はてなキーワード: 童貞とは
水飲まずには生きていけないが、一生童貞でも死なないやで
はじめてソープに行ってセックスをした時に私は女の子に慰められた覚えがある。
AVを見てるとまるでセックスってキスして挿入して射精したら終わりみたいに思えるけど、実際は全然ちがくて
穴はやたらぬるぬるしてるし小さいし
とりあえずここが弱いのかなってとこを責めれば
喘ぐかなと思ったら全然だめだったりするし
要するに実際のセックスって難しいのだ
しかも、男だけ気持ちよくなっても女の子は気持ちよくない場合もあるし、かと言って女の子に合わせてばかりだとこっちは負担ばかりで腰が痛い
●性欲強太郎
いちいちホテル代-3000円、コンビニのおにぎり代-100円とか出費を記し
会ったことのある女性から「原稿料数万円要求された」とリークされたり、
わざわざ都内から地方まで夜行バスでオフパコしに行ったのに、相手の女性から
「飼ってるインコが危篤なので病院に連れていきます」「インコが死にました」と連絡がきて
結局会えなかったインコ事件があったりして、軽く炎上し、その後復活するもののいつの間にか更新が途絶えた。
●暇な女子大生
高学歴(東大京大一橋東工大早慶と医学部医学科)にしか興奮しない性癖で、
芸能人がラジオで触れたり、AVになったり、池田エライザ主演でドラマ化したり、世間を巻き込んだ強大なコンテンツだった。
本人は高学歴男性とのオフパコを存分に楽しみ、彼氏ができたことをきっかけに活動を終了。
●中村
大学中退フリーターの男性。痛々しいツイートを繰り返していた。
上記の暇な女子大生とリプでやりとりしており、僕とセックスできますかと質問し
「大学中退高卒フリーターですよね?ありえませんまんこが腐ります」と一蹴された。
しかし暇な女子大生がフォローする唯一低学歴の男性でもあった。
本人の垢は消えているがtogetterのまとめだとまだ読めた。 https://togetter.com/li/1066646
こんな人間でもオフパコしたいと言う女性が現れることに驚いたが、有名になってしまえば容易いことか。
ブログもやっていて、今頑張って思い出せる内容は
・女性とデートした際、前はスカートで会ってくれたのに今回はズボンだったからもう僕のこと好きじゃなくなったのかもと思った
・女性とカラオケに行き、僕は歌うのは恥ずかしいから歌ってほしいと言われても拒否したけど、彼女には歌ってほしいと言った
みたいな感じ
カラオケの件はコメントで「自分は恥をかいたり傷ついたりするのが嫌なのに相手にそれを求めるのはよくない」と真っ当なことを言われていた
半分くらいで読むの挫折したけど俺みたいなチー牛で童貞よりもお前の兄の方がよっぽど良い人生送ってるじゃん。現に俺は彼女居たこと無いけどお前の兄は彼女居たんだしそれだけ魅力的な人間だったんでしょ。良かったじゃん、良い兄持って。
つまりは大好きな彼氏への攻撃としてはダメージが見込めないのではないだろうか?
なぜそのような物
私は「童貞を殺すセーター」という名称は正しくないのではないかと思っている。
正確に言うなら「童貞が死ぬセーター」である。それは裏返せば「非童貞は死なないセーター」である。
大好きなカレシに見てもらうために女子が着たセーターにより、路傍の童貞が勝手に死ぬ。
これが正しいのではないだろうか。
それには異論がある。
童貞を「殺す」のである。この「殺す」という言葉には、幾分かの「裏切り」もしくは「加害性」が読み取れる。
これをもう少し現実的な言葉に言い換えるなら「その気はなかったのに、つい殺されてしまった」となる。
どういう事か?
端的に言えば、童貞がそれと意識していない状況で、あのセーターが凶器として使われた、という事である。
例えばこうだ。
童貞の部屋に来た女友達(大学か職場の同期、もしくは先輩。Dカップ以上)が、童貞の煮え切らない態度に憤慨。
童貞がゲームに熱中している間に「トイレ借りるよー」などと虚偽を行い、トイレで例のセーター(Amazonで購入)に着替え、
裸の上にあのセーター1枚というのは家から着てくるようなものではない
じゃあどうやって?
童貞を殺すセーターを持ってホテルに入って一回裸になった後に着るんだな
一回裸になった段階でたまらずセックスしてるかもしれないし、童貞を殺すセーターを着て見せようというのは既にそれなりの関係という事だ
つまり
私は童貞ではあるが、童貞を殺すセーターは私にはもう効かないことを主張したい
それは、私が童貞を殺すセーター攻略の探求を半世紀に渡って続けてきたからに他ならない
誰か童貞を殺すセーターを装着して私の前に現れてほしい
チー牛という言葉が何を示すのか。秋葉原に居そうな服も吟味せず自身のケアもしないメガネのオタクがそうだとか、小学校のクラスメイトで思い出せないレベルだとか、勘違いして暴走する救いようのない童貞がそうだとか、侃侃諤諤の主張がここ数日よく見られる。共通しているのは、チー牛の三文字が弱者へのレッテルとして、また精神的な嫌悪として十把一絡げに属性を与える便利な言葉というところだろうか。
私も便利な言葉だと思っている。その言葉を使う人間の露悪的な本性と、犬畜生に等しい浅ましい性格がすぐさま見れるという点において、大変便利だ。
しかし考えてみれば、朧気な記憶で発達障害や就労支援に来るやつを示そうとして、チーズ牛丼を頼む者のイラストが合わさった途端、猫も杓子もチー牛チー牛と弄り出したのは不思議なものだ。他の料理でもやってみればどうだろう。二郎系ラーメンとか、コラボカフェのケーキとか、ケバブとか、マックでもいいかもしれない。どんどん試してウケれば流行るだろう。第二のチー牛は何になるのだろうか。その料理を頼む人間をうまく可視化するのは、中々に知恵がいるかもしれない。
興味深いのは、この言葉を投げつけられる諸々の人でさえも自虐とする時がある事だ。彼らはどのような心理を抱えて日々を生きているのだろう。特に好物でもないであろう一杯の牛丼を食ってそうなどと言われ、言い返そうにも寄って集って囃される時、もはや同調して引きつった笑いを浮かべるしかないと思うが。人並み以上に精神を蝕まれているだろう。彼らが少しでも早く『世の中も案外捨てたもんじゃない』と思える時が来ることを願いたい。本来は社会がそれを分かりやすい形で与えるべきだとは思うのだが。
なお最後に添えておくならば、私はチー牛という言葉とそれに連なるムーブメント、自虐を除いてその言葉をそうした意味で使う人々について、徹底的に批判する者でありたい。
何の疑いもなく、食物を粗末にする馬鹿な連中である。悲しい哉、子供の頃に親から教えてもらわなかったのだろう。世間では何食わぬ顔をしていようが、頭も性格も凡そまともな訳が無いのだ。コンビニのおにぎり一個に飢え、生活に喘ぐくらいまで落ちればいい。
チー牛というネットスラングが戒められるその時に、その言葉を軽率に使い、また多用してきた者らはどのように『しらを切る』のだろう。それが今から楽しみで仕方ないのである。
童貞だけど脱毛申し込んだらその場で腕と脚やってくれるって言われたからホイホイうけた。
とりあえず全裸で治療椅子に寝そべったら二人がかりで腕と脚をバリカンでつるつるにされた(かなりこそばゆい)。その後ジェルを塗られ光を照射される。「痛くて耐えられない人もいるんですよ〜」と言われたけど耐えられないほどではなかった。ただ初回だから未知の感覚を痛みと認識していなかっただけなのかもしれない(ジェルは冷たいのに照射されたときはほんのり温かく感じる謎の感覚は楽しかった)。明確に毛が濃くて太い部分は痛みを感じた。
とりあえず初回なので感想は知らない体験ができて楽しかった止まり。次はヒゲだけど痛みを想像して震えている。でも麻酔高いから…
萌え絵が性犯罪を助長するとは思わんが、夢見がちな弱者童貞を量産するのには一躍買ってると思う
弱者童貞は弱いので無害だが、キモいという欠点があり、見た目の印象が性犯罪を起こしそうなため、存在が性的嫌悪感を煽り、世の女性の脅威となる