すげーな、マジで姫だな。
研究者で付き人に車で送り迎えさせるとかって、どんだけだよ。。。
http://anond.hatelabo.jp/20140721183205
↑これと同じ人かな。
そんなこと企んでも、ネトウナに邪魔されるだけだぞ。
世間には、脱原発デモとか、ヘイトスピーチデモとか、集団自衛権反対デモとか、色々あるけれど、
明日はいよいよ土用の丑の日なので、どこか繁華街と、築地と、国会議事堂前(意味ないけど)で、
[明日やっても、うなぎはもう店頭に並んでいる(=死んでいる)から遅いけど]
みんな、資源を守らないといけないとか、綺麗事をいってるけど、
はてな民にとってうなぎって、要はイスラムにとっての豚肉のようなものなんでしょ。
そうはっきりといえばいいのに。
「アニメ・カント・博士課程無職」の組み合わせは犯罪と関係がある
犯人の心理の中で、「美少女アニメ好きやカントへの偏愛や博士課程無職だったことが、犯行と関係あるのでは?」というのは馬鹿にされるのに、
「母親の死・父親の再婚」と犯人の心理を結びつけるのは、当たり前のように扱われている。
「母親が死去して、父親が再婚して、犯罪を犯さなかった人は大勢いる」とか
「代表性ヒューリスティックがうんぬん」とか「定量化・一般化・再現性はあるのかw」とか「生存バイアスも知らないのか?」とか
「勝手に決めつけるな!」とか
「母親が死去して、父親が再婚した人への偏見だ!」などと叫ばない。
それどころか、
「母親の死 → さっさと別の人と結婚する父親 → 子どもが絶望、という図式は他でも見たことがある。被害者もそうだが悲劇としかいいようがない。行政としてはお決まりの「因果関係は認められない」となるのだろうが」
違いは何?真剣に教えて。まじで誰か教えて。
でもコレさすがに釣りかな。。。突っ込んだら負けかな。。。とか思いながらも突っ込まずに居られない
E=mc^2
単に質量をエネルギーに換算する式、というだけ。Eはmの質量を持つ物体の全エネルギーを表しては居ない。
お前の「相対的」ってなんだよ?
見えているものは「現時点」の姿ではない。
「相対的」って、お前は向こうにも人がいたら同じように思ってるだろ?とか言いたいの?
思ってる、とかじゃなくて、事実、そうだけどな?
テレビの中継とかで音声が遅れるの見た事ないの?それから理解できないの。。。?
いや、そうだけどさ。上の2つと意味が違いすぎるんだけど。なんで並列してるの?違いも分からないの?
といった具合に変質して伝わってしまったようです。重ね合わせなのは確率(状態)であって猫やパンツそれ自体ではないんですけれどね。シュレーディンガーも草葉の陰で泣いている事でしょう。関係ないですがシュレーディンガーはロリコンです。
2chとかで出てくるとかってお前が言ってるのは、
お前レベルのバカどもが言葉の意味もわからずに(もしくはわかったと勘違いして)使ってるだけの話だろ。
で、あんたはどこの物理学科なの?進学できんの、そんなんで?何してんの?
相対的でなくて元増田は「相対論的」だから。星の発光は光速で伝播するわけで、相対性理論では光速を時間の基準に取るからこちらで見た光と発光された光は同時刻ということかと。あってると思うが
相対的、と書いてるのは確かにおかしくて「相対論的」のつもりで書いてた。
相対論では高速を時間の基準でとるからこそ、光が放出された時間とその光が補足された時間、その2箇所の距離が0でなければ絶対に一致しない。
見た光と発光された光が「同じもの」ではあるがどう時刻ではない。
馬鹿は例え話を作るなと何度言ったら
俺の方がマシってことで、俺の家事分担二倍くらいなんだけど
泊まる事考えたら圧倒的にふたり旅のが得だよなあ。
まあ、超激安カプセルとかドヤ宿に泊まるなら別だけど、
私は福一原子力災害の賠償業務に携わっている。本エントリーでは賠償業務の概要と実態について書きたい。
被災した個人・法人へ『請求書冊子』が東電から送付される。被災者はその請求書冊子に必要事項を記入し、領収書や決算書を添付して東電に送り返す。
請求書冊子の返送先は大手町の東電オフィスになっているが、実際に書類が届くのは東京ビッグサイト近くに建つ『有明セントラルタワー』だ。
請求書冊子は有明セントラルタワーに届くと、開封・書類の仕分け・裁断・スキャニングされる。電子データ化するのだ。書籍の自炊を想像してもらえれば当たらずといえども遠からずといったところか。
審査業務は有明と門前仲町のヤマタネビルで行われている。専用ネットワークを通じてサーバーにアクセスし、電子化された書類をパソコンの画面で見ながら審査を行う。
審査が終わり、東電の責任者が判をつけば被災者にカネが振り込まれる。
以上が賠償の大まかな流れだ。
表向きは東電が賠償処理をやっていることになっているが、実態は異なる。
まず賠償業務は『トッパン・フォームズ(以下、TF)』という凸版印刷の関連会社に丸投げされる。ちなみに東電は『随意契約』でTFに仕事を任せている。どれだけのカネ(出どころは税金と電気料金だ)がTFに流れているかは分からない。
さらにTFはJ-SCubeとアデコとヒューマントラストとヒューマンリソシアに業務を投げている。除染作業が二次、三次に投げられるのとそっくりだ。
電子データ化済みの書類は寺田倉庫が管理する保管場所へ日通が運んでいる。システムの構築・管理はテプコシステムズと日立システムズだ。
賠償業務に関わるこれらもろもろの会社を東電では『協力会社』と呼んでいる。
賠償業務の末端で働く私でさえ、これだけの会社が関わっていることを知っているのだ。きっと、震災特需でうまい汁を吸っている企業はもっとあるだろう。
もうあまり仕事はない。震災から3年以上経っているのだから当然だ。むしろ今も賠償業務が続いていることに驚くべきだ。
実際に請求冊子に手を触れる・目を通す人間だけでも数千人規模(間接業務を含めるともっといる) しかし、大半はすることがなく遊んでいる。
工程ごとによって忙しい『曜日』は異なるのだが、最も忙しい日でも1日3~4時間程度しか働いていない。1~2時間しか手を動かさない日も多い。
どの工程も拘束時間は1日9時間で、その分の給与は支払われているのだが、暇でぼぉっとしている時間の方がずっと多い。
時給1000~1500円で働くバイトも、東電・協力会社の正社員も暇を持て余して雑談、私語で時間を潰している。
ちなみに有明セントラルタワーでは24時間体制で賠償業務をやっている。仕事がないのに『夜勤』で深夜に働いている者が多数いるのだ。
仕事を『増やす』ため、TFは意味不明な組織改変、請求書処理手順の変更を繰り返している。東電も請求書のフォーマットをころころ変え、そのたびに人・組織・システムが変わる。煩雑な作業が増えることはあっても、減ることはない。
賠償業務が長引けば長引くほどTFを始めとする企業は儲かるし、東電は賠償責任を果たしている『ポーズ』ができる。国民のカネでWin-Winの共生関係を築いているのだ。
これって現時点では法的にアウトには出来ないんだっっけ?
生身の人間じゃなきゃOK?
Twitterとかでわいせつ物陳列罪とかそういうの問えないのかね?
てか、よくこういうのTwitterとかで流す気になるよな。。。どういう神経してるんだろう。。。
夫婦のルールとして、背中合わせで寝るときはセックスしない、向き合って寝るときはセックスするという決まりがあったとしよう。
みたいな話だよね。
怖い怖い。
話はそこで終わりで、あんたの発言はそもそもズレてんだけど。
それでも、「小さい場所で規制されているものが、より大きい場所でOKな筈がない」
って発想はおかしいんじゃねーの?
それ、無根拠じゃね?今回の場合「ツイッターの規約でそもそもダメ」だけど
別に、同人屋(に限らず発表媒体)で規制食らったモンを自分のHPで晒すのは
ダメなわけがない。もちろん、ゾーニングとか年齢規制とか色々あるにしても。
「ハウスルールで規制されたものがハウス外で許されるわけがない」って
そもそもキチガイじみた発想だよね。
ご飯だけは人と食べたいけど、それ以外は一人で見たいことのほうが多いので難儀する…。
とくにチェーン店じゃない場合は難易度急上昇で、それを乗り越えてやっと食べた飯がまずいと本当に惨めな気分になる。
最近は孤独のグルメを脳内に展開することで少しこの苦難を和らげることができるようになった。
逆に博物館や神社仏閣など「鑑賞するもの」を見に行く時は自分の興味レベルやペースがあるので、人と行くと気を使ってしまって集中できないから嫌。
あ、でも遊園地とか体験型のアトラクションなんかは人とのほうが楽しいな。あんまり行かないけど。
意外と一人で困るのは宿。ペンションや民宿なんかだと一人の客(特に女)は事件や自殺を警戒される。場合によっては泊めさせてくれない。カプセルホテルは女性だと防犯上の理由から宿泊を断られることが多い。
ビジホが一番安牌かと思うけど、旅の風情もへったくれもない…。ビジホはビジホでいいんだけどなんか違う。
私のこと好きな男なんて私は嫌い
これ。「私に惚れさせるような男になってよ」という意味だったかもしれないな。
こういう意味だったんだよな?と問いかけてみろ。
そしたら前に進めるんじゃない?
ロミオは厳禁な。
(注意:18禁画像、児童ポルノを連想させるイラストを含むツイート) https://twitter.com/morimiva/status/488326169138188289
前後のツイートを確認するに、「とら○あな」か「メロ○○ックス」か「コミッ○マー○ット」の自主規制ルールか知らないが、同人誌の表紙に描いたイラスト中のランドセルを背負った女性の裸体がNGを食らってランドセルを消したが、修正前の画像がもったいないからtwitterで公開したらしい。
イラストや漫画の二次元画像に児童ポルノとして規制すべきかどうか、そういう議論もあるだろうが、それは置いておく。これから言いたいこととは別の話になる。
気になったのは、よりアクセスする対象が限られ狭い世界である「同人販売店」や「同人即売会」で修正を求められるような画像を、より不特定多数がアクセスし閲覧することが出来る全世界に開かれた「twitter」の方なら公開してもOKだという考え方だ。
自分のツイートを見ているのは(おそらくこれを見るのは)仲間内だけだから、こういうのも出してもいいだろうという判断なのだろうか。
それは飲食店の店主に見せたら怒られるような画像を、仲間内なら笑いあえるからとtwitterに投稿するのと同じ判断ではないのか。
利用規約が違うからOKだという考え方もあるかもしれない。法律でNGじゃないから良いという考え方もあるかもしれない。自主規制には本来反対だという考えもあるだろう。
しかし、より小さな閉ざされた集合で規制されているものを、その集合を含んだより大きな集合でなら出しても良いという考えは、論理的な矛盾がある。
それは単純に。twitterをむしろ狭い世界として考えているDQNのような近視眼的な思考をしていると考えたほうが適切だろう。
twitterの公開アカウントは世界に開かれたサイトだ。そこで出すものは、普段の生活よりも更に制約を求められる世界のはずだ。
どこかで規制を受けた、修正を求められた、ルールに触れたようなことを、twitterの方でならやっても良いと考えるのは全く間違った判断だと感じる。