はてなキーワード: ヤンキーとは
アンフェミのボリューム層って偏差値40くらいのオタクなんだろうな。無名アンフェミの名前出してドヤ顔してるけどそいつ一人の存在に特に意味ないよね
単なるn=1 それでドヤれるところが偏差値40感すごい
何度か読み返した結果、「話にノれれば俺も十分に楽しめたが、話にノれない要素が多かった」という仮説が今のところ有力。
めちゃくちゃ露悪的に言えば俺に不親切だった。
以下、俺が俺に不親切だと感じた要素
・ふざけた見た目をした超高性能AI
手垢ついてる!
ひたすら人間を馬鹿にしてくるのも手垢! って感じで引っかかった。
本来は崇高なイメージになるが主人公の頭が悪くてイメージングに失敗した、という設定は好き。
ケンタウロスが出てきた時は特に引っかからなかったので俺がうんこたれ蔵に個人的な嫌悪感を抱いている可能性はある。
あれだけ「これ実は意味ないんですよ」「この姿に実は意味がないんですよ」を繰り返してるのは「シミュレーション上で告白しても意味ないんですよ」への導線であり、恐らくそれが最後の主人公の発言に繋がるのだが、読んでいる最中はずっと「シミュレーション上で告白しても意味なくない?」「シミュレーション上で生き返っても意味なくない?」と思っていた。
人生とか世界とかを変える話でなく、主人公のけじめとか魂の慰撫の話だったのだが、その事に気付くのが読んだ後というか、「なんであの話あんな褒められてんの?」と考えた段だったので読んでる最中はずっと駄目な気持ちで読んでいた……。
ただAIを存続させるための恐怖政治として支持しなかった人間の意識のコピーを永遠に拷問する、ってところは本気で無意味では? と思った。
本人との意識の連続性がない自分への拷問、流石に意味なくない……? 2084年の人間の感性が2022年とはかなり異なってる可能性はある。
・ヒロインの設定重すぎない?
正直に言うと、なんかヒロインの設定が重すぎてそれを何とかする話だと思っちゃったんだよな……。
父親の酒代のために客を取らされている女を前に主人公のけじめとか魂の慰撫とかやってる場合か! とは思うがヒロインは死んでるしシミュレーションだしな……。
あと母親が死に対して強い反応を示さなかったのにヒロインの話に強く反応したのはちょっと違和感があった。
多分これが何かを変える話ではないと示す為の導線だったんだと思うんだけど(死の撤回ではなく告白のために動く、と言う事を証明するために死者を出す必要があった)これもヒロインの死が重すぎて何かを変える話だと俺が誤認した、のが恐らく俺の敗因。
作者のせいにするなら、AIが提供する報酬は本来主人公に対する「自己完結した楽園」だったのにも関わらず、その領分から外れた「他者への救済」を報酬の一部に提供しようとしたので読者が誤認してしまった、という形になる。
でもあれだけ他の人が褒めてるという事は俺以外の読者だいたい誤認せずに読んでるんだよな……と思うと責任は俺にあり。
AIがAIでなく真実神であり、提供できるのがシミュレーションでなく本当の蘇生だった場合、主人公は母親の死の段階で挑戦を決意したのかな、みたいなことは少し考える。
ただ遺影持ってるのもセーラー服の女だったので主人公の家庭環境もどっこいどっこいで特段気にしなかった、という可能性はある。いや流石に考えすぎだわ。
・技術的特異点を迎えた後の存在が過去視点からの特異点を特異点と呼ぶことにすごい違和感あるんだけど俺は理系じゃないのでこの違和感が正しいか分からねえ……。
・今気づいたんだけど未成年を殺害しておいて三年以内に出所して娘を殺害する父親何!?
気付いたから書いたけどこれは本質的にいちゃもんであり、話にノれてればあまり気にならない部分なので別にいいです。
男同士はケアしないってる男、学生時代ろくに友達がいなかったぼっちだろ
YouTubeを見れば学生時代の友達と仲良くケアしあってる男グループなんていくらでもいるとわかる。お前の学生時代のクラスメイトだってケアしあってるんだよ。不良ヤンキーから灘、東大などのエリート集団、陽キャから陰キャまでまんべんなく存在してる。
ナンパ師になるなど性依存で病んでる場合のように女なら見捨てるだろうなってパターンでも男友達だからこそケアできてる例も多数。
ドラマ面白いし、ちょうど漫画アプリで無料になってたので読んだんだよ。
そしたら、「今どき特攻服姿なんて頭おかしいんじゃねーのか?」みたいなセリフが何度も出てくる。
ドラマの時代設定は現代(2020年代)だから当然としても、原作は連載始まったの2005年なんだよね。
その頃俺はまさに漫画の舞台と同じ千葉県で中学高校時代をすごしていて、同じ中学に普段から特攻服を着て暮らしてるヤンキーは普通にいた。
しかも、主人公の剛が住んでる千葉の南の方じゃなく、東京と隣接してる松戸でだ。
あ、あと作中に市松高校っていうヤンキー高校が出てくるんだけど、千葉には松戸市立松戸高校(一番有名な卒業生は俳優の阿部サダヲ)ってのがあって、地元じゃ略して市松って呼ばれてるんだよね。
正直まだ才能として自慢できるほどの物じゃないが、明らかに昔よりは伸びやすくなった。
なんだろう……ブコメに書き込む人間の価値観を理解した上で、そこから手慣れで打つ言葉から少し離れた物を書けるようになったのが結果につながっているのだろうか。
知能が高くなったとしてやることが増田なのか?
俺は100文字じゃなくて500文字や1000文字で文章を書くほうが好きらしい。
はてブが合わなくなったのは、俺が言いたいことを言うにはコメント欄が狭すぎたからなのか?
これは割りと正解に近づいている気がする。
どちらかというと100文字に収められる内容で議論ごっこをしようとした結果として起こる「早すぎる一般化」や「無駄な主語の大きさ」「決めつけ口調」「論拠を述べない言い切り」「解像度を極端に下げた世界観」などが肌にあっていない感じがある。
ただ、そういった「100文字が上限の世界」に長く暮らしていくと段々と世界が単純化され最後には「敵か味方かの世界」に堕ちてしまうのは事実なんじゃなかろうか。
自分はそのヤンキーじみた極めて広がりのない世界観が好きじゃなくて、それに自分がなりたくもないしそうなっている人にも近寄りたくない……この仮説はだいぶ近いような……。
なんだろうな……そう考えると100文字制限のはてブって自分にとって最悪で、連ツイや長文が出来る他のSNSと比べて圧倒的に相性が悪い気がしてきた……。
それでもはてなを今まで使ってきたのは「言いたいことが長いならブログでまとめて投げあおうじゃねえか」な文化があった頃の名残を引きずっているとかなんだろうか。
互助会の跋扈と怪しいセミナーの誕生とかではてなブログは滅んでしまったが、アレとはてなブックマークは切ってはいけない関係だったんじゃないだろうか。
とりあえず互助会文化に対してもうちょっとまともな整備を出来なかったはてな運営が悪いってことで……いやどう考えても互助会が悪いな……いやそもそも100文字上限がデフォなのがやっぱ無理があって……