2010-08-21

小さい頃は神様

嫌いだった。不思議に夢を叶えてくれたなんて笑止。

【神】の話を聞くときはいつも嫌悪感があって、

ムズムズしてきて、嫌な感じで、身の置き方が分からなくなるからだった。

  

なぜだろうか?

  

大人は子供に【嘘】をつくのは良くないと教える。古今東西に残る教訓話はその為のものだ。

そして子供は寝物語から無意識にそれを刷り込まれている。

自分が嘘ついたらこっぴどく叱られる

  

な 

  

世間は【神という嘘を黙認してる】から嫌悪してた。

【大人は神の存在を許してる=みんなそろって嘘をついてるから】神が嫌いだった。

  

「なぜ助けてくれるの?」「助けてくれるっていう保証は?」「その存在を誰が証明できるの?」

【あまりに不確か過ぎで胡散臭い、信用に足らない】ところも嫌いだった。

  

神様は人々を幸せにし救ってくれるらしいが、そしたら人生に不自由・貧困・不幸は存在しないのだから

神様なんかいるわけない。【子供にさえ論理立てて否定できる、そんな程度なのが神】で、

【こうして矛盾してるのに存在を許されて、あまつさえ信じられてる】ことに憤った。

  

幽霊】も【天国地獄】も同じだ。非科学的なのにどうして誰もその存在を否定しないのか不思議だった。

  

両者に共通するのは人間の死。生きている我々にはスピリチュアルな事柄であるために、

存在しない】と断言出来ない、ということに気付いたのはある程度成長してからだった。

  

そして【神】も【幽霊】も【天国】も【地獄】も、あってほしかったりなかったり、

人間の浅はかな望みによってご都合主義存在する最たるものなのだと気がついたのは近頃のことだ。

  

大人になった今、【幽霊】は『明らかに【嘘】だとしてもその存在を否定したくない』というのが本音だ。

これで晴れて自分ご都合主義者になり、嘘つきの共犯である。

ただ【神】は否定したい。存在を肯定してしまうと、この明らかな職務怠慢を追求する必要が生じるからだ。

  

  

最後に神やらご都合主義やら森見登美彦風になってしまったが、結局言いたいのは「小さい頃神様が嫌いだった」ということである。

  • 自分は宗教は信じてないけど神様は信じている。 信じているというと自分でもへんな感じするけど、 二択で言えばそっち側、ぐらいな感じで。 で、なんで神様が人のしている行為や、...

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