悲しいネタが見つかったら、ヒロシが、悲しいことを思い出しすぎて、鬱っぽくなったって、しくじり先生で言っていたのを聞いたときー。ファンとしては、こっちまで悲しくなった。
いつも、ここからは、どうなんだろう。メンタル大丈夫なのかな?
こうやって、元増田みたいにポジティブに考えた方が、心身の健康には良さそう。
いわゆる「良かった探し」をした方がいいんだな。
軽い気持ちで「レアチケット当たった!」と友達に嘘の自慢話をしたら引っ込みつかなくなって
電子マネー購入等によって1円単位で金額一致した領収書を入手して
怒ったふりをしてたんだろうと思う
一般論としての恋愛結婚っていうのは、「好きになったから→結婚する」という形式です。
しかし一方で、結婚相談所に行くというのは”結婚するために恋愛しに行く”場所ではないかと思うわけです。
そりゃ昔はお見合いという形で好きでもない人と結婚して、この後に関しては幸せになったり幸せにならなかったりしたんでしょう。
これも幸せになれないんじゃ自分の人生棒に振ってるようなもん。
で、この目的ありきの出会いっていうのがどうしても信用できない。
初対面の人の大半は初対面の時点で印象を90%程度決めつけるらしいですね。
つまり、先にスペックを要請される結婚相談所は既にスペックという色眼鏡が発生していることになります。
このスペックという色眼鏡が発生した時点で、玉の輿できるだろうかといった邪念が全く存在しえないとは思えません。
そりゃ当然社会的なステータスは大事ですが、そういうことでなく、
社会的なステータスを気に入ったことで好きになったと錯覚するのではないかというのが私の不安であり、信用できない理由です。
もう一つ気になることとして、気に入る条件(スペック)だったからと、本来どうでもいい性格の相手でも媚びを売り始めるんじゃないかという不安もあります。
なんだか変な文章になってしまいましたが、つまり、試しも行動もせずにこんなことをグダグダ言ってる時点で結婚なんて夢のまた夢だな、と思う童貞の独り言でした。
ブコメに書くと自慢かよって言われそうだから、こっちで書くよ。
20代のときは販売業やってて名刺とか電話番号書いた紙を渡されたりした。
急に連絡先を渡されても、よっぽどじゃないと電話はかけない。
それでも何回か食事に行くこともあった。
なんでかというと、関連会社の人だったりして断りづらいパターンだったから。
食事に行った中でおつきあいすることになった話を書くと、その人は何度かお店に通ってきた。
仕事終わりに時間あったら食事でも行きませんか、販売側の話も聞きたいと思っていたので、というので承諾した。
食事の後に次また会えませんかと言われて、さすがに恋愛前提だと気がついたけど、話も盛り上がった手前断りづらくて、誘いを受けた。
仮に誘えたとしても単に断れなくて来ている可能性は高い。
だからお茶やら食事のあとで、連絡先を教えてもらえなかったとか次の約束をはぐらかされたとかいう時は、それで察してほしいと思う。
それでも可能性が全く無いわけでもない。話が合ったり、印象が良かったりすれば。
それは次のステージの話として、どうやって誘えばいいかというと、まずは何回か通って顔をおぼえてもらう方がいいんじゃないかと思う。
嘘ついて関連ある仕事やってるフリをするのは後々良くないと思うので、そこは正攻法しかないんじゃないだろうか。
あとは、誘われる側にとってはハードルが低い方がいい。
この近くで新しくできたお店で気になっているところがあって、一人では入りづらいのでよかったら今度一緒にどうですか、みたいな理由があるとなおいい。
何かをお願いしたり断ったりするときに、理由をつけると人は何となく受け入れてしまうという話を営業のノウハウ本で読んだことがある。
どういう理由をつけるかは個々人のセンスに任せるしかないけれど。
正直、そのジュエリー店の彼女にはすでにつきあっている相手がいそうな気がするし、
客と店員の間柄からというのは難しいように思うけど、「迷惑」「怖い」というコメントが多いのが気になったので書いた。
待ち伏せや尾行は、(一人で勝手にした)努力に見合った結果を望んでしまう、相手の情報を持っているだけに断られてもアプローチを続けてしまうなどの危険性からオススメしない。
やり方次第では確かに迷惑にも怖い人にもなるだろうけど、引き際だけ間違えなければいい話だと思う。
※軽くお茶でもといってもドトールやスタバでは展開材料として寂しい。時間をプレゼントすると思って良いお店を選んだほうがいい。
どういう意味?
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http://occult-atoaji.sakura.ne.jp/?p=6964
今一緒に仕事をしているおじさんは肩書きを見るとけっこう偉い人らしい。
しかし現場センスがないご年配という点については、そこいらのおじさんと変わらない、ただのおじさんである。
かなりかっこいいのである。
理論武装の切れ者とかではないし、体育会系パワハラモラハラとも無縁な感じである。コミュ力や処世術に長けた営業マンタイプでもない。どちらかと言えばシャイな感じさえする。ゴリゴリの技術屋というわけでもない。
なんでこのおじさんがこんな偉いんだ。いや、穏やかでやりやすいけど。
恋愛対象としてみる人(アイドルとプロデューサー・アイドルとアイドル)とアイドルを育てたい人って別って感じがするし、自分の周りのプロデューサーはアイドルを育てて輝く彼女たちがみたいからやってるわけで、恋愛なんか考えてないと思うけどな
不祥事を起こしたら挿げ替えるというのは、最初からあまり人選を考えなかった証拠ではないのか。
仕事の責任者という立場で最初から、替えはいくらでも居る、というような考えを持つという事は、人をきちんと事前に評価する事もしなければ、自分が与えたどんな小さい仕事も意味があるという事を曖昧にし、謂わば仕事をサボっているからではないのか。
周りの目を気にしすぎてないか。
現代は科学技術の時代であるが、果たしてその仕事は後世にどう評価されるのだろうか。仕える側もきちんと真面目にやらなければいけないが、自分の仕事がある大きな仕事の重要なピースであるという認識なしにどんな職業的な卓越の道があるのか。
人が死ぬから、残業は短くしなければならないのか。違うだろ、その人が仕事にとって重要だから少しでも健康でないと困るのである。
感情と論理を司る脳が発達したのは前近代だが、近代になってからは計算という脳の発達が先行しているようだ。果たして計算という脳の一部は何を神とするのだろう。金で天上へのエスカレーターを用意して何に裁かれる気なのだろうか。
あれは俺が20歳ごろだろうか、あの頃の俺はカラムーチョとかカラプルコとか味が濃い系のスナック菓子が大好きだった。
そしてたどり着いたのがスナイダーズ(ピザ味)。しかし、ピザ味は数年後販売終了となり、記憶の彼方にある味は薄れてしまい、ここで書き表すことは出来ない。
そして、40歳となった俺はカラムーチョ(細切り)の大袋を一袋食うと軽い吐き気が催す程に老化し、スナック菓子許容量もわずかなものとなってしまった。
そんな俺に残された最後の駄菓子大陸はスナイダーズ(チーズ味)だ。
チーズパウダーをギュウギュウ詰めにして、砕いた硬いクッキーにめり込ませてあるアイツ。指で食べるとヌルヌルのパウダーが粘土のように指にまとわりつく。小袋を一袋食べると、歯間ブラシを使わないと翌日までチーズ味を堪能(ドルツで磨いて飛ばすけど)させてくれる。400g入りの大袋を買って数日楽しませてくれる最後の砦だった。(ちょっと前まで大箱だったが、何故か大袋に変わってた)
そして、昨日ドンキで、いつもは100円オーバーのスナイダーズ(チーズ味)が90何円だったから買ったわけよ。
で、今日食べたわけさ。
ひとくち食べて違和感を感じたね。なーんか、味が薄い。何かが足りない。食べ進むに連れ違和感は膨らんで行く。
従来は舶来物の輸入菓子によくある、英語+日本語のシールのパッケージだったのが、ALL日本語でそして「明治 国産」の文字。
そして食えば食うほどに俺は理解した。
俺の好きなスナイダーズ(チーズ味)は死んだ。ここにあるのは、しょっぱいだけのチーズパウダーがかかったただのクッキーであると。(小袋を一袋食い終わる頃には舌がしょっぱくて、サラダ煎餅食った後みたいになった。)あの、濃厚なチーズパウダーは無く、魂を抜かれたチーズ風味の何かでしかない。
ダメといってもいろいろあるが、
「受動的な人」
つまり何かを作ったり考えたりそれらの行為から遠ざかろうとする人
それなのに人と話したがる人(話す内容は何食べたとか誰かの噂話とか)
ちょっと前に仲良くなった人とskypeで話すことになったがなんら変わっちゃいない
人は変われないものなのか
一瞬で萎えた
最近よくホモは差別用語だと見かけるが、長年差別意識もなく使ってきた言葉なので差別用語と言われても
ホモホモしいからホモソーシャルと言うのだろうかと漠然と思ってたレベルでホモと言う単語の知識がない