はてなキーワード: 運営されるとは
定時には気が乗らないからダラダラやって残業する、有休も上司の顔色を伺って消化しない、飲み会にも参加しない出世に響くから必ず出席するとかなんとかいろいろ。気持ちはすっげぇよくわかる。
そんなのおかしいと声を上げる人たちがいる。その人たちだって、周りと違う行動をすると白い目でみられる。そんなことは知っているんだけど、責任感からそれをしないだけなんだ。その人たちの責任感の結果、いろんなことが進んでいく。すこしづつ仕事が変わっていく、よくなっていく、と信じて、責任感を発揮している。君からしたらその責任感はばかばかしく見えるのかもしれない。しかし、組織が運営されるのはそのおかげだということは理解してほしい。
「カネや支配欲」ってのは、わりと「分かり合える価値観」だと思うのよ。
だから、組織運営として利益相反が無いように調整するってことが可能になる。
ところが「良いことをしたい」なんて、超ぼんやりしたクソみたいな価値観で運営されると
利害関係の調整やら実務上の割り振りなんかが全然できなくなるのね。
ある意味、どんな組織であれ「カネや支配欲」で運営するのが一番マシだったりするよ。
独善的な善意に燃える経営者、よく見かけるでしょ。ああなっちゃ御仕舞い。
その辺わかってないバカはNPOだろうが会社だろうが運営できないもんです。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6105363
397 :ソーゾー君:2014/01/30(木) 16:13:21 ID:olLgrZH.
それ読むと「正解のない問題を出して裁量判断で合否を決めます」と言ってるな・・
やりたい放題になるな・・
国立大学を解りやすく言うと「国民の税金で運営される役人の私的機関」で有る。
議会=国民に人事権も経営者も有りません・・利益は役人のポケットです。
そしてシンヨーまたは懐疑は「役人=国民だ!」と屁理屈を言うのかな?
民主主義=十二項目を否定して中国や北朝鮮のように官僚主義で行くのか?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
http://anond.hatelabo.jp/20130223193210を読んでも、この人が死刑に「賛成する理由」はさっぱり分からない。
そんなオレが、死刑賛成派の考える「死刑の合理性(あるいは正しさ)」とはどのようなものか?について考えてみた。
→ 確かに、死刑が執行されれば「再犯率」はゼロだ。だがこれは、「死刑が生んでいる犯罪」をカウント対象としていない。死刑の根底に「目的があれば殺人は許容される」という思想がある以上は、死刑が間接的に殺人者を生み、「別の人間による殺人など凶悪犯罪の再生産」を生んでいる可能性を明確に否定できない。
→ これに対して「死刑がない場合に増える犯罪をお前はカウントしてないではないか」という反論が想定されるが、過去、死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない。一方「死刑になりたくて無差別殺人をやった」とうそぶく殺人者は多い。たとえば下記。
2013.2.21 産経新聞より
「死刑になりたい。生きるのがいやになった」。死刑が執行された金川(かながわ)真大(まさひろ)死刑囚(29)は1審判決前の平成21年6月、水戸拘置支所(水戸市)で産経新聞の取材に応じ、早く死刑に処されたいという心中を吐露。「自殺はどんな方法であれ、自分の体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と話し、最後まで反省の言葉はなかった。…
2「コスト」
→ 無期懲役で囚人を何年も養うためにお金をつかっていられない。死刑にすれば金がかからない、と思っている人は多い。しかし、「死刑 コスト」で検索をかけてみれば分かるが、死刑制度があるせいで社会に多大なコストがかかっているという面もある。「コストが高い」ことを理由の一つとして死刑制度を廃止する国や地方もある。
米国では、死刑復活が認められた1976年以降、今年9月末までに計1228人が処刑された。先進国の中では最も多い数だ。それでも、死刑をめぐる論戦は、司法や立法の場で続いている。
その中で、最近新たに浮かび上がってきた論点が「コスト」だ。死刑を維持した方がコストがかかる、というのだ。
米国の50州のうち、死刑があるのは35州。76年以降、2州が廃止した。2007年に廃止したニュージャージー州では、コスト論が決め手の一つになった。…
3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情」
→ これは明確に虚構。無期懲役について調べれば分かるが、日本の「無期懲役」は、海外の「終身刑」とほぼ同じ基準で運用されている。「懲役200年」とか、ばかげた数字を付けないだけで、単に「いつ出られる」とも出られないとも本人には示さず、しかし、いつまでたっても仮釈放が認められない囚人は存在する。
参考:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091211882686.html?_p=all
4「復讐」
→ これは、唯一「感情的には」理解できる。あくまで「被害者と感情的に強い紐帯で結ばれた人間」が抱く感情として、「復讐」は、古今東西を通じての極めて強い人間的感情だからだ。理性を社会の基盤としてない時代や社会の下で「死刑廃止」を主張し実現するのは無理だろう、とは自分でも思う。だが、近代以降の社会において、なお、このような強い「感情」を社会の運営の基盤に置くのは危険過ぎる。「感情」を無視して社会が運営できるとは思わないが、「感情」を理性によって克服しようと努めてきたのが、過去100年の世界の歴史であり、現代社会は、そのことを無視して後戻りする状況にはない。
→ もちろん、「日本社会は、現実問題として理性を基盤とした社会ではないから、死刑存置はやむを得ない」という主張には、それなりの説得力がある。だが、それはあくまで「現実論」であり妥協であって、思想として死刑制度に賛成するか否かということとは別のことだ。この点に基づく死刑賛成派は、自分が「死刑のある社会が理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、それとも「今の日本の社会の下では死刑存置はやむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか、再度自問すべきではないか?
なお、元増田が書いている「国家による殺人」に関することは、サラッと流せる話ではない。国家に自国民を殺す権利はあるのか?について、元増田はどの程度、思考を巡らした上で書いているのか?
では、犯罪者は「犯罪者」だから殺していいのか? では、「犯罪者か否か」は誰が決めるのか。国家だ。つまり国家にとって死刑制度は「殺したい国民を殺せる」手段だということになる。
元増田は「国家は国民が運営してるんだから、いいじゃん」と思っているのだろう。つまり「国家が国民のためにならないことをするわけないよ」と思っているのだろう。平和な考えで、大変結構だ。しかし残念な思い込みでもあると申し上げておこう。
申し訳ないが、オレは単なる「システム」に、そこまで全幅の信頼はおけない。システムはただの「道具」に過ぎない。それを使う人間によって、善なる結果も悪なる結果も引き起こす。従って、システムは、多少危うい人間がそれを握ってもヒドイ結果は引き起こさないように設計する必要があるのだ。元増田が、いかなる政治思想を支持しているかは知らないが、自分から見て全く反対の政治思想が流行し彼らが政権を握ったとき、自分が「粛正」される側に回らない自信は本当にあるのか? それとも「常に強者にすり寄る」主義であるか。それでも、コウモリ的存在は、いつなんどき「裏切り者」として粛正されるか分からないわけだが。
以上の観点から、オレは「可能な限り近い将来に死刑は廃止すべきだし、そのために、一日も早く日本社会が感情よりも理性で運営される社会となるよう、関係者は努力すべきだ」と思っている。
495 ソーゾー君 [] 2012/05/02(水) 12:18:39 ID:WbuBRWccO Be:
塩屋?富永?3股?…で?
そんな情報必要か?俺達の稼ぎを奪って運営されてる通信社がなにやってんの?
全て有料化します…広告主=資産家の為の通信社は必要有りません…
広告料で運営される通信社禁止になれば極悪機関「電通」も叩き潰せるから一石二鳥ですね。
やらなければならない事=プラン=十二項目
①「企業広告禁止=マスコミ=テレビ、新聞有料化」②「非課税団体の課税化」
③「農家・林業・漁業の戸別補償制度」④「税の簡素化=一元化=年金・健保の一元化(税制改革)」
⑤「役人の選挙権剥奪と政治参加活動禁止」⑥「天下り禁止」⑦「特別会計廃止」
⑧「宝くじ競馬パチンコ等のギャンブル・風俗・罰則金は全て国営化=利益は全て国庫に入る」
⑨「国債は必ず日銀が最初に引き受け国債=日銀が発行する数字にする」
⑩「銀行全て国営化」
⑪「株の利益配当の廃止(経営権は認めるが従業員が50%必ず保有する仕組みにする)」
⑫「役人の監督機関(公安委員会等々)を立法府の人間が行う又は人選する」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
http://anond.hatelabo.jp/20111017150724
とても勉強になった。
千冊処分するために、千冊それぞれ個別に起案を出さんといけないとか、ありえて嫌だ。
ホントにご苦労さまだよね。でも、日本はこれから超高齢化社会だ。つまり「知識はあるけど、稼ぐのに時間を使う必要の無くなった、目利きのご老人」がたくさん居る社会になる。「稀覯本探検隊」を結成して、各図書館に突撃。廃棄処分が決定している本の中から、1週間で稀覯本を探し出す。その本を譲り受けるのに必要な書類を探検隊が用意し、サインと判子で譲渡終了。受け取った本は私設の「稀覯本図書館」に持っていかれる。重複する図書は売り出されて、売り上げで図書館が運営される。
って、事業モデルじゃダメかなあ? 私自身は品物としての本の価値はわからないけど「貴重な文化遺産」ってのはわかる。保存できるのならしたいよね。