はてなキーワード: 斉藤さんとは
やりとりを見ていると、斉藤さんは鬱病やメンタル系の病気では無く、境界性人格障害のはずだ。
にも関わらず、いきなり警察に通報したのが、出会って間もないコウモリさんであり、物事を大きくさせるかのような彼の行動に違和感を感じないだろうか?
斉藤さんの奇行が派手に語られているので、見失いがちだが、コウモリさんもまた重い病を持っていると思われる。
私は直接コウモリさんと接点は無いが、これまでのはてなでの行動(参謀本部への雇用、ナンパとプロポーズ、ブログ反論や内容、今回の積極的な通報、暴露)内容は、やはり常軌を逸しており、恐ろしいのは現在、はてな内でそれが常人の行動として肯定されつつあるということである。
コウモリさんの暴露記事は真実のエピローグではなく、彼が作る物語のエピローグであり、本来は彼ではなく第三者が語って初めて事実となる。
私達は、藪の中に居る。
なぜ、自殺行為を繰り返している訳でも無い、数ヶ月かそこらの知り合いに対し、警察に通報、はてなで逐一報告し、嬉々として暴露までするのか?
自分自身を偉大な人物や同情すべき「可愛そうな人」に見せるためにサイコパスが使う技の一つが嘘をつくことです。サイコパスが非常によく嘘をつくのは、自分のした事が結果的にどういう事態を招くかということに恐ろしく鈍感で、しかも他人を操りたいという衝動が強いからであると考えられます。http://www.psy-nd.info/character/tellalie.html
で、これにあてはまるなって感じたのは、「プロミスで100万円借りた思い出]」という記事。「がんになった嫁と離婚する」と宣言したら、ネットで非難轟々。ネット上での斎藤氏への支持がゆらいだかのように見えた。そこで
私は鬱で精神的に限界で、しばらく療養したほうがいいと思うから、その期間だけ代わりに何か仕事を探してくれないか妻にお願いしたことがあります。妻の答えは、「翻訳の仕事がいつ入ってくるか分からないから週2のパートくらいなら」という話でした。翻訳の仕事は妻の夢なので、いくら仕事が入らないからといってこれを否定すると妻に泣かれてしまいます。でも、結局、年齢制限もあって週2回という都合のいいパートの仕事は見つかりませんでした。欝で退職してばかりで絶望的な気持ちになっていた私にも、請求書や家賃や妻の生活費の支払期限が迫っていました。プロミスで100万円借りました。 あの時は本当にもう失意のどん底でした。妻には家庭を支える覚悟がないんだなと思いました。 これは私からの視点で、妻には別な視点があったのかもしれません。 あれがターニングポイントだったな。ということで、こういう話は犬も食わないのでおしまい。 離婚したら結果をご報告します。
と書いたんじゃないか。これだけ読めば「依存的で無責任な嫁」と読めなくもない。けれど、この記事はおそらく嘘だろう。
というのも、「鬱で退職したばかり」「プロミスで100万円借りました」と書いてあるが、無職ではプロミスでお金を借りられないからだ。サラ金といえども、無職の人間にお金を貸さない。斎藤氏が職業・収入についてウソをついていない限り、プロミスでお金を借りることはできないはず。ましてや100万円なんて、絶対に無理。
でも、妻が働いてくれないから借りたとある。うーんやっぱり「困窮しても働かない嫁」というネガティブイメージを嫁になすりつけて、自分の評判を回復しようとしたとしか思えないんだよね。
次に、「ヤバイなぁ…」と感じたのは「株式会社参謀本部では何の仕事をやっているの?」この記事。この記事を読むと、株式会社参謀本部では、「大手出版社サイトの開発」「レコメンドエンジン開発」「アドテク向けDSP開発」「携帯決済システムの開発」「自動車用品の販売管理システム」を手がけているらしい…僕はSIerで働いたことがないから確たることはいえないけど、これってかなり工数かかるんじゃないのかな?
とてもじゃないけど、参謀本部の社内環境で手がけられるボリュームと思えないんだよね。スタッフの告発を見ると、常勤スタッフはほぼおらず、みな気が向いた時に働く在宅ばかりだったようだ。それで、このボリュームの案件って手がけられるの?もし、本当にこれだけ沢山の案件を手がけていたのなら、スタッフの賃金が払えないってことにはならないのでは…あるいは、やっていたとしても、下請けの下請けの下請けレベルで「大きな岩に指先だけ触れてた」的な関わり方とかじゃないのかな。
ここらへんは中の人の話を聞いてみないとわからないのだけど、どうなんだろう?正直、信じられない。
はてな村に現れた狂戦士こと、アンビバレント女々さんの件でも、「自分を偉大な人物に見せるためのウソ」らしきものがあった。
memeさんのいる大阪に直行し、斉藤さんにまったく気がないmemeさんへさんざんアプローチをかけたあげく撃沈。memeさんにその様子を面白おかしく書き立てられ、はてブ民にも「これはあかん」と呆れられた直後に、
オフレコを守りますが、いざという時は認知します
と、男女の関係を匂わせる記事を書いたよね。けれど、memeさんはtwitterで
otsuneとはしたし、斉藤さんとはしてへん
と書いている。まぁ、この件は登場人物全員クレタ人みたいなところがあって、誰を信じていいかわからないんだけどさ…memeさんの書きぶりから、斉藤さんと男女の関係になったとは考えにくいんだよね。自分のネット評価を守るためについたウソなんじゃないかなぁ…と。
私が斉藤を叩き続けた甲斐もあってブックマークコメントには厳しい意見が多い。
これがもし私が斉藤を見逃して好き勝手をやらせていたら、今頃この記事のブックマーク数は2倍、ブックマークコメントには斉藤賛美(「斉藤さんお疲れさま!」)があふれ返っていたことだろう。
自分のやんちゃな下半身を棚に上げ、がんの奥さんを放っぽり出そうという男がなぜか感傷に浸っているその姿は醜悪・下劣・無責任の極地にあるが、
昔からサイコパス(はしご?とかいう女とか)に甘いはてなーは、こういう人間にすぐに惚れこみ甘やかそうとするので、私がいちいち頑張らないといけないのである。
私の頑張りもあってか、はてなの空気は動き、斉藤を全肯定するような風潮は無くなったのである。
ともあれ、今回の離婚は一応は円満離婚のようであるが、奥さんの心中が本当はどうなのかは誰にもわからないし、ああいったツーショットを載せるというのは
うがった見方をすればアヘ顔ダブルピース(同意してるって見せろ!望んでいると見せろ!)をさせているとも取れるし、やはり私の斉藤への嫌悪感・疑念は募る一方である。
私にできることは、今後も斉藤を監視し続け、斉藤の発言の整合性・矛盾を考察し、また斉藤の毒牙にかかりそうな女性が居れば、それを未然に防ぐことだけである。
斉藤とリアルで関わっている斉藤の会社の社員たちは全然頼りにならなさそうなので、斉藤から女性を守れるのははてなーしか居ない。
みんなで今後も頑張ろう!オー!
齊藤貴義 https://twitter.com/miraihack
はてなブックマーク - 12年間つきあった妻と火曜日に別れます - はてな村定点観測所 http://b.hatena.ne.jp/entry/www.open.sh/entry/20141005/1412474056
(文:masudamaster)
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ガッチャマンクラウズを一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。
スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。
SFとは未来のプロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。
新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。
ガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、
その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。
この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。
バーチャルリアリティもアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。
LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形も必要ない。
それにソーシャルゲームの最新型はアバターなんかで稼いでいない。
ツイッターっぽい画面やYoutubeっぽい画面、ニコニコ動画っぽい画面も登場するが、
すべて現実のマネッコでしかなく、そこにその先を行く想像力は存在しない。
しかし、現実の最新型はグーグル・グラスであり、ツイッターやアバターはもう終わりを遂げようとしている。
バカゆえに空気を読まない発言や行動で、物事の本質を突くというものだ。
「視点を変えれば世の中面白い」なんて手垢にまみれた主張であり、
「○○っす」「○○っす」ってうるせえんだよ、黙れ。
同じテーマを持つVOWの方が、見せ方ははるかに洗練されている。
ほかにもGALAXの夢想するSNSの繋がりで世界を変えよう、だなんて
昔懐かしい「ウェブ2.0」の主張とおんなじだ。
GALAXの開発者は『ウェブ進化論』でも読んだに違いない。7年前の本だ。
この主張の古臭さはもちろん、その危険性も私たちは「パーナさん」で知っている。
『ガッチャマンクラウズ』はネット上で感想があがり、盛り上がりを見せた。
その中の人たちは「クラウズ論壇の誕生だ」とか言ってはしゃいでいる。
彼らの名前を見れば、どういう層にクラウズがウケているのかがわかる。
クラウズを褒めているのは「Hatena」に生息する批評家ワナビーたちであり、
「一時期の東浩紀のマネ」とは何かというと、アニメを通して社会を語るというスタイルである。
アニメの一部分を取り出して、「○○は××を象徴している」という論評の仕方だ。
これをすると、アニメを見ているだけなのに、社会も語れて頭がいい気分になれるので、非常に人気がある。
例えば、「エヴァンゲリオンは現代社会の生き辛さを象徴している」とか、そういう語り方だ。
そういうスタイルの人たちには、ガッチャマンクラウズほど語りやすいものはない。
「ゴテゴテに化粧した男の娘は、SNSやアバターで着飾る現代人の象徴!」
「ガッチャマンを助ける一般人は、ソーシャルメディアで助け合う現代人の象徴!」などと何とでも言える。
スタッフがあらかじめ社会現象を反映させようとして作っているので、とても読み込みやすい。
そうやって用意されたものを読み込んで「俺って頭いい」と興奮している、そんな印象だ。
東浩紀自体は、そういう見方をやめてしまっている。彼の関心は政治であり、原発だ。
そういうアニメ批評、漫画批評が盛り上がりを見せたのは2000年代の中盤だけで、もう終わった。
しかし、現実の問題は語れないくせに、「現実を語りたい欲」だけがある人間が、この読み方をし続けている。
いわば「東浩紀フォロワーの残党」たちがごちゃごちゃ言い合っているだけなのだ。
彼らがごちゃごちゃ言っている間に、現実はもうはるか先に行っている。
アバターは廃れたし、不特定多数と不用意に繋がる危険性を、私たちは知っている。
ガッチャマンクラウズは『東のエデン』を引き合いに出されることが多い。
確かに作りは似ている。どちらも現実の社会問題やガジェットを取り入れてドラマを作っている。
しかし、今の時点でいえば、ガッチャマンクラウズは現状追認で終わっていると言えよう。
『東のエデン』にはまだ「東のエデン・システム」という現実の先を行く想像力があった。
しかし、ガッチャマンクラウズにはそれがない。
ガッチャマンクラウズよりも現実の方がはるかに新しい。
私たちの目の前で起きている現象を観察すれば、
ガッチャマンクラウズなんか見る必要ない。
こんなの見るくらいなら、『アキハバラ電脳組』でも見た方がマシだ。
(追記:8/30 21:40)