はてなキーワード: 反原発とは
ちなみに反反原発の中でも「単に美味しんぼを叩くだけではいけない」だとか
なんで批判しなきゃならないの?
世界中のデマを全て糾弾しなければ一つのデマを糾弾する正当性が失われると?
まあそれはともかく、
反反原発にかぎらず、グループというものは実際には内部でいくつかの集団に分かれていて、
まともな連中はまともな連中同士で付き合っているから、デマを振りまいているような馬鹿は視界に入りにくい。
そこは外から反反原発グループを見守っている反原発グループの方が見つけやすいと言えるだろう。
君が「全てのデマを批判しなければならない」というポリシーの持ち主なら遠慮なく頼らせてもらうから、
頼んだよ。
クリエイティブな仕事に憧れてたけど、絵も描けず、楽器もできず、文章も書けないみたいなワナビーこじらせた人間たちの最後の逃げ場って感じがするよね。
RailsやjQuery作った人間はすごいけど、それを使うあなたは全然すごくないじゃん。ただの消費者じゃん。
でも絵や音楽と違って供給者と消費者の境目が一見曖昧だからなんかすごいように他人も自分も錯覚するんだよね。
それもワナビーを呼び込む理由なんだろうけど。
TDDとかも、それを導入したら現場の効率が上がるとか本当はどうでもよくて「TDDやってる俺かっこいい」なんでしょ?
ワナビーとしての充足願望が満たされるんでしょ?
それで「会社にTDDを導入するにはどうしたらいいか」みたいなブログ書いたらはてぶで「こいつはわかってるヤツ」みたいなコメントもらえて嬉しいんでしょ?
そりゃ教条主義に陥るわな。反原発をTwitterでつぶやいて仮初の賞賛を集めるニートと同じだわ。
まあ「銀の弾丸は無い」って言ってるヤツも「銀の弾丸は無いって言える俺かっこいい」だから本質的には同じなんだけどね。
清志郎は、日本ロック史に刻まれる稀有な才能の持ち主だったと思うが「カバーズ」等で披露したプロテストシンガーとしての側面は、生前から過大評価されていたように思う。
押しつけがましくない率直な言葉やユーモラスな隠喩を紡いで作ったラブソングや、他のソングライターが見逃してきた日常の一断面を切りとる視点こそが、彼の真骨頂であった。
それに比して反原発ソングは直接的な表現が多く、かつ国家権力や巨大組織によって庶民が騙されているという
有りがちなサヨク的なものであって、あまり清志郎ならではのオリジナリティの感じられるものではなかった。
“たくみな言葉で一般庶民をだまそうとしてもほんの少しバレてる、その黒い腹(中略)だまされちゃいけねぇ ”※ラブミーテンダー
“原子力は要らねえ 危ねえ 欲しくない”※サマータイムブルース
「髪の毛が抜ける」「汚染地域の牛乳は危険」といった、過度に不安を煽り立てる歌詞は、チェルノブイリ住民に対する配慮は微塵も感じられず
国内での事故で同様の表現で歌を作っていたら風評被害を巻き起こしていたたろうと想定される。
カバーズの歌詞は、今ではその多くが科学的根拠を欠いた陰謀史観で作られたものとしてされている広瀬隆の著作の影響が強かったとされる。
もし清志郎が生きていたら、311以後日本を席巻した、怪しげな反原発運動に加担した可能性は否定できない。
自分も結果的にろくでもない経歴になったのでまあこの手の教育論だの社会階層論だのはそこそこ読んだけど
結局全部家庭が丸抱えして親がまるごと面倒見てやんないと何をやってもダメ
みたいなことが書いてあるだけで本当につまらなくなったしだんだん題名だけで読む気もなくなってくる。
親の愛情と指導を受けないと健全な発達が得られなくて社会性も育たず〜って、下手に社会性なんか持ってしまってそのまま現在の制度に疑問を覚えない人間になるほうが怖いと思うけれど。
結局親の七光り以外に何もない貧しい世界になってしまった(日本に限らないようだけど)ような徒労感を覚える。
平和主義だの反原発だのの左翼は嫌いだけど、「我々は問題だらけで貧しい、現状では駄目だ」と言い切れただけまだ一昔前の人たちのほうがまともだったのかもしれないと最近思うようになってきた。
反原発派って、ドイツをやたら崇拝してるけど、そのドイツですら2020年までは原発を動かし続ける事が決定してるって事実を忘れてるよな。
わかる。 反原発派はエネルギーも経済も侮ってると思う。 百年くらいかけて置換えていくっていうならまだしも、どれだけコストをかけてでも放射能被害による健康被害は無くすべきだみたいな論調は世の中をナメ過ぎてる。
経済の衰退が死者を発生させるということを実感として持っていないのだろうね。 燃料の値段が何割とか何倍とかに上がってると説明しても「電気代が倍になっても放射能よりマシだ! それくらい払ってやる!」とか言い始める始末で、電気代が上がるということは電気を使うあらゆる産業のコストが跳ね上がることであるということに考えが及んでない。
・今おきていることや話題になっていることをRTによってポータルサイトより早く知ることができる
・原発やTPPなど大きなニュースの動向をRTによって大体知ることができる
・反原発派やネトウヨなどの動向もRTなどによって知ることができる
・不案内な分野のニュースを毎日引用することによってその分野に慣れて勉強することができる
・重い。重い。重い。長時間アクセスしているだけで身動きできなくなるほど重い。
・重いのでリアルタイムでの会話には向かないときがある。フリーズすることがいやでリアルタイムの会話は避けるようになった。
・軽い時でもラリーのような会話になり安いのでちゃっとに慣れていない自分は疲れる。一往復くらいがちょうどいいので、リアルタイムに顔を合わせるツイッターはちょっと気まずい。タイムラグのある掲示板くらいの距離感がお互い楽のような気がする。
・言葉が汚いツイートが多い・・・気がする。フォローしてる人ならブロックすればいいが全然予期しないところから汚い言葉のRT爆弾が来るのが本当に憂鬱。ブロックしたらRTも来ないようになってくれたらいいのに・・・
・ブロックする・されるで気を使うのがいや。うらまれるのは序の口で、ブロックされたら攻撃されるという恐ろしい話もあるのでこれも憂鬱。
理性的に割り切って使えば学習ツールとしていいような感じはあるんだが、何しろ重くて、RTの言葉が汚いのが嫌。自分では防げないというのがよりストレスフル。何でみんなあんなにイライラしてるんだろう。いやイライラしててもリアルでは道にタンはいて回らないだろ。増田もそうっちゃあそうかもしれないが、「人を傷つけたい気持ちマンマン」な感満載で、ひっそりと言うだけで満足してる増田より黒いものを感じてしまってもうだめ。
コツコツやるにはいいツールなんだがなあ。情報ツールとしても便利なんだがなあ。
あの黒さがなあ。
追記
ニュースをいち早く知れるのはいいが、一日早く知ったからといってそれほど変わることもないしなあ。あそこにいると自然に知ることができるし、思わぬニュースも手に入るが、100回に一回のそれを期待して他のデメリットを耐える価値があるかっていったらなあ。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140327/p1
マイルドヤンキーっていうのはつまるところ、(少なくともこの文章を目にする程度にオタクな人からすれば)一体どこにいるのか分からないエグザイルとか浜崎あゆみのリスナーとかそういう層だろ。すごくたくさんいるらしいけど、自分の周りにはいないサイレントマジョリティのことで。
ただそういう連中は意外と金もってるやつもいるし、ヤンキーの意味に貧困を含めるのはまるで妥当でないよね。極論的にいえば、ホリエモンだってその感性とか存在感とかだいぶヤンキーだしね(だからそのスタイルの後継者として与沢とか情報商材成り上がり系のITヤンキーがいるわけで)。
ところが、まあここにきてオタク、ヤンキーというクラスタの存在ははっきりしたんだけど、もうひとつ早急に分析されるべきクラスタはブルータスとかその辺が規定している「お洒落ワナビー」、簡単にいえば「丁寧な生活」をしてる連中だと思うんだよね。中途半端にオーガニックなもん食って、中途半端に反原発して、中途半端に中目黒とか恵比寿に住んで中途半端なビンテージ家具とか買う連中。instagram系てか、ビームスはいやだけどジャーナルスタンダードはあり、みたいな疑似「丁寧生活」層。そこは自わりと最後までメタ分析されづらいクラスタだと思うんだけど、なんと呼ばれるんだろうね。
で、実質の18歳〜40歳くらいを割合で分けるとヤンキー5割、オタク3割、ジャーナルスタンダード2割てのが日本の実際じゃないかと思う。