2016年09月10日の日記

2016-09-10

俺は気づいてしまった

自身は、はっきり言って物心ついた頃から「頭のいいキャラ」だったので、このとんでもない現実になかなか気づけなかった。

しかし今、Twitterのしょせん高卒漫画家が何故か「こんなに真実を知ってる俺。それが分からない馬鹿ども」みたいな振る舞いをしていることに違和感をもって初めて気づいた。

ネットが、ひいてはそんなネットに影響される日本現代社会がこんなに頭が悪くなったのは、馬鹿が頭が良いふりをしているかなのだ

もっと正確に言えば、馬鹿が「ネットの振る舞い」として学習してしまった「マナー」が、本来は「本当にリアルでも頭良いキャラ」の奴だけが取っていい行動の猿真似という形に行き着いているということなのだ。

 

いか? 俺みたいに、学校の成績も良かった、本を読んで雑学もあった、ガキの頃からこまっしゃくれたディベート小僧として大人に嫌われてきたくらいの奴が、ネットでも同じように知識をひけらかし議論を吹っかけて、俺頭良いんだぞアピールしまくるのは当然の事だ。

人間として良い悪いは別として、それはただの人格一貫性だ。

だけどお前は、別に学校の成績も良くなければ、本も読まず雑学クイズなんか全然解けなければ、小難しい哲学問題なんか考えてると頭が痛くなってすぐゲームでも始めちまうような馬鹿だったはずだ。

いつからお前は「お利口キャラ」として振る舞える立場なんだと錯覚するようになった?

 

お前は馬鹿キャラだろ?

学校教育レベル歴史年表も一通り抑えてない、ニュース政治家名前外国地名が出ても殆ど知らない、ソクラテスを読んで「これこそ知だ」なんて中二レベルの初歩的な知的好奇心を刺激された経験すらない、完璧な非インテリ層だろ?

それが悪いわけじゃあない。漫画家やらなんて一芸で生きてるのはそれはそれで偉い事だ。頭が良くても出来る事じゃあない。

でも、馬鹿には変わりないんだ。

 

なんで、「俺は馬鹿だけど漫画を書く才能があったんだぜ」って身の丈にあったプライドで満足しなかった?

なんで、「俺は馬鹿だけどスポーツの才能があったんだぜ」って昔は誰もが留まれていたはずの領域で留まりきれなかった?

馬鹿だけどオシャレだぜ、喧嘩が強いぜ、音楽の才能があるぜ、」それで良いじゃないか

何故ネットに繋がると、TwitterSNS掲示板匿名ダイアリー投稿し出すと、みんなまるで 俺 み た い な 、元から頭が良くてそれを証明する事実にも事欠かなくて、傲り高ぶってますみたいなキャラになろうとするんだ?

無理なのに…

 

俺は元々「頭が良いキャラ」なので、気づいてなかったんだ。

単にみんな、俺みたいに頭が良いキャラとして驕ってるだけの同志だと思ってたんだ。

でもよく見たら、お前ら完全に教育ドロップアウト組じゃねーかみたいな奴が今や何故かいっぱい俺みたいな奴の真似をしている。

どう考えても、ガキの頃からリアルで「俺って頭良いなあ〜」なんて自己陶酔に浸れる経験ばっかだった俺とは違う人生を送って来た奴がいっぱいいる。

いつからこうなった。

いつからお前ら、そんな身の程を完全に勘違いした行動をとるようになったんだ…。

 

これは実のところ、「高卒のくせに」くらいの、完全に身の程知らずなレベルだけの問題ではない。

昔なら「世間知らずで一般の本とか読まないけど、この分野の知識だけは人生賭けるレベルに究めてるぜ」って自己完結で満足してた理系研究者なんかが、何故かこれっぽちも知りもしない法律話題にいっちょ噛みなんかして、酷いでたらめを平気で吹聴したりしている。

 

そもそも日本人は、「欧米みたいに合理合理言ってない」のが緩くて自慢の民族じゃあなかったのか?

いつから世界は全て間違っている。日本けが真理を知り宇宙真実を見つめている本当に合理的立場を取れる国なのだ」なんて勘違い世界喧嘩を売るほど頭が良い事になった?

 

長い間「合理的ものを考えるのが苦手」「幅広い知識に欠けている」と当たり前に、ありのまま認識されていた連中が、何故いきなり挙って「実は俺は完璧だった。物知りだし合理的だった」なんて言い出すようになっているのか?

 

一つは、結局ネットが「言論」の世界になったことで、誰も彼も「言論の徒」として能力を競わなければならなくなったということがあるだろう。

それ自体は悪い事ではない。民主主義の基本にあるのは、民衆がきちんと議論を通して意思決定できるということへの信頼だ。

誰も彼もが「言論」に参加せざるを得なくなったことについては、歓迎すべき面もある。

 

しかしながら、この国はやはり、「合理主義じゃない、緩い民族」の国だったのだ。

誰も彼もが言論に参加しようと思っても、それを支える教育的基礎がなかった。

きちんと事実引用した主張をするという文献取り扱いの基礎や、混ぜっ返しや詭弁は許されないという弁論的な基礎は一般国民にまったく叩き込まれていなかった。

結果、誰も彼もが、とりあえず「頭が良い奴みたいに傲慢振る舞う」という上っ面の真似だけをして、言論と呼ぶことも憚られるような子供屁理屈をがなり立てる社会が、本当に気づかぬうちに一瞬で、出来上がってしまったのだった。

 

なんということだろう。

なんと自己像を見失った社会なのだろう。

からでも遅くない。考え直せ。思い出せ。

 

お前は、もともと、頭が良かったか

今年一番感激したこと

ずっと誰かに教えたかった。

股間と肛門周辺をボディタオルで念入りにゴシゴシすると、

とんでもない量の垢ととんでもない臭いが取れるということ。

普段から風呂には丁寧に入っているつもりだったが、ふと思い立って、股間を念入りにゴシゴシ洗ってみた。

玉袋の皮を伸ばしてゴシゴシ。

肛門とその周りをゴシゴシ。

臭いを嗅いでみると、くっさ!!

桶の湯にボディタオルをつけると、垢が浮くわ浮くわ。

恐らく30年分の見逃し汚れが溜まっていたのだと思う。

ドン引きを通り越して、感動ものだった。

ああ30年生きてきたんだなという実感が押し寄せてきた。

男はぜひ試してみてほしい。

Dropbox

1TBも要らないから、もうちょっと安くして欲しい

懲役最高

xevra氏の言う、30分以上の有酸素運動瞑想野菜350グラムが容易に実行できる。

フランス人10しか服を持たない』に書いてあることが実行できる。

娑婆に出るとどうしても難しい。

氏の言うところの「3ヶ月毎の大反省」が必要か。

日本会議

日本会議代表委員外交評論家加瀬英明氏「畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体尊いというお役目を理解されていないのではないか

笑えるほど上から目線尊い存在に向かって「わかってないな」って!

http://anond.hatelabo.jp/20160910210038

人の死を水際にするとそれかにかかわる人の人生が見えるよね

ただお母さんは旦那の死を想定していないだけ

あなたも親の死を想定しないだけ

死なない人間はいない

トラバしてもらえるとは

反応してもらえるから増田やりなよって言われてはじめたけどまあ察し。そもそも進めた彼みたいにクオリティの高い文章を書けるわけじゃないし何かこう伝えたいものがあるわけでもないからまあそうなるんだよなあ・・・

セックスしてるくせに堂々と街を歩いてる女はよく考えたら凄いと思う

AV女優AV出てるかどうかの違いだけで、同じ事をやってるんだぜ

とんでもなくね?

親が泣くわ

ブログに載ってるサンプルコードって

ライセンスあるの?

コードをよく読んだ上で、よく理解した上で、自分コードに組み込のは問題ないことだよね?

母親がわからない

父親が癌になり手術した。

退院後に家のどこで寝起きするか、ベッドが良いだろうしと話している時に母が言い出した。

「お父さん死んだら、お母さんどの部屋を寝室にしようかね?今お父さんが使ってる部屋がいいかね、玄関も近いし」。

これまでも母は父が死んだ後の話をよくしていた。

ずいぶん体も弱くなって、案外早くに死んでしまうんじゃないか、だとか。

今回、父の入院騒ぎがあってすぐの頃に実家兄弟に言ったんだそうだ

あんたの結婚式写真、お父さんの写りが良かったわ。あれもらえる?遺影にするのに」。

もし死んだらどうしようと混乱していたと母本人は言う。

父の手術当日も、不安しょうがいからと叔母に付き添いを頼んでいた。

父が死んだら葬式など取り仕切るのは母の役目だし、そういう責任感や不安から死んだらどうするか考えてしまう、のだろうと思っている。

けど思う。

父が退院する準備の話で、父親の死後の話?お母さん、お父さんのことどう思ってるの。

お父さんが家事をしない、食事も呼んでも来ない、口で偉そうなことばかり言うと帰ればいつも愚痴を言っていた。

けどそんな憎まれ口も広い意味愛情なのかもなんて思っていた。

父親が死んだら、この家をどうしよう、改築をしようか。そんなことを話す。

母がわからない。

http://anond.hatelabo.jp/20160910202515

もやもやした感じ、よくわかります

無条件に現実を忘れられるからこその夢の国自己満足素人に割り込まれては台無しですね。

私の勝手意見ですが、一応クレームとか送ったほうがいいんじゃないでしょうか

恨みから生産されるものは何もないのだが。

生きた証というか。

感情ばかりは、どうしようも御しようがない。

  

糖質制限だとか糖尿だとかで白米はよくないと言うけど

たまに白米を腹一杯食った時の元気になる感じ、力が出る感じは何事にも代えがたい。

と、久々に腹一杯食って思いました。

やはり必要なんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20160910205430

国民がみんなお前みたいに単純なら統治も楽なんだがなあ

http://anond.hatelabo.jp/20160910203924

xevraが言ってなきゃやるんだけどね。

ありふれた内容でも繰り返し書き続けることで嫌悪感を持たせることが出来るメソッド

http://anond.hatelabo.jp/20160910205054

一切無視すると細く短く生きることになるぞ

http://anond.hatelabo.jp/20160910203325

・20代で結婚できるならその方がいい

且つ

好きな人結婚した方がいい

両方満たせるなら何も問題ない

が、この両方を同時に満たせない場合、どちらを優先するのが幸せだろうか?という問いだよね

http://anond.hatelabo.jp/20160910094317

なんで聞かれてもいないことを不快な思いをさせることが予想できてしなければならないと思ったの?

xevra氏の事を嫌いになっても運動瞑想野菜の事は嫌いにならないでくれ

な?

お薬では根本問題が残されたまま何も解決しないし、

逃げるといってもどこに逃げればいいのやら、行く場所がない。

http://anond.hatelabo.jp/20160910201122

この問題の難しいのは、若いからといって100%子供を産めるって訳じゃないってことだよ

二十代のうちに焦って結婚不妊、結局子供は産めないのと

三十代以降で本当に好きな人結婚不妊では

後者の方が幸せな気がする。

「20代結婚」「30代結婚」を比べてる風だけどサラッと違う条件盛り込んでるのな

「好きでもない相手結婚」「本当に好きな相手結婚」で後者の方がいいよって言ってるだけじゃん

20代の結婚は好きでもない相手とするのか?

20代で好きな相手結婚する人はいないと?

適当に有名どころの古典でも読んでれば

どうしたら世の中が治まるかなんてだいたいわかる

そして今の日本がそこから大きく逸脱していることもな

ディズニーパークでのコスプレについて思うこと

9月9日10日と、ディズニーランドホテル宿泊して2日間ランドとシーで遊び倒してきました。

ランドホテルを取るには半年前に予約をしなければなりません。友人たちととりあえずこの日にしようか、と言ってなんとなく決めた日がたまたまパークのハロウィン期間の初日になりました。

ハロウィン期間、パークでは全身仮装が解禁される日があります

ハロウィン期間の最初最後に設けられているらしく、初日と2日目も当然コスプレ可能な日でした。

この、全身仮装をしている人を見て、もやもや

わたしはなんとなく好きになれませんでした。

やけに横に太いアリエルとか、おじさん顔のジェラトーニとか、おじさんが女装したジャスミン姫とか……原作イメージが壊れるような仮装もたくさんありました。

でも、わたしもやもやしたのはむしろ完璧キャラクターになりきっている(キャストと見分けがつかないような)仮装でした。

見つけるたびに「本物?偽物?」ってキョロキョロするのも疲れました。

まあでも、完成度の高いコスプレは思わず見てしまものです。すごいなぁとも思います

そこまでは別にいいんですよ。個人的ルールを守って楽しんでるんだから

気になったのは、完成度の高いプリンセスが他のゲストツーショットを撮っていたこと。また、その人とツーショットを撮ろうとした人達ちょっとした列ができていたことでした。

コスプレとはまたちょっと違いますが、似たような件でもうひとつ

パーク内の通り道ぬいぐるみを並べて動かしている一般の人と、それを写真に撮るために周りにできていた人垣を見たときにも同じような気持ちになりました。

なんと言ったらいいのでしょう、同人誌即売会一般参加者が空いてるスペースに勝手自分同人誌を広げて売っていたという話を聞いたとき感覚、と言えばいいのでしょうか。

例えがオタクすぎて分かりにくければ、魚市場に買い物に来た客が、店の横で自分で釣った魚を並べてるような、と言えば伝わりますか?

とにかく、プロの横でアマ勝手商売を始めたような感覚なんですよ。(同人作家プロじゃないかもしれませんが)

でも、これはパーク側から禁止された行為ではありませんし、コスプレをしていた人はただ写真を撮らせてくれと言われたから応じたに過ぎません。

なにもルール違反をしていないからこそ、その行為もやもやしてしまいました。

本来はパークにキャストを見に来ているはずなのに、見るための場所で、「見たい」よりも「見られたい」という欲求がわかりやす露出しているような状況が、どうしてもわたしには好きになれませんでした。

ここで一応弁解しておきますが、コスプレをする人がみんながみんな「かわいいわたしを見て!」というつもりでやっているわけではないこともわかっています

わたしの友人にもレイヤーがいますが、彼女は「絵も文も書けないから、コスプレという形で作品愛を表現している」と言っていました。

そういう人が大多数だということはわかっていても、個人の心情など知らないわたしから見れば「見られたい」という欲求の塊のように思えてしまます

2日間もやもやとし続けていたので、一気に書いてしまいました。

からどうしてほしいとか、そういう話ではないんです。たくさんの人がルールを守って楽しんでいるイベントですから

全身仮装解禁の日には二度とパークに行かないようにしよう、ただそう思っただけです。

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