江戸の昔から東京っぽさというのは雑然として猥雑ななんでもありなイメージでステレオタイプからは程遠い
田舎者向けに記号化されてるところだけ見てるからそう思うんじゃない?
広いんだよ東京は
漫画(漫画家を目指す者にとって教材にもなる)全国規模で流通してるのがすごいんだよなあ
都市と田舎の文化資本の格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。
その点において、俺はやはり都市と田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差したコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。
まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれた僻地の農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、田舎の中でもさらに田舎の方だ。
その俺が上京して15年経つが、田舎と東京の違いは、何よりもコミュニティの多様性にあると思っている。
東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから、町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。
あらゆる社会階層の人が東京に暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティを形成している。
学校や職場も一種のコミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。
人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティの形成が可能になる。
人口流入はほとんどないのでコミュニティのメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。
地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。
大きな会社は存在せず、大学も存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。
大学進学でも目指すとなると、必然的に田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。
一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。
「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティに所属しないのは不利だ。
受験勉強にしても、周囲の大人に受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代の受験生仲間が少ない、といった形で田舎の受験生は不利を強いられる。
東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。
もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。
なので、田舎に生まれた子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。
田舎に美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。
そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市と田舎の格差なのではないかと思う。
俺が想定したレベルの田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。
姉は3歳上、重度知的障害。
会話は成り立たないし、手足や目の動きも変なので、他人にも一発で分かると思う。
職員が姉含め4人の女性障害者に性暴力を働いていたことが発覚した。加害者は50代男性。勤続10年で信頼されていたらしい。
被害期間や頻度は不明、今回1人が妊娠して被害が明るみになったという。
この話を聞いたときは、加害者は鬼畜だと思った。意思疎通もできない、よだれもそのまま、生理の手当も自分では出来ない生き物と性交できるなんて正直獣姦に近いと感じてしまった。いや、一匹で生きる力がある動物の方が賢いだろう。
でも、しばらくしてその加害者は姉のことも平等に「人間の女」だと思っていたのか?とも考えるようになった。だからといってどうということもないが。
姉は何をされたのか説明できないし、加害者の自供と状況証拠でしか被害のことがわからない。
加害者は日本版DBSに登録されたとしても、同じような仕事に今後も就ける。日本版DBSは子供に接する仕事でなければチェックされないのだ。大人対象の施設であれば問題なく働けるだろう。
日テレが頭からっぽ女子にしたかったのは分かるが、原作設定も古すぎないか
「4年制大学を諦めて2年制の専門学校に」が落としどころかなあ
この前、通勤ラッシュで電車に乗ったら、もうぎゅうぎゅう詰めで呼吸できないレベル
しかも隣の人が汗だくでヤバくて草
夜遅く帰ると、駅から家までの道のりが怖い!街灯少ないし、酔っ払いとかウロウロしてて、いつもビクビクしてる
大都会なのになんで暗い道が多いんだよ、おれの最寄駅は
しかも、買い物カゴをぶつけてくるおばちゃん多すぎて、うんざり、この前なんて、カゴが足に当たって痛かったし!
アパートも狭すぎ、窓開けても隣のビルの壁が見えるだけ。隣の部屋の人が夜中に騒いで、うるさすぎて寝れないし。たまにエッチな声も聞こえてくるし…
まあそれはいいけど
それに都会の人たち、冷たいし
この前、友達とカフェ行ったら、なんかオシャレすぎて落ち着かないw
この前、けっこうどうでもいい気持ちでスーパーに向かってたら、途中の真っ暗な道の、フェンスで覆われた側溝んところに何か光るものが動いておりまして、おうおうなんやなんや?と思って目を凝らしたら、ホタルだったんスよ
田舎だからホタルがいること自体はそう驚きではない ホタルスポットみたいなのもそう遠くないところにあるらしいし、地元の子供会でホタル観察なんかをやっていることもあると聞く
しかし、俺が見たのは、ちょっと山に入ったところとか、川沿いとか、そういういかにもホタル然としたところではなくて、裏道とはいえ国道から一本入ったところ、家から歩いて1分20秒くらい、そういう場所だった
なんつうのかな、日常に完全に接続された場所だったってことですよ
そんで俺はホタルを初めて見た 生まれてはじめて、ということだ
感動したんだよな シンプルに感動した
えっマジ!!!!!って、かなりデケエ声を出した気がする
あまりに美しかったから 物理的にはちっちゃい光の点に過ぎないんだけど、なにも期待していないその辺の側溝で見られるものとしては規格外の美しさだったと思う なんというか、存在が美しいというか、いや、それを言い出すと大概の存在は美しいだろ!みたいな話になってくんだけど、でもまあキャッチーな美しさじゃないですか 結局そういうキャッチーな美しさに心が揺れるってことなんだよ
祝福 あれは祝福ですよ
ホタルを見に行くぞ!つって渓流に出掛けて、美しい蛍の群れを見てもたぶんあそこまで感動しない
誰もいない、俺以外の通行人を見たことがない真っ暗な裏道の、特徴のない側溝 そこにただ1匹ホタルがいて、20秒くらいだけ光って、フッと消えていく
俺は「ホタルが美しくてワロタ!」などとブツブツ独り言を言いながらスーパーに行く
あの時間は間違いなく祝福されていた 祝福されていなかったとしたら、俺が祝福する
ここで散々議論されている「東京の文化資本は田舎より優れているか問題」ですが、問の立て方から既に分断が起きています。
その分断とは「文化資本」を単なる「文化」の意味で使っている人と、ピエール・ブルデューのいう「文化資本」の意味で使っている人たちの分断です。
前者はいわゆる一般的に浸透した意味での「ロリコン」や「蛙化現象」と同じように、言葉の本来の意味を調べずに、なんとなく雰囲気で喋っているタイプの人たちです。
ブルデューのいう文化資本は、①家庭における②学歴や社会的地位や経済資本の再生産に結びつきやすいものを指すので、東京田舎うんぬんの話は文化資本とは関係ありません。
前者のような人たちに正しい言葉の意味を教えるのはほぼ不可能なので、後者のみなさんは諦めましょう。彼らは文化資本に恵まれなかったのです。
文化資本(笑)の話題もそうなんだけど、「これとそれの比較」の話をしているのに「好きvs嫌い」の軸に持ってくのは何故なんだろう
田舎と東京の比較も、differenceの話をしているのに東京ヘイトだとか田舎嫌いとかの対立になりがちな理由は次のうちどっちなんだ
1.その方が話が伸びるし延々と話(罵り合い)ができるから娯楽としてやっている