はてなキーワード: 若造とは
ちょっと長い帰宅途中や新人研修受けている(この時期に突然研修ってのがまた笑えるが)時にふと思いついた。
なんかネットで既に散々言われてる気もするけど。っていうか新社会人の若造が書いた文章だし、本気にしちゃ大人気ないぞ☆
この国の売る=「サービスを売っている」
「ものづくり」だとかなんだの言ってますが、実際この国の物に価値見いだしてお金払っている人ってそんなにいるんでしょうか?
トランスフォーマー2で(だったと思います...)コピー機が使えなくて困っている女性に同僚が「それ日本製だろ!」と話しかけるシーンがあります。
地デジのために我が家に新しくやってきたTVはリモコンのボタン多すぎで、家族はすでにほとんどの機能を利用するのをあきらめてます。
そんな物でも買っていたのは
家電は5年保証があるし、(どこの業界でもそうですが)小売店の店員の接待の丁寧さは気持ち悪いくらいです。
でも今の時代、保証付けるより買い替えた方が安上がりですよね。(そもそも中国製だって壊れないんだから)
そして接待の気持ち悪さ。
「IT技術の専門家集団」みたいなことが名刺に入ってますが、ゴミクズ技術を7割くらいのひとが見てもわからないような敬語にこだわって売ってる訳です。
「たくさんのサービス残業で作り上げたゴミ」をゴルフ接待やお酒の力、日経の適当な記事の権威を使って売ってる訳です。
ちなみにうちの会社では日経○○みたいのが一週間に一度回ってきます。(結構こういう会社ありません?)
「こんな研修受けるなら、技術研修の一つでもやりゃいいのに」とか思いつつ、会場準備をしていたわけです。
堅苦しい会社らしく研修報告書があるのですが、エクセルフォーマットがあるのに印刷して手書き。
理由は「社長、部長は手書きを好むのよ」(by経理課長)だそう。
つーかあんたらが売ろうとしているモノはじゃあ一体なんなんだwwww
社内でまで接待が必要なんですね。いや、まあ、知ってたけどさ。
発注したんだけど、夏場にスーツで来てくださった方に頼みました。だってポロシャツで来るなんてありえないでしょ?300万円も払うのよ!」
だそうです。
この場合は営業の方も常識が欠けていたとは思いますが...。(特にああいう年配の方相手には...)
問題は
な気がします。
若造を凹ませてやることで、自分の力を見せつけたいからじゃないかな。
定年退職しちゃって何の権限も部下も持ってない、空っぽになっちゃったから
何か持ってる現役を攻撃や否定することで自分の大きさを示したいのだろう。
(だからこそ、老人は引退したがらず、死ぬまで権力や財力にしがみつきたがる)
凄く飢えてるんだよ。どんな些細なことでも食いついては怒鳴りつけるネタにする。
2chやこのあたりで何の内容もない低レベルな叩きや煽りを撒き散らし
的外れな事を言っては「はい、論破w」と満足している厨と一緒だね。
リアルで満たされなくて自分が空っぽだから攻撃性ばかり高い底辺層と
まさか定年退職した年齢になってもまだ同じことしてるなんて救えない。
一見穏やかで立派な人だとしても、それは実は、
そう、年の功とか、人格とか、人間的成長じゃなくて、単に現在の環境のお陰。
自分自身が容赦なく表に晒される。
で、多分、思うに、そういう空っぽになって駄目になる人というのは
自分の嫌なことや面倒なことに向かうのを避けてきた人なんじゃないかと思う。
仕事があるからいいだもん!仕方ないんだもん!家族は理解すべきだもん!
(お金はいつまでも必ずあると言えるか?お金で解決できることか?)
何かに頼って言い訳して、頼りっ放し。
自分自身の事を省みず、周りの事も顧みず、頼りっ放し。
突然引き離された赤子みたいな人間になるのだろう。
それが60歳でも、70歳でも、100歳でも…多分。
http://anond.hatelabo.jp/20111012183212
あなたの言いたいことはわかる。
随所にある押し付けがましさと、先覚者ぶった態度が気に入らないという人間は多いと思う。
しかも説明が説明になってないのに長々と語るからなおさら、ね。
しかし、それについて、私は割りと好意的に受け取った。
要するに、そんだけ彼の中ではマネジメントとか、すぐれた小説との出会いが衝撃が大きかったんだろう、
どうすれば伝わるか、なんて考える余裕が無いくらい、いっぱいいっぱいなんだろう。
たどたどしく自分の感動を語って、伝わらないことにヤキモキしてしまう。小説家としてはともかく人としてみたらものすごく可愛い。
彼は子供のように、純粋・・・とは言わないけどシンプルに物事を考てしまう人なんだと思う。
これを20代の若造が言ってたらふざけんな、になるけど40過ぎのオッサンが言ってるんだからむしろ頑張れって気分にならないか?
個人的にはすこし羨ましいとまで思ったよ。真似したいとは思わないけれど。
あえて言うと、この人の良くない点は
「自分が正しい」というにとどまらず「別に間違いでない他人の意見も間違いと言ってしまう」、この一点にある。
何かを語る時、何かを否定せずにはいられないっていう性癖みたいなものね。多様性を認められない。
何かすごいものを見つけたら、何でもそれを中心において、それと比較することでしか物事を測れない。
「百年の孤独」に感動したら、他の小説やマンガをすべて百年の孤独と比較して読まずにはおれない。
ドン・キホーテやハックルベリーの凄さを語ろうと思ったら、周りをこき下ろさずにはおれない。
自分の読みの正しさを主張するためには、名指しで人間を批判せずにはおれない。
あらゆる自己啓発の本に書かれているとおり、何でも比較せずには済まされないってのは敵を作りやすく不幸の原因になる最たるものなんだけれどな。
ただ、その精神のあり方も興味深いと思う。
自分こそが正しい、自分の周りの人間は間違っている、自分が教化してやらねばならない。
そういうあり方。
和を尊ぶと書いて出る杭は打つ、と呼ぶような日本において、
40過ぎになってもこういう考え方を維持できるってのがすごいと思う。
要するに、ソレほどまでに他人を嫌悪しているというか、プライドが高いわけでしょう?
どれほどまでに人生に鬱屈を抱えてきてるんだろうこの人は、と思う。
これほど全力で後ろ向きに生きている人も珍しいと思う。
こういう人は処女作なんかだと、装飾抜きで己の鬱屈を自分の分身に語らせてぶちまけるような本を書いて、
全然売れないけれど一部の人間にはカルト的人気ってのが定番なんだけれど
いきなり「女子高生」「マネジメント」など計算された本を世に送り出せるわけだから私の理解を超える。
小説家としてはいろいろ問題がある彼と、企画屋としては優秀なのかもしれない彼のちぐはぐなキメラ具合が本当に面白い。
なんにせよ、ホメオパシー教や反原発教、子供をまもれ教などの人たちを見ればわかるように、
彼のような一神教の人たちは、一度神を見つけてそれに身を捧げてしまった人ってのは、
常人じゃ考えられないほど精神が強固にしばられてしまってるし、そのことに幸せを感じるものであり、
それを否定されると攻撃的になるのは宗教の性質上仕方ない。
他人から見たら不幸な生き方に見えるとしても、一神教の人間にとっての幸せとはこういうもの。
一体、人間にとっての真の不幸とはなんなのでしょうか?
どれほど多くの友人がいても、どれほど親密な家族がいたとしても・・・
互いを縛ることなく、対等の建前のもとに、ただ、自我を垂れ流し合っているだけの関係だとしたら・・・
人の心はとどまることなく拡散し、やがて、自分自身の姿すら正常に認識できなくなってしまうでしょう。
あるいは、なにが「自分」なのかがわからなくなった状態こそが、真の不幸だとは思いませんか?
彼女の大地に穿たれたような心の強さは、彼女自身が、しっかりと自らの魂の形を認識しているからに他なりません。
それが可能だったのは、彼女が常に、「縛る者」と鎖によってつながり合っていたからです。
こういう思考が前提にある以上、彼が身分に対してもこだわりがあり、
自らを一つ上に置いて、私達のように「教養がない人間」を当然のように見下すのも彼にとっては自明のこと。
それを堂々と語るあたりは、現代離れ、日本人離れしているというか世間知らずだと思うけれども、それもまた面白い。
Steve Jobsのスタンフォード大でのスピーチの翻訳ありがとうございます。
ドロップアウトというほどでもないかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、というお話。NHK でのインタビューで SJ 本人も言ってますが、10 年先なんて未来のことはわからないです。
江島健太郎さんみたいな自分語りの話になってしまうんですが、私もベーマガで育った世代で、高校の時は N88-BASIC という今は懐かしい言語を叩いていました。
そのままパソコンどっぷりな路線を走っていれば、いちプログラマとして今頃どこかの会社でデスマに参加していたのかもしれませんが、大学で海外旅行に目覚めた私は、リアルな世界のほうがおもしろい、これ、リアルドラクエじゃん!とパソコンのことは忘れ、バイトと旅行を繰り返す大学生になっていました。1 年くらいぶらぶらしたりもしました。
海外のいろんな国のいろんな人たちの生活を見ていると、日本で既定路線に乗ってあくせく働くのがなんだかおかしく思えてくるんですね。だって、米ドル換算のお金では日本人ははるかに金持ちでしょうが、そんなお金はなくてもみんな楽しそうに暮らしてる。何してるんだかわからない人たちがたくさんいて、だからって暮らせないわけじゃない。もちろん、通りすがりの旅人に過ぎない私には見えてないものはたくさんあっただろうし、逆に日本にいたって皆が皆、杓子定規な生活を送っているわけでもないっていうのは、後になってまた悟るわけですが。
とはいえ、これと言ってやりたいこともなかったし、大学の勉強ももうやめてもいいかなと思いつつ、一応理系の学生だった私はそのうち研究室を選ばなければいけない時期に差し掛かりました。当時は AI と称して人工知能とか流行ってたんですが、ここで昔の血が少し騒ぎ出し、ちょっとまじめにプログラミングをやってみるかと思い、情報工学系の研究室に応募したんです。面接では僕は燃えてます!みたいな受け答えをし、それなりに手応えはあったかなと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、不合格でした。燃えてますといいつつ、勢いだけで中身の伴わない若造だったから落とされたかなと、振り返ってみれば思います。真面目に勉強したいという人は他にもいくらでもいたわけで。
二次の応募とかもあったんですが、似たような結果で、最終的には一番人気のない情報工学とはまったく関係ない研究室への配属が決まりました。ちょっとやさぐれましたね。ところがこの若気の至りかプチ挫折のようなものがなければ、私は Apple で働くことにならなかっただろうし、間違いなく今の会社でも働いてなかったと思います。
すっかやる気をなくした私は、その研究室でもメインストリームではなく、傍流のテーマをやることになりました。その傍流の研究をリードしていた院生が Mac を使っている人で、そこで私も研究室の隅にあった Mac を使うことになりました。Macintosh Classic でした。メインストリームは NEC のパソコンとか使っていたので、そっちに行っていたら、やはりデスマ参加者になっていたかもしれません。
そして研究に夢中になる代わりに Mac に夢中になりました。Mac 雑誌を読み漁ったり、片っ端からフリーウェアをインストールしたりとかしてました。自分の Mac も手に入れました。トラックパッド搭載の PowerBook で、以来、私はトラックパッド派です。ThinkPad のトラックポイント派の人とは永遠にわかりあえないでしょう。Apple が Magic Trackpad をリリースしたときは、俺の時代がきたと思いましたね。
Mac に夢中になる一方で、大学を出たら何をしたいというのもなかったんですが、就職活動はしてみて、大きくはないがそれなりにおもしろそうな仕事を取って来てる会社に、システムエンジニアとして内定をいただきました。ですが、詳細はまた別の長い話になってしまうので割愛しますが、結局内定は辞退してしまました。大学は出たもののいわゆるプータローになったのです。海外ぶらぶらしすぎると、良くも悪くも開き直ってしまうんですよね。
また海外に行ったりして、帰ってきたところで、たまたま声をかけられ、小さな事務所の立ち上げから手伝うことになりました。ここで偶然か必然か、社長は Mac の好きな人で、事務所で使うパソコンは全部 Mac を使うことになります。私はそのセットアップやメンテナンスをやることになりました。メインの仕事は海外とのやりとりで、必要に迫られてそこでなんとか英語の読み書きも覚えました。
それからまたいろいろあって、その事務所をやめ、再びプータローになったのですが、Mac 好きは大学の時からずっと継続していました。Mac 系情報サイトを巡回するのが日課だったのですが、失業保険も切れそうだというある日、MACお宝鑑定団で Apple Japan の求人の話を見かけました。受かるとは思っていなかったのですが、失業中だしダメ元で応募してみることにしてみました。
面接はもちろんスーツで行ったのですが、Apple の面接を担当された方々は全員 T シャツ、しかも Apple T シャツを着て現れたのが、かなり印象に残っています。別に毎日 Apple T シャツを来てるわけではなく、この日はたまたまみんな Apple T シャツになってしまった、と後から聞きましたが。面接自体はそんなにうまく受け答えができなかったと思いました。でも、なぜか採用通知が来ました。
振り返ってみれば、真面目に大学で勉強してたら一般企業に行ってただろうし、第一希望の研究室に全然行けなくて、一番人気のない研究室のさらにマイナーなテーマをやることになったおかげで Mac と出会えたし、内定を辞退してプータローしたり、小さな事務所で Mac の面倒は何でも見なければいけなかったお陰で、その後の Apple での仕事につながる知識や経験を手に入れることができたし、そうしたことが折り重なって Apple で働くことができたのだと思います。
私みたいな人間を雇ってくれた Apple、そしてその Apple を作ってくれた SJ には本当に感謝しています。Good bye, Steve.
お盆だからと友人と飲むことになって、居酒屋にいったりスナックに行ったりした。
(すごーくどーでもいいことだけど僕はスナックという場所が好きになれない。
働いている方々も懸命だろうし、価値を作り出しているとわかっていても私に楽しい場所とは思えないし、あれだけのお金が動くのがよくわからない。
風俗で色々したほうがよっぽど良さそうだ。
会社の飲み会の二次会が、スナックでの上司のご機嫌取りになっているせいもあるのかもしれない。閑話休題)
色々話してても、社会人なのでやっぱり仕事の話が少しは出てくる。
ニートが揺るがす「勤労」の幻想/無職たちは合法的略奪を目指す
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20110812/1313138224
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110810/biz11081013390009-n1.htm
面白いとは思ったけど、世の中で言われ尽くされてる事でもあるなー。そんな感じ。
みんな嫌でも会社や同僚のパワハラ恐れてシャー無しでやってんだ。と思った。
でも同時に声に出さないより何倍もいい。とも思った。
なにも言わなかったら何も変わらない。
なにもしなかったら何も変わらない。(僕はびびりな小市民だけど)
一部の中高年くらいの層は会社に尽くす事が喜び!みたいな感じでサービス残業している人がたくさんいた(今でもか?)
そういうのもわかっていたけど、さすがに自分の年代にはいないだろう。まだ新卒とかせいぜい3年目とか、その程度の集まりだ。
話の流れでフリーターや派遣社員をやっている友人達の話が出た。
彼らには彼らなりの(ちょっと贅沢なものも中にはあるかもしれないが)理由があってそうなった。
その中の一人が正社員になろうと資格の勉強を始め、職安にいったそうだ。
いいことじゃないか。と僕は思った。
以前から少しずつでもと勧めてはいたが、実際に行動したのは大きな進歩だ。
正社員になることがすべてとは思わないが、今の辛そうな生活からは抜け出せるかもしれない。
派遣社員は週4、5日働いて残業2〜3時間があって大変だと愚痴っていたそうだ。
うちも似たようなもんだが、正社員と派遣社員には待遇に差があるし、サービス残業があるなら不満も出るなとも思う。
「社会がもっといい方向に進めばいいよね。」くらいにしか小市民の僕には言えなかった。僕だって残業は嫌だし。
けどみんなの意見は違うようだった。
「甘い」
「うちは先月休み3日だぜ!」
「社会をなめてる!」
みんながみんな、彼らを否定していく。
「僕もっとWeb系やりたいです!」と言っていたが未だにASP.NET以外知らないようだ。一応情報学科の大学院卒って聞いたんだが。
別に先輩が悪い訳じゃないと思う。(いや、勉強する気が無いようにも見えるし、その点は悪いのかもしれないが)
四六時中会社のデスクの前でわけのわからない事をやらされていたら向上なんて出来ないだろう。
現場には、余裕がないのだ。とまず思った。
これは飲食店のサービス業から金型作りの工場勤務、ソフトウェア開発まで全部同じだと思う。
でもそれ以上に彼らに共通している事は
「努力(苦労と混同していると思う)しないやつはいい思いなんてできない!(させたくない)」
という気持ちだった。強く感じた。
ウェブや本のなかでたくさん書かれているのに、直接同世代から聞くまでそんな考えは年寄りのものだと思い込んでいた。
上や環境は変えられないから下を叩いて満足しようという気持ちが見て取れて、僕は言葉が出なかった。
先日友人がまた一人鬱病になった。
回復はしてきているようだがすこし心配だ。
小さい頃仲のよかった友人は鬱病と診断されて久しいが、きれいな家は売物件になっていた。
この国はずっとデスマーチ状態なのだ。村社会の国全体で行進しているのに、非力な僕一人が抜け出せる余地はない。
まだ少しお酒が残っているせいかこんなゴミみたいな文を二十歳そこそこの新卒の若造が偉そうに書いてる(笑)
かまってちゃんです。ごめんなさい。じいちゃん、明日は墓参りにいくよ。
寝よう。
実体験よりも聞きかじりのものが多いから的はずれのことを書くかも知れない。
最初このニュースを聞いた時、感情的に言って、「仕方がないな」と感じた。
だから科研費を減らしてその分を復興に回すのも妥当な判断だと思う。
「研究は何のためにするのか」という問の答えは人それぞれだろう。
経済的だけでなく、思想や、知的好奇心、教育など、いろいろな側面がありうる。
今後、社会はどう進むべきか。
両親を亡くした子どもの心のケアをするにはどうするのがよいか。
そもそも原発事故はなぜ起こったのか、防ぐにはどうすればよいのか。
放射線の影響はどの程度あるのか。
やるべきことはたくさんあるはず。
通常科研費と呼ばれているものは、研究者の自由な発想に基づく研究を支援するためのものである。
今回のことで、反原発派の研究者たちが虐げられてきたことがよく知られるようになった。
もしこのことを反省するならば、自由な発想に基づく研究こそ支援されるべきではないのか。
科研費の正式名称は「科学研究費補助金」であり、補助金である。
しかし大学からもらえる研究費はわずかで、科研費なしでは研究が全く出来ないという分野もある。
すなわち国(および多数派の研究者)がどういう研究をするかをある程度操作できる。
補助金なのに補助ではなく、自由な発想と言いながら操作ができるという、
「一個人の研究者として今後どうあるべきだと思うか?」という意見募集ではないのか。
国は研究者に期待をせず、
研究者は自分の成果をあげることに一生懸命で、国がどうなろうとお構いなし、
という状況は異常としか思えない。
僕、個人が今回の震災について妥当な意見が言えるとは思えない。
全く専門外だから。
しかし、この震災に対して適切な調査をして妥当な判断を下す責任があるのは誰なのだろか?
それが求められているのはやはり大学ではないだろうか?
一体他に誰ができるというのだろう?
「プログラマー」と名乗っている人をあんまり信用しないほうがいいというのはよく言われる話だが、最近そのことを痛感している。今やってる仕事の一環として、「ほかのプログラマーにプログラムを書いてもらって、それをレビューする」という作業があるのだが、この「ほかのプログラマーが書いたプログラム」というのがひどい。クズみたいなプログラムばっかりだ。
ってな、黒夢の『C.Y.HEAD』という曲の歌い出しですけど、最近この部分がぐるぐるぐるぐると頭を回るものだよ。
ええ、わかってますよ。仕事相手の悪口を公的な場で言うなんて、問題があるって言うんでしょう。まあ、それもそうなんだけど、たいしたプログラムも書けないくせにプログラマー名乗ってる奴らに本当に腹が立つからせいぜい堂々と書きますよ。
「忙しくってコードの質が下がってる」っていうような事情もあるでしょうが、まともに納品が出来ないなら仕事なら受けるべきでないわけだし、ビジネスの世界は「結果責任」を負うものですから、「事情」なんてのは知ったこっちゃないね!
……っていうふうにね、「仕事」というのは基本的に「事情」を無視するものなんですね。だから基本的にはあんまり僕は「仕事」が好きじゃない。とはいえ、今いっしょに働いている人たちはかなり「事情」というものを意識していて、おかげでそれほど辛くはないんだけれども。ただ「ほかのプログラマー」みたいな、外部の人たちは、事情を共有することができないので、「あー! クズみたいなコード送ってきやがって!」ということにしかならない。「事情」を共有できるような、近しい距離の人たちとのみ、仕事をしていたいものですよ。
で、そのコードがどういうふうにダメなのかというと、主に2つの側面がある。
【1】文法が正しくない、プログラムが読みづらい
【1】はもう、そのまんま。文法がおかしいとか、同じ様な処理をコピペで5回かいてるとか、1メソッドが長すぎる上に変数が"hoge"とかでわかりにくく、意味を取るのに困難があるとか。「こんなプログラムに金を払わなければならないのか……」と思うとめまいがする。何せ、それを「まともなプログラム」にレビューするのは僕なのだ。で、その作業に対してお金は一銭も入ってこないのだ。
不具合・先祖返りなんかは誰にでもあるミスだし、それを点検するために僕がチェックしているわけなので、そのあたりはいい。しかし文法の狂っているプログラムを修正するというのは、時には全体を書き換えなくてはならなくて、非常に労力である。それに、受け取ったコードは「ほかのプログラマー」さんの「成果物」であるので、あまり手を加えすぎるわけにもいかない。それが「仕様書」をもとにしたコードの場合、あまり修正するとクライアントに「自分はこんなこと言っていない」と思われてしまう可能性もある。だいいち、こんな作業にあんまり時間をかけたら、ほかのもっと大切な作業をする時間がなくなってしまうのだ。こういった様々な事情を考え合わせ、うまいことバランス取りながら、修正の妥協点を探していくわけだが、これはとてつもない頭脳労働である。疲れる。
【2】は例えば、「バリデートチェック」のためのコードなのに、「intは2バイト」ということばっかり書いて来るとか。「intは2バイトはわかったけど、いつからバリデートチェックになるのだろう」と思って読み進めても、最後までintは2バイトしかチェックしていない。依頼主であるからSIerは、そんなプログラムに金を払いたがるだろうか?
もっと具体的な例。ゲーム会社が、「我が社のキャラクタ版権を利用して、凄く売れるSNSゲームを作ってくれ」と依頼してきたとする。プログラマーが打ち合わせに行くと、企画者は「動的フラッシュも使って、100万ユーザーが遊べる。。。」という話を延々とする。プログラマーは「了解しました」と言って安請負する。そのプログラムはメイン処理だけで1000行というもので、memcachedの「mem」の字もないし、「オブジェクト指向」といった概念も勿論ない。これでは仮にSNSゲームがリリースされたとしても、100人さえも遊べない。
このくらいならマシなほうで、ひどいのになるとフリーランス会社から紹介されたプログラマーで、「SQLはselect文くらいしかやった事がない」とか平気で送りこんでくる。たった一人で。
また、意味のないコメントも多い。ループ処理に、「イントのiに3を代入する」と書いて、何の意味があるのだ? せめて「処理速度改善の為にIntegerは使わずにプリミティブのintを使う!」というふうに書くのが本来だと思う、まぁ嘘なんだけど。だって、そんなコメントみて、「なるほど」って誰が思いますかね?
コメントには必ず「目的」というものがあって、次にソースを読む人は処理の概要を知りたいのだから、「プログラム」をそのまんまコメントにしてもダメなんですよ。そういう単純で、最も重要なことが意識できないで、どうして堂々と「プログラマー」なんて名乗れるのか知らん、と思うぜ。
一番、腹が立つのは「偽SE」ですね。「プログラムはだれでもできるでしょ、重要なのは業務知識でしょ!」みたいなのが偽SE。こういうのを本当に思っているのがいる。業務の画面遷移さえ理解してないSEがだよ。
上の例はさすがに大げさでも、「僕は、プログラムが好きでソフト開発者になりました」とか言ってまともにプログラムが書けない奴は、頻繁にいる。自分でサーバ建てろよ。自分で簡単なサービスつくる事もできないなら、向いてないから辞めてしまえ。
「オレはサーバエンジニアじゃないからコマンド打てない」みたいなね。
世も末だ!
ここに挙げたのは「最低限」のことで、「より読みやすく」「より自然に」「より美しく」というところを、自分の能力の限界まで突き詰めてこそ、プロってもんじゃないんかね。もちろん時間や諸々の事情と相談してのこととはいえ、「26歳の若造が吐き気を催すような拙いプログラム」を送ってくる、30代40代のプロプログラマーってのはいかがなもんでしょう?
身の程を知れというか。
なんでプログラム書けない人がプログラマーなんかやってんだろ?
んで、なんでそういう人に「仕事」があるんだろうか?
身の程を知れよ。
自分の欲望ばっかり考えやがってね。
「ライター」と名乗っている人をあんまり信用しないほうがいいというのはよく言われる話だが、最近そのことを痛感している。今やってる仕事の一環として、「ほかのライターに文章を書いてもらって、それに修正を施す」という作業があるのだが、この「ほかのライターが書いた文章」というのがひどい。クズみたいな文章ばっかりだ。
ってな、黒夢の『C.Y.HEAD』という曲の歌い出しですけど、最近この部分がぐるぐるぐるぐると頭を回るものだよ。
ええ、わかってますよ。仕事相手の悪口を公的な場で言うなんて、問題があるって言うんでしょう。まあ、それもそうなんだけど、たいした文章も書けないくせにライター名乗ってる奴らに本当に腹が立つからせいぜい堂々と書きますよ。
「忙しくって原稿の質が下がってる」っていうような事情もあるでしょうが、まともな原稿を送って来られない量の仕事なら受けるべきでないわけだし、ビジネスの世界は「結果責任」を負うものですから、「事情」なんてのは知ったこっちゃないね!
……っていうふうにね、「仕事」というのは基本的に「事情」を無視するものなんですね。だから基本的にはあんまり僕は「仕事」が好きじゃない。とはいえ、今いっしょに働いている人たちはかなり「事情」というものを意識していて、おかげでそれほど辛くはないんだけれども。ただ「ほかのライター」みたいな、外部の人たちは、事情を共有することができないので、「あー! クズみたいな原稿送ってきやがって!」ということにしかならない。「事情」を共有できるような、近しい距離の人たちとのみ、仕事をしていたいものですよ。
で、その原稿がどういうふうにダメなのかというと、主に2つの側面がある。
【1】文法が正しくない、文章が読みづらい
【1】はもう、そのまんま。文法がおかしいとか、文末が5回連続で体言止めになっているとか、一文が長すぎる上に修飾関係が複雑でわかりにくく、意味を取るのに困難があるとか。「こんな文章に金を払わなければならないのか……」と思うとめまいがする。何せ、それを「まともな文章」に直すのは僕なのだ。で、その作業に対してお金は一銭も入ってこないのだ。
誤字・脱字なんかは誰にでもあるミスだし、それを点検するために僕がチェックしているわけなので、そのあたりはいい。しかし文法の狂っている文章を修正するというのは、時には全体を書き換えなくてはならなくて、非常に労力である。それに、受け取った原稿は「ほかのライター」さんの「作品」であるので、あまり手を加えすぎるわけにもいかない。それが「取材」をもとにした原稿の場合、あまり修正すると取材対象者さんに「自分はこんなこと言っていない」と思われてしまう可能性もある。だいいち、こんな作業にあんまり時間をかけたら、ほかのもっと大切な作業をする時間がなくなってしまうのだ。こういった様々な事情を考え合わせ、うまいことバランス取りながら、修正の妥協点を探していくわけだが、これはとてつもない頭脳労働である。疲れる。
【2】は例えば、「からあげ弁当の宣伝」のための原稿なのに、「天丼はうまい」ということばっかり書いて来るとか。「天丼はわかったけど、いつからあげ弁当の話になるのだろう」と思って読み進めても、最後まで天丼の話しか書いていない。依頼主であるからあげ弁当の会社は、そんな文章に金を払いたがるだろうか?
もっと具体的な例。からあげ弁当の会社が、「我が社の優秀な社員Aくんを取材して、記事にしてくれ」と依頼してきたとする。ライターが取材に行くと、Aさんは「前の会社で天丼弁当を作ったんです。世界天丼弁当グランプリも受賞しました」という話を延々とする。ライターは「なるほど」と思って記事を作る。その記事のメインキャッチは「世界一の天丼弁当を作りました!」というもので、本文にはからあげの「か」の字もないし、「からあげ弁当を作るのにこの技術や経験が活かせるはずです」といったニュアンスもない。これでは仮に「Aさんの優秀さ」は伝わったとしても、「からあげ弁当の会社」のアピールにはならない。
このくらいならマシなほうで、ひどいのになるとからあげ弁当の会社から依頼された原稿で、「揚げ物は健康に悪い」とか平気で書いてくる。フォローもなしで。
また、意味のない表現も多い。からあげ弁当の新入社員インタビュー記事のメインキャッチに、「僕は一度も弁当を作ったことがないので、心配です」と書いて、何の意味があるのだ? せめて「初めてで不安もありますが、からあげ弁当を作るのが楽しみです!」というふうに書くのが本来だと思うんですけれども。だって、自分の仕事に対して「心配」してる人の作った弁当を、誰が食べたいと思いますかね?
お金の発生する原稿には必ず「目的」というものがあって、お金を出す人はその「目的」のためにお金を払うのであるから、「目的」を見失ったような原稿はダメな原稿なんですよ。そういう単純で、最も重要なことが意識できないで、どうして堂々と「ライター」なんて名乗れるのか知らん、と思うぜ。
一番、腹が立つのは「非文」ですね。「僕は決してからあげ弁当を嫌いならば食べたいとすら思い出すだろう」みたいなのが非文。こういうのを本当に書いてくるのがいる。金もらってるライターがだよ。
上の例はさすがに大げさでも、「僕が入社を希望した理由は、からあげ弁当のおいしさを世に広めるための会社です」みたいなのは、頻繁にある。推敲しろよ。推敲してこうなるんだったら、向いてないから辞めてしまえ。
「二人が向かった先は、地元で有名なスーパーに足を踏み入れた」みたいなね。
世も末だ!
ここに挙げたのは「最低限」のことで、「より読みやすく」「より自然に」「より美しく」というところを、自分の能力の限界まで突き詰めてこそ、プロってもんじゃないんかね。もちろん時間や諸々の事情と相談してのこととはいえ、「26歳の若造が吐き気を催すような拙い文章」を送ってくる、30代40代のプロライターってのはいかがなもんでしょう?
身の程を知れというか。
なんで文章書けない人がライターなんかやってんだろ?
んで、なんでそういう人に「仕事」があるんだろうか?
身の程を知れよ。
自分の欲望ばっかり考えやがってね。
というか、大学生にもなって「なにもできない」なんてことはないはずなんだが、俺のかつての友人二名は何もできないのだ。
やりたい事もなく、やるべき事もなく、できる事もない(なら、やるべき事があるだろというツッコミは無用)
彼らは何もしないのだ。
はっきり言ってクズなのだ。
できる事が22にもなってひとつもないという時点で社会的需要はゼロに等しく、そういう高等技術を持ち合わせないような人は性風俗なり土方なりいずれ高等技術を持つものがロボットに置き換えるであろう単純作業のつなぎなりをするしかないのだ。
彼らは22にもなってその意味を知らない。
持たぬものは、死ぬまで奪われるという意味を。
それを知らないから当事者意識もなく、内定もないし起業するアタマもない。
刹那的な消費しかアタマにないし、将来を見越した貯蓄もしてない。
この両者に共通するのはどちらも親が高給取りであるということだ。
片方に至っては、親からむしりとるまでむしりとるかのように大学に居座ると公言している。
こんな奴が同じ大学生だというだけでも腹が立つが、こいつらは社会人をバカにしている。
お前のために働いてる親も、お前の周りを間接的になり整えてやってる社会人を、みなバカにする。自分には関係ないと。
こんな舐め腐った奴が同じ空間にいるというのだ。僕は殺意を覚えた。それが三年前だ。
僕は社会人として、責任と使命感を覚え、日々の職務に邁進している。まだ若造だ。ぶら下がり社員だ。しかし、いずれ社会を牽引しなくてはいけない。
それが現役世代として、社会人として、次を担う子供らのためにしなければならない義務だ。
彼らが今どうなっているかは知らない。もう付き合いはない。良かったと思う。社会人になれば友人は選ばねばならない。だからこそ、自分も選ばれるように日々精進しなければならない。ゆるいつながりはぬるま湯だ。身を滅ぼす。
今日も業務を終え、自宅でこの文を書いている。
なぜこんなことを書いているかといえば、僕から見ても「若者は覇気がない」し「行動もしない」し「甘えている」からだ。
なぜならどの世代にもいたという彼らは、今もういない、社会の主流からは外れて、「いない」からだ。
窓際族も家族を支える苦労があるのは察するが、後の価値ある世代のために引退いただきたいものだ。
今の覇気がない若者はこの窓際族と同じだ。不良資産と言ってもいい。
私が言いたいのは「ろくに行動しないくせに私たちと同じ待遇を所望するな」ということだ。
分相応の生活をするなら、何も文句はない。
そしてそいつらの最終的な拠り所が、生活保護であり、その金額が一部の働き手より高額だということが不快なのだ。
そういうとき、心ある(つもり)の人は「あなたがたの給与を挙げるよう行動するべきだ」と言いたいだろう。
なぜなら、彼らの生活金額は言ってしまえば前時代的、バブルなものであり、現代の水準に見直すことは必須だからだ。
そして、隣国とのバランスが変わりつつある今、我らの給与を上げろというのは時代に逆行するのと同じだからだ。
人権は平等ではない。平等であるよう努める必要もない。格差はなくならないのだ。
だからこそ非正規社員は正社員より切られやすいのであり、生活保護は彼らより不遇な扱いを受けるのが道理なのだ。
「働いたら負け」というのは一部企業ではもはや現実だ。しかしそれは打破されねばならない。「働くものこそが勝ち」なのだ。
そして上に合わせるのが国際的に無理な状況、下をより低きものとするのは絶対命題なのだ。
働け、されば与えられん。
働かぬものは、奪われて死んでしまえ。
君のその滑稽さっていうのは、実際の彼らを知らずしてわかったような事を語るところにあるわけですよ。
多分君は人を雇用したことは無いだろうし、評価されているとは言っても仕事のマネタイズは基本的にゴロまかせだろう。
なぜかというと、26の若造を可愛がる老人やおっさんはいても、仕事を任せる老人は居ないからだ。
君が仕事をしていると思っているのは、老人やおっさんに可愛がってもらっているだけで
そこで天狗になると今度、年を食って可愛げがなくなったときに仕事を任せてもらえなくなる。
所詮増田の戯言と流されるかもしれないが、この違いを良く理解しておいた方がよい。
今の会社は、嫌いじゃありません。
同期のプログラマーとあーだこーだ言いながら、
自分が未熟だと自覚しながら、
同僚にも恵まれ、多くの友人ができました。
時が立つに連れ、会社の待遇が悪いせいか、ひとり、ふたりと抜け、
同僚がポツポツといなくなっていき、だんだん会社から活気がなくなっていきました。
社内の空気も悪くなりと、だんだんと居心地の悪い会社になっていきましたが、
同期の仲間とプログラムができれば、それでいいや!
と思い、今まで働いてきました。
ある日、会社のレベルにそぐわない、大きな仕事がやってきました。
それと同時期に、ブラックすぎる会社への不満を上司にぶちまけ、
労基とかなにそれ!法律の話とかしらんし、黙って働けみたいなことを言われたそうです。
同期で入った4人のプログラマーの内2人が去ってしまいました。
あと一人も、内定をもらっており、12月には去る予定です。(声のかわいい女の子です)
自分にとって、かつては楽しい職場でしたが、今はあまり楽しくないです。
やる気だけは負けないよう、切磋琢磨しながら、
まぁ今更俺が言うようなことじゃないんだけど、
決断することが仕事であって、具体策を考えてあげるのが仕事じゃないんだよ。
そもそも、そんなことしてる暇がないから従業員雇うんでしょ?
だからさ、毎回毎回
どうすればいいでしょうか的な指示待ち投げっぱなしの報告するのはやめようよ。
俺が言うとカドが立つし、そんなやつの将来なんて興味ないから指摘しないけど。
あとさ、仕事は一個一個順番に片付けていかないと終わらないよ。
30%くらいの出来で次の仕事に取りかかってたら永遠に終わらないって。
しかも終わらないの自分でもわかってんだから、つまらない作業とか引き受けるなよ。
今日は徹夜かなハハハとか、現状に危機感ないのかな。しんどくないのかな。
毎回毎回怒られるのを聞かなきゃいけないのがしんどいですよ、僕は。
など、帰りの電車で。
「あなたのような人」とはどのような人なんだろうか。
その予測の根拠もわからない。
幹を示すのは簡単だから示してみればよい。
というより幹を示さずに文を書くのが異常であって、
その異常さはそのままあなたが再批判しているという批判者達の態度と全く同じレベルにある。
発言内容を問題にせずに「19歳のガキ」「冴えないおっさん」というそれだ。
??
「あなたのような人」ってそういうこと?
いつから批判者達の一味にされてしまったんだろう。
まだオジサンといわれるような歳でもないし、
そもそも元の記事を読んでいない。
「冴えないおじさんが○○」というレベルの低い罵倒とレッテルではスラスラ進む筆があるのに
発言内容や主張根拠を示せといわれた途端に「めんどくさい」。
2度の猶予を持ったがあなたは自分がレベルの高い人間であることを証明出来なかった。
結果が出たので言ってしまえば、
普通レベルが低くない人間は、あなたの最初の文のようなものは書かないし、
本題の議論を問われた途端に口数が少なくなったり不機嫌を見せたりもしない。
むしろ大いに勢いづいて自説を明らかにし、彼我の是非を示す。そこにこそ自信を持って出てきている筈だから。
好意を持って一年、付き合った期間は半年程である女子に振られてしまった。
理由を聞くと彼女は「付き合うのに疲れた」と答える。
僕の事を嫌いにはなってないようだが、彼女を疲れさせてるのは僕だ。
ちなみに僕は彼女の事がものすごく好きだ。
別れたいと言われ落ち込んだ、今もその最中である。
こんな僕に優しい言葉をかけてくれる人がいるのなら「これを機に成長して頑張って」とか「次は失敗しないように」という言葉であろう。
だが、僕は今後の事が全く想像できない。現在二十歳の僕だが、心配性すぎるため将来の事を明確に想像しながら人生を送っている。
彼女がいなくなってしまうと僕の人生はどう考えても満足いかない。
彼女がいることで僕は幸せだが、なにより僕がいることで彼女を幸せにしたい。
こういう重い思考が人を疲れさせる所以だと思う。
でも二度と彼女より素晴らしい人は現れないという事だけは分かる。
あー、どうすればいいのだ。
今日思いついたことをつらつらと。
自分はPCはそこそこできる。PCスキルでそこそこ、っていうのも判断は難しいけど、
まあ職場のおじさんおばさんがこぞって「PCのことはこいつに聞いておこう」って来る感じのレベル。
彼らは「全くパソコンってのはよくわかんないよなあ」というのが口癖で、
でもこの場合、職場では役に立つ人間という評価ももらえるので、頼られるのは悪い気はしない。
うちの職場の経理やっているおばさんも、
PCは辛うじて通常業務で慣れている分だけはこなせるが、イレギュラーな処理については全くお手上げといったレベル。
このおばさんも、PCのことは自分によく聞いてくるし、自分も普通にいろいろと教えてあげたりしてた。
で、このおばさん、電卓打つのがえらい速かった。
かっけーなあと常々思ってたのだが、ある日電卓検定なるものがあるのを聞きつけて、
要は片手キーボードのブラインドタッチなわけで、要領つかめば1級くらいどうということはなかった。
かなり自分も速くなり、おばさんの電卓打ちスキルに肉薄していた。
で、ある日、このおばさんに向かって、
「自分もかなり速くなりましたよ!」ってアピールした。
「すごいわねえ、あんたもやるじゃん!」的なレスポンスを期待していたところ、
「ふーん」っていう、なんかなんだかすごく名状しがたい微妙な反応が返ってきてすごい戸惑った。
最近になって、どうやらあれは
「おばさんのプライドを著しく傷つけたのではないか」
という気がして昨日家に帰ったあと彼女に話したら、
そんなの当たり前じゃんもっと早く気付いてやれよと一喝された。
お前は鈍感だ穴に入って反省しろとありがたいお叱りを拝聴したわけだが、
なるほどそうだったかもしれないっていうか、
俺がそういうことに気づかないことそれ自体がおばさんにすごく、
顔に出せない嫌な思いをさせたのかなと思い、反省する、っていうかでもなんかそれって俺のせいなのか、
という釈然としない思いのまま昨日は過ごした。
んで、さらに今日タイトルに書いたようなことをふと考えついたっていうか。
上に書いたようなプライドの問題なんじゃないかなと。
もしPC技術の習得に本気で取り組まなくてはいけなくなったとしたら、
20・30の若造たちに、ことあるごとに頭を垂れて教えを乞わなくてはいけない。
独学するにしたって、PCスキルのヒエラルキーでは、かなり下位の方に列せられてしまう。
ある程度の年齢に達したら、やっぱそういうのって屈辱的だと思う。
だとしたら、始めっからそんな土俵には上がらないに限る。
・・・こんな感じで、中高年の人たちはPCスキルの習得については不戦敗を決め込んでんじゃないかなあと。
「おっさんおばさん連中はそもそもPCが苦手」
「PCを使うのは若者、じじばばはできなくて当然」って社会的コンセンサスを作り上げておく。
戦いをハナから拒否しておけば、彼ら彼女らの自尊心も安泰で安心、っていう。
おばさんの自尊心にものすごく鈍感っていうかなーんも考えていなかった自分の意識もそうだし、
もし自分があと数十年経って、自分の仕事スキルを容易に脅かす若造が入ってきたらどう感じるのか、と。
おっさんおばさんはホントPCくらいちょっとでもいいから勉強しろよ、とか思ってたけど、
明日は我が身って感じで少しばかりは生暖かい視線を持つよう心がけようかなあとか思うようになった。
でも本当はやっぱまだ釈然としない。
無邪気に仕事をサクサクこなすことが、人を傷つけるということ。
自分の気持ちを卑屈にしたくはないし、おっちゃんおばちゃんの気持ちやプライドもわかる。
業務効率性なんてお行儀のいい言葉なんかじゃちっとも解決できないことだもんなあ。
とりあえず職場では、PCができるってことに対してあまり無邪気でいないようにすることだけは心がけようと思いました。
大人になるって嫌なことだね。
TwitterのTL上では、@masasonさんなどが、教科書の電子化について議論していますが、もうひとつ見落とせないもの。
S県のとあるブロックにおける、年齢構成をみると、50代以上の教員が全体の40パーセントを占めています。(おそらく全県でも同じだとは思います)
逆に言うと、10年後の学校は、経験が10年以下の若造が40パーセントを超えると言うことです。
経験豊かな教員がどんどん減り、実践もまだ浅く、まだまだ一人前とは言えないかも知れない教員がどんどん増えてきます。
おそらく教員の不祥事の件数もうなぎ登りになるでしょう。若い人しかいなくなるんですから。
ちょっと怖いです。校長と教頭以外の教員が保護者よりも年下ということもあり得るかも知れません。
しかしながら、次のようなメリットも考えられます。
・柔軟な考え(というかまだ自分のスタイルを確立してない)を持っているので、情報化などの波を起こすなら今。
@masasonさんが提唱する、教科書の電子化について、今の現場に持ち込むのは絶対に無理です。
自分のスタイルを確立した教員は、そのスタイルを変えることを嫌います。
教員の職務は経験勝負である部分が多いので、わざわざ経験値をゼロにすることはしません。
やるなら文科省が「紙は禁止ね。これから全部iPadにするから。」とか言わない限り無理です。
教科書だけの問題で、教科書の電子化を考えると絶対に失敗します。
今話題の電子黒板、あれ、若い人たちとか、ICTに明るい人は使いますよ。それこそガンガン。
逆に、定年間近な方はほとんど使いません。ビデオ見るときに使うとか、大きいテレビ代わりとしてしか使いません。
しかしながら、若い人たちの間では、電子黒板を用いた授業スタイルを確立させようとしている人もいるでしょう。
私立の学校では、前と側面、計3面にスクリーンを展開して授業を行うクラスだってあります。
そして、今の小学生にとっては、教科書よりもプロジェクタで大きく映し出された情報の方が好きです。
電子黒板に教科書を実物投影機で映した方が、教科書を広げさせるよりも子どもたちの食いつきは良いです。
しかし、電子教科書が有効なら、とっくに塾で採用されているはずなんですよね。
あそこって、無駄を思いっきり省いて、勉強だけする場じゃないですか。
そこになんらかの理由があるのではないでしょうか。
そこら辺を解明していかないと、何でも図鑑のデータ版としての電子教科書以外の価値が見いだされないのではないでしょうか。
戻します。
教員は若いやつしかいません。
なんかいろいろデジタル化してるかも知れません。(とりあえずiPadとDSでたとえます)
子どもたちも、紙なんか見ません。紙を使うのは図工で印刷するときだけかも知れません。
連絡網なんてありません。一括送信です。
iPadは母艦として学校に置き、DSみたいな小型のものを子どもたちが持ち歩くことになるとしましょう。
宿題はDSに先生が無線で配布して、家のパソコンに展開して行い、自動で丸付けと提出状況がチェックされます。
もちろん親はケータイで提出状況をチェック、家での指導に役立てます。
漢字練習は努力しないとだめなのでノートを未だに使っているかも。
そんな教育現場になっているかもしれません。
いったい学校では何を学ぶのでしょうか。