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2024-03-18

はじめてのおるすばん

小一の時、学校から帰ったら誰も居なかった

母親仕事で兄はクラブ活動

部屋には私だけだ

冷蔵庫には何も無かった、テレビを付けようかと

思ったけどこの時間は好きな番組がやってないし

つける気は起きなかった。その頃、我が家貧乏ゲーム機なんか無かったし暇を潰す様なおもちゃあんまり無かった。仕方なく天井を眺めていると、誰かがこちらを見てるような気がして

目を逸らした。目を逸らして気がついた

その静けさに

そうだ、ここには私しかいない

時間どこを歩いても私しかいないのだ

途端、外から聞こえる足音が怖くなった

台所で水が垂れた音が自分に近づいてくるみたいで震えてしまった

どうしよう、どうしようと自分のにおいがする

毛布を引っ張ってきてその中に身を隠した

だけど変わらず周りは静かで

静かで

静かすぎて不安だった

もう寝ようと思ったけど、こんな時にねむれない

目をつぶっても誰かが私を襲ってくるんじゃないか知らない内にとそう思うとねむれない

そうだ、テレビをつけて気を紛らわそうと

毛布を出ようとしたが、誰もいない部屋と目が合ってやっぱり出られなかった

すきま風が私を凍らせようとしていた

から足音とか車の音とかしたけど

毛布の中は冷えていくばかりで

涙が止まらなかった

気づいたら母親が帰ってきていて

毛布の上に掛け布団がかかっていた

それでもまだ涙が出てくるので

しばらく毛布に隠れていた私である

これが記憶にある中で一番ふるいおるすばん

記憶

2020-12-10

エロゲー歴史から考察するネットスラング地雷」の意味変化

ネットスラングにおいて「地雷」とは、かつてはエロゲー用語のことだった。私の知る限りでは二十年ほど前から使用されていた。

腐女子がよく地雷って言うけどさ。』

ttps://anond.hatelabo.jp/20201209101046

当時のエロゲーは一本8,800円が基本で、タイトル名とパケ絵とエロゲ雑誌わずかな情報だけで購入を判断していた。購入前情報作品クオリティ乖離が大きいこともしばしばで(端的に言ってクソゲーであること)、そうしたゲームを買ってしまうことを地雷を踏むと表現していた。次第にそうしたゲームのことを地雷ゲーム地雷ゲー、あるいは単に地雷と呼ぶようになった。アニメ地上波放送なら無料漫画ラノベは高くても1,000円なのに対して、エロゲー価格が8,800円と高額であり、しかも購入しなければ内容がわからないことから金銭的な損失のショックを地雷を踏むことに例えたのだろう。

地雷ゲームを防ぐにはメーカー名(ブランド名)や製作スタッフシナリオCGクレジット名)で判断をすればよい。しかし、新興ブランドの新作に対してはそうした戦略をとれないので、2ちゃんねる等の掲示板感想を見てから購入を決めることが賢い判断だった。だからこそ、地雷可能性があるエロゲーを予約するだの発売初日で購入するだのと宣言することは勇者として崇められたことだったし、感想が「〇〇は地雷だった」でもその情報は重宝されたのだ。

二十年ほど前のエロゲー業界では「はじめてのおるすばん」[2001年](以下はじるすと略す)が話題だった。発売元ビジュアルアーツ傘下のZEROというブランドであるが、ZERO製作スタッフ名を伏せて実験的なゲームを発売することが多く、内容がクソゲーであることもしばしばだったので地雷メーカーとも呼ばれていた。当時、国際NGO紛争地帯での地雷ゼロキャンペーンを推進していたので、それになぞらえて地雷ZEROなどと揶揄されていた。当然「はじるす」も発売前は目に見える地雷と評されていた。しかし、児童ポルノ法制定[1999年]から続く規制強化の論調に反発するかの如くに幼く見える女の子が18歳以上と言い張る公式ホームページによる紹介ページが大好評になり、エロゲー業界を超えた大きなムーブメントとなった。当時ネットサーフィン死語)をしていた人は、「はじるす」紹介ページのパロディを見たことがあるはずだ。この「はじるす」、想定を超えたブームによる品切れが続き、なおかつゲーム内容がおおむね前評判通りでもあったので(メインヒロインゲーム開始時に非処女であることに物議を醸したが)、地雷ゲーム汚名返上するほどの人気作となった。発売後2~3か月ほどは、「はじるす」を求めて各地のエロゲーショップ巡回する「はじるす難民」が続出したという。今日でのネットスラングとしての「難民」の意味は、きらら系の癒しアニメ最終回を迎えることによって、アニメによる癒しに強く依存したファンが新たな癒しを求めて彷徨うことである。「ゆゆ式」や「きんいろモザイク(1期)」が放映されていたころに「難民」の用語流行り始めたが、その元祖は「はじるす」だと思っている。

地雷意味が変化したきっかけは、同じビジュアルアーツ傘下のイージーオーから発売された「うちの妹のばあい」[2003年](以下、うちいもと略す)であろう。当時のイージーオーは知名度は低く大きなヒット作を出していなかったものの、シナリオCGシステムともに一定以上の品質を保持していたので、知る人にはある程度の評価をされていた。「うちいも」は発売前の公式ホームページによる宣伝に力を入れており、なおかつ当時は妹ものブームだったこともあって大きな評判となった。しかし、イージーオーは「寝取られ」のジャンルで知られるブランドでもあったので、古参ファンと何も知らない新参者との間で大きな議論を呼んだ。「イージーオーのことだから、また寝取られ描写があるのだろう」、「いや、公式情報によると妹との純愛しか見えないので、寝取られはありえない」という具合であった。結論を言うとバッドエンドルートでヒロイン寝取られがある。それも、ご丁寧に攻略ヒロイン全員分にだ。今でこそある程度の市民権を得た「寝取られ」だが、当時はまだ理解できる人が少なかった。純愛を望んだ多くのユーザーにとっては意図せずに「寝取られ」を見せつけられる結果になったので、作品としては不評や反感の意見が飛び交うこととなった。しかし、「うちいも」が「地雷」と呼ばれることはあまりなかった。と言うのも、「うちいも」は前作の「雨やどり」を超えるボリュームシナリオCG量があり、バグ不具合もなかったので「クソゲー」ではなかったからだ。シナリオの内容についても、分岐によってはハッピーエンドもあり、そちらでは「寝取られ」も無く概ね好評を得ていたので、作品全体は「地雷」ではないもののバッドエンドが「地雷」と評されたり、「鬱ゲー」と呼ばれるジャンルを好むユーザーからはむしろ高い評価を得たりもした。これが「地雷」の用語クソゲーを踏むことから変化して、ジャンルシチュエーションユーザーの嗜好と不一致することに対して用いられてきた最初の例だと思われる。ちなみに、イージーオーは「うちいも」の賛否両論騒動を受けて、公式ホームページで「純愛宣言」をすることとなった。内容としては、今後リリースするすべてのゲームで「寝取られ描写をしないというユーザーに向けての宣言であるしかし、イージーオーは失った評判を取り戻すことができず、ブランド解散することとなる。

次に「地雷」がキャラクターに対して用いられた例も述べる。エルフの「下級生2」[2004年]であるエルフは今でこそ解散してしまったものの、かつては老舗の有名ブランドであった。「東のエルフ、西のアリス」と呼ばれ、業界大手アリスソフトに匹敵するほどの人気があった。エルフは「ドラゴンナイトシリーズ「同級生」シリーズで知られるブランドで、エロゲーをやったことのない人でもタイトル名だけは知っていることだろう。昨年アニメ放送された「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も原作エルフにより発売されたエロゲーである。「下級生2」の発売当初はエルフの人気シリーズ続編ということもあって当然多くの期待と注目を浴びることになった。しかしながら、「下級生2」も「寝取られ」(正確には寝取り?)が原因で不評を買う結果になってしまった。メインヒロインの「柴門たまき」は主人公の幼馴染だがゲーム開始時点で医大生の彼氏持ちという、学園もの恋愛アドベンチャーとしては斬新な設定であった。「たまき」を攻略することは、彼氏持ちの女が幼馴染の男(主人公)と二股デートをすることと同義でもある。そして攻略を進めると「たまき」は二股がバレて彼氏に捨てられることになる。その後もシナリオを進めると、主人公との情事を重ねる際に「たまき」は医大生と肉体関係を持っていたので非処女である告白するのだ。そのうえ、「たまき」は情事の内容をいちいち元彼氏と比較をするのだ。ゲーム序盤では、「たまき」は主人公の幼馴染でクラスのマドンナ的な存在として描かれていたにもかかわらず、その本性は性悪ビッチ女だったという展開にピュア童貞エロゲーマーの精神が耐えられるはずもなかった。激怒したエロゲーマーは、エルフファンクラブを退会しゲームディスクを真っ二つに割った画像をアップした。これが「たまきん事件」の顛末である。「下級生2」が「地雷」と呼ばれたことはもちろんだが、それと同じくらいに「たまき」も「地雷」と評された。これがゲームではなくキャラクターに対して「地雷」が用いられた最初の事例かと思われる。

ちなみに、00年代中頃になると地雷ゲーム呼称はあまり使われなくなってゆく。その理由としては、体験版公式ホームページによる情報公開が進み、発売前からある程度内容を推測できるようになってきたからだ。さらに、アリスソフトの「妻みぐい」[2002年](定価2,800円)を契機に廉価ゲーム流行って、エロゲーは一本8,800円という常識が崩れたこともある。それにより、新興ブランドクオリティ不明エロゲーを8,800円で発売することもなくなったので、エロゲーマーが地雷を踏むことも無くなった。次第に地雷ゲーム言葉は廃れていった。さりとて、クソゲーが消えたわけではない。クソゲー愛好家の間ではHYPERSPACE(通称:超空間)というブランドエロゲーは有名だが、「地雷」ではなく明らかな「クソ」なので地雷ゲームと呼ばれることはなかった。

なぜ「地雷」の歴史を長々と述べたのかというと、冒頭に述べた増田にて、同人界隈で腐女子地雷という言葉を用いることを知ったからだ。今でこそ「地雷」は「下級生2」の例で述べたように、キャラクター人物に対して用いられるのが常である実在人物においては、合コン相手交際相手風俗嬢などに対して使うことが多いだろう。しかし、腐女子同人作品の受け入れられないジャンルカップリングなど嗜好の不一致という意味で用いているのだ。これは「うちいも」における地雷用法と同じである。そうした観点からみると腐女子が用いる「地雷」はむしろ原点回帰と言えなくもない。そうした意見を述べてみようかと思った。しかしながら、エロゲーとは関係ない文脈で「地雷」を用いている場で長々とエロゲー歴史を語っても尋常者は嫌悪するだけとなるので、ツリーに表示されないようにh抜きでURLを張ってこのように長々とした文章を描いた次第である

私は「地雷用法本来意味に立ち返るべきだと言及するつもりなど毛頭ない。ただ単に、インターネット黎明期の頃から続くネットスラングが用いられた当初の時代雰囲気を主張したくなっただけである。かつてネットスラングエロゲーマーをはじめとしたヘビーなインドア男が生み出すのが常だった。インターネットは、現在のようにWi-Fiで楽チン接続するのとは訳が違った。高額で場所の取るデスクトップPCを用意し、プロバイダ契約にも金を払い、様々な配線を床や壁に絡ませて、頻繁にフリーズするWindowsで面倒なインターネット接続設定をする。このような芸当は、注ぎ込める時間と金の全てを家の中で消費するヘビーなエロゲーマーにしかできないことだ。手間暇をかけて接続したインターネットの利用方法はもちろんエロゲー情報収集である。だから、当時生まれネットスラング現実では全く使い道の無い言葉となるのも当然のことだった。逆に、現実言葉エロゲーマーにとっては違う意味を持つこともある。2007年に月探査衛星の「かぐや」が世間ではニュースになったが、当時Googleで「かぐや」と検索するとエロゲーブランドの「アトリエかぐや」が最上段に表示されるというありさまだった。今では到底信じられないことかもしれないが、もしも日本インターネット文化構成したのが引きこもりエロゲーマーばかりだったらというおぞましい現実が、インターネット黎明期実存していたのだ。

もちろん私もヘビーなインドアエロゲーマーだ。しかし、エロゲーから離れてもう十年以上も経つ。エロゲーとはもはや無関係の私が、「地雷とは元々エロゲー業界で用いられてきた言葉で…」などと述べたところで、誰の代弁にもならない無意味な話にしかならない。GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と演説したが、その言葉を借りれば「エロゲーマーは死なず、ただ消え去るのみ」と言ったところであろうか。しかし、職業軍人とは違い私はただの一消費者に過ぎず、しかもその趣味現実世界では誰にも公言できないので、演説どころかこのような匿名ブログしか述べることができない次第だ。それに、こうして長文を書くこと以外に自身エロゲーマーであったことの証明ができないので、もはや消えていたも同然だ。

エロゲーマーは死なず、とうの昔に消え去っていたのだ。

2018-10-09

anond:20181009091235

わたしが初めて萌え絵というもの認識したのは、二十年前です。「はじめてのおるすばん」というえぐいエロゲーキャラを見せられたのです。

そもそも、ここが間違いなんだよ。

エロ絵を見せられて、これが萌え絵だよと。教われば、 萌え絵エロ絵になるのは当たり前。

2015-05-13

創価学会っていつからエロゲー認めたんですかね

某人気女性声優さんが裏でバンバン出演されてますよね。

でも昔、はじめてのおるすばんってエロゲー小児性愛者が増えるから禁止しろって

率先してエロゲー規制を進めて来たじゃないですか。

それなのに今更認めるなんておかしな話ですよ

2010-03-12

「先にルールを破ったのは誰だ」──非実在青少年正法のはなし

2年くらい前までどっぷり「成人向け」のジャンルでつくる側の仕事をしていて、今回の騒ぎについて思うことがあるので書いてみる。

自分エロゲを、まぁ2本、それと数え切れないほどのエロ雑誌をつくってきた。雑誌のほうは風俗モノからいわゆるロリマンガまで多種多彩。ある程度、何が売れるかもわかっているつもりでやっていた。

そんな自分から見て、まず思うのは、最近の一般マンガ誌はひどいな、と。「○○がエロすぐるwww」なんて草生やしてる場合じゃないな、という思いがある。

早い話が、「エロトピア」や「快楽天」より「チャンピオン」がエロかったら、それはいけないことだと思うんだ。表紙に「18禁ですよ」と書いてあって、最近じゃシール留めもしてあって、そのなかに初めてエロというのは存在すべきものだと思うんだ。そういう、自分たちの仕事に対する後ろめたい気持ち、良く言えば、慎み、を持って、少なくとも自分仕事をしてきた。

たとえばもう10年近くまえになるけれど、「はじめてのおるすばん」というエロゲが発売されたことがあった。双子少女といっしょにお留守番をしながら、少女たちにエロいことをしたり、されたりするゲームだ。しおりとさおりの姉妹体操服にブルマだったり、パジャマだったり、もちろんハダカだったりするわけだが、誰がどう見たって完全に小学生なのだ。だけど、このゲームは一切の規制を受けなかった。それどころか、最近でも続編が発売されている。なぜなら、メーカー彼女たちを「18歳以上です」と言い切ったからだ。

エロの発信者たちはそうやって、自分たちがニッチを相手に商売していることを自認しながら、社会ルールと折り合いをつけて生きてきた。バカだと思われても構わない、少女を描くならそれが「18歳以上である」と言い張り続ける努力をしてきた。そこにエネルギーを使ってきたし、レイティングによって客層が限定されるなら、その限定に甘んじてきた。それ以上の層に(つまりは18歳未満の層に)自分たちの商品を提供しない、という枠の中でしのいできた。そこには明確な棲み分けがあったはずだ。

先にルールを破ったのは、出版不況とやらにあえぐ大手出版社少年マンガ誌ではなかったか。

エロ業界が必死に言い張ってきた「この娘たちは18歳以上だ」というバカバカしい主張をスッ飛ばして、彼らは「こどもですよメコスジですよ赤貝ですよ」と、そういうものを流通に乗せてきた。魔法少女だから、人間じゃないから、少年誌のなかで少女のマンスジや顔射を描いていいなんて誰が言ったんだ。

エロ屋のつくるものはエロくて当たり前だ。だからオレたちは知恵を搾った。血尿を垂れ流しながらドラマをつくった。「オレたちの表現は自由だ」と、そう自分たちに言い聞かせながら大手に対するコンプレックスを飼い慣らして、仕事をしてきた。

ところが、大手がタガを外した。言い訳を考える手間すら費やさずに、コンビニにマンスジを並べた。小さい弟も大きいお兄ちゃんも、それに群がった。規制の話が出るのは当たり前だ。

表現の自由なんて声高に叫ぶ前に、考えなきゃいけない。先にルールを破ったのは誰だ。本当に自由を、文化を、殺そうとしているのは誰だ。「非実在青少年」なんて意味も味気もない日本語を生み出した元凶は、いったい誰だ。

ルールがないことと自由とは同義じゃない。エロ世界でも優れた表現や作品は数え切れないほどあるし、たとえ優れていない作品がそれ以上に存在していたとしても、それでも世の中の多くの男にはエロが必要なんだ。誰かの尻馬に乗っかって批判のための批判を叫ぶよりさきに、考えることがあるんじゃないか。ユーザーのために、オレたちは仕事をしていたんじゃないのか。

2008-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20081211160750

1999 DARCROWS

2000 Bible Black

2001 はじめてのおるすばん

2002 DISCIPLINE

2003 MapleColors

2004 戦乙女ヴァルキリー

2005 幼なじみな彼女

2006 牝姫の虜

2007 娘姉妹

2008 超昂閃忍ハルカ

ゼロ年代

 
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