はてなキーワード: 資金面とは
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160521/k10010530181000.html
痛ましい事件が起きたわけだが
問題点をまとめると
・アイドルのマネタイズに問題がある(主に異性のファンから好意を集めて、それを換金する作業でしかない)
・ファンから巻き上げるお金に対して、ファンに対する物理的なリターンが少ない
・のめり込みすぎてブレーキの働かなくなったファンの抑止効果、役割が整っていない
・アイドルに対し、資金面、バックアップ体制の不十分だった場合、事件の事前防止が困難である
・ストーカーに対して事件発生する前に事前防止する法体制が整っていない(事件が起きてから動ける)
・異性のファンではなく同性のファンによって成り立つアイドルビジネスを作る → ももクロとかがそのような存在に近しいらしい(あくまでらしいとしか把握してないが)
・ファンに対する物理的なリターンを大きくする → 上位購入者に対する愛人化制度(うんゲスだな)
・のめりこみすぎたファンへのブレーキを働かせる → マイナンバー登録による完全監視化(こんな監視社会など牢獄でしかないな)
・アイドルに対するバックアップ体制の整備 → 各事務所連盟でのボディーガード軍団結成(実に闇の組織っぽい)
・ストーカーに対し、事前相談で動ける法整備 → 人手の問題があるのでボディガードロボットが出ないときつそう(近未来の話)
ここまでまとめてアイドルビジネスってまともなもんじゃないよな、自分から虎穴に入ってるようなものだし、分かってて入ってる分、第三者がどうこうできるもんじゃないな。
北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。
その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌の創成川沿いに設置された。
当時は札幌農学校の講師が教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名の文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書を回覧し、開拓使に勤める吏員が印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的なブックマークを行ない、出身の薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。
ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞に掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの、政治や社会に関するものがあり、それに対する道吏員のコメントは新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章やブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。
明治44年の後の大正天皇の行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである。現在の雨竜町に大農場を経営した蜂須賀茂韶(しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道に土地を所有したり工場を経営する政府要人のブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓の傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。
大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事にブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦の好景気を経験した道民のデモクラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民の記憶に遺されるものであった。
戦時中は統制政策のもと増田の文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しかし増田家やブクマ家は当局に面従腹背、うまいことごまかした文章やブクマを行ない、ネタや時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。
戦後の民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体。野幌の現在地に民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田のさらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情や資金面での苦慮により昭和29年に増田執筆者公選制度は頓挫。北海道は重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業や鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道に労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官の高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士のスキャンダラスなネタや増田小説(えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20年から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界をリードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。
ん?
今でもマッチングシステムはあるんだが(んで民間のNPOなんかがやってて資金面で問題があるので公的に税金でやるべきだという議論になってたと思うが)
そもそも「実親が育てられない子はなるべく幼いうち・出来れば生まれた直後から養親の元で育てられるべきであり
施設で育てるのは子に対する人権侵害である」ってのが世界のスタンダードで、
(つか親が育てられない子の殆どが施設に居るって流石中世ジャップランド、ってのが世界におけるこの手の分野の日本の評価だが)
そういうNPOはそれを踏まえて役にたたねーお役所の代わりに子の福祉の為に頑張っているわけだが
それが何か問題でも?
はてな界隈の「少子化は由々しき問題だ」という論調に流され、ふと試したところ、本当に子どもを授かってしまった。
何度もシミュレーションして、30代の平均年収以下(首都圏在住・フルタイム正社員・年収300万円台)でも、
今と同じ、「共稼ぎ」を一生続けることができれば、資金面では不足はないと確認した。
逆にいうと、一生涯働き続ける覚悟がなければ、もはや産み育てられないほど、「子どもは金持ちしか持てない贅沢品」だ。
庶民には、手が届かない高嶺の花。一人はともかく、2人以上は高所得者だけの特権。
しかし、それでも、比較的安全・平和な国、日本に女性として生まれた以上、
大学進学、就職、結婚(結婚式・新婚旅行)、そして出産・子育てという「人生のフルコース」を味わいたいと思ってしまった。
子育ては、コース料理の最後の「デザートビュッフェ」のようなもの。食べる/食べないは、個人の好み。
次々と新しいお菓子が出てくる「デザートビュッフェ」は、一度、足を踏み入れたら欲望が止まらない、半エンドレスなステージ。
そのためには、女性であっても、仕事に熱心に取り組み、配偶者に頼らず、自分一人の力で子どもを育てるという強い覚悟が必要。
ただ、実際に体感してみて、今の日本で少子化が進むのはやむを得ないと感じた。
「つわり」と総称されるさまざまな身体変化・不快感は、仕事と両立しない。
検索すると、どうやら、かなり軽い部類らしい。軽度でもこんなに不快なら、重度の人はまったく仕事にならないだろう。
少子化対策として、育休・産休取得者1名につき、国が相応の補助金を出せば、企業側の負担は減り、一般社員は、会社の業績や人員配置を気にせずに報告できる。
誰でも思いつくような、こんな簡単なことがなぜできないのか。
もう一つ、雑誌やインターネット上のエセ科学に辟易した。妊娠したらオーガニック推奨、健康に気をつけて、ではなく、
年齢や性別、体調を問わず、「健康的でストレスのない生活」を送れるようにするべき。
不安につけ込む関連ビジネスのカモにされている感は否めない。結婚式を含め、こういう独特の雰囲気が嫌いな人も多いはず。
未婚化・少子化の隠れた要因の一つかもしれない。