見当違いすぎて見てて悲しくなるな、逆に。
http://anond.hatelabo.jp/20160213164504
1000円カットって人の出入りが激しいのか、数ヶ月ぶりにいくと
違う理容師になってることが多い。理容師の腰掛けでつかわれるような仕事なのだろうか。
ここ何日かずっと考えている。
婆ちゃんはたびたび、躾として私の一番大切なものを選んで、捨てたり壊したりした。
ある時 婆ちゃんは、私が小学校に行っている間に、私の猫を捨てた。
前の晩、私は猫と遊んでいて風呂になかなか入らなかった。婆ちゃんは猫にばかりかまけて、やるべきことをしない私に怒っていた。
言うことを聞かないならば明日 猫を捨てると、婆ちゃんが言った。
猫は、学校にも家にも居場所がなかった私にとって唯一の、かけがえのない心の拠り所だった。
ましてや命ある生き物を、婆ちゃんだって捨てられるわけない。
無神経な脅しにとても腹が立った。
その日、私は意地になって言うことを聞かなかった。
猫は捨てられた。正確には、殺された。
婆ちゃんは、私が言うことを聞かなかったからなのだから、お前が悪いのだと言った。
私には、理解できなかった。
大切なものを捨てられると、言うことを聞くようになるなんて絶対に、あり得なかった。
猫の後を追って死にたかった。
心はとっくに死んでいた。
ただただ感じていたのは、婆ちゃんへの激しい怨み、憎しみ、殺意。
思春期になると私は、頭の中で婆ちゃんを殴るようになった。殺すことも、考えた。
大きくなった私には、実行できないことでもなかった。
暴力的な想像は、やめたくても、どうしても頭から離れなかった。
婆ちゃんの言う通り、私はいつか犯罪者になって、牢屋に入るのかもしれない。
高校卒業後、半年ちょっとバイトして、貯めたお金を持って19歳の冬に上京した。
相手が誰でも、なにか不快に感じると殴る、蹴るの想像をしてしまう。
「お前は犯罪者になるぞ」と言った婆ちゃんの言葉は、呪いのトゲように、私に刺さっていた。
知らない土地、知らない人たち。
怒る人はいたけど、婆ちゃんほど恐ろしい人や、婆ちゃんほど理不尽な人は一人もいなかった。
冷たい人もいれば暖かい人もいた。
もがいたり苦しんだりしながら、気づいたことが たくさんあった。
すっかりまともな人間になったと思った。
まともな人間らしく、婆ちゃんに娘を見せに行ったのだった。
婆ちゃんはひ孫にあたる娘を、可愛いと言った。
そのあと、「お前、子供を殺すなよ。こんなに可愛いのに。」と私に言った。
実家に滞在した一週間の間に、何度も何度も繰り返し、子供を殺すなと言われた。
私はもう二度と婆ちゃんに会わないと決めた。
ここからは、叔母の話。
私が上京したあと、入れ替わるように叔母が関西から引き上げて、実家で婆ちゃんと暮らすようになった。
何年か前まで実家には、叔母が飼っていた犬がいた。犬は、実家の庭の桜の木の下の、犬小屋で天寿を全うした。
婆ちゃんから、吠えてうるさいから捨てろと言われながら、叔母が守り抜いた犬だった。
婆ちゃんは家族に致命的なことを平気で言う人だったが、叔母もなかなか気性の激しい人で、負けじといつも婆ちゃんとぶつかっていた。
叔母が亡くなる少し前、婆ちゃんと叔母はいつにも増して激しい口喧嘩をしたという。
飼っていた犬が死んだ桜の木の下で、叔母は最期に何を思ったのだろう。
叔母は、婆ちゃんを殺すかわりに、自分を殺してしまったのだろうか。
それとも、踏みにじられるのに疲れてしまって、大事にしていた飼い犬に会いたくなったのだろうか。
最期の時の叔母は、怒っていたのか。泣いていたのか。無表情だったのか。
叔母の死は、他人事に思えない。
もしも、婆ちゃんと暮らしていたのが私だったら。
私も叔母のように自ら死を選ぶか、殺意のまま婆ちゃんを殺してしまったかもしれない。
大げさでも、何でもなく、そう思う。
先日、有名人が子供への罰としてゲーム機を壊したことが、Twitterで話題になっていた。
壊してゲームを一切禁止、二度と与えないということではなかった。
取り返しのつかないことにはならずに、良かった、と私は思った。
きっとその人にだって、少しは後悔があったか、子供の気持ちを考えたか、したのだろう。
だからまた買い与えたのだろうと、思いたい。
自分が親になって実感している。
親は結構 間違える。
私は、それに自覚的でいたい。
自分の行いをいつも振り返ることができるように。
間違いを正当化しないように。
親が過ちに無自覚で、自分を正当化し続けたなら、たとえほんの軽いものでも子供への心理的な虐待になりうると私は思う。
もしも婆ちゃんが、自分のやったこと、言ったことを後悔して、一言でも詫びてくれる人だったなら、私は殺意を感じるほどの強い怨みを抱かなかったのではないだろうか。
私は婆ちゃんを殺さずにすんだ。
正直、まだ怨んでいるが、いまはただ、婆ちゃんの訃報を待っている。
気持ちは分からんでもないが、他の先進国では殆ど提供されてるものが提供されてないので(自分は海外ぐらしで、毎度のことこれに腹が立っている)、ってのもあるよ。
せめて公共性の高い場所では誰でも必要な通信・情報の取得が出来ることが社会インフラだと僕は思うけど、日本ではやろうとしてもその場で、携帯キャリアに登録が必要とかかなり煩雑だし、SIMカードを買って利用するのも、それがもう必要のない国から来てるのでなおさら困る。
ソフトウェアの規模や種類によって最適な作り方ってのは決まってくるから
ユーザのニーズに合わせてどんどん拡張していくようなWebサービスだと、設計書細かくつくっても開発が遅れて競争に負けてしまっては意味が無い
法律や規定で動作ががっちり決まっていて、何十年単位で運用するような金融とか公共系のシステムなら、プログラムの細かいところまで日本語で記述した資料があったほうがいい
とか
それでも、標準的な言葉の意味が知りたいなら、IPAの試験でも勉強するとか
あとは、プログラミング言語の進歩で表現力が上がってくるにしたがって、プログラムのそのものをドキュメントにする必要性は減ってきてると思う。
日本だって、幕末とか「維新の志士が新しい時代を切り開いた」みたいに物語化されてるじゃん。
世界では小国の反政府勢力を大国が支援して政府を転覆させて、自分の都合のいい政府をつくらせるとかよく聞く話なのに、なんで自国のことになるとそんなことも分からなくなるのか不思議だわ。
何週間か続いてた身体全体に渡る何とも言えない倦怠感が
昨日の夜に電子レンジでふかしたニンニクを1玉食べたことですっかり吹っ飛んだ。
ニンニクを食べに二郎に行こうかと思ったけど、1玉分の生ニンニク食ったら胃腸が死ぬもんな。
やっぱニンニクって神だわ。
それ言ったら殆どの人が「夫の稼ぎじゃ十分暮らせない」からなあ。
数千万レベルになって初めて「夫の稼ぎで十分暮らせる」と言えるだろうけど
それくらいになったらもう認可保育園入れる必要なんてない(名門幼稚園でも高級認可外でもシッターでも選べる)し。
数千万レベルに満たない殆どの家庭で、保育園に入れるか入れないかの違いは
「自分で育児をしたいと思ってるかどうか」ってのもかなりあるでしょ。
一千万より遥かに収入少なくても、自分で育てたい人は自分で育てるし
あまりコミニュケーションが得意ではないのもあって、入社直後は非常に苦労した。
正直人見知りだったのでわけのわからないことをのたまっていた時期もあった。
とはいえもう4年目であり色々と手馴れてきて精神的にも余裕ができてきた。
しかも、最近の現場は9時-5時で帰宅できるようになり肉体的にも余裕がでてきた。
と、ここらでレベルアップを図りたいと思っており色んな設計書の問題点を指摘した記事とかを読み漁ってきたわけだが
アジャイルだの詳細設計書がゴミだのいろいろ指摘しているのは見かけるのだが今の自分の現場と環境があまりにも違いすぎてピンとこないのだ。
なんせ、入社してからやったのがガチガチのウォータフォール型の開発でアジャイルだのなんだのをまったくやったこともないからだ。
Gitなんて使ったこともないし、eclipseでSVNでソースを管理し、古いシステムならCVSだって未だに現役がちがちだ。
幸いにもドキュメントはがっちり作ってあって過去のシステムがどういうものなのかはよくわかるようになっているが。
もちろん転職しちゃえとか色々まぁ考えようはあるが別に今の会社に大きく不満があるというわけではない。
そこでSE経験の長いお歴々に色々尋ねたいことがある。
http://nantonaku-shiawase.hatenablog.com/entry/2014/05/18/012107
↑上記のサイトでウォーターフォール型開発の例を逐一説明してくれているがこんな一文がある。
ネットで検索すると、みんなが批判している。私も作ったことがない。というか時代遅れと言われがちなSIerの私ですら書いたことが無いのに、書かせる企業 is 何。
詳細設計書ってよくわからない - 未来のいつか/hyoshiokの日記
詳細設計書に何を書くべきか? - Sacrificed & Exploited
EXCEL設計書 Vol.1 怪文書大公開 | Same Old Lucky Day
詳しすぎる詳細設計書 - SiroKuro Page
ネットで検索すると、みんなが批判している。私も作ったことがない。
俺は入社してからずっとガチガチに詳細設計書を書いていたし、先輩も皆書いてる。
一体どこの世界の話なんだ。
いくつかの現場にも出向したがそこでも普通に詳細設計書を書いていたぞ?
どういうことなんだこれは。
でもよくよく考えたら、なんだか説明されている詳細設計書と機能設計書は俺が書いている「詳細設計書」ではひとつにまとまっている気がする。
そもそもそんなのないかも知れないが。
そこで尋ねたいのは事例として機能設計書や詳細設計書の具体例が欲しい。
書籍でもWEBページでもなんでもいい。
そうじゃないとなんだかそもそも話に付いていけない。
あと、詳細設計書がかけなくなりそうだ(切実)。
ところが俺の住んでいるところではExcelにテスト項目を俺が書いて俺が単体テストを手動でやって、結合テストも俺が手やる。
結果列に○だの×だの書いて失敗したらまたやり直しだ!
延々とこれを繰り返す。
別にそれがいやだといってるわけじゃなくて(嫌だけど)、皆テストとかどうやってんの。
テストとかそもそもやってんの?
アジャイルだの何だのに手を出すのもいいのかもしれないがそもそもウォータフォールなV字モデルをぜんぜん理解し切れてない。
誰か教えてくれ。