はてなキーワード: 三条件とは
親戚の人間に付き添ってその親戚の墓の掃除に行ったんだか帰り道夜も遅かったので霊園入り口付近の墓守らしき家に「なんですか?」といかにも警戒してそうな強い口調で呼び止められた。
親戚は経営やってる社交的な人なので「〇〇さんの友達で墓の掃除に仕事が終わってから来た」みたいなことを言っててその時は「いきなり〇〇さんとか言われてもねえ」とか墓守のおっちゃんは言ってたが、なんかその後も同じようなことを言ってるように聞こえたんだが何故かその2度目の発言あたりからおっちゃんのトーンはやわらいでいき墓に雑草が生えている写真を見せてる頃にはすっかり警戒心が解けているようだった。
話し終えるとおっちゃんは「失礼しました」てなことを言って嘘のように態度が変わっていた。
私はこういうの苦手なのでとばっちりがとばっちり来ないように数メートル後ろで、少しでもどう懐柔するのか話術を学ぼうとしていたが、いかんせんそれでもいつこちらにも矛先が向かないかとヒヤヒヤしながら聞いていたのであまり頭に入らなかったのである。
今回全国の子供の英語の話す力が低いとの結果が出てますます英語教育に注力するようになるのだろうが、どうなんだろうか。
語学が教えてくれることはしょせん意味を相手に伝える表現を組み立てる技法であって、そもそもどの意味を伝えるべきかということを臨機応変に決定する考え方そのものが低レベルならば、何語を学んだってその言語圏でコミュ強にはなれないどころか、上記のような場面で警戒心を解かせるどころかドツボにハマって大事になりかねない。
文法的に正しいことを言っていても、滝沢カレンみたいに単語の選択等に困難があると言うことでなくても、話として自体は噛み合っている受け答えであっても、この三条件を満たす受け答えすらある場面ごとに無数にあるわけで、その中で相手の機嫌を損ねない受け答えを選択する技能がない私のようなコミュ障としては、英語云々とかいう話題にどうも冷めてしまう。
鋭い切り口の批判だけど、納得ができません。
①
やりたいは苦労を打ち消すのですか?
AEDを使って誰かを助けたくて、あるいはワクチンを打って社会に貢献したい人がいれば、
女にAEDを使わない・ワクチンを打たなくて良かった、は許されるのでしょうか。
②
「ありがとう」は、「有り」「難い」が語源ですが、コンビニ店員やレストランの給仕に感謝するのは間違いでしょうか。
③
才能や環境に恵まれていて世の為になる苦労をラクにこなしてる人たちが多ければ、彼らの恩恵を当然視して・無視してよくなるのですか?
🅰 苦労してる誰かの恩恵に預かっていて
自分たちだけが特権的に恩恵を確保しておいて、他者がそれを受けるのは妨げる。
そんな発言は、恩恵に気付いてなければ傲慢、気付いていれば不誠実だと感じます。
たとえば
「逆に、社会が全力で子どもを産み続ければ破綻するのだから、子どもを産まない人にも感謝しろ」
—— 🅰 を満たさないので感謝しないのは身勝手ではない。子どもを産まないのは特に苦労しない。
—— 🅱 を満たさないのでセーフ。恩恵を拒絶するなら特権的ではない。
—— 🅲 子どもを産ませないのを推奨する意図がないので、本文中で子どもがいないのを明かしていても文句は言われない。
追記注・
私見では、
「私は子供を持ってよかった」、「私は子供を持たないでよかった」、
それらの意見は必要です。でも、覚悟を持って言われる世の中であってほしい。
私は、ゲームプレイを Youtube で配信してる人たちを時々批判しています。
彼らの中にカジュアルゲームを「バカゲー」と評する人がいるのです。
少人数で作られた気軽な笑いを狙うライトなゲームだろうと、ゲームを作って生計を立てること自体が地獄のごとく苦しい。
それを知ってほしいし、その恩恵に預かってることを忘れないでほしい。
I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.
私は、人間のあいだではすべてのことが三つの欲望に依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれたときから始まります。あらゆる動物が自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気を燃え上がらせる「性欲」の炎です。
今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトンの著作は明治時代に翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。
欲界三欲
(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠而不能勤修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。
欲界三欲
1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。
『翻訳名義集』は中国・南宋時代に編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在のスタンダードである。
いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。
『養生訓』は江戸時代の大ベストセラー。貝原益軒は儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶のことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教的である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。
『歌学提要』は幕末の歌人・香川景樹の理論をその弟子の内山真弓がまとめたものだという。
人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。
ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。
これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアン・プレイフェアのスピーチが翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師は黄金・健康・不死のために賢者の石を研究していた」…みたいな内容だったらしい。
they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.
村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中の文章で「日本人は三大欲求の生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。
人間の三大慾望たる衣食住
個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的なもの」「必要なもの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち「欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。
美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか。
明治以降は経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。
もとはアメリカで1948年に刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。
といった記述がある。
食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。
いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。
本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである。
この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。
貞潔・清貧・従順の修道三誓願は人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。
これはつまりカトリックの修道士が守る三誓願の対義語となるような欲望(貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順↔支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックのあいだでポピュラーな解釈なのかは知らないが、三誓願そのものは3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。
現在の一般的な認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白い現象である。
わいせつ三条件とか見ると明らかだけど「お気持ちの保護」って、現状では表現の自由よりも高い価値を持たされて、より強い法的な裏付けをもたされてるんだよな。
「わいせつとは徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義概念に反するものをいう」
「近親相姦とか超気持ち悪い。死んで欲しい」って言う「普通人の正常な性的羞恥心=お気持ち」にもまた、法的な裏付けを持たされてて、これをひっくり返すにはやはり時間がかかる。
具体的には「そう云う気持ち悪い奴らへの迫害には正当な根拠がある」と考えている世代の死滅なんだよね。 宿主の死滅でしか消えない偏見というのはあるのよ。
>まだ正規、非正規って言葉を使っているんだけど、無期雇用、有期雇用に変えようぜ。雇用期間が限定されているかいないかの違いなんだよ
これは明確に間違っています
⑶直接雇用
この要件で考えると
平成27年の労働者派遣法改正によって、近年増加傾向にある「無期雇用派遣」は
逆に「統計調査における労働者の区分等に関するガイドライン」(平成27年5月19日)によると
「契約上は嘱託・契約社員だが、事業所において、正社員・正職員として処遇 (位置付け)されている社員」は
具体例を上げると、平成24年の高年齢者雇用安定法の改正によって
近年増加傾向にある「定年再雇用嘱託社員」のうち、「定年退職前と同様の職務、給与等になっている人」は
実際、平成24年度(2012 年度)就業構造基本調査によれば
・人工呼吸器など重症患者に必要な設備・機器は有限なのだ。無制限に置いてあるわけではない。
・人工呼吸器による治療には2週間かかる。つまりその間、その機器を占有するから使える台数が1つ減る。
・これまでに見たことのない症状で、重症化の条件が未解明。いきなり来るところは、まるで時限爆弾。
・現場の医療従事者は専門的知識が無いと足手まといであり、頭数だけそろえるのは逆効果。
・以上のことから、ある時点での重症者の人数を低く抑え続ける必要がある。
( http://hissi.org/read.php/livejupiter/20200320/aEZFVHBQWVFh.html )
・重症患者を低く抑えるには、感染者を増やさないことが必要条件。
( https://www.washingtonpost.com/graphics/2020/health/corona-simulation-japanese/ )
・感染者を増やさないためには、健常者が出来るだけ感染者と遭遇する機会を減らすべき。
・しかし完全に接触しないのは無理なので、「三条件」がそろわないように留意してもらいたい。
・でも「長い時間」なんて言っても国民は納得できないだろうから、取り敢えず「2週間」。
・「三条件」への留意は国民個々人が常に気を付けるということ。「担当者」なんて存在し得ない。
・相手は科学的存在なのであって、国民個々人の心情や感情は通用しない。わがまま言うな。我慢しろ。
・でもそれを言っても納得できないだろうから、取り敢えず「専門家会議」と「2週間」で乗り切る。
・みんなで頑張ろう。頑張るための目当てとして、取り敢えず「目標は五輪開催」としておく。
・ガス抜きは考えているけど、臨界状態を超えて「オーバーシュート」が出現するのにガクブル。
・要請だけど、油断するなよ。6千人集まるとかヤバイだろ、こら。
・テレビで紙が無くなるというから、トイレットペーパーを買っておこう。幸い並ぶ時間はある。
・テレビで紙が無くなるというから、ティッシュペーパーを買っておこう。幸い並ぶ時間はある。
・テレビで紙が無くなるというから、紙ナプキンを買っておこう。幸い並ぶ時間はある。
・ナプキンというから生理用品も買っておこう。幸い並ぶ時間はある。上がっちゃってるけど。
・LINEで友達から販売情報が来たので、ここが終わったら次の店に回ろう。幸い並ぶ時間はある。
・年寄りだけ死んでるんだから、オレら関係ないもんね。授業休みだから遊びに行こうか。
・学校休みで友達と会えないのがつまらないけど、ゲームできるからいいかも。新作買ってもらったし。
・親が仕事休んで付きっ切りなのがウザイ。やっぱ学校行きたいかな。
・団塊の世代、ウザイ。タヒねばいいのに( #BoomerRemover )。
【親の気持ち】
・通勤時の感染怖いし、取引先から発注落ちてるし、仕事にならないじゃん。
・細かいことはどうでもいいから、とにかく日常を取り戻したい。
・かもすぞ
これは反応に迷うよなあー。
現状の法律では良かれと思って手伝った人まで幇助罪に問われるし(某評論家のケースとか)、
それに電車や自動車事故、飛び降り、縊死、どんな手段をとっても物凄く辛い目に遭う人が出るからね。
お家で首を吊ると、大島てるに掲載されて大家さんが凄く困ったり、公有地でも捜索隊や警察の手を煩わせる。
自動車の前に飛び込むと、運転手の残りの人生を終わらせるが、電車事故の場合でも、人生のかかった商取引に向かえなくなる会社員、
親の死に目に会えなくなる人、色んな人にとって取り返しのつかない遅延を発生させるからね。
とにかく、他人への迷惑を考えると、自殺だけは思いとどまるべき。
元増田も死ぬ瞬間、どんな手段であっても激痛が走ると思うしね。
以上の前提を考慮した上で言うが、私は「死」自体は自己決定権の一部だし、むしろ個人の意思に沿って選んでいいと思う。
欧米の人権先進諸国とは違い、今の日本は遅れていて、安楽死制度が整っていない。
自殺はダメだが、そうではなく、医療的に痛みを伴わず、公共機関や不動産への支障を及ぼさず、
進路指導、転職面談、カウンセリングの場で安楽死という選択肢が出ることすら自由主義社会の一環だと思う。
「うーん、この成績だと、希望の進路は難しいかな、、、かといって就職斡旋も難しいし、、、君の第一志望が安楽死ということなら、しょうがない、推薦状書くよ」
「あなたの境遇では確かに奥さんの希望とお仕事との間で整合性がとれないし、希望するのであれば確かに安楽死もあり」
人生の絶頂での安楽死、家族の負担や結婚を考慮しての安楽死、難病の苦痛から逃れるための安楽死、色々なありかたがあると思う。
以上のように安楽死制度があればいいのだが、不幸にも本国には存在しない。
子供が欲しいという奥さんの希望も尊重しつつ、元増田がとれる選択肢としては、、、。
時折、講演会のようなイベントを開催して当事者が体験談を話すことがある。
講演会の趣旨からは逸脱するのだが、元増田は一度聞きに行くことを勧める。
そこで元遺児の話を聞き、「これは、、、親が自殺したら、子供は経済的にも世の偏見からしても不憫だな、、、」と感じるなら、子を作らずに死ぬしかない。
でも、ご自身の年収とも相談して、十分な遺産(貯金)や保険金・遺族年金さえあればどうにかなりそうかな?って感じたら、奥さんの希望を叶えてとりあえず子供は作り、そのあと死んでもどうにかなるだろう。
子供にとって「父親が自殺した」というレッテルからも逃れる方法として、いったん離婚するという選択肢がある。
ただし、元増田のことを奥さんが好きだ、という面にも配慮する必要がある。
いったん離婚して、しばらく子供が生まれても嫡出推定が元増田に及ばないだけの時間、奥さんに我慢してもらう。
法律上はとりあえず離婚して、ちょっと時間を置いて、その間に奥さんが妊娠・出産して、
生まれた子供の父親が元増田だと法的に推定されないだけの期間が経過してから、もう一回奥さんと再婚する。
その後に死ぬ。
そうすれば元増田の死は、子供からすれば父親でもない単なる母親のツレの死ということで処理され、不利益はかなり軽減される。
精子提供が得られれば良いが、不妊の医学的認定などが条件として課される場合は厳しい。
別のセックスパートナーを奥さんに見つけてもらうという選択肢もあるが、
もしその男性が子供の父親として法的に認定されたら男性にも迷惑がかかるし、そもそも奥さんは元増田以外の性交相手を探すことに抵抗を感じるかもしれない。
だとすると、いったん離婚して嫡出推定が無効になった期間に、元増田が精子を提供するしかない。
以上のように、
・奥さんは元増田が好き
・奥さんは子供が欲しい
この三条件を同時に満たす選択肢は意外にトリッキーなものが存在する。
元増田の希望は一個しか叶えられないにも関わらず、奥さんの希望は二つも叶えるのだから、奥さんにはなんとか妥協して欲しいところだよな。