ネウロのアヤ・エイジアのことを思い出す。孤独でいるために友人を殺した人。佳く生きるためにはわたしにも孤独が必要なのではないか、と思う。どうも最近の自分は淀んでいる。静謐な水面みたいだった心は波打つようになり、深みを失って雑多な情動にあふれている。まるでただの人みたいだ、と感じる(わたしは何様なんだろう)。他者へは無関心を貫き自分のみを愛す生き方と、自分を嫌いながら他者を愛する生き方。そのどちらかを選ばねばならない、そんな気がしている。これまでのわたしは前者の生き方をしてきたわけだけど、それはたんにそういう他者が存在しないという消極的な理由によるものだった。しかし今はそうではない。だから、どちらの道をとるか自分の心で選ばねばならないところに来ているのだと思う。わたしだけを愛する生き方は、きっと多様な困難に満ちているだろう。けれどもそのかわり、わたしはわたしであるというトートロジーを胸に抱いて生きていくことが出来る。一方、他者を愛する生き方を選べば、大切だったわたしは大勢の中に埋没し、しかし人々とのつながりの中で安全に生きていくことが出来るだろう。どちらを選んだものだろう、選ばなくても良いのかもしれない。ぐるぐるぐる。よくわからない。