると父が半笑いで斜め向かいにいた私の顔をニヤニヤしながら覗き込んできた。何か言いたげな顔をしていたが、それは私の表情をみてやめたんだと思う。
「なんでそんなことできんの?信じらんない。有り得ないんだけど。まだバカにするの?」と私が言い、母が「ほんとにそういうのやめて」とガチトーンで言いましたが「えっ、なんでぇ~?」と笑いながら言っていた。
こいつに何を言っても無駄だと思い、目から涙が落ちそうになるのを我慢してテレビを見ているふりをした。「ごめんね」の謝罪はなかった。
整形を繰り返してテレビにでてる人の整形前の顔には、「そんなに不細工じゃないのにね」と言えるのに実の娘にはかわいいの一言も言えないのである。
謝れる人間でもないので「ごめんね」も言えない。昔、私がデジカメで修学旅行の写真を撮って保管していた時も、デジカメに残る全ての記録を削除してしまっても「俺は悪くない」「なにもしてない」と逆ギレし、キレながら謝っていた。
これ類の話題は結局、このAさんみたいな同じ家庭乃至生活がある人間がいる・いない、同じ経験をしたかどうかで共感するかどうか変わるんじゃないかな。
自分はこの記事に共感できるし、自分の恋人、親や子供がこういう状況になっているとしたらこの人と同じくらいの憎しみをい抱いてしまうかもしれない。
この記事をみて「たとえ遊びや趣味でも毎日長時間拘束するゲームだし、ちょっと確認とらなきゃマズいな…」って再認識できる良いモンだと思ったよ。
むしろこれで自己責任だね、とか半笑いで済ます人にとって、同卓の人間はあくまでもその場で同席したただの他人でお友達ですらなんでもないんだろうな。
これ類の話題は結局、このAさんみたいな同じ家庭乃至生活がある人間がいる・いない、同じ経験をしたかどうかで共感するかどうか変わるんじゃないかな。
自分はこの記事に共感できるし、自分の恋人、親や子供がこういう状況になっているとしたらこの人と同じくらいの憎しみをい抱いてしまうかもしれない。
この記事をみて「たとえ遊びや趣味でも毎日長時間拘束するゲームだし、ちょっと確認とらなきゃマズいな…」って再認識できる良いモンだと思ったよ。
むしろこれで自己責任だね、とか半笑いで済ます人にとって、同卓の人間はあくまでもその場で同席したただの他人でお友達ですらなんでもないんだろうな。
スーパーに買い物に行ったら、ヤンキーっぽい(偏見)(世界の4割くらいの人間は、俺にとってヤンキーだ)夫婦が、4〜5歳くらいのガキンチョを連れてた
ガキンチョはヤンチャ系の個体で、わりとワヤワヤ色々喋っている
で、冷凍食品コーナーで、俺がアイスを買うか買うまいか迷ってたら、そんガキが、「アイスが食べたいぞ!食べたいぞ〜!食べたいぞ〜!」みてえなことを言い始めた
ガキって基本的にうるせーから嫌いなんだけど、なんか、許せる系のガキだった 愛嬌あるクソガキ
愛嬌あるクソガキのアイスねだりを聞いて、パツキンのヤンキーぽいママとパパは半笑い
「ウケる」
自分のガキンチョがカワイイおねだりをしたときのリアクションが「ウケる」な母親、ムチャクチャ良い
今日イチで良かった
あとは概ね悪かったな アズ・ユージュアル
女友達が何人かいて普通に飯食いに行ったり遊びに出かけたり、互いの部屋で映画見たりシーシャ吸ったりして喋りながらダラダラ過ごしたり、そんな事してると何人かから恋愛感情的な好意を寄せられる事がある。
俺は本当に同性の友人と遜色なく異性の友人を大事にしているので、正直恋愛感情を持ったことが無かった。同性の友達に恋愛感情が湧かないように、異性の友達に対しても恋愛感情が湧かなかった。
告白されるたびに、「友達としてとても大事に思ってるし、これからも仲良くしてくれると嬉しい」と伝えるが、俺に恋愛感情がないのを解かると離れていった友人も居た。
その後普通に友達として付き合い続けてくれて、別の人と結婚したあとも友達として付き合い続けてくれる友人も居る。
職場に入社してからずっと良くしてくれる仲の良い女性の先輩がいて、金曜の夜に二人でご飯食べてから帰らないかと誘われたのでご飯を食べて、その帰りに丁度新月で星がとても綺麗に見える日だったので、先輩の明日の予定を聞いて、空いていたのでそのままレンタカーを借りて星を見に行ったことがある。(過去に同性異性問わず何度も一緒に行ってる所なので、個人的にはカラオケに行くノリに近い)
この間、去年職場を去った同僚と二人で飲みに出かけた時に「増田さ、昔〇〇さん(先輩)と星見に行ってじゃん?〇〇さん満点の星空みたの始めてだったみたいで本当に楽しそうにその話しててさ、お前の『彼女いたことないですー』みたいな事言っといて平気でそういう事しちゃう所、ほんと嫌いだわー」と呑みながら笑ってた。
「別に〇〇さんだけ特別に連れてったとかじゃなくて、××さん(別会社の男性社員で天体写真が趣味)とも二人で言ってるし、お前も興味あんなら予定あれば普通に連れてくけど」と返すと「はー、やば。ねえ恋愛感情ってあんの?その気質、いつか絶対恨まれる時くるかんね」と半笑いで言い放たれた。
ここまでが前置き、俺は彼女いない歴年齢で恋愛感情ってのを多分一度も抱いたことがない。「あー、この人話ててすごい楽だなぁ」と思う異性に、彼氏が欲しいと言われた時は、良さそうな友達を紹介しようとしてたし、「この人好きだな」って思う人は沢山いるけど、皆に幸せになって欲しいと思ってる。自分に良くしてくれる人にはみんな幸せになって欲しい。(それは俺以外の人も皆そう思ってることだと思うが)そしてそこに独占欲は微塵もない。まあいつか俺も誰かを欲するときが来るんだろうと思い過ごしていたら三十路を迎えてしまった。とても精神年齢が低い男なのだ。
同性と話してると「この間連れてた子、もう抱いたん?」とか聞かれる事がある。そういうときに、一般的な男と俺との感性にとえも乖離を感じる。たぶん俺が色々欠けてるんだろう。
正直性的マイノリティーについてあんまり詳しくないのだけれども、アセクシャルっていうのに分類されるんだろうか。
正直、悩んでるか悩んでないかと聞かれば悩んでない。けれども、周りの不思議そうな反応にどう説明すればいいのかわからなくなる時が未だにある。
「本当だ、いないじゃん」ミカが続く。
「あ、いないですね」吉田の隣の席の奴が囁いた。
国語教師の山岸は授業を中断し、後藤が座っているはずの席を見つめる「おかしいねぇ、どこ行ったんだろう」
山岸久、58歳、長い教師生活で生徒が忽然と姿を消したのは、当然初めてであった。後藤の席は真ん中付近、黒板に板書をしている間に教室から出たのであれば、他の生徒が見ているはず。「誰か後藤がどこに行ったか知らないか??」あたりは騒然とし始めた、どうやら誰も見ていないらしい。束の間、教室後方の扉が開いた、そこには鬼のような形相の後藤が立っている。「717と言え!!」学校中に聞こえるような声で後藤が叫ぶ、困惑しきっている山岸に詰め寄りながら「717と言え!!」何度も叫ぶ、山岸は何が起きているか全く理解できない、もはや泣きそうになりながら呟く「717、、」すると教室中の生徒が一斉に立ち上がる、山岸は夢か現実か区別がつかない。学級委員の吉田が声を張り上げた「山岸ティーチャー、7月17日お誕生日おめでとう〜」全員が隠し持っていたクラッカーを鳴らす。「パンっ」「パンっ」
山岸は35年間の教師生活を振り返っていた。色々なことがあったけれど、生徒たちは今、僕の誕生日を祝ってくれている。それでいいじゃないか、誕生日は11月7日だけど、それでいいじゃないか。山岸の頬に一粒の涙が伝う、「みんなありがとう」そう言おうと思った瞬間、目の前の本田が起立もせずクラッカーも鳴らさなかったことに気付いた。刹那、山岸は思いっきり本田の頬を引っ叩いていた、教室が静まり返る。
誕生日を間違えられたこと、ふざけた名前の呼び方、授業妨害、脱走したこと、タメ口で命令したこと、隠し事をしたこと、実は全て許せなかった。それを飲み込もうと思った矢先、起立もしていない本田が目に入った。手は勝手に動いていた、全部我慢していた、やっと気づいた。そこから山岸は教室のすべての生徒にビンタをした。100%クビになる、覚悟の上だった。
困惑と悲しみと怒りが飽和する教室、山岸は手の感触を確かめながら言う
「よし全員いるな」
最後の勢いで草
■♫♪何も上手くいかないよ♫♪
励ましてくれる友達おらん♪
コロナで疎遠になって誰も連絡くれない♪
知り合い結婚して遊んでくれない♪
なんならこの間振られた♫
家帰っても一人♫
趣味もない♫
〜感想〜
食欲ないのに体重増えた♫
肌もよれよれ♫
誰か自分のこと抱きしめて♫
小学生に戻りたい♪
♡♡♡生きるのきつい♡♡♡
死んでくれたら、おばあちゃんの住んでた部屋が空く。
そしたらそこに私が行ける。きっとおばあちゃんより広く有効に使える。
死んでくれたら良いことしかない。
おばあちゃんが居なくなること。
それはとっても良いことだ。
おばあちゃんはアル中で酔っ払って毎日リビングにやってきて暴言を吐きにくる。
殴られたことは今までないけど、言葉で沢山殴られてきたので、とっても殴り返したい。
アル中とかって、普通それはおじいちゃんとかの役目だとか思うかもしれないけど、うちではおばあちゃんだ。
おばあちゃんの言葉の暴力で毎日お母さんは泣いていて、私が幼稚園児の頃からずっとお母さんを慰めてきた。慰めてきたって、言い方は変かもしれない。
「孫(私)はどうして勉強も何も出来ないの?それは母親のせいじゃない?」
「出来損ないの親と子」
「あんたはまだまだ子供なんだから、子育てなんて出来るわけない」
「情けない」
「親子共々恥ずかしい存在」
「あんたは何も出来ない」
「いっちょ前に化粧とか色気付きやがって」
「調子に乗るな」
と、出来ない子であった私の存在の文句をお母さんに言うことがかなりあったのだ。
おばあちゃんが真に責めるべきなのはお母さんじゃなくて、生まれた私だったのに。
私は勉強も運動も何も出来ず、かなりインドアだったし、普通の子がやれることの大半が出来なかったダメな子だ。小学校から高校までずっと先生や友達に迷惑を掛けていた。
なんか、どれだけ努力しても上手くいかないことが沢山あったのだ。すご〜いダメな子だった。
ダメな子を産んだ責任は親に行くので、全部お母さんが責められていた。
私のせいでお母さんが苦しんでる。
お母さんは働いていて、家事も育児も仕事も全部やらなくちゃいけなかった。
やること全てが終わってヘトヘトな夜の頃におばあちゃんがやってくるのだ。
その時だけおばあちゃんは酒の力で化け物に変身する。言葉も通じない、人を何とも思わない、相手が涙を流したところで止めるつもりもない、とにかく叫びたい化け物になる。ゴジラに一番近い存在となるのだ。
お母さんは長女ですごく真面目で、きっちりとした性格だったから酷い言葉も全部正面から受け止めてしまうのだ。
(ちなみにお母さんの妹のおばさんは家出をしておばあちゃんを住まわせる責任から上手く逃げおおせることに成功していた。)
おばあちゃんが暴れきって部屋に戻った後、私は項垂れているお母さんに対してごめんなさいと謝ることしかできなかった。
お母さんがその都度、泣き腫らした目であんたは悪くないよと言ってくれるのが凄く辛かった。
お母さんは強かった。おばあちゃんみたいな化け物になるのが嫌で、精一杯私に優しくしてくれた。
でも、散々暴れ回ったおばあちゃんが満足して部屋に戻ると
「わたし、どうしたらいいの」と言うのだ。
私は、何も言えず、やっぱり「ごめんなさい」と言うしかなかった。
たまにお母さんは耐えきれなくなって、私を連れて首都高にドライブに行った。2人きりの空間の中で、「一緒に死のうか」と言うのだ。その言葉は、何度言われても慣れる気はしなかった。
夜になると居酒屋から帰ってきたおばあちゃんがいっつも罵詈雑言を飛ばしてくるので、いっつも私は泣きながら頼むからもう部屋に行ってくださいと懇願していた。
気がつくとお母さんは適応障害になっていた。
なんか食後に沢山薬を飲み始めていた。
おばあちゃんが叫ぶ罵声のせいで近所中に私の家はヤバい家っていう思われちゃっているので、近所のおばさんやおじさんによく指をさされていた。
喧嘩があった次の日に登校する時は近所のおじさんが半笑いで大丈夫?と声を掛けてきてくるのが凄い嫌だった。
私はおばあちゃんと言い争った次の日は、いっつも泣き腫らした顔で登校していた。
その度友達に「太った?」とか、「腫れててキモいよ」とか言われるたびに屈辱的な気分になった。
くっそー。全部おばあちゃんのせいだ。
アニメとかドラマとかに出てくる無償の愛を持つおばあちゃんという概念を信じることは出来なかった。
あと、おばあちゃんはとにかく家を汚す。食器も油まみれだし、土が付いたスリッパで平気で風呂場とかリビングを汚すし、掃除はしないし、とにかく最悪だった。
私の容姿や体型に文句は言うし、買ってきた物とかにも小言は挟むし、勝手に財布の中身を見るし、私の動向を四六時中監視するし、部屋も無断で入ってこっそり調べられるし。趣味や見ているものにさえ口出しされるし。
とにかく自分の思い通りにいかないと気が済まなくて、自分が好きなことじゃなくて嫌いなことしか話さないし。私もお母さんもみんな自分の支配下に起きたくて仕方がない性格してるし。
おばあちゃんのささいなダメなところも全部嫌いだった。家で一番広い部屋を使ってるし、私は独房みたいに狭い部屋だから羨ましい。
因みにお父さんは居たけれど、とにかく無口で内気だったから、傷付いたお母さんのことを無視してアニメのキャシャーンsinsを自室で見ていた。塩対応にも程があった。
中学の頃、お母さんが家出して、お父さんと別居し始めたので、私は2つの家を行き来する生活を送っていた。
おばあちゃんはお母さんを責めた。何故私という娘が居るのに捨てるようなことするんだと。
…………………。
おばあちゃんが毎日いっつもお母さんに暴言を吐いてる間、お父さんは自分の部屋に逃げていたし、お父さんがお母さんに嫌なことをする度におばあちゃんはお父さんの肩を持ってお母さんを責めていたじゃん。
それにお母さんの家とも行き来してるから捨ててないよ、私は大丈夫だよ。
実は別居した理由はお母さんの不倫だったんだけど、私は責められずにいた。
私がお母さんの立場だったら多分自殺してると思うから。正直あんな環境逃げたくなる。
私が高校に上がると母さんは新しいお父さんを連れて家に戻ってきて、またおばあちゃんの暴言は復活してしまった。
でも、以前より泣くことは減ったからよかった。いやな成長を感じていた。
罵声を一番シャットアウト出来る方法は、布団の中に潜りその中で必死に頭を振ることだった。そしたら耳元で布団が擦れる音しか聞こえなくなるので、おばあちゃんが罵声を吐くと私の首がめちゃくちゃ疲れるシステムが完成した。
その日は家に私しか居なかった。
ある日おばあちゃんが信じられないくらいボロボロの姿で家に帰ってきた。
何かに襲われたの?っていうぐらい。おばあちゃん曰く居酒屋帰りに泥酔して自転車に乗って転倒したと。
ベッドに寝かせる際におばあちゃんの腕を支えたら、ピキッという感触がした。
どうしよう、、、、
もしかしたらこのまま放置したらおばあちゃんは死んでしまうかも……………
それは、
それは、…………
そしたらお母さんはもう二度とおばあちゃんのせいで悲しまなくて済むし
家で何をしても文句を言われることはないし
次第に近所の人から変な目で見られなくなるはずだし
おばあちゃんが使ってたひろ〜〜い部屋を私が使えることになるし
うわ、うわぁ、、、、、!
このまま私がなんとかしなければ
おばあちゃん、本当に死んじゃうのか、、、、
もう80超えてるし、、、、、
信じられないくらい右腕が折れてるし、、、、、、、
だったら、、、
そんなんだったらさ、、、、、、、、、
それでおばあちゃんを放置して、見殺しにして、おばあちゃん居なくなったー!やったー!となる訳にはいかなかった。
いや、いくわけないでしょう。
したくても、できないよ。
骨折くらいで人は死なないし。
ほんとすぐ近くに病院があったので、緊急外来の方におばあちゃんを支えて連れて行った。
結果は見事に骨折でした。なんか腕に金属の棒入れて、一年くらい安静にしといてくださいと言われた。
そうお医者さん厳しく言われ酒を飲まなくなったおばあちゃんはみるみるうちにしょぼくれていった。
実は骨折するまではおばあちゃんは少しだけだけど親戚のところで働いていたのだ、けれども、今回のことでクビになった。
1日でおばあちゃんが酔っ払ってない時間の方が多いなんて変な気分だなあと思った。
酒は飲めなくなって、言いたいことも気分のままに叫べなくなって、働けなくなって、嫌いで暴言を浴びせた自分の娘からお小遣いを貰って、自分で立場が弱くなったおばあちゃんの姿は滑稽だった。
自業自得で骨を折ったので文句は言えないし、もうお母さんにも強く出ることは出来なくなった。
まあ、そんな立場になってもおばあちゃんの嫌なところは沢山あった。
お母さんにがんが見つかったときも、おばあちゃんはその事を1週間くらいで忘れてたりしてた。闘病中なのを知らなかった。
お母さんが「わたし、がんなのよ」と言ってもおばあちゃんは「あっそ、知らなかった」と一言で終わらせた。
自分の娘にがんが見つかったのに一言で済ませるとか、心配もしないとか、信じられなかった。
料理も作れなくなったおばあちゃんにご飯を作っても「わたしこれ嫌い」とか文句を言うばっかりだし、
一言余計に嫌味を言うし、なんか最悪だった。
リハビリ中だし、おばあちゃんに出来るだけ優しく努めようとした。けれども小言とか、これまでの行動とかのせいで、優しくするのが凄く疲れた。
な〜んか優しくするのだるいなぁ。敬老の気持ちを忘れずにいるのしんどいなぁ。
でも表面では波風立たない穏やかな時間が流れている。
もう罵声も聞こえなくなったし。
次第におばあちゃんの纏う雰囲気が「お前らのせいでわたしは苦しめられている。虐待されている。孤独になっている。私はお前らにひたすらに虐められている。」って変わってしまって。もう、おばあちゃんがどう私達を思ってるのか、肌で感じる。
私はたまに
あの時、見殺しにしたらどんな未来が待っていたんだろう。
と思う。
解放されて、やっと家族ひとりひとりが自分自身のことを考えれる時間が訪れるのかな。
どうなんだろう。
今からでも殺してみる?
例えば、餅を食べさせて喉に詰まらせてみるとか。
寝てる間にこっそり冷房切って脱水症状起こさせるとか。
もう82歳だし、いけるかもよ?
無理
絶対無理。
殺せる訳ない
一応、腐っても、家族ってやつだし
サマーウォーズとか、ドラえもんとかそーゆーキラキラした家族の絆とは全然違うものだし、むしろ呪いに近いけど
むっちゃ家族なんよ。
全部事実だよ。
クソサイテーなババアだよ。
もうお酒飲まないでって泣きながら沢山懇願したこと忘れられないよ。
でも…………….でもさあ、
もう死んで欲しいけど。おかしいよなぁ。嫌いだし死んで欲しいけど大好きだよ。おばあちゃんが居なかったらいま私生きてないよ。
お母さん産んですぐおじいちゃん死んじゃってさぁ、おばあちゃんも娘2人のために必死で働いてたことお母さんから教えられたもん。
お母さん仕事で帰るの遅いし、中学からはおばあちゃんとほぼ二人暮らしだったし、毎日ご飯作ってくれた。肉じゃがも味噌汁も牛肉とごぼう甘く煮たやつとか全部好きだった。
学校で上手く行ってないときとか、お母さんとお父さんが大喧嘩する度におばあちゃんは部屋で私を慰めてくれた。初めて買ってくれた財布は今でも使ってるし、沢山買ってくれたものある。
未だに抱き締めてる毛布はおばあちゃんがプレゼントしてくれたものだし、たまに市民会館に映画連れて行ってくれたし、小学生になりたての頃はいっつも帰りに迎えに来てくれた。
年越し蕎麦も2人で一緒に食べた、おばあちゃんの好きな70年代の曲で一緒に踊ったし、こっそり酒を飲ませてくれたこともあった、健康ランドに連れて行ってくれたし、自分が働いてる仕事もあんまりお給料無いのに私に沢山お小遣いくれたし、お父さんとお母さんが離婚した時にはおばあちゃんがそばに居てくれた。
お母さんが連れてきた新しいお父さんの悪口を一緒に言い合ったし、私が作ってくれた下手くそなご飯を美味しいって食べてくれたこともあったし、しょっちゅうどっかに行ったし、たくさん素敵な思い出もある。写真も沢山ある、日記にはおばあちゃんのこと沢山書いてた。
おばあちゃんは嫌い。
大嫌い。
だったのに、なんで好きなこと忘れてたんだろう。
おばあちゃんは、
酒飲んだ時は最悪だし、お母さんには死ぬほど優しくしないのは事実だし、基本的に性格クソゴミクズだし、老人同士の友達いねぇし、通ってる居酒屋出禁になったこと星の数ほどあるけどし、うちらに吐いた暴言とか罵倒とか、私達にしたことは心底許せないけど、
嫌な思い出も素敵な思い出も沢山あって
そんなおばあちゃんを私が殺せる訳ないよ
腕触った時、折れた感触。忘れられないよ。あの元気なおばあちゃんがもう見れなくなると思ったら怖かったよ。泣いちゃったよ。
病院まで支えて歩いた時、これからどうなるんだろうってすっごくこわかったよ。
嫌いだし、大好きだし、どっちの感情も本物なのが嫌になる。こーゆー時ってさ、きっぱりと自分の思いを言い切ることが重要だと思うんだけどさ、分かんないよ。
本当に嫌いだよ、どうすればいいんだよ、つらいよ、わかんないよ、あんなに好きだったのにすぐに自分の感情を忘れてしまうよ、
ほんとまじでどーすりゃいーんだろうな。
一度お母さんに、
「おばあちゃんのこと、殺してみる?」言ったら、
そのあと、悲しそうに嬉しそうに辛そうに笑って
「出来るわけないでしょ笑」
といった。
だよなぁ。
出来る訳ないよなぁ。
お母さんのあの全部がこもった、笑顔が、答えなんかも。
あれが向き合い方なんかな。
…………。
はぁ。
あんなに好きだったのに、
嫌いっておもいがもう塗りつぶしちゃって
死んだら死んだで喜んじゃうよ。
私、おばあちゃん死んだら泣けんのかな
たぶんざまぁーみろって思うだろーなー。
早く死んで、おばあちゃんの部屋使わせろやーー。
私、性格悪いなあ。
なりたくないなあ。
なるなら優しい時のおばあちゃんになりたいなあ。
…………………。
わかんねぇ。
どう思って接すればいいんだろう。
家族だりー。