「間抜け」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 間抜けとは

2024-05-28

anond:20240528190208

ブコメ見たら本物でワロタ

「俺はまともな本1冊読めば秒でわかる話も知らないが、俺様理論で人様を狂人断罪できる天才だ」

上から目線なとこ水を差して悪いけど....だけじゃ?w

新規生産年齢人口供給不足(なんだそりゃw)....この間抜け負け惜しみの笑いどころ。

....だからバカにされるんだよw....あと生産年齢人口の 推移も自分の目で 確認した方がいい .... 反論はなさそうねw

色々こじらせてるよなコバ

リフレ派は責任取って集団自決しようね

枝野ファンの多いはてな民は知ってると思うけど....赤旗ファンの多いはてな民も知るように....

....てか日本は利上げできないと言ってなかった?w別人?w

松川るいって女性議員の中ではかなり上等な部類だと思うけど

どこの世界農産物不作の度に利上げする中銀があるか教えてくれアホ

無駄社会に関心持って悲憤慷慨する気分障害治療には中学公民教科書オススメ

バカってのは自分が何を口にしてるかもわからいかバカって言うんだよなあ

人気コメ上位が軒並み「俺は長文読まない統計読まない政局しか興味ない」と自供してて面白い

anond:20240528120722

神父や坊さんとの約束を真に受ける間抜けな男ってそんなにたくさんいるんですか?

anond:20240527182715

数回じゃなくてじっくり何回も会った上でヤバ男じゃないと判断したのちにDVされてんだから間抜けだよな

何回会ってもどうせ見抜けないんならどうせ同じなんだから最初から人として礼節つくせよ

そんなことも判断できないんだから蔑視されて当然だろ

2024-05-24

anond:20240524205238

理由があるだけいいじゃん

弁髪はどんな理由があっても間抜け

罰ゲームじゃん

anond:20240524205238

何もないと間抜けに見えるから髷ができたんだろ

珍妙みえるかもしれんけど、なんもない滑稽さを考えると、変でも何かあった方が格好がつくというのは

デザインでもよくあるはなし

2024-05-20

anond:20240520164333

体制側は「おちんちん」を、反体制派は「ぽこちん」を男性器の呼称に使う小説ノクターンで書こうと思って構想を練っていたところだ

「おちんちん」は男性に媚びていると反体制派は主張し「ぽこちん」を採用するが、その間抜けな「ぽこちん」に反体制派が堕ちていく、そんなストーリーを予定している

もちろん、反体制派が輪になって一人の「ぽこちん」をいじめる展開も組み込みたい

全然関係ないのにぶら下がって申し訳ない

anond:20240520114425

まだまだ全然大半だという事に気が付かない、インターネットのそれ系言説に感化された間抜け

もしも20代とかなら早めに、30代ならいますぐ抜け出す努力をすることをおすすめする

2024-05-19

anond:20240519230818

倭国の方がカッコイイね。

日本ってなんか間抜けな響き。

ニッポン」とかチンポみたいで笑える

AIに駄小説を書かせるのにハマっている

AI小説、なんかもったいぶる割に登場人物台詞間抜けだったりオチがつまらなかったりするんだが、テレビしょうもないチープミステリーを見てると結構レベルな感じも受ける。

テレビドラマの場合、華のある有名俳優がやってるからとりあえず存在感があるだけで、これ文字情報だけだとめちゃくちゃじゃねってのも結構

ストーリーちゃんとしてるとかしてないってのも、結構思い込みというか、人間がやってることに対する過剰な信頼に成り立つものって大きいんじゃないか

そんなことを思う今日この頃

2024-05-17

やはり日本語英語に劣ってる

マンコはなんとなく間抜けで冴えない響きだが

プッシーはおしゃれで明るい響きだ

英語の方が音や感覚が優れている

2024-05-15

花ざかりの君たちへアニメ化かー

何故かドラマ2回やったのにアニメはやってなかったな

窓辺で着替えてたら性別バレたってオチは正直間抜けすぎんよ~

2024-05-13

悲報はてな左翼がなぜありえないほどアホなことを真顔で言うのか、そのメカニズムが明らかになってしま

Q:はてな左翼がなぜありえないほどアホなことを真顔で言うのか

A:自分では何も考えて無くて、教祖様の言う事を鵜呑みにしているか

間抜けはてな左翼自分たちがなぜこんなコメントをしてしまうのか明らかにしてしまいました

https://anond.hatelabo.jp/20240509121903

https://twitter.com/humitoriakane/status/1788095970028278082 少なくとも画像4枚目にあるように、監査の結果原告の主張は採用されなかった、という事実認定はされている。|↑なので「基本〜」と書かれたのかと思いましたが。

qさんスターを付けました。

nさん がスターを付けました。

Aさん がスターを付けました。 (この人は「なんで左翼の人ってすぐ嘘をついてしまうん・・・?」で突っこんだボケボケコメントをしたはてな左翼

はてな左翼は、アンチ暇空の文鳥という人を参考にしている

文鳥という人がそもそもちゃん判決文を読めない素人

・その素人を参考にしたはてなブックマークユーザーさら素人

素人が、素人ツイートを参考にして発言するからさらガバガバになる

あのさあ、君たちがやってることて、君たちが批判してる暇アノンと何が違うの?

君たち暇アノンバカにしたいんだよね。

なのに、「教祖様のいうことを信じて、検証もせずに鵜呑みにしてそれをはてブでそのまんま垂れ流す」って・・・

やってることが暇アノンと同じじゃん。

カンガルーAA知ってる? 

少なくとも上のブコメした人は、行動パターン思考レベルが暇アノンと一緒なわけ。





これも私が指摘するまでもなくツッコミ入ってますが、そのツッコミを受けても謝れないはてな左翼・・・

判決文をちゃんと読め。裁判所住民監査請求で、原告の主張が一部認められたことを認めている。例えばP18で人件費についてのColaboの不適切会計があったことを裁判所事実認定している

検査では主張が認められなかったが、住民監査請求で一部認められたと指定画像に書いてあるのに……

この指摘に対して、間違いを認めて謝ることすらできない。


はてな左翼って、本当に自分では何も読んでないし、何も考えてないんだな。

願望で「暇空が間違ってる!」って決めつけて、自分の願望に近い発言をしてる人の内容を鵜呑みにするだけ。

これ文鳥が言ってることであれば、明らかに矛盾した内容の画像を貼ってたとしても字が小さかったら気づかないわけだよね。


そりゃ、こういう皮肉も言われるよ。

****さんのおかげで、実際に認知機能に差があるらしいことが確認できた。やっぱり嘘ついてるわけじゃないんだな。

なるほど、はてな左翼は嘘を付いてるわけじゃなくて、ただバカなだけなんだなって言わちゃってるけど

否定できないだろ。

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-11

オタクの見た目の悪さは性格の悪さ

見た目の悪いオタクに関わりたくない気持ちはわかるよ。

あいつら見た目についてロクに考えたこともないくせにこれは差別だとか言うんだもん。

自分が今まで考えてこなかったことに意味があったら困るから

だって、それじゃ考えてこなかった自分バカってことになるもんな。

から、とりあえず差別という箱の中に問答無用でブチ込んでしまう。

そうすれば、考えなくていいもの扱いどころか、考えている者は悪=考えてこなかった自分正義 まで無理矢理持っていけると信じ込んでいる。

自分にとって都合の悪いものは全部差別ということにしておけばいいと思ってるクズなんだよ。

こんなもん、流行りのアニメを見るタイミング逃して見てない奴が「あれはクソアニメ!見てないけどクソアニメに決まってる!(だってそうじゃなきゃ見てない自分間抜けってことになっちゃうじゃん!)」って叫んでるようなもんだろ。

ただの嫌な奴じゃん。

anond:20240508192401

2024-05-10

警察発表だと交際してる様子がないか詐欺とは違うと見ていると言いたげで

一度ストーカー認定してる故、翻すと捜査の落ち度になって袋叩きされるからだろうというのは分かるんだが

それにしてもロマンス詐欺なんて珍しくもない(し逮捕者も出ている)中で、交際してる様子がないからとか間抜けコメントはしなくて良かったのではないか

2024-05-09

anond:20240509081607

こんだけ情報共有されてるこのご時世に貢いだ側も相当なバカからなあ

なんとも間抜けな話だよね

2024-05-07

anond:20240507151827

気付きはゆっくりでいいし頭悪くてもいいんだよ

そんな事実の指摘がツッコミになると思ってる奴が間抜けなんだ

2024-05-03

anond:20240503113922

ここで、「オマン舐めたい!!!!」が正しいのではないかと一瞬思ったが、

"を" では叫びとして間抜けな感が否めない。リズムもない。

omanko・oで子音が同じだからだ。こおおー

濁音で区切ってインパクトを付ける "が" のほうが正しいわけだ。omanko・ga

なるほどなあ。

2024-05-02

anond:20240502115301

需給バランス価格が決まるっていうのは、不足してたら供給元が価格を吊り上げる、というプロセスで起こるだろ。

それをしてないし、できないんだよな。

受給の仕組みも知らない間抜け

1. 需要供給よりも多い場合価格を増やす

2. 需要供給よりも少ない場合価格を減らす。

少なくともこの2つがあるよね。均衡分析の基本だぞこんなのは。それをしてないしできない?してるしやってると思うぞ。

日本国内食料品っていうのは、本来もっと高い。ブランド野菜とかで付加価値つけて、やっと高くてもいいや感を出しているが、本来普通野菜ブランド野菜ぐらいしないとおかしい。生産している工場農地面積)は同じなんだぞ。それだと売れないから安くしてる上に、食料品つくるのやめるの国家的にだめだか廃業もそこまでされてないという状態なんだよ。

まさかとは思いますが本来」とはあなた想像上の存在ではないでしょうか。

 

農家の話よくしらないけど、とか自白してるから、まあわからんのだろうな。

どこをどう読解したんだ?自白したコメントは一体どれだ?

2024-04-30

anond:20240429220702

おめでとう

そして自分も選んでることに無自覚間抜けさが好き

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん