はてなキーワード: ドラクエとは
先日出たパルワールドってゲームめちゃくちゃ面白い。Arkっぽいゲームをポケモンっぽいキャラデザでやってる。パルごとに寝てる姿や作業してるモーション全部違う…作り込みがエグすぎる…
めちゃくちゃ面白いけどポケモンに酷似したキャラデザにそれはどうなの?って批判する人がめちゃくちゃ出た。仕方ない批判だと思う。だって実際こいつ⚪︎⚪︎だろ、あいつ××だろってパルめちゃくちゃいる。
でもその批判に対しての反論や批判を冷笑してる人間が気持ち悪くて仕方ない。
特にパルワールドがダメならデビチルとかメダロットとかあれやこれやはどうなんだよ!って言ってる人間。
急にどうした???なんで急に頭も目も悪くなっちゃったんだ???????
お前はポケモンとデビチルとメダロットとドラクエが全部同じに見えてるの視力大丈夫か?急に解像度がプレステも64もXboxも全部ピコピコって言う爺さん婆さん並みになるじゃん!
子どもがクリスマスプレゼントにポケモンの新作頼んでドラクエ来たら泣いて喚くだろ(逆も然り)
コロコロ買ってきてって言ったのにボンボン与えられたら性癖捻じ曲がるだろ…
ポケモンが売れたから同じ年齢層を顧客と捉えて可愛いモンスターデザインのゲームがたくさん出たって話とパルワールドのあからさまなキャラデザパクリを同じ話にするなよ。批判に反論したいなら論点を逸らすな。デビチルやドラクエやメダロットにコイツポケモンの⚪︎⚪︎だろ!って具体的に名前が出るモンスター出てくんのか?(ていうかなんでこのラインにメダロットが入ってくるのかも謎。何も…何もかすってないだろ…強いて言えば2バージョン出てる事くらい)
パルワールドがウケてるのはゲーム自体が面白いのもあるけど明らかに元ネタが分かるデザインのパルに対してコイツルカ⚪︎オじゃん!ギャハハ!って盛り上がってるとこも確実にあるだろ
なんかこの…批判されてる対象を擁護する為に急に頭も目も悪くなるのアツギがラブタイツで炎上した時とかに見たな…どこがエッチなんですかあ〜?全然わかんなーい!これがエッチに見えるとかフェミの皆さん発情してるんじゃないですか〜?ってやつ。
めちゃくちゃエッッッッッチに決まってんだろチンコ死んでんのか?!????!???
コロコロではぷにるが連載してるので充分性癖歪むな…例えとして不適切でした。「ぷにるはかわいいスライム」はいいぞ…友達とは何か、恋とは何か、ホビーは代替品でしかないのか、に真面目に向き合ってラブコメしてる…なのにぷにるにエッチを感じてしまう…どうして…
結論から言えば、任天堂の偉い人たちにオンラインゲームの素養がない、もしくは、伝統的価値観への固執。
任天堂に限らず多くの日本のゲームメーカーは家庭用ゲーム機のソフトで成功してきた。
今でこそ大手も焦ってオンラインゲームを作り始めているが、13年くらい前まではオンラインゲームを作りたい人が就職する会社は外資を除けばソシャゲメーカーくらいしかなかった。
プレイヤー目線でみても、13年前の当時、PCでは既にオンラインゲームが成熟しつつあった一方で、コンシューマゲームは相当出遅れていた。
当時、ゲーム制作サークルの作知り合いの何人かゲームメーカーに就職していったが、彼らは皆コンシューマゲームに憧れ、それらを再生産したい願望を持っていた。
そうしたある種のエコーチェンバー化しやすい環境が、CC2松山さんのプチ炎上発言
https://note.com/wwise/n/ndf5b3d0b161d
を可能にさせるわけだ。
未だに「ゲーム=コンシューマゲーム」という業界なんだなと再認識させてくれる。
当然、そんな人達が集まっているわけだから、オンラインゲーム的なものを作ろうって機運にもなりにくい。
なので、第一の理由としては、作る人達のゲームに対する趣味嗜好が伝統的な家庭用ゲーム機的なものに偏りがあるだろうという説。
パルワールドというゲームが極めて奇抜なアイデアの組み合わせによってようやく成立するなら、まあ簡単には生み出せなかったよね、と言えるのだが、ポケモンの魅力が何かを理解していればパルワールドに近いものを生み出せる時間はいくらでもあった。
ポケモンの最大の魅力はそのペット的性質を持ったキャラクターにあり、この魅力を最大限に引き出すには、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」というゲーム体験に必然的に帰着する。
このことはみんな分かっていて、だからNINTENDO64の時代ですら、『ポケモンスナップ』『ピカチュウげんきでちゅう』など、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」体験を模索する試みがあった。
でも、2010年代に入っても何も動きがなかった。
3D技術やオンラインゲームの技術はすでに十分成熟しており、PCゲームでは家庭用ゲーム機に先駆けてオンライン対戦ゲームやよりリッチなゲーム体験ができるようになっていた。
ポケモンGOが出てきて、ようやく次の動きが来たかと思えば、これは任天堂が作ったものではなくIPだけ貸しているのだそうだ。
やり方や発想が、没落してゆくスクエニの姿と被っており、嫌な予感を感じさせた。
「今、バトロワが流行ってます。だから弊社の人気IPドラクエと組み合わせれば売れます」
「今、MOBAが流行ってます。だから弊社の人気IPポケモンと組み合わせれば売れます」
IPの切り売りが始まってしまったか、というか、それしかやることがないんだ、という残念感。
ポケモン本シリーズの方も、最新作でも未だに最大4人の協力プレイしかできないらしい。
なぜたった4人? 発想が通信ケーブルの時代から進んでおらず、基本的にゲームがオフラインに閉じている。
なぜ普通に、素直に、MMORPG的なオンラインゲームとして作らないのか。
なぜ未だにコマンドバトル形式を踏襲するのかも謎。それって全然ポケモンの本質じゃない。
ゲームボーイ時代はスペックの制約上あれしかできなかったが、3Dでグリグリアクションができる時代に何をやっているんだろう感。
こんな保守的なポケモンの最新作の出来を見て、誰がこの会社でポケモンをアップデートしたいと思うだろうか。
パルワールドの作者も任天堂にいたらしいが、きっとそんな思いで任天堂を去っていったのだろうと勝手に想像する。
もしこれが、子どもたちを野蛮なオンラインゲーム世界に染めさせない健全なブランドイメージのために、あえてそうしているんだとしたら任天堂は長期的に終わりだと思う。
ゲームの面白さの追求よりもブランドイメージの守ることを優先する会社が、ゲームの面白さを本気で追求する会社に勝てるわけがない。
知り合いの友達同士だけで遊ばせたいみたいな価値観の押し付けをとても感じるのだけれど、ゲームを本気で遊びたい人からするとマジで興ざめする。
仮にも、各家庭の教育方針は様々であるにもかかわらず、任天堂がその上限を勝手に決めてしまっているというこの不愉快さ。
ゲームはもはや子供をあやす玩具ではない。玩具という域を超えて、コミュニケーションのライフラインになっている人も多い。
20年とか40年スパンで想像力を働かせてほしいのだけれど、ゲーム上の世界についてどのようにリアリティを感じるか、何を楽しいと思うか、という価値観の長期的トレンド変化について真剣に考えてほしい。
それはある人の言葉を借りれば「コミュニケーションそれ自体が目的化する」価値観への変化。
ゲームに限らず、アニメなんかを見ても例えば「けいおん」では、友達がワイワイだらだらと過ごすだけの日常が憧憬として消費されている。
これは、コミュニケーションの基盤がリアルからオンラインへ移行し、その分リアルでの人間関係が希薄になることの埋め合わせと考えられる。
つまり、ある時期から、コンテンツ(とその周辺)にはコミュニケーション的な欲求が求められ始めた。
ゲームを楽しみたいという以前に、人々はコミュニケーション的欲求をゲームを通じて満たしたいと思うようになってきている。
パルワールドとは、そのような新しい欲望や価値観の中で生まれたオンラインゲーム体験がベースにある。
ゲームをあくまでも玩具と割り切って楽しむのか、それとも、ゲームをリアル世界の延長のライフラインの1つとして暮らすのか。
このような価値観の変化を任天堂の幹部らのおっさん達が、理屈でなく、体感として、自らの経験に基づいて理解できているのだろうか。
でも事実としてゲーム業界がシステムをパクり合って成長してきた歴史があるから。
絵柄はパクリ合ってきてない。
ドラクエ風のゲームがあっても、鳥山明風のゲームがないのは、明らかに法律を超えた倫理観が働いてる。
著作権の観点から見ればシステムも絵柄もアイデアにすぎなくても実社会はそういうふうに回ってない。