はてなキーワード: SEXとは
初めの内は「差別はいけない事だよね、分かるよ」と割と協力的な姿勢で居ようかと思っていた
それがここ最近「宇崎ちゃんポスターとanan表紙のSEX特集への対応の違い」とか、「BLは性的搾取ではないのでポリコレには当てはまらない」など、差別反対を訴える側の行動や言動に違和感を覚える事が増えてきた
まあ彼らは「弱者のために声をあげて戦う人達」なので弱者じゃないなら自分達で勝手に何とかしろって事なんだろう
当たり前だけど差別と戦うと公言する人達は全ての差別と戦う訳では無いし、自分達が差別に加わる事もあるんだろう
この前の緊急避妊薬の市販化に対して、複数の人物がたった数年で意見を変えて「自分は初めから市販化に賛成だった」と悪びれもしていなかったのもショックだった
ポリコレ、LGBT、ジェンダー、フェミニズムなどの活動に関して今後自分は一切協力しない、むしろ消極的反対の立場であり続けようと思う
人間自分の興味のある話題には幾らでも夢中になれるけど興味のない物には冷淡になるのは当たり前だと思う
当たり前だと思うけど宇崎ちゃんとananの件に関しては「宇崎ちゃんは女性が不快になるから駄目」「ananは不快じゃないから男が勝手に抗議しろ」って言い分に見える
フェミニズムが女性の地位向上を訴える思想や運動である事は何となく知っていたけど
「巨乳の女の子は不快」だから駄目、「半裸でSEXしている男性は不快でない」から有り、ってあまりにも違う対応を見せつけられると…
普段フェミニストの人が言ってるジェンダーがどうのルッキズムがどうの男女平等がどうのって聞こえの良い完全なお題目でしかないんだろうなって受け取ってしまう
フェミニストを名乗っている人の大半は男性嫌悪を拗らせたミサンドリストも兼ねてると発言を見てると思うから男が好きそうな物はこれから全部攻撃していくんだろうな
同性愛者じゃない男性同士が仲良いのはホモソーシャルって忌むべき慣習なんだっけ?同性愛者じゃない女性同士が仲良いのはセーフなんだよね、フェミニストによれば
女が皆、あの表紙を受け入れていると思わないでくれ
以下補足。
ananの表紙だろうと、男性向けのエロだろうと。排除したい、なんて思ってません。
何なら私もエロ本は読む。
言ってる意味がよく分からないんだが、それなら宇崎ちゃん献血ポスターは性差別に相当し、anan SEX特集はそうでない理由を述べなければならないのよ。
それをしないで「批判したい奴がすればあ」と述べたので、彼の中ではその二者は共に性差別の文脈にないという認識なのだろう、となるのは明白なわけ。OK?
ananのSEX特集も宇崎ちゃんの献血ポスターも、性的消費や性的搾取などでは決してない理由は、そのコンテンツにある。表紙だけ見ていては分からない。
ananは基本how toの文脈にあるだろうし、宇崎ちゃんは一向に進展しない純情ラブコメに過ぎない。
フェミが批判を受けるのは、その時々で物語など関係ない表紙だけで問題だ、公共性が問題だ、としながら、ananは問題なしとする、そのご都合主義なんだよ。
勿論それが単なる不快感ならそれぞれが言いたいように言えばいい、しかしフェミは性差別の文脈で表現批判を加える以上、そのダブスタだけは絶対に許されないのだよ。
@inumash 16時間
ananの表紙を批判する男性側の言説の多くは、自身が「問題だ」とか「これは嫌だ」と考えるのであれば
まず「○○は止めてほしい」という主張になるはずのところ、
これについて見ていきたいと思います。
これはおそらく違うでしょう。
フェミニスト・表現規制派がanan表紙を批判しないこと」を指摘しているのだと思います。
まず「○○は止めてほしい」という主張になるはずのところ、
そのような主張になるはずはありません。
別の表現たる○○を「止めてほしい」という主張になるのは考えづらいことです。
すでに明らかなように
批判されているのは「○○という表現(今回で言えばananの表紙)」ではなく、
「フェミニスト・表現規制派の表現を焼く行為及び、その際に掲げてきた大義名分の欺瞞」の方です。
であるにも関わらず後者に反論しないのは後者に正対すれば不利になると読めているためで、
かわりに反論しやすい別の相手論陣(「ananの表紙が許せない」「我々も表現を焼きたい」)を捏造しているのです。
「私がなんか嫌だから焼くだけ」と正直な名分を掲げていれば、董卓氏の今回の擁護は成り立ちました。
しかし実際の名分がそうではなかったことは、董卓氏含めた我々全員が知っています。
というものでした。
セクハラはもちろん議論をまたない重罪·人権侵害であるため、セクハラであろうといわれてしまえば責任者や団体に重い圧力がかかります。
しかし
セクシャルに表現された肢体が「好き嫌いの次元でキモい」ではなく「セクハラ問題・人権侵害問題」なのであれば、
そしてフェミニスト・表現規制派が「自分の嫌なものを焼く集団」ではなく「セクハラに立ち向かう人権闘士」なのであれば、
その抗議対象が女性の肢体であるか男性の肢体であるかで抗議の鋭さが激変する(果ては、後者には抗議しない)ことは名分と多いに矛盾し、都合の悪いことです。
anan表紙の表現、イケメンの半裸やその横に添えられたSEXなどの文言には同じ人達からの抗議の声が弱いのであれば、
「あれ、『公共の場のセクシャル表現はセクハラだ』という主張は本心ではなかったのかな」
「単に男性が喜ぶと思われる表現が憎かっただけで、同じような表現でも女性向けであれば看過したり楽しんだりするのかな」
といった疑いの視線が周囲に起こるのは当然ではないでしょうか。
フェミニスト・表現規制派はつまり、そのダブルスタンダードが疑われるような反応の違い·ステートメントの違いを指摘されており、
ひいては「あなた達が表現を焼くときに使った大義名分正義の旗は嘘だったのか」
ということが問われているのではないでしょうか。
「anan表紙が気に入らないの?」
セックス・シンボルや国際的な活躍を目指してるのよ! (なりましたマドンナ、蒼井そらなど)
誰もが観れるヘルシーなポルノを作ってるのよ!
「セックスワーカーだけ目的意識がないといけないのはおかしい。OLの腰掛けと一緒じゃない!」 とか言いながら
本当にどうにもならないと思っている
日本はどうかわからんけど、海外じゃオンラインチャットSEXみたいなのがそこそこ流行っているらしい
こういう方向にいくと平和かなっておもったりなんかしたり