はてなキーワード: サブカル女子とは
私は昨年2015年にコピライに気づいてときどき監視するようになった、にわかウォッチャーだ。
今までコピライに言葉や画像をパクられて、削除・訂正の抗議をしては無視されて悔しい思いをしている人達を眺めてきた。
今まで誰に何を言われても揺るがなかったコピライが、どんどんフォロワーを減らし、中の人がカギをかけ、最終的には所持アカウント全てを垢消しするまで追い込んだJK=女子高生という存在には恐れ入る。
今まではコピライがいつも通りパクってるわー、今更何しても無駄だし、ほっておこうと思って諦めミュートしスルーしてた多くの人達をやっぱり許せねーと動かしたのは、やっぱりJKの力だったんだと思う。
あと、ゲームみたいで面白かったんだろうね。サマーウォーズって言ってる人もいたけどフォロワー減らしゲームがどこまで行くんだろう、どこまで行ったら凍結するんだろうって興味で沢山の人が参加した。凍結には至らず追い込まれたコピライが自分で削除したわけだけど。
コピライの存在を見ないようにしてきた人達に、最近のヤツがどんな風だったかを書いておこうと思う。
minne事件でGMO運営からTwitter運営に直接連絡が行き、無断転載したminne作家さんの画像がTwitter運営によって一括削除された。これが昨年2015年の4月の話。
その後、コピライがminneアカウントを作り、別のminne作家さんに内部から営業活動して、minneから追放された。これが5月。
当時コピライのフォロワーは87万という記録がある。コピライは一時的にフォロワーを減らした。けれどその後どんどん巻き返して、結局垢削除直前には120万フォロワーをゲットしていた。何故か。
minne事件以降、コピライは徐々に画像転載を控え自衛するようになった。凍結はやはり怖いらしい。画像があるときは宣伝先のURLも一緒にツイートする。文字のときはby○○とつける。それでおおむねあまり問題が無いかのようなアカウントに見えるようになった。出典付けてるように見えるでしょ?って。
相変わらず出典の名前が間違っていたり、改変して抗議されていたりしたが、あまり目立ってはいなかったんだと思う。抗議する人も諦め顔。コピライがパクツイすると、その後パクツイアカウントにどんどん転載されて行くのもいつものこと。間違いがどんどん拡散されて行くのもいつものこと。
Twitterで新しいアカウントを作ると最初にフォローしてみませんかリストに表示される。誰かのツイートを見ると、この人もフォローしてみませんかと表示される。言われるままに初心者ツイッタラーがフォローしてしまうのも仕方ない。ちょっと遡ってみても、出典のある素敵な言葉まとめ集にしか見えなくなっていた。広告はあるけど。
昨年9月、いつのまにかコピライの中の人No_001_bitchが女性から白いライオンに姿を変えて、暗く下品なギャハハ系のツイートを辞めて、薄暗いちょっと素敵(笑)な雰囲気のあるポエマーになった。
コピライを警戒していた人達まで、あっさりFall(TM)をRTしているのを残念に思ったりしたが、まあ仕方ないかーと思っていた。
薄ら寒いどこかでみかけたような言葉の集合体のポエムツイートでも、どこかでみかけたことのあるようなフィルター補正の写真でも、自作している分には文句は言わない。エモいとキモいは紙一重だし、そもそも創作とは恥ずかしいものだ。過去の名作より質が悪いのもしょうがない。
11月に26歳になったとか、クリスマスに結婚した、とか書いてて、ふーん、秋くらいからパクリだけじゃなくて自分でも作家活動してみたくなったのは彼女(配偶者)さんの影響なのかね、と思っていた。いいんじゃない、パクリじゃなくて、自分で作りたくなったんなら、そうすればいいよね。
ラインで若者の深夜相談をしはじめたのもさすがだなー、と思った。必ずしも返事をしないで、気が向いたら返信。さらに気に入ったものはツイッターでスクショをあげる。深夜のラジオに投書して、返事がもらえたら自分が認められたみたい、リスナーの中でも私は特別な存在として舞い上がった経験を覚える中高年もいるだろうさ。
そんなかんじで10代のちょっと悩める自分が周りと違って影があるという自意識のあるサブカル女子高生の人気を集めはじめたFall(TM)は、コピペで築き上げたコピライの100万フォロワーを自分に取り込みたかったらしく、ちょくちょくコピライでRTしたりしていた。露骨にアピールしなきゃ反感買わなくて、気づかない人も見て見ぬ振りをする人も多かったのにね。
そこで来たのが青春基地の記事。2016年1月。コピライの中の人インタビュー。
@Copy_writing中の人インタビュー!「インターネットは、すべての話を良い方向に持って行こうとする傾向があるけど、暗いことは暗いことでいいじゃない、と言いたい」
"つくる側の人間だから、常に批判される立場にいるんだろうなと思う"
"3万人以上のフォロワーがつくと、必ず一人アンチが生まれるみたいだね。"
"会いに行く前の電車では緊張して、久しぶりに音楽を聞きませんでした。"
うはー、コピライは、自分がコピペ人間じゃない、ずっとコンプレックスだった創作できない人間を脱出して、自分自身の言葉や写真で人気が得られる作品が作れる人間だアピールしたかったんだろうなー。
女子高生に恋するようなうっとりした目で見られたら舞い上がっちゃうよなー。わかるわかる。
これは反広告社時代やその後に自分の言葉を盗まれて、名前を消されてコピライのものにされちゃった人達が聞いたら怒るよなー。と思いながら、静観してたら炎上した。ざまーみろ。
コピライはキュレーター、プロデューサーとしての能力はなかなかのものだと思う。しかし、「つくる側」を名乗ったら、クリエイターが怒るでしょ。まあ、時代をつくる、とか思っているのかもしれないけど。
TwitterアカウントCopy Writing、Fall™さんの記事に関する騒動につきまして
この記事を見るに、コピライが今まで無断転載で叩かれていた人間だってのは、女子高生も周りの人間ももちろん知ってるんだろう。青春基地は関係者の名前を見ても分かるけど、感受性豊かな若者を取り込んで、将来の政党支持者を増やして行こうっていう団体に見える。「青春」なんて恥ずかしげなくネーミングできちゃうのはオッサンでしょ、オッサンの発想。
それにしても、女子高生ってのは、自分より少し大人で、陰があって、自分の話をよく聞いて理解してくれるようにみえる優しくて薄っぺらくて嘘つきな男に惹かれるものなんだよねぇ、と、自分の黒歴史を振り返って、イタタタタって思ったことでしたよ。
コピライはアカウント消したまま、自分の言葉で語りたいんなら新たなアカウントで再出発したらいいと思うけど。
ID変えても、名前変えても、アカウント復活させたら監視員が黙ってないし、ID変えて復活したら「@Copy__writing」の即時争奪戦が始まるからね、きっと。
オタサーの姫、逆ハーレムの姫、野郎だらけのラボの姫は下手すると卒業式にぼっちになるよ、という教訓を含んだ思い出話です。
私の行ってた大学院は内部進学者と外部進学者が半々くらいで、外部進学者は大学院で新しく知り合いや友人を作る必要がありました。
また、女子が三割未満だったので、内部進学生は作らない子がほとんどですが簡単に逆ハーレムが形成できました。
姫はフリルだらけのピンクの服が見苦しくなくて、しかも服に着られないくらい、細くて派手で女らしい女の子でした。
それだけなら「スタイルいいねー、かわいいねー」で済んだのですが、彼女は同じ院の女子に嫌われていました。
というのも姫は逆ハーを作るのが大好きで、マウンティングもすごかったからです。
そして着てる服は男受けしか考えていませんでした。
しかも、大学院の外でマウンティングできるから、逆ハーレムを作りたいからという理由で進学したことを、暗に匂わせる発言を結構していました。
私の院には恋愛に潔癖な子も多かったので、嫌われて当然です。
他にも逆ハーを形成したがる外部進学生はいるにはいたのですが、姫はマウンティングもすごかったので特に嫌われていました。
一緒に飲み会に参加したこともありました。
一緒に遊んだこともありました。
しかし、
・男ではないので軽視されること
・姫は典型的なモテカワファッションで私はそこまでかわいくないサブカル女子だったので、引き立て役にもアクセサリーにもならないと邪険にされている
ということに気づきました。
そして就活が始まると同時に、私は彼女と距離を置くようになりました。
姫と再会したのは院の卒業式でした。
私は同級生の女の子や先生方と写真を撮っていましたが、偶然再会した姫はぼっちでした。
「久しぶり、修了おめでとう。元気にしてた?」と私は挨拶しましたが、彼女は開口一番「誰も友達いないから写真撮ってもつまらない」と言いました。
私は「あの逆ハー構成員はどうしたんだ?」と思いつつ、「でも◯◯くんとかとは仲良いじゃん?」と聞きました。
すると姫は「男の子はいざとなったら昔からの友人を優先するから」と悲しげに答えました。
逆ハー構成員たちは実はほとんど内部生で、昔からの友人である内部生同士で盛り上がっていたのです。
「ラボの先輩方や先生方は?」と聞けば、「何回も先輩や先生と写真は撮れない」と答えました。
そこで私は何をトチ狂ったか「昔一緒に遊んだし、私と写真撮ろうよ」と言いました。
たぶん姫のプライドはズタボロだったでしょう。
姫は「(増田さんのこと嫌っていたから)いまさらご厚意に預かれない」「余裕のある増田さんと撮ると余計に寂しくなる」と寂しく笑い、私が引き止めてもどこかに去って行きました。
女の敵は女です。
意図的な逆ハー形成もマウンティングも、敵意をむき出しにすることの一例です。
上記の姫もそうでしたが、オタサーの姫、逆ハーレムの姫は同性への敵意を露骨に出す人が多いです。
普通の女の子だったのに偶然野郎だらけのラボの姫になった人たちの中にも、感覚が麻痺して敵意むき出しになる人がいます。
そういう人たちはたぶん意図的にがんばらないと、同期の女友達がいなくなり、卒業式にぼっちになりかねません。
オタサーの姫、逆ハーレムの姫、野郎だらけのラボの姫になるのもいいですが、敵意を隠して女の同級生は大事にすることも必要です。
あ、そうか。
SWの間、故郷に帰っていたベトナム人(20歳・男)のお隣さんが戻って来ました。結婚して、嫁を連れて。
もうアラサー童貞の私としては困ったクマった鬱だ氏のうdeathよ。
ベトナム語なんで何言ってるかは分からないんですけど、イメージとしては……
「Oh, yeah......Hey, come on......」
みたいに5単語くらいを繰り返しうめき続ける洋モノAVの音声だけが、壁越しに聞こえてくる感じです。
たぶんベニヤ2枚くらいの厚さで、押すとちょっぴりしなります。レオパレスも真っ青です。
掛け布団がめくれる音、ティッシュを取る音、イヤホン端子が机にカツンとぶつかる音まで聞こえます。
そんな住環境なので、
「Oh, yeah......Hey, come on......」
が細大漏らさず聞こえてきちゃうわけです。
このベトナム人新婚カポーがまたなんとも香ばしくてたまりません。
代わって新婦はちょいブスだけど愛嬌があって、数多の童貞を勘違いさせ打ち倒してきた、枯れ葉剤も物ともしないアマゾネスです。オタサーの姫やサブカル女子っぽくもあります。
だいたい5つくらいの単語が、姫に結婚をキメさせた材料だと推測されます。さっきから語彙少なすぎるぞ。
情報が不完全な分(かみさんは英語話せるけど、旦那は片言の日本語だけ)、妄想が広がリングです。
少年ジャンプ的な幼稚さを引きずる男の子ならいざ知らず、知性豊かな腐女子の皆々様方にはこの愉悦がご理解いただけるはずです。
二人が互いのA10神経を乳繰り合っている間、私の快楽中枢は高橋名人に16連射され続けます。
「Oh, yeah......Hey, come on......(優しく……して……(恥ずかしそうに目を伏せつつも本当は床上手。受け身でしとやかに振る舞いながら、愛撫・体勢・締め付け具合で完全にリード。実家は男の子を望んでいるから秘め事は排卵日当日。フィニッシュの体位は……))」
一番困るのは外で夫妻とエンカウントした時です。特に""翌朝""は、神妙な面持ちで異文化コミュニケーションするハメ、違う、羽目になります。
私はおもてなしジャパニーズの精神というか、察しと思いやりの信条(葛城ミサト談)で迎えるわけですが、童貞独り身なのでコールド負けDeath。そしてRebirthできなくてAirになります。真実は痛み。溶け合う二人が私を壊す。
江戸期の長屋では、聞こえないふりをしてご近所仲良く暮らしていたといいます。
聾唖者を夢見るホールデン・コールフィールドですよ。笑い男ですよ。
「I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes」
いるじゃん、ストリップはアート的な身体表現だとか、女性の裸体とダンスが美しいとか言って、女友達どころか男友達まで誘ってストリップとか観に行っちゃうサブカル女。
そういうのに一緒について行く男は、清潔でおしゃれなサブカル男子で、セックスにガツガツしてないタイプ。
で、終わった後の感想とかも「綺麗だったねー」とか「すごいアートだよね」とか「パフォーマンスとしてレベル高いよね」とか、興奮してなくて凄く冷静なの。
とてもじゃないけど男からは「M字で大陰唇を広げたとき興奮した」とか「まんこ丸出しで超エロい」とか「フルボッキした」とか「今ムラムラしてるから一発やりたい」とか言えない雰囲気。
カップルで行ったとしても、サブカル文脈でエロを漂白されちゃって、なんか男が去勢されてる感じ。
女の方は、セックスに関する話題について照れたりせずに開けっぴろげに語れる自分を、格好いいと思っちゃってる感じ。
こういうの、すっごく苦手なんだけど、わかる?
「ちんことまんこが丸出しでエロい」「観てたら変態セックスしたくなった」とかじゃなくて
「これはエロじゃなくてアートだよね。規制されてたのがわかんない」「あっけらかんと明るくて、いやらしさがないよね」とか言っちゃってる。
そもそもストリップも春画も本来の役割はエロ目的なのに、観に来て興奮して勃ってるやつの方が白眼視されそうなノリがおかしい。
アートとかカルチャーとか言う以前に、猥褻でありエロだろ、と。
まあ、歴史的な価値という側面を持つ春画展はともかく、ストリップとか、本来の目的であるズリネタにするために来てる純粋なファンに失礼だろ。
例えば、TSUTAYAのエロビデオコーナーに、美大生の男女グループがいて裸体デッサンについて語ってたら、オカズを借りに来た男からしたら、すげー邪魔だろ?
そういうことなんだよ。
春画展だって、本来ならエロいものを観て興奮しに行くのが正しいんだよ。ラブホテルでセックスの前にAV見るみたいにさ。
カップルで春画展に行ったら、その後はむちゃくちゃセックスして欲しいわけよ。
でもさ、春画をサブカルとアートの文脈でしか観ないカップルとか、ちょっと意識してるのに一度もセックスしたことがない異性の友達グループとか、絶対いるわけよ。
つうかサブカル女子、お前らめっちゃ業界人とかバンドマンとかバーテンとかとゆきずりセックスしまくってるのに、何で異性のサブカル仲間といる時は割り切ってんだよ。
彼氏いない歴が3年とかいいつつ、セックスしてない歴は1週間とかだろ!
一緒にストリップとか春画とか観に行こうとか誘われて、内心ではエロい気分でもんもんとしつつ、おしゃれで淡白なサブカル男子の役割を演じて話を合わせつつお茶して、夜にはセックスしに男の部屋に向かうお前を送り出す男友達の気持ち、考えたことあんのか!?
茶髪にして、パンケーキ食べに行って、ディズニー行ったのに自撮りばっか載せて、せっかく受験勉強頑張ったのに1限めんどいとか楽単とか言っちゃって。大学生活を就職までのモラトリアムとしか考えてないような人達は何を考えて毎日生きてるんだろうか。
普遍的な物ばかり好きで、見た目も性格もツイッターでの話し方も似たような奴ばかり。
自分ってなんだろう?とか、死ぬってなんだろう?とか考えたことあるのかなぁ。
きっと少なからずあるんだろうけど、私には彼女達はロボットの様に見えて、何も考えずにいるようにしか見えない。
個性って一体なんだろうか?
所謂サブカル女子とかも、マッシュルームカットにアラレちゃん眼鏡、奇抜なシャツとかが軽くテンプレートになっている。松本大洋と大友克洋好き!とかね。サブカル女子は周りと被りたくない気持ちが強いから、好きな作家とかは変動ありそう。
イラストが趣味の人だって、先述のサブカル女子なんかは明朝体を駆使しながら似通ったものを描く。腐女子は三白眼の女っぽい顔した刀剣男子を描く。
量産型大学生を小馬鹿にしてる層の人達だって、ジャンル毎に似ているようにしか見えない。
そんなことを考えると、こんなこと言ってる私だって、きっとどこかの量産型⚪︎⚪︎なのかもしれないと思う。
私はサブカル趣味じゃないし、BLは嫌いだ。パンケーキもInstagramもFacebookも自撮りも皆嫌いだ。
毎日似たような人しか居なくて辟易しているただの大学生である。
そんな自分って一体なんだろう?
だとすると、サブカル女子叩きは、専ら対象が女性であるという点に起因してなされることになりますね。
自分はサブカル女子ではないかと薄々自覚していたので、叩かれているのを見て肩身の狭い思いをしていましたが
なんだかサブカル女子叩きをする人たちが痛々しく見えてきました。
追記
http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/01/03/002312
そもそも叩かれ嘲笑されるような、テンプレのサブカル女子って実在するんですかね?
もし自分の心の中のサンドバッグとして設定された非実在キャラなのだとしたら
そんな設定が生まれた背景や、叩いている時の心境を是非聞いてみたいです。
3年前に前に仲のいい女友達に飲みの席で告白された。その時僕には彼女が居たので断ってしまった。女友達は純文学とかインディー音楽とかがすきないわゆるサブカル女子。頭の回転が速くてすごく話が面白い。共通の友人が多かったので、彼女と別れた後もよく一緒に遊んでいた。
女友達はずっと彼氏がいなくて、恋愛そのものがすこし苦手なようだった。女友達を好きになる男はそこそこいたが、なぜだかずっと頑なに一人だった。僕は超超超自意識過剰と知りながら、僕のことをもしかしたらまだ好きなのか?とか思ってしまう時があった(よく僕だけにお土産をくれたり、二人で遊ぼうと誘われる時もあり、増田の⚪︎⚪︎は素敵だと思うと褒めてくれたり、夜中電話がかかってきたり)。でも僕に対して異性として扱ってくれる瞬間はなく、あの告白はなかったような感じになっていた。本当に友達と接するようなやりとりが続いていた。僕は彼女のただの良き友達なのか?いや、でもどうなんだ?という疑念はずっと心の底で付いて回った。
ただ僕はやっぱり女友達のことは友達としか見れなかった。彼女といるときは最高に楽しいが、それは男友達と一緒にいる時と同じ感情で、下世話な話だが女友達を抱いたりするのは無理だと感じていた。
僕は1度彼女の告白を断っているし、彼女もそこに関しては居心地の悪さを感じているようで、よく一緒には遊んだがお互い恋愛の話はなぜだかタブーの雰囲気があった。彼女と性的に接触したことは唯の一度もない。
仕事が忙しく、めっきり最近遊んでなかったが、昨夜久々に今日友達たちとのんでいたら、女友達に彼氏が出来たという。つい最近出来立てほやほやだとのこと。みんなも僕もめでたいと心から祝福した。デレデレと顔を溶かし、彼氏との馴れ初めを話す女友達は本当に幸せそう。と思うのと同時に、心の枷が取れたような気もなぜかしていた。女友達と遊ぶ時のちょっとだけ気を遣う感じや、どちらかが核心的なことを突かないようふざけあっていたあの感じをもうしなくていいと思うと、なぜだかホッとするし、清々しい気もしている。
自意識過剰を承知でいうが、今までを振り返って、僕が告白を断った後も女友達は僕のことを好いてくれていたのかもしれない、と思った。僕自身も、チンピクこそないものの、長い時間一緒にいて彼女をとても素敵だと思う穏やかな気持ちは、愛にも似た恋だったのかなとも思うし、自分のチキンぶりにゾッとする。ただ、彼女があまりに幸せそうで、迎えに来た新しい彼氏も本当にいい奴そうで、心から幸せにな、僕も頑張るよ、と思った。