はてなキーワード: 決闘とは
2ちゃんねるでもニコニコ動画でもYoutubeでも私が観ているのは男同士のオタクコミュニティだ
どっちが強い、どっちが優れてる、どっちが面白いと笑い合い煽り合いながら激論を交わし、どちらかの勢力が物凄いものを生み出すともう一方は爆笑しながら負けたわと認め、しかし火が消えることなく逆転の一手でより面白いものを生み出しちゃう
どれだけスゲーことやるかが最上位の価値観で、負けても妨害したり陰口叩いたりあまりせず、もっとスゲーことやってやんよと火がつく、そんな男同士のオタクコミュニティへ憧れがある
女決闘者も居るが、彼女らは男同士のオタクコミュニティに居る女オタクであって女同士のオタクコミュニティに居る女オタクなわけではない
私は遊戯王自体には詳しくないので語ることは出来ないのだけれど、遊戯王でこのデッキが強い、いやこのデッキが強いと対戦してたり、激弱なカードをどうにかして活躍させる面白いデッキで男の子たちが対戦して爆笑している姿なんて本当に私も仲間に入れてほしいななんて思ってしまう
女決闘者はたぶん私と同じ様に男同士のオタクコミュニティに憧れて一歩踏み出せた強い人なんだろうなスゴイよね、私はなにを話して良いのかわからないので一歩引いて観ているだけだ
なんで女同士のオタクコミュニティはすぐ共感の取り合いに走っちゃうんだろう・・・
男の子なんて俺が考えた最強を作ったらすぐに「俺が一番だぁ!」って叫ぶのに、女は共感を集めて「私が一番だよね?ね?」とみんなに質問して承認して貰ってやっと一番を名乗れるみたいな感じ
何の根拠もなく恥をかこうが叩かれようが熱にうかされて作り上げて俺の最強が一番だって快活明朗に叫ぶ男の子はカッコイイし可愛いと思う
しかも一番が何人居ても良いんだよね、自称一番の存在が許されるし、自称一番がいっぱい存在したら自然に一番決定戦とかが始まって爆笑しながら真の一番決める姿は本当に面白い
おちんぽフェンシングとは……騎士道文化花開いたフランスはパリの徒花とも言える決闘。
しかしナポレオン三世統治下のフランスに於いてその愛すべき蛮行はついに禁止となる。
そんなとき、とある酒場で始まったのが、おちんぽフェンシングと言われている。
ルールは簡単。両者勃起ささせたチンポにより相手のチンポにぶら下がっている紐を奪い取るか引きちぎれば勝ちとする。
もちろん途中で勃起を維持できなくなれば自動的にその者が負けとなる。
そこから当時のパリではカンカンダンスが大ブームとなるのである。
ある動物園?のオスとメスの二頭のカンガルーの話をやっていた。
それで飼育員さんがオスのカンガルーに決闘を申し込む事になった。
もちろん、人間側はわざと負ける。
でも戦いの中で自信を取り戻したオスのカンガルーは、交尾を成功させたんだ。
今では親子三匹仲良く暮らしてるそうな。
野生ではオス同士の戦いがあって、本来は勝者が交尾の権利を得る。
勝利で分泌される男性ホルモン(テストステロン)に類するものがカンガルーにもあって、それが生殖に必要不可欠なのだろうと思う。
女性がイヤ・ダメっていうのも同じだ。野生の戦いに見立てて男の勝利を演出してあげてるのさ。
外国人女性がそういう口先拒絶をしないのは、パートナーのいる外国人男性は何らかの意味でもうすでに勝利を勝ち取っているから。
>かつては新聞紙上でも戦前は溢れんばかりに決闘の報道が行われており、イギリスの『タイムズ』紙は1831年から1895年8月までに805の決闘を報道している。が第一次大戦は大量殺戮戦となり、決闘文化は衰退し、戦後は死者が出たり、よほど特殊な決闘でない限りほとんど報道されなくなっている
ウィル・スミスの事件は平手打ちだったが、メディアのはやし立ては変わっておらず、現代の決闘は同情票の多少で勝敗を決めるがごとくだ
しかしダニエル・デフォーやウォルター・リップマンの存在は組織的言論操作は可能であることを示しているし、イギリスのタヴィストック人間関係研究所(ロックフェラー系)などの関与も考えられなくはない
さておきクリス・ロックを擁護すれば差別ジョークが助長されかねないが、あのジョークは差別解消という公共の福祉に反する罪にあたるだろうか
一方「将来起こりうる危険のリスク判断」は行政や議会の研究所の役割で、司法は「具体的な被害実態」や数字がなければリスク判断をしない
昔は「カトリック神父」が倫理を説いて被害リスクを低減しようとしていた(ただ性的虐待や農地独占などの腐敗はあったらしい)
「ユダヤ・プロテスタント」が復権し聖書原理主義になってからは善悪判断は法律に基づき法曹が行うようになったものの、魔女裁判や四番崩れが発生した(ポピュリズム行政司法)
さて日本国憲法などは官吏や裁判官の地位を相当に保護しているが、それが正しいだろうか
また、司法権という武器を持つ法曹は、法律を作る議員になれる「文民」であると言えるだろうか
四番崩れを合憲化しうる、独立の憲法裁判所をもたない司法制度は正しいだろうか