医療用麻薬とかはまあ別としてやな。民間向け?の麻薬は、簡単な話や。JTが大麻入り煙草を販売すればええんや。
いや、わりと真剣に、民間人向けに解放するならこれぐらいしかないよなと思ってるんだが。
民主主義社会のくせに政治参加意識が無いよなぁというのは同意。今の日本は寡頭制が資本主義の建前を借りて民主主義国家のふりをしているようだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140627113038
こんな娯楽や嗜好品が飽和状態の時代に、なんで未だにドラッグとかハーブとかリスキーなものに手出す奴が居るんだろう。
生きる楽しみ方を見つけられない奴って悲惨だね。
derp faceで検索した中には探してる画像は出てこなかったです。
一昔前はオタクしかいなかったネット界隈にDQNが闖入してきてイライラしたもんだが、
最近じゃFacebookにまで進出してきてるのな。みんな知ってた?
なんかおもいっきりつづりを間違った英語とかさー、いかにもチャリできたっぽいプリクラの写真とか
恥ずかしげもなく学歴さらしてたりとかはほほえましかったんだが、
メインの大麻の話とはズレるし、印象論に印象論をぶつけるだけだが
スマホのデフォルトのアラーム音とバイブを毎朝6時から8時まで、起きるまで10分おきに鳴らし続ける。
私は7時半に起きればいいのに、気になって6時頃から半覚醒状態。
あいつは起きない。
本当に鬱陶しい。
マジ切れされた。
あまりに日本人は現在の大麻を巡る状況に関する意識が低すぎる。
今どの程度の国や地域が大麻合法化しているか知っているだろうか。
嗜好用マリファナは2012年にワシントン州、コロラド州、2013年にはウルグアイで合法化されているが
エイズ、ガン治療の吐き気、鬱病、慢性腰痛などを抑えるのに用いられる医療用大麻は、
今週ニューヨーク州で合法化され、現在ではアメリカの23州ならびにワシントンDCで合法化されている。
医療用大麻が合法あるいは非犯罪化されている国はカナダ、ドイツ、ベルギー、チェコ、オーストリア、オランダ、イギリス、イタリア、スペイン、フィンランドなど20ヵ国以上にものぼる。
恐らくこの事実を知らなかった人の方が多いだろう。あるいは、それを日本で実現すべきかどうかなど考えもしなかったという人の方が多いだろう。
機会費用の考え方でいうと、我々日本に住む日本人は大麻を厳罰化することで何かを得ると同時に、何かを捨てていることを意識しなければならない。
日本は医療用大麻を認めず、また大麻所持に対し欧米に比べ非常に厳しい刑罰を課している。
大麻使用の違法を続けるにしても、そのことから何を得て、また何を捨てているかを認識した上で非合法化を続けるべきだろう。
治安、ハードドラッグへの入り口としての防止、労働意識の低下要因の排除等などが我々が大麻を非合法化していることで得ているものとして一応挙げられるだろう。
では、一方そのことで何を捨てているだろうか。
医療用大麻を使用することによって癒やすことのできる病気の苦痛さを、それが損ねるクオリティ・オブ・ライフを我々は選択的に捨てている。
大麻を吸うことによって癒やされる鬱の苦しみは科学的に証明されているが、大麻を吸うことで確実に減らすことのできる自殺者を我々は選択的に犠牲にしている。
医療用大麻を合法化すれば3000人は自殺者が減るのではないだろうか。うつ病患者も1,2割減るのではないだろうか。そうであれば、救えるはずの彼らを今我々は選択的に犠牲にしている。
本当にそれだけの数が減るのか分からない。なにせ、それを確かめるには医療用大麻の科学的実験と議論が必要なのだから。それなら、まずそれだけでも日本で始められないだろうか。
僕がガン治療で苦しむまでのあと何十年か後に状況は変わっているだろうか。
また池袋など度重なる事故で注目を集めている脱法ハーブだが、その報道は「危ないドラッグですね。いけないですね。法律を変えないと」程度だが
そもそも、これはなぜ流行っているかといえば大麻所持の刑罰が重いのがその一因ではないだろうか。
「脱法ハーブなんてやる奴が悪いんだから、どんどん取締りを厳しくすればいいし、大麻がどうとか関係ない」という理想論は分かるが
現実的にドラッグで気分を軽くしたいという一定層は変えることはできないし、大麻を厳罰化している結果、皮肉にも彼らはより危険な脱法ハーブに流れていることに目を向けるべきだろう。
脱法ハーブは当局とのイタチごっこが続き、どんどんよく分からない混ぜ物も増えていっているし、脱法ハーブを吸った結果の事故は増える一方だ。
大麻所持の厳罰化として僕らが得ているものの一つとして、脱法ハーブの蔓延、その結果としての事故があることは意識するべきだろう。
なにせ日本では大麻で捕まったら重犯罪人扱いなのだから、やる奴は健康上リスクがあるが刑法上リスクのない「脱法」のものをやるに決まっている。余談だが、小山田壮平はその点でダサい。
いや、大麻を吸って捕まれば、CDが店頭から回収される国だからしょうがないのかもしれない。
オバマが学生時代吸っていたなどと公言するなどアメリカを始めとする欧米と日本ではあまりに大麻に対する意識が違うし、そもそも日本では議論すら始めるのも困難だ。
日本では、我々が何をよしとして、何をよくないとするのかを意識的に決めていく、あるいは決めていくことができるという感覚が欠如しているように個人的に感じている。
同姓愛結婚にしても、日本では否定的に感じる人は比較的少ないのに、それが実際に法制化されることはない。「お上が決めることだから」だろう。
我々が共に行きているこの社会を「どう作り上げて、維持し、その社会の中でこの生を生きていく」という感覚がないのだ。それはいつの間にかできあがっている。
同姓愛が法制化される動きがないのは、いま法制化されていないという事実があるから、それだけだ。大麻に関する議論も同じように感じている。
僕は日本の常識というのは簡単に変わると思っている。一旦、既成事実化してしまえば、それは簡単に常識になる。
カジノ合法化を見てほしい。この前までは「カジノなんて日本には合わない、ありえない」という感覚をほとんどの人が持っていたはずなのに、
議員が動きだして、実際に法制化の話が動き出したら「ああ、そうなんだ、カジノ作るんだ」という感じで、恐らく法律は通るだろう。
だから、ヒッピー崩れが大麻の効用を訴えても状況は変わらない。今や「欧米ではこうしている」は利き目がないので、レディ・ガガやブラピやリアーナが大麻を吸っていようと大した効果はないだろう。
ワイドショーで自民党議員と教授と医者がなぜ医療用大麻を日本は合法化しないのか、日本では古来からうんぬんという感じの議論を始めるまで、日本の大麻に関する常識は変わらないのだ。
それまで、僕はアメリカへ旅する度に、友人の家で大麻を楽しむしか方法はないのだ。
村上春樹の言うように、日本では大麻を吸うリスクが高すぎて、それを犯してまで吸うものではないからだ。
だけど、これが合法化されれば、ずいぶん人生を楽に生きられる人がいるだろうになとその度に思うのだ。そして、脱法ハーブなんかよりもずっと安全なのに、と事故を伝えるニュースを見ながらまた思ったのだ。
http://static.fjcdn.com/pictures/Woman_5e35a7_2528252.jpg
検索で見つかったのでは、これの一番下のやつとか? さらに調べてみたけど「derp face」だか「derpy face」とかいうもののような気がする。正しいかどうかは分からないけど。
手元に画像がある時はGoogle画像検索に画像自体をアップロードして類似画像を検索する機能があるので、それが非常に便利。
今回は画像URLで検索する機能を使って、元増田が示したURLで画像検索→見つけた上記URL画像をDLし、最下段の顔だけスクショから切り出し→画像をアップロードして検索→検索語句がderp derpinaとなった→「derp face」で画像検索(単語で検索する方式)→それっぽい画像がちょっと並ぶ→「derp 意味」で通常検索→derpとは「ばかげたこと」という名詞らしい。形容詞はderpy→derpy faceで画像検索(単語で検索)→derp faceより少ない(のと、マイリトルポニーの画像がやたら多くなった)が、やっぱり後ろの方にそれっぽい画像が並ぶ→用法はよく分からないが、単語としてはderp faceとかderpy faceとか言われるものだろう
という結論。GoogleのURL画像検索は悪魔的に便利な割にTwitter見ててもあまりメジャーな機能ではなさそうなので、紹介ついでに検索過程を全部並べてみた。今後の参考になれば。
住宅ローンと妻子のある人たちはそんな中でも潰れずにやってきている。甘え。
あんたが先に「それ嫌味?」って言えばいいだけの話だろ
俺、似たような事考えて、カジュアルに死ぬための段取りを立てて少しずつ実行してみた。
人間関係を徐々に減らして行って、仕事も責任あるものはやめて、財産(少ないけど)の処理ができるように自由時間増やして、みたいに。
で、ある程度「これならいつ死んでも大丈夫だな」って目処が立つくらいになったら、何か生きるのあんまり面倒じゃなくなってた。
参考画像 ※ のような黒い線画の海外のイラストで、若干のけぞった人物がものすごい顔をしているものです。
英語で「〜〜の顔(〜〜 face)」と決まったフレーズ で呼ばれていて、そのフレーズで画像検索するとその画像がずらっと出てきます。
「shit」とか「fuck」とかそういう言葉だった気がするのですが思い出せません。
ご存じの方いらっしゃいませんか?
※参考画像
http://livedoor.blogimg.jp/niiosokuhou/imgs/4/1/41b15e29.jpg
最初は恋愛って楽しい、って思ってたのに、段々面倒になってきた。
付き合って半年ちょっとたって、だれてきたのもあると思うんだけど、この前会ったときに身体を求められて。
お互い付き合うのもそういう行為をするのも初めてで、手探りで、でも気付いたらがんばってるの私だけで。
結局最後まではしなかったんだけど、「口淫して」って言われてして、でも下手だから彼を気持ちよくさせられなくて、ずっとやってて。
最後までわたしが快感を得られるような行為はしなくって、なんだかやりきれなくなって。
してあげたからしてほしい、って思ったらいけないんだけど、だからって自分だけがんばってるのがむなしくって。
男性側は分からないけど、身体を許すって言うのは覚悟のいることで、その覚悟を冒涜された気がした。
そこから何か交際に対して引っかかりを感じるようになって。
また会うって話になったら、同じようなことになるのかなって思って、もう別れたいかもしれない。
自分で好きって言ったのに別れるなんて言えないし、その別れに使うエネルギーもなくって。
このまま自然消滅したらいいのに、って思っちゃってる。
タンブラーに書こうかと思ったんだけどやめたことがあって、コミュニケーションに関することだからそれはどうでもよくなっちゃったんだけど、ここでタンブラーじゃなくて匿名ダイアリーに書こうと思ったことに興味関心が移った。
フォロワーって初期ツイッターのころの、RSSリーダーの大量フィード購読者みたいのとは別になっちゃったなぁという。
フォロワーとなんとない空気感の中で気のせいかもしれない相互的な人間関係というものが醸成されている。あ、タンブラーはいまでも初期ツイッタ的なのかな。俺の使い方が身近な人+αしかフォローしてないから、タイムラインからそういう感じを幻想的に受け取っているだけかもしれない。
まぁなんだ、俺のフォロワー話を聞けよ。二分で済ませるから。キーボード打つ方は10分くらいかけてんだぜ。さっき新星堂で買ってきた木村カエラのベストでいうと3曲分くらいかな。Sun showerいい曲だよな。ホレ、これだよ。 http://www.youtube.com/watch?v=lIt1k9TwtTg
Instagramなんかもまぁ俺は個人的な人間関係において使っており、Twitterはアカウントによるんだがまぁ大抵飲んだことあるか飲みたいねぇなんて話してたりそうでもない方々をフォローしフォローされておるわけだが、はて何の話だっけ。
自分のタイムラインを信じる、という感覚を抱く人は居ると思うんですよ。全く何を言っているのかわからないというひともいるとおもう。たとえば1000フォローしていたらこんな感覚はないだろうし、人付き合い重視でクソツマンネことしか書かないひともフォロー外さないとか、そういう人もこの感覚はないとおもう。
そんでその上で他人の、というかフォロワー氏のタイムラインが彼を裏切らないよう、自分がタイムラインの一部として踏み外さない。いつものみんなの範疇にとどまる。いきなり文科系コミュニケーション論とかタイムラインに流入させない。少なくとも自分はそう心がけようか、みたいな。
ていうかね、パーソナルブランディングなんですよ。セルフブランディングと違うよ。ああこれ両方多義語だ。ダミだ。つまり自分で自分を操縦するための規定をおくということ。その並走として自分のタイムラインを信じられるような情報流入のコントロールをしたり、他人に流す情報の属性や質を加減したりチャンネルを切り替えるということ。
こんだけ情報発信のチャンネルを切り替えやすい世の中もないですよ。マツコデラックスだって媒体によってモードを切り替えているというし、だからみんなたまにはmixi日記書こうぜ!
練習