はてなキーワード: 交戦権とは
はてサがさまよっている。
彼等には最初から自民党という選択肢はないが、民主党にも投票できずにさ迷っている。
共産主義などにならないのだから共産党へいれよう、などと悲哀混じりの呼び掛けをしているはてサもいる。
日本の現状下では自民党であろうが民主党であろうが選べる選択肢は殆変わらない
去年、民主党の勝利に大騒ぎしていたはてサたちは今頃になってそれを痛感しているのだろう。
財政赤字なのだから、いずれ社会保障費や公務員の人件費を削る方向に行かなければならないし
交戦権を放棄しているのだから、日本の外交安全保障の基盤である強固な日米関係を揺るがせる事はできない。
普天間存続ほぼ確実、という代償を払って民主党は現実を学んだ。
民主党政権がいつまで続くのか分からないが、続けば続くほど現実的になり自民党と同じようになっていくだろう。
そして、これが政権交代の真の成果と言えるだろう。
社民党は崩壊寸前。
共産党も高齢化が著しい事に加え、若い世代が全くいないため、この十年ぐらいで急速に衰えていく。
はてサの非現実な訴えを代弁する政党はどんどんなくなっていく。
はてサはどうだ?
まあ、駄目だろう。笑。
最後まで非現実な戯言を叫びながら時代の流れと共に消えてゆくのだろう。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
自衛隊を無くすってことは、日本国政府が外敵から国民を守ることを放棄するってことじゃないの
これは「最大の尊重」をしていないことなんじゃないか?
うちの学校には猫がたくさんいる。僕と会ったときの
行動は大きく分けて三種類
2、人間性悪説派:警戒してさっさと逃げ出す。
3、中道派:いつでも逃げる事が出来る体制でこちらを観察する。
鳥は大体種別ごとに逃げる距離が変わってくる。鳩と雀が典型的。
猫は、鳥よりは知的であるから、きっと経験によって宗派が変わってくるのだろう。
町を歩いていると、野良猫はどこにでもいる。でも、野良犬は滅多に居ない。僕が小さい頃は少しは居た気がする。
何故居なくなったか。それは多分危険だから。
誰に?人間にとって。
犬の中に危険度の個体差はあっただろう。でも、結果的に全ての野良犬が消えてしまった。
少なくとも都会では、犬は飼い犬としてのみ生きている。
逆に考えよう。
猫は何故駆除されない?
あれだけ大きな体躯をしているのに、なぜ共存出来ている?
憲法9条を守る人たちがいる。
日本は交戦権が無く、いつでも攻める事が出来るからこそ、いままで攻められないで生きてこれたという人たちも居る(容易に反駁しうるが)
でも、少なくとも日本は、猫にはなれない。
犬がいくら猫らしいそぶりをしても、犬として駆除される。
逆にヒョウが町中を動いてても通報物だ。
そして、ある時から首輪をつけられた。
首輪をつけられる代わりに、安息を得た。
ある時は飼い主は飼い犬の能力に恐怖を覚えた。
ある時は飼い犬を上手く使い、報酬を得た。
これからどうなるのかはわからない。
飼い主が他の動物に興味を持つ、あるいは他の動物と付き合うのが合理的だと判断したら?
あるいは犬がその首輪をはずし、再び野に帰る?
その首輪は今調整されようとしてる、その是非は?
大きかれ小さかれ、共通点を見いだせる。
それは僕の持論。
こんな文をもう少しアカデミカルにして、一回も出た事無い
授業の課題で出したら、