はてなキーワード: 学費とは
私大理工系なんてのはもっとマイナーな選択肢であるべきなんだよ
15歳の時点で進路を決められず、その癖して高校の勉強も大してできず国立に合格できなかった教養も特技もねえ落ちこぼれが高専5年分の四倍もの学費を払って通うところなんだから
その点、国立中学は良いぞ。学費安い上に受験突破して入学してきているから、お金が無い庶民でも地頭が良い生徒が入学してきていてレベルも高いし陰湿ないじめも少ないよ。
普段から「日本には多様性が足りない」とか「LGBTQの受容が足りない」とダイバーシティーあふれる台詞を好んで使う女性の人事部の同僚と
最近ランチに行ったところ、どうやら子供を中学受験させることを考えているそうでなんでも都内の私立の女子校に通わせたいそうだ。
理由を聞くと「一緒に学ぶ生徒のレベルが高いからおかしな方向に進まないはず、公立中学なんて変な生徒がいっぱいいるし」と言っていたのだがそこに違和感と偽善性を感じた。
自分の子供をよい教育環境で育てたいという気持ちはもっともだが
普段から多様性だのダイバーシティーだのLGBTQだの声高に叫び人々に倫理性を問うている人が
自分の子供には本物の多様性や性別の異なる人の交わる公立の共学中学に通わせず
均質性の高い一つの性別しかない学費の高い私立学校に通わせるというのはあまりに偽善的だと感じる。
僕自身は公立中高を経て東大を卒業した身だけど、公立中学というのは学者の息子もヤクザの息子も発達障害もゲイっぽい男子も男勝りの女子も中国人もポルトガル人もごちゃまぜで学び運動し合唱し喧嘩し
そしてそこからおそらく一生交わることのない世間へそれぞれ旅立っていく環境なわけで、僕はあそここそが多様性のかたまりであり、多様性の良さも悪さも本質も詰まっている環境だと思うし、割と好きだった。
しかし、そのような真の「多様性(縦の多様性と誰かは呼んでいた)」からは自分の子供を守る一方で、綺麗にコーティングされたリベラルな「多様性(横の多様性)」だけを享受させたいという態度はあまりに偽善的だと感じる。
「LGBTQを受容しよう」と叫びながら、自分の子供は一つの性別しか存在しない学校(これって前時代的では?)で学ばせる。
そんなのは男女平等を叫び人々を糾弾する一方でデートでは男性に多く出させる自称フェミニストと同じだし、そんな人はフェミニストを自称する資格はない。
公立中学を動物園だと呼ぶのは結構だが、一生「多様性を大事にしよう」などと同じ口で叫ばないでほしい。
ダイバーシティーが大事だと皆に押し付けるなら子供にも真のダイバーシティーを味わわせるべきだし、
男女平等が大事だと声高に叫ぶなら女性だろうが自分の身銭も平等に切るべきだ。
人権問題に熱心な企業なら自分たちの権益にも関わる真の重大な人権侵害にも声を上げるべきだ。
塾問題はあるが、高校は学費も親の教育姿勢も関係なく、本当に社会が拾い上げるべき特殊な例を除けばみんな受験するので、メリトクラシーとして選別が擁護されると思う。
中学受験はペアレントクラシーな社会で、中学受験が主流になって社会の上層に広まると格差固定化されるので、正直表だって擁護する奴らはどうかしてると思う。
「インターネットがあるから今は田舎でもいくらでも学べる」などというのは幻想だったんや、中高一貫校に入るための冬期講習の金額に目玉飛び出たやで。小6の学費スゲーよな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1632892
「良い学校出たからって幸せなのかねえ」とか「勉強だけできたってねえ」みたいな
俺は中学受験組、偏差値70超え中高一貫私立→トップ国立大なんだが、
小学生のときから、そういう「勉強だけできたって幸せになれない」っていう価値観をずーっと浴び続けてきたよ。
まあ、幸せの形は人それぞれだとは思うし、
学歴のレールをうまく走れない人たちも当然いると思うが、
そういう人たちにとっては残念ながら、俺と、あと高い受験費用と学費をつぎ込んでくれた俺の親は今すごく幸せだよ。
高い年収、かわいい嫁さん(俺の年収に惹かれたことは否定しない)、親には毎年充分プレゼントもできる。
さらには一生懸命公文に通いながらすくすく育つ孫を見るだけで、ジジババになった俺の親までつられて幸せってもんだ。
友達たちは官僚、医者、弁護士、一流企業勤務、ベンチャー社長、、、人脈づくりにいそしむ必要もなく、
勉強で得た知識は、仕事にも旅行に行った土地をよく知ることにもすげー役立ってる。
子の幸せを願う親なら
小学高学年〜大学まで15年ぐらい?の年間100~150万程度をつぎ込めば、
「勉強だけできたってねえ」っていう人たちは、