はてなキーワード: エイジアとは
必ず「マニア」の姫と「初心者(NHKの語学番組に出るお姉さんの語学スキル程度にプログレ好き)」の姫が両脇に座ってくれるシステム。
客「(超嬉しそうに)そりゃもちろん。某アニメのエンディングテーマにもなった『ラウンドアバウト』が入っているからね~」
マニア姫「よくご存じでらっしゃいますね。姉妹店の方には、そのアニメの話をしにお客様がいらっしゃって、途中でまったく会話がかみ合わなくなってお帰りになる、ということがしばしばございまして・・・。それはさておき、あの曲はイエスのシンボルですよね。あ、ところでお客様は「ブラフォード」派ですか?それとも「ブルッフォード」派ですか?」
客「ああ、例の論争ね。英語に忠実なのは分かるけど、ボクはやっぱり「ブラフォード」派だなあ」
マニア姫「承知致しました。当店初めてのお客様にはあと3つほどご確認させていただきたいことがございまして、まず1つめなのですが、ABWHはイエスに含まれますでしょうか?」
客「バナナはオヤツに・・・みたいな質問だなあ。もちろん、ABWHはイエスに含まれるよ。『ブラザー・オブ・マイン』大好き!」
マニア姫「ワタクシと同じで嬉しいです。もう1つ、『ドラマ』はイエスに含まれますでしょうか?」
客「あ~、やっぱりあれをイエスに含めない客がいるんだ・・・もったいない」
マニア姫「ええ、アンダーソン原理主義のお客様も多くいらっしゃって、迂闊に『マシン・メサイヤ』など流そうものなら大変な騒ぎになってしまうんです」
マニア姫「お察しの通り、『90125』はイエスに含まれるかどうかの確認でございます」
客「面倒な客が多いなあ。『ロンリー・ハート』イイじゃん。ボクはエイジアも大好きだし、「ポップなプログレ」、アリだと思うよ(どや顔で)」
マニア姫「ありがとうございます。ワタクシもGTR、大好きでございまして、お客様とポリシーが同じで大変心強うございます」
マニア姫「ところでお客様、最もお好きなイエスのアルバム、教えていただけませんか?」
客「おっと早速来たね。ま、こういうお店に来るくらいだからちゃんと考えてあるよ。『危機』と言ったらガッカリするんでしょう?フフフ、『海洋地形学』・・・と言いたいところだけれど、『リレイヤー』だね」
マニア姫「あら!私もあのパトリック・モラーツのキーボードの音色が大好きなんです。クラシカルなウェイクマンとはまた違うフレーズがクセになりますね・・・」
客「(ニヤけながら)そういうあなたの一番好きなアルバムは何なの?」
マニア姫「モラーツを褒めていて何なんですが、実はワタクシ、『究極』が大好きなんです」
客「『海洋地形学』じゃないんかーーーい!!!!!!!!(超嬉しそうに)」
マニア姫「毎朝『悟りの境地』を聞きながら亡き母に線香あげてるんですの・・・」
初心者姫「私、最近、『こわれもの』聞いたばかりの初心者なんですけど、『究極』って裸の男の人がジャケットのやつですよね。なんだかちょっと恥ずかしくて手に取れないんですけど・・・」
客「(超嬉しそうに)たしかにあのヒプノシスのジャケはねぇ。やはりイエスのジャケと言ったら・・・」
客「あー!!言いたかったのに~!(超嬉しそうに)」
客「ロジャー・ディーンのジャケットの中でも『リレイヤー』は白眉だね。それもあって『リレイヤー』がボクのベストなんだ(どや顔で)」
マニア姫「ワタクシもリレイヤーのLPジャケットを部屋に飾っておりますわ。その隣には『宮殿』も飾ってますの」
マニア姫「お客様、では、『こわれもの』の次は『リレイヤー』をオススメするということでよろしいでしょうか?」
客「おっと早合点しないでくれよ(超嬉しそうに)・・・次は当然『危機』でしょ? 問題はその次だね(どや顔で)」
マニア姫「そうですわね、ワタクシとしたことが失礼致しました」
客「『サードアルバム』、『リレイヤー』、『究極』、『ドラマ』、どれでも良いんじゃないかな?」
マニア姫「まあ!お客様。『海洋地形学』と『トーマト』の無視っぷりが漢らしいですわ。私もまったく同じ考えです!」
初心者姫「ありがとうございますぅ!」
客「ちなみにキミ、『こわれもの』の曲ではどれが一番良かったの?」
客「無益の5%!!!!!!!!!!!!!!!!!ブルッフォーーード!!!!」
・・・こっちも行きてえ!!
ネウロのアヤ・エイジアのことを思い出す。孤独でいるために友人を殺した人。佳く生きるためにはわたしにも孤独が必要なのではないか、と思う。どうも最近の自分は淀んでいる。静謐な水面みたいだった心は波打つようになり、深みを失って雑多な情動にあふれている。まるでただの人みたいだ、と感じる(わたしは何様なんだろう)。他者へは無関心を貫き自分のみを愛す生き方と、自分を嫌いながら他者を愛する生き方。そのどちらかを選ばねばならない、そんな気がしている。これまでのわたしは前者の生き方をしてきたわけだけど、それはたんにそういう他者が存在しないという消極的な理由によるものだった。しかし今はそうではない。だから、どちらの道をとるか自分の心で選ばねばならないところに来ているのだと思う。わたしだけを愛する生き方は、きっと多様な困難に満ちているだろう。けれどもそのかわり、わたしはわたしであるというトートロジーを胸に抱いて生きていくことが出来る。一方、他者を愛する生き方を選べば、大切だったわたしは大勢の中に埋没し、しかし人々とのつながりの中で安全に生きていくことが出来るだろう。どちらを選んだものだろう、選ばなくても良いのかもしれない。ぐるぐるぐる。よくわからない。
※このダイアリーは長文です
いきなりだが、次の一文を読んでみてほしい。
「私は世界でひとりきり」
さて、あなたはこの一文についてどのような解釈を持っただろうか。少し考えてみてほしい。
別に心理テストをしているわけでも何でもないのだが、自然に(1)の解釈を持った人は色んな意味で幸福な人生を歩んできて、今現在も歩み続けている人なんだろうと思う。少なくとも(2)の解釈を持ってしまうような人からすれば、そう思える。かくいう私は「ひとりきり」という言葉を聞いて「個性」よりも「孤独」を連想するタイプの人間である。
話は少し逸れるが、数年前まで週刊少年ジャンプで連載されていた「魔人探偵脳噛ネウロ」というマンガがある。知らない人のためにこのマンガをざっくりと紹介すると、「魔界から来たドSの魔人が女子高生を奴隷化して数々の難事件を解決していく」SMアクション謎ときマンガである。本能に忠実に従って爆弾を爆発させまくる主婦や直接注射すると筋肉ゴリゴリに変身できるスープを作るコック、自分でこしらえた家具を身体に装着して戦う家具屋など、常識の枠にとらわれない犯人が毎回登場することで少し話題にもなった。私は中学生のころジャンプを購読していたので、毎週このマンガを読んでいた。別に「魔人探偵脳噛ネウロ」が読みたくてジャンプを購読していた訳ではなく、「せっかくジャンプを買ったのだからついでに読んでおこう」程度の気持ちで読んでいたのだが、このマンガがあるエピソードに入ったとき(正確にはそのエピソードが終わった時)、私は強い衝撃を受けた。それは「こんなにも私の気持ちを代弁してくれるようなマンガがあるのか」というものだったが、その衝撃は今でも覚えている。人に「一番心に残っている作品は?」と質問されたとき、すぐに「魔人探偵脳噛ネウロ」と答えるくらいだ(作品自体がめちゃくちゃ好きというわけではないが)。
さて、猿のような中学生にそこまでの衝撃を与えるエピソードはどんなものかというと、以下のようなものである。
①探偵事務所に超有名歌手の「アヤ・エイジア」という人物が現れ、仕事を依頼する
②依頼内容は事務所で首を吊っていた彼女のプロデューサー・マネージャーへの警察による自殺判断の調査
③ネウロと主人公が探偵調査を行った結果、実はプロデューサーとマネージャーは自殺ではなく、他殺だった
⑤謎解き終了
私のミジンコレベルの要約能力では読者の方は恐らく何のことかサッパリ分からないと思うが、興味がある人は原作(2巻だったかな)をあたってみてほしい。
ここまで簡潔・適当に要約したのは、私が衝撃を受けたのはこの事件のトリックや謎解き、犯人ではないからだ。私が最も衝撃を受けたのは自身のプロデューサーとマネージャーを殺害したアヤの動機だった。動機については当日記の核心となる部分なのでもう少し丁寧に説明する。
アヤはある特殊な能力を持っている。それは「ある特性を持っている人間を、『歌』を歌うことで失神させる」というぶっとんだものである。では「ある特性を持つ」人間とはどんな人間かというと「自分は世界にひとりきり」と感じている人らしい。アヤによると、全ての人間の中の数%(正確な割合は忘れた)は先天的にこの特性を持っており、この特性はなかなか消滅するものではないという。そして、アヤ自身も「自分は世界にひとりきり」と感じる人間だった。彼女は「ひとりきり」であり、「ひとりきり」を完全に理解できたが故に「ひとりきり」の特性を持つ他人の脳に直接干渉・失神させることができたのである。彼女はこの能力を歌手としてフルに発揮し、数年のうちに全世界に名を轟かせる超有名歌手になった。
そんな彼女を影で支えていたのがプロデューサーとマネージャーだった。両人ともアヤがデビューしたての頃からアヤのことを親身に、時に厳しくサポートしており、アヤにとってはかけがえのない人物となっていたのである。しかし、彼らがアヤに近づけば近づくほど、アヤは「ひとりきり」という感覚を失ってゆく。彼らがかけがえのない人になればなるほど、アヤの能力は弱まり曲の売り上げも悪くなる。アヤは悩みに悩んだ結果、能力の消滅を恐れてプロデューサーを、その次にマネージャーを殺害した。2人が死んで「ひとりきり」の感覚を取り戻した後のアヤの曲は再び世界的に大ヒットするようになった。
孤独を感じない人間などいない。しかし、例えば恋人とデートしていても常にどこか心の中に相手のことを信じていない自分がいたり、友人とどれだけ楽しく話せていても心の中に高い壁があるように感じたり、家族と食卓を囲んでいるのになぜか他人と食事しているように感じたり…と、明らかに異常な場面・異常な頻度で孤独を感じる人がいる。少なくとも私は「ひとりきり」の人間だった。だからこそ、訳の分からないぶっ飛んだ謎解きマンガに信じられないくらいの衝撃を受けたのだ。今考えれば「中二病」と呼ばれる症状の一種なのかもしれないが、しかし20代中ごろを突っ走る今現在も、私自身の「ひとりきり」という感情は存在している。さすがにもう中二病は卒業していると信じたいのだが…。
私がなぜ数年前のマンガを扱ったこの日記を書くに至ったかというと、アヤと同じで「ひとりきり」の感覚を失いつつあるように感じたからだ。私はこれまで孤独とともに生きてきた。この孤独は常に1人であるという意味ではない、常に1人であるように感じてきたという意味だ(実際1人でいることが多いのだが)。1人でいると心が安定するので勉強や仕事も捗る。学生時代は1人でいたので受験には成功したし、そこそこの職に就くこともできたし、社会人になってからそこそこの仕事もこなしてきた。しかしここ1年ほどで状況が大きく変わった。職場でかけがえのない友人や心から尊敬できる上司と出会い、彼らとの交流を深めてゆく中で自分が「ひとりきり」でないように感じてきた。そして明らかに仕事の出来が悪くなった。きっと交友関係に無駄な時間を割いているからだと自分には言い聞かせている。
他人からすれば「ひとりきり」でなくなることは良いことだろう。しかし生まれてからずっと「ひとりきり」だと感じてきた私にとって、「ひとりきり」の感覚を失うことは自分自身を失うようでとても怖い。また、今はまだ問題の無いレベルだが「ひとりきり」でないことが生活にまで影響してきていること、さらに今後も悪化しそうなことも怖い。
もしこの日記を読んだ人の中でこのような精神病を知っている人がいればぜひ教えてほしい。
それにしても、私と同じように自分を「ひとりきり」と感じる人はどれくらいいるのだろうか…
ネイティブっぽいかどうかなんてことではなくて、ネイティブに「も」理解される発音を授業でやれって思う。
(できれば日本語ネイティブに無理の少ない方法で。文部科学省の人たちは、外国の例をまるごと輸入する手抜きみたいなことばかりせず、そういう研究にも資源をさいてほしいよ)
カタカナマンセーでも日本語風発音モーマンタイでもどうでもいいが、通じなけりゃ意味がない。「エイジア」を「アジア」と言っては、日本ツウでもなければまず通じないぜ。逆に、日本語読みでもわかる単語は、無理に強制する必要ないと思うよ(ジョン万次郎みたいな発音学習法は、結構面白いかもね。バリエーションそろえるのが大変だろうけど)。
個人的に「デワの守(欧米デワ...)」は大嫌いだな。どこかの国をリスペクトして英語を使っているのでもなくて、アジア人同士など特に、外国人と話をする道具として使っているだけなのに。文化や社会構造が上だの下だの英会話に関係ねえ、知るかって思う。
と、題名だけ非モテ論に首を突っ込んでみるよ。
さて今まで自分は「音楽はとりあえず何でも聴ける」人間だと思いこんでいたんだが、実は「音楽趣味がロートル」であったことが判明し始めた。だって今頃フュージョン(しかもT-スクェアとか)なんて聞いてたりするし、Napsterでエイジアやらヴァン・ヘイレンやらビーチボーイズを落としたりするしなぁ。チューリップなんてほぼ全曲落としたし(チューリップは全然聞いてないけど。いつかきちんと聴こう)。
そんなロートルなアーティストや曲やジャンルに惹かれ続けるせいで、恥ずかしいけど今のヒットチャートがどんなんなってるか全然わかんねぇ! 倖田來未を「でんだまお」って読んでたし(イヤ何年か前いたんだよ「でんだまお」って人が。漢字でどう書くのか失念したけど)。今でも倖田來未の曲はキューティーハニーのカバーしか知らない罠。
でもヒットチャートを知らないってのは自慢にはならないよなぁ。それでどうなるという訳ではないようなものなんだろうけど…