俺自身は、はっきり言って物心ついた頃から「頭のいいキャラ」だったので、このとんでもない現実になかなか気づけなかった。
しかし今、Twitterのしょせん高卒漫画家が何故か「こんなに真実を知ってる俺。それが分からない馬鹿ども」みたいな振る舞いをしていることに違和感をもって初めて気づいた。
ネットが、ひいてはそんなネットに影響される日本の現代社会がこんなに頭が悪くなったのは、馬鹿が頭が良いふりをしているからなのだ。
もっと正確に言えば、馬鹿が「ネットの振る舞い」として学習してしまった「マナー」が、本来は「本当にリアルでも頭良いキャラ」の奴だけが取っていい行動の猿真似という形に行き着いているということなのだ。
良いか? 俺みたいに、学校の成績も良かった、本を読んで雑学もあった、ガキの頃からこまっしゃくれたディベート小僧として大人に嫌われてきたくらいの奴が、ネットでも同じように知識をひけらかし議論を吹っかけて、俺頭良いんだぞアピールをしまくるのは当然の事だ。
だけどお前は、別に学校の成績も良くなければ、本も読まず雑学クイズなんか全然解けなければ、小難しい哲学の問題なんか考えてると頭が痛くなってすぐゲームでも始めちまうような馬鹿だったはずだ。
いつからお前は「お利口キャラ」として振る舞える立場なんだと錯覚するようになった?
学校教育レベルの歴史年表も一通り抑えてない、ニュースで政治家の名前や外国の地名が出ても殆ど知らない、ソクラテスを読んで「これこそ知だ」なんて中二レベルの初歩的な知的好奇心を刺激された経験すらない、完璧な非インテリ層だろ?
それが悪いわけじゃあない。漫画家やらなんて一芸で生きてるのはそれはそれで偉い事だ。頭が良くても出来る事じゃあない。
でも、馬鹿には変わりないんだ。
なんで、「俺は馬鹿だけど漫画を書く才能があったんだぜ」って身の丈にあったプライドで満足しなかった?
なんで、「俺は馬鹿だけどスポーツの才能があったんだぜ」って昔は誰もが留まれていたはずの領域で留まりきれなかった?
「馬鹿だけどオシャレだぜ、喧嘩が強いぜ、音楽の才能があるぜ、」それで良いじゃないか。
何故ネットに繋がると、TwitterやSNSや掲示板、匿名ダイアリーに投稿し出すと、みんなまるで 俺 み た い な 、元から頭が良くてそれを証明する事実にも事欠かなくて、傲り高ぶってますみたいなキャラになろうとするんだ?
無理なのに…
俺は元々「頭が良いキャラ」なので、気づいてなかったんだ。
単にみんな、俺みたいに頭が良いキャラとして驕ってるだけの同志だと思ってたんだ。
でもよく見たら、お前ら完全に教育ドロップアウト組じゃねーかみたいな奴が今や何故かいっぱい俺みたいな奴の真似をしている。
どう考えても、ガキの頃からリアルで「俺って頭良いなあ〜」なんて自己陶酔に浸れる経験ばっかだった俺とは違う人生を送って来た奴がいっぱいいる。
いつからこうなった。
いつからお前ら、そんな身の程を完全に勘違いした行動をとるようになったんだ…。
これは実のところ、「高卒のくせに」くらいの、完全に身の程知らずなレベルだけの問題ではない。
昔なら「世間知らずで一般の本とか読まないけど、この分野の知識だけは人生賭けるレベルに究めてるぜ」って自己完結で満足してた理系の研究者なんかが、何故かこれっぽちも知りもしない法律の話題にいっちょ噛みなんかして、酷いでたらめを平気で吹聴したりしている。
そもそも日本人は、「欧米みたいに合理合理言ってない」のが緩くて自慢の民族じゃあなかったのか?
いつから「世界は全て間違っている。日本だけが真理を知り宇宙の真実を見つめている本当に合理的な立場を取れる国なのだ」なんて勘違いで世界に喧嘩を売るほど頭が良い事になった?
長い間「合理的にものを考えるのが苦手」「幅広い知識に欠けている」と当たり前に、ありのままに認識されていた連中が、何故いきなり挙って「実は俺は完璧だった。物知りだし合理的だった」なんて言い出すようになっているのか?
一つは、結局ネットが「言論」の世界になったことで、誰も彼も「言論の徒」として能力を競わなければならなくなったということがあるだろう。
それ自体は悪い事ではない。民主主義の基本にあるのは、民衆がきちんと議論を通して意思決定できるということへの信頼だ。
誰も彼もが「言論」に参加せざるを得なくなったことについては、歓迎すべき面もある。
しかしながら、この国はやはり、「合理主義じゃない、緩い民族」の国だったのだ。
誰も彼もが言論に参加しようと思っても、それを支える教育的基礎がなかった。
きちんと事実を引用した主張をするという文献取り扱いの基礎や、混ぜっ返しや詭弁は許されないという弁論的な基礎は一般国民にまったく叩き込まれていなかった。
結果、誰も彼もが、とりあえず「頭が良い奴みたいに傲慢に振る舞う」という上っ面の真似だけをして、言論と呼ぶことも憚られるような子供の屁理屈をがなり立てる社会が、本当に気づかぬうちに一瞬で、出来上がってしまったのだった。
なんということだろう。
今からでも遅くない。考え直せ。思い出せ。
お前は、もともと、頭が良かったか?
ずっと誰かに教えたかった。
とんでもない量の垢ととんでもない臭いが取れるということ。
普段から風呂には丁寧に入っているつもりだったが、ふと思い立って、股間を念入りにゴシゴシ洗ってみた。
玉袋の皮を伸ばしてゴシゴシ。
肛門とその周りをゴシゴシ。
臭いを嗅いでみると、くっさ!!
桶の湯にボディタオルをつけると、垢が浮くわ浮くわ。
恐らく30年分の見逃し汚れが溜まっていたのだと思う。
ああ30年生きてきたんだなという実感が押し寄せてきた。
男はぜひ試してみてほしい。
人の死を水際にするとそれかにかかわる人の人生が見えるよね
ただお母さんは旦那の死を想定していないだけ
あなたも親の死を想定しないだけ
反応してもらえるから増田やりなよって言われてはじめたけどまあ察し。そもそも進めた彼みたいにクオリティの高い文章を書けるわけじゃないし何かこう伝えたいものがあるわけでもないからまあそうなるんだよなあ・・・
父親が癌になり手術した。
退院後に家のどこで寝起きするか、ベッドが良いだろうしと話している時に母が言い出した。
「お父さん死んだら、お母さんどの部屋を寝室にしようかね?今お父さんが使ってる部屋がいいかね、玄関も近いし」。
これまでも母は父が死んだ後の話をよくしていた。
ずいぶん体も弱くなって、案外早くに死んでしまうんじゃないか、だとか。
今回、父の入院騒ぎがあってすぐの頃に実家の兄弟に言ったんだそうだ
「あんたの結婚式の写真、お父さんの写りが良かったわ。あれもらえる?遺影にするのに」。
もし死んだらどうしようと混乱していたと母本人は言う。
父の手術当日も、不安でしょうがないからと叔母に付き添いを頼んでいた。
父が死んだら葬式など取り仕切るのは母の役目だし、そういう責任感や不安から死んだらどうするか考えてしまう、のだろうと思っている。
けど思う。
父が退院する準備の話で、父親の死後の話?お母さん、お父さんのことどう思ってるの。
お父さんが家事をしない、食事も呼んでも来ない、口で偉そうなことばかり言うと帰ればいつも愚痴を言っていた。
けどそんな憎まれ口も広い意味で愛情なのかもなんて思っていた。
父親が死んだら、この家をどうしよう、改築をしようか。そんなことを話す。
母がわからない。
xevraが言ってなきゃやるんだけどね。
一切無視すると細く短く生きることになるぞ
なんで聞かれてもいないことを不快な思いをさせることが予想できてしなければならないと思ったの?
「20代結婚」「30代結婚」を比べてる風だけどサラッと違う条件盛り込んでるのな
9月9日10日と、ディズニーランドホテルに宿泊して2日間ランドとシーで遊び倒してきました。
ランドホテルを取るには半年前に予約をしなければなりません。友人たちととりあえずこの日にしようか、と言ってなんとなく決めた日がたまたまパークのハロウィン期間の初日になりました。
ハロウィン期間、パークでは全身仮装が解禁される日があります。
ハロウィン期間の最初と最後に設けられているらしく、初日と2日目も当然コスプレ可能な日でした。
わたしはなんとなく好きになれませんでした。
やけに横に太いアリエルとか、おじさん顔のジェラトーニとか、おじさんが女装したジャスミン姫とか……原作のイメージが壊れるような仮装もたくさんありました。
でも、わたしがもやもやしたのはむしろ完璧にキャラクターになりきっている(キャストと見分けがつかないような)仮装でした。
見つけるたびに「本物?偽物?」ってキョロキョロするのも疲れました。
まあでも、完成度の高いコスプレは思わず見てしまうものです。すごいなぁとも思います。
そこまでは別にいいんですよ。個人的にルールを守って楽しんでるんだから。
気になったのは、完成度の高いプリンセスが他のゲストとツーショットを撮っていたこと。また、その人とツーショットを撮ろうとした人達でちょっとした列ができていたことでした。
コスプレとはまたちょっと違いますが、似たような件でもうひとつ。
パーク内の通り道にぬいぐるみを並べて動かしている一般の人と、それを写真に撮るために周りにできていた人垣を見たときにも同じような気持ちになりました。
なんと言ったらいいのでしょう、同人誌即売会で一般参加者が空いてるスペースに勝手に自分の同人誌を広げて売っていたという話を聞いたときの感覚、と言えばいいのでしょうか。
例えがオタクすぎて分かりにくければ、魚市場に買い物に来た客が、店の横で自分で釣った魚を並べてるような、と言えば伝わりますか?
とにかく、プロの横でアマが勝手に商売を始めたような感覚なんですよ。(同人作家はプロじゃないかもしれませんが)
でも、これはパーク側から禁止された行為ではありませんし、コスプレをしていた人はただ写真を撮らせてくれと言われたから応じたに過ぎません。
なにもルール違反をしていないからこそ、その行為にもやもやしてしまいました。
本来はパークにキャストを見に来ているはずなのに、見るための場所で、「見たい」よりも「見られたい」という欲求がわかりやすく露出しているような状況が、どうしてもわたしには好きになれませんでした。
ここで一応弁解しておきますが、コスプレをする人がみんながみんな「かわいいわたしを見て!」というつもりでやっているわけではないこともわかっています。
わたしの友人にもレイヤーがいますが、彼女は「絵も文も書けないから、コスプレという形で作品愛を表現している」と言っていました。
そういう人が大多数だということはわかっていても、個人の心情など知らないわたしから見れば「見られたい」という欲求の塊のように思えてしまいます。
2日間もやもやとし続けていたので、一気に書いてしまいました。
だからどうしてほしいとか、そういう話ではないんです。たくさんの人がルールを守って楽しんでいるイベントですから。
全身仮装解禁の日には二度とパークに行かないようにしよう、ただそう思っただけです。