はてなキーワード: バブルとは
バブルおばさん56歳です
仮想通貨、というものが初めて出てきたとき、俺はそこそこ興味を持って勉強して、結論は「仮想通貨が現実に使われるようにはならない」だった。
国家による統制を受け付けない、即ち、バブルやデフレの影響をダイレクトに必ず受ける通貨が、経済の軸になることなどあり得ない。
仮想通貨を使って何かを支払うことは、基本的にできない。信用ができないからだ。未来になればなるほどこの傾向は強まる。信用できないことがバレるからだ。
従って、仮想通貨は、その時バブルって値段が上がるとしても、本質的に需要を持つことができず、最終的には必ずチューリップと同じで破綻するであろう。
……と思ってたんだけど、今でもビットコインの値上がりだのが少し話題になってるって?
なんで? 流石にそろそろ、仮想通貨を決済に使うのは無理だってこと、世界の全員が気づいてるでしょ。
仮説①案外みんな仮想通貨のクソさに気付いてないだけで、もうちょいしたら全部暴落する
仮説②値上がってるように見えるのは、詐欺的なファンドの外部資金が流れ込んでるからであって、やはり仮想通貨の実質価値は既に底辺になっている。
仮説③なんか俺の知らない作用があって、実質的に何の役にも立たない通貨が、投機商品としてだけ永遠に価値をもちつづけることができる。
どれなんだよ。
ちょっとまえにiPhoneを買う価値ないとかそんなエントリがあった。
私自身も両方使っているけど、まあ単純に比較すればもうAndroidには勝てないと思う。
もちろん、細かいところで使い勝手の良い部分はあるのだろうが、USB-Cがないとか、画面分割が出来ないとか、フローティングキーボードが使えないとか(これ、大画面スマホを使うにあたっては必須と言える)、アプリ内購入ができないとか、指紋認証がないとか、重たいのにバッテリーの持ちがいまいちとか、それらの不便を覆すだけの良さは無い。正直iPhoneが使いやすいなんてのは、ほとんど迷信に近いと思う。
まあしかも高い。まあ高いのはみんな納得して買ってるんだろうけど、高性能な中華Androidが半分から三分の一の値段で買えるとなるとちょっと厳しい。
なので冷静に考えたらiPhoneは一部の富裕層の好事家が買う端末であって、実際に日本以外ではそうなっている。お金がなくても猫も杓子もiPhoneを買うのは日本だけで、その証拠に売れているのは未だに型落ちのSEとか、ちょっと前までなんてiPhone8とかだったりする。
それで思ったのだけど、私が入社したての頃(バブル末期)は猫も杓子も女性はヴィトン、男性はロレックスをつけていた。つけてはいなくても持っていたりした。
あれに価格相応の価値があるのかどうかは未だにわからないけど、なんか社会人はこれらを持たなければならないみたいな強迫観念でもあったのだろうか、ほんと、よくあんなの買っていたものだ。一つの信仰だったのかもしれない。
あれは機能やコスパでユニクロやカシオでいいじゃんとはならないもので、iPhoneも現代日本の似たようなイコンになりつつあるのだろう。なんだか分からないけど買って、そしてそれが一番とあらゆる理由をつけて思い込む類のイコンである。
大分過激な事言ってる表現の自由戦士界隈を非表示にしたんだけどさ(id:Gragraとかid:technocutzeroとか)、他の記事への影響ほとんどないんだよな
今回100IDぐらい消した上で、岸田絡み、45歳定年、トイレットペーパーの芯、さいてょ、ALS…とかとか色んなジャンル掘ってみて、「記事へのコメント」のカウントと表示されているコメント数の差が3~4しか出ない。
借金玉の時も若干減ったけど、フェミVtuber統一の話だけ決まって半分~7割ぐらいコメント消える
甘納豆。
父が自営業の仕入れへ東京に行く際、土産でよく買ってきてくれた思い出の品だ。住んでいる地元にはないお菓子、ちょっぴり都会の香りがするお菓子。
核家族の我が家は、父出張時、家で男は私だけになる。出発の前日、父は2人っきりの時に、いつも決まって私にこう、コソッと言う。
「増田よ、家を任せたぞ」と。
小学2年生の私は、その言葉に妙な歯がゆさ、男として認められた照れ臭さ、もしもの時は家族を守る、という緊張感が入り混じった感情になる。
父も小2の私に、家族の安全を守れる、なんて期待は、甚だしてないだろう。が、父は私に、長男としての自覚を、幼いながらも持たせたかったのであろう。
もちろん平和な日本だ。変わった事は何も起こらない。ただ子供ながらにも、父親不在の中、『何かあったら俺が』と、隠れた決意は心に秘めている。この決意は母や姉には言わない。父と私だけの男の約束だからだ。
小2の私は一人、隠れた緊張感を抱えたまま、父不在の家で過ごす。
父の出張は一泊二日か二泊三日。なんの事はない。極めて短い期間である。すぐに父は帰ってくる。父が帰ってくると家は色めき立つ。父は東京の沢山の土産と一緒に帰ってくるからだ。1990年代のあの時、まだまだ東京は遠かった。
父の土産は2種類ある。
一つは、仕入れ荷物と一緒に送られてくる物。大体、父が帰ってきた翌日に届く。父の仕入れは東京馬喰町、浅草橋界隈が中心。エトワール海渡という卸問屋のデパートで、仕入れ物と一緒に、子供向けのおもちゃとかディズニーのビデオを買ってきてくれた。小売店で買うより安かったから、いつもちょっと高そうなのを買ってきてくれる。自分の店で姉と遊んでいると佐川急便のお兄ちゃんが荷物を持ってきてくれる。(佐川急便の兄ちゃんはジュース奢ってくれたり、やさしかったなぁ。)
もう一つ土産は手荷物で持って来れる小さな物。基本は羽田空港とか、東京駅構内のお土産市場で買える小さい物。父も東京のうまい物が好きで、いつも旅行用ボストンバッグにほりこんで帰って来る。地元にはない、粋で洗練された、東京の名産品。
父が家に帰ってくると、姉と一緒に鞄を漁るのが楽しい。夕刊ゲンダイもよく入っていて、「東京の情報だ!」なんてドキドキしながらよく分からないまま、読む。
鞄の端っこの方に平べったい、紙に包まれた甘納豆がぺちゃんこになって挟まっている。紙の封を開けると、ザラメがまぶした黒豆が。子供にはちょっと甘ったるいが、中々味あえない東京の味。姉と一緒にチビチビ食べる。
甘納豆は、無事に家族を守った私のご褒美なのだ。父が帰って来た安心感と、家族を守るというミッションから緊解放された安堵感の味がする。一仕事終えた父と、一仕事終えた小さな私の、甘いお菓子。
最近、インターネットのランダムさが失われているような気がします。
昔はインターネットの世界も狭くて、よく知っているウェブサイトから一つリンクを踏めば未知の世界に出会えました。
でも最近はインターネット利用者が増えたこともあり、インターネットも広くなりました。
趣味の合う友達がいくらでも見つかるし、自分の好みのコンテンツが無限に生産されていきます。
でも逆に、馴染みのない領域にさらされる機会は減ってしまいました。
また、推薦システムがあらゆるところに実装されているのも問題です。
推薦システムは、興味のあるニュースや気の合う友人を探すのには便利ですが、未知のコンテンツとの出会いは減らしてしまっているように思います。
最近はフィルターバブルとかエコーチェンバーとかいう言葉もありますね。
そんなとき助けになるのが、ランダムなインターネット(乱数を使ってインターネット上のランダムなコンテンツや人にマッチングする仕組み)です。
ランダムなインターネットは、自分のプロフィールや好きなものとは無関係に、未知の情報をぶつけてくれます。
https://random-ize.com/random-youtube/