2022-08-20

自由主義者はどうやって政治的もの回避してきたか

自由主義は、政治やその舵取りをする国家と相性が悪いとされている。

何らかの対立が極度に達すると政治闘争に発展し、それには物理闘争暴力)の可能性を内包しているからだ。

そして国家には、その闘争正当化し、命じることができる交戦権がある。

暴力は、自由による競争個人財産侵害するため、自由主義者としては回避したい。

から自由主義者は、政治国家に対して自由の妨げになるようなものは扱わないでほしいと思っている。

また、特定思想宗教などに肩入れすると自由にも偏りができるため、それも批判対象によくしている。

だが、政治対立から逃れながら社会を維持し続けるなんて無理がないだろうか。

そこで自由主義者はあらゆる問題を「非政治化」する。

経済的だったり、倫理的だったり、個人的だったり、つまり政治的ではない何らかの領域」に押し込める。

戦争は損得の問題にしたり、信仰個人問題にしたりする。

これで政治的な問題言及されても、「これはそーいう問題ではなく、こーいう問題だ」というロジック回避できるわけだ。

はてブコメントでも、似たようなロジックを使う人はちょくちょく見かけるから何となく分かる。

ただ物事ってのは往々にして多側面的であるため、都合の悪い指摘を回避するために多用しすぎると詭弁になりやすい。

シュミットとかも「政治的なもの回避するために、結局は闘争に加担していないか」といった様なことを指摘している。

(まあシュミットが嫌っているのは自由主義のものではなく、政治闘争に加担していながら政治否定する姿勢のほうらしいけど)

ざっくり文献を読み漁った限りでは、こんな感じの解釈だけど、これをどうまとめればいいか

  • そもそも消極的自由主義(縛りや邪魔がない)積極的自由主義(自分の意志で好き勝手にできる)とがあるので。 消極的自由主義だと、政府無しで権力がある金持ちが強い社会になるん...

    • 消極的自由主義が夜警国家的な規制・制約の排除を重視する思想だというのはその通りだが、積極的自由主義というのはポリコレやアファーマティブアクションといった行為・思想に帰...

      • ポリコレやアファーマティブアクションは他の権利と衝突してるから問題じゃない?あるやつの権利を守るために他のやつの権利を制限すると。 すべての自由が満たされるなんて世界は...

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