はてなキーワード: リボ払いとは
一括払いは利子が取られないどころかポイントという形でついて来るからいいんだけど、リボ払いとかはやめといた方がいいね。よっぽど急な出費でやむを得ないとかならともかく。(←そういう場合のために貯金しとくものだけど)
お金の入ってくるタイミングとそこを尽きるタイミングのちがう人はおるんよ
お金の尽きるタイミングが決算期で赤字決算で繰り越す企業もあるんよ
アメリカがカジュアルにカード社会なのは基本週払いが多いから週末に精算するのが多いのよ
人種違うのを感じるよね。
お金なんて手元に余っていくものだろうに、なんでそんなにカツカツなの?って感じ。
リボ払いの上限いっぱいで払いが苦しいとか言ってる奴とか、クレカショッピング枠を現金化して自転車操業してる連中とほとんど変わらないじゃんと思う。
まあ逆に考えれば、平均年収500万以下と言われる日本でみんながみんなちょっとしたブランド品もってたりクルマ乗ってたりと
「そこそこ」の生活をしてるように見える実態は、下のほうの人が精いっぱい見栄張って背伸びしてつま先立ちしながら
必死に平均に合わせてるんだろうなということがわかる。
当方娘。何年も前から向き合っているが母親を止められず、母が死ぬまで私が尻拭いをすると思うと先が暗い。
迷惑をかけてしまっている医療従事者の方やサービス業に携わる方にも申し訳ない。
どうか、同じような父母を持つ増田さんにご助言を賜りたい。繋がれる福祉サービスなどはないだろうか。
登場人物の要約:気性が激しく感情的な振る舞いを抑えきれない母、逃げた父、診断済ASD・複雑性PTSDで親元を離れたばかりの一人娘。
以下に詳細を記す。
50代の母は情報リテラシーが低く、リスクの高い行動に流されてしまいやすい。
生配信サイトのツイキャスで反ワクチンの陰謀論に触れてからはワクチンは打たず、手を洗わず、マスクはせず、咳は手で抑わない。職場では我慢してマスクをしているようだ。
御多分に洩れず水素水も買った。ホメオパシーにも感化されレメディも、EM菌の商品も。
50代の方でインターネットを利用して信頼できる情報を探り当てることが困難な方がいることは当然だ。ある程度こういうものが生活に混じってくることは仕方がない。問題が起きそうな時に止めてくれる誰かが周りにいれば良い。しかし私はその「誰か」にはなれそうになかった。
父は母と私から逃げて暮らし、離婚を考えているそうだ。母の姉妹や両親は母と離れて暮らす。母の周りにお節介な友人もいない。誰も「誰か」にはなれない。
加えて、母の感情的な衝動性は隣にいても止められるものではない。その一面はクレーマー気質にも表れる。
商品やサービスに少しでも気になることがあると、感情に任せて店やコールセンターに電話をかけてしまう。怒鳴りつけて終わることもあれば、店員を家まで呼んで謝罪させたり、返品なしで返金させたりするまで止まらないこともある。
何か気になることがあると我慢ができない。特に買い物は我慢ができない。母のクレジットカード明細に、膨れ上がったリボ払いの金額が記されていたこともある。
私は嫌な予感がするたびに母に向き合ってきた。
私は科学的根拠や実在する士師業を信頼し、自分には困難なサービス業に勤める方や医療従事者を尊敬している。(これが必ずしも正しい考え方かどうかは、今は語らない。)
母が視聴した生配信を観て、根拠の薄い話・医学的に否定されている話は情報源を併記し説明した。
母は長い文章や口頭での長い説明が苦手なため、平易な言葉遣いで最低限の情報を心がけつつ、危険な情報源からは距離を置くように説得した。
介護に携わる方の体験談などを参考にしつつ、プライドを傷つけないような言い方も研究した。(仕事から離れ療養中で、時間はあった。)
しかしまるで相手にされない。幼い子どもの話をいなすように、今朝見た夢の話を聞くときのように、生返事をしてそっぽを向いてしまう。幸運にも聞いてもらえたとして、その助言は3日保たない。母の怒りに触れれば不機嫌になり、感情的に私や物に当たることもある。私一人ではこれ以上は対処のしようがなかった。
クレームをつけることについては、それ自体は大切なことだ。行き過ぎているところを私が確認できれば、都度宥めた。間に入り伝える役を担ってみたこともあった。どれもほぼ効果を成さなかった。
そもそも、大の大人の行動を一人で全て確認し制限するのは人権的にも無理だ。
私が精神的に衰弱していれば、前述の行動も全てできない。その上母が不機嫌な気配がすると、それだけで身体が強張り、次の日は寝込んでしまう。どうしようもない。
そのうち私が全く外出できない程に弱ったので、福祉と投薬に大きく頼り、数百km離れた土地に引っ越さざるを得なかった。今は障害年金と軽い労働でなんとかやっている。
母はといえば孤独にしてしまったので、以前よりも歯止めが効かなくなっているかもしれない。精神科で私を担当してくださった医師の方が、母親との連絡を避けるよう念を押したため、詳しい状況は確かめる気がない。
ところで、話の都合上ここまで母ができないことの話ばかりしてしまったのだが、母は決して最低な人間ではないのだ。長く同じ仕事を勤め、遅刻欠勤はしたことがない。手先が器用で私にはできないことがたくさんできる。私にはできないクレームの電話もできる(私はクレームの電話を入れようとするといたたまれなさで泣いてしまうことすらある)。私より容姿に気を遣うし、私がコミュニケーションに問題を抱えるASDでありながら服飾や化粧の知識を得て親戚付き合いのマナーを最低限身につけられたのも、母のおかげだ。多分、母とは他人として出会っていれば、素敵な先輩だと純粋に尊敬できたはずだ。以上のように、私の母のことをいわゆる毒親に分類することに対しては差し当たっては懐疑的な立場なので、そちらの文脈には吸収しないでいただきたい。
新しい土地で生計を立ててようやく、自分が放棄してしまった役割への自覚を持った。食事が美味しく、娯楽が楽しいと思える感覚を取り戻し、この生活を守りたいと思ってしまった。こうなると、いずれ面倒を見なければならない母のことが恐ろしい。いちいち詳細を書くことはしなかったが、母に対しては未だに許せないこともあり、いずれ生活が母に脅かされる想像をするだけで怒りが湧いてくる。身分不相応の欲だと知りつつも。
私の生活は、苦しい生活の中で納税し年金を払っている方々と、この趨勢の中で医療に携わっている方々、サービス業の方々、福祉の方々など、素晴らしいみなさまのおかげで成り立っている。既に贅沢をさせていただいているのに、父のように母を見捨てて楽になっていいはずがない。せめて母を福祉や医療に繋ぐところまでやるべきなのだ。母の「誰か」になってくれる相手へ。
畏ろうとして武士のような文章になってしまった上に、話題が前後する読みにくくなったこと、失礼した。父の詳細など書いていないこともあるが、文字数が気がかりなのでこの辺りで切り上げさせていただく。