専業主婦の年収換算は稼いでくる旦那さんが偉いっていう価値観に染まっている。
お金で上下関係を築こうとしてる人に対してお金で反撃しようとしている。
お金に換算しようとするのは自らその別の形を捨てている。
それはもちろん旦那さんがお金で上下関係を築こうとしてくる人ではうまくいかない。
専業主婦はお金で評価されようとするのをやめたほうがいいし、お金で評価する人は妻を専業主婦にするべきではない。
もし主婦がお金で評価されたいのなら、旦那さんがお金で評価しようとしてくるのなら家を守る専業主婦と外で働く旦那という家族形態は合ってないのでやめた方がいい。
俺もオッサンなんだけど、過去の自分を見ているみたいなのでアドバイス。
若いってだけでモテて調子乗ってる女は30代になって婚活で苦労する。
男の場合は快適な30代が女の10代にあたる。
仕事も覚えてお金もできて社会経験もあって、いい感じなんだよ。
でも人間は年をとる生き物。食の好みが変わるように、快適な生き方っていうのも変わってくるんだよ。
30代の快感ってのは40代では維持しにくいんだ。50代になったらもっと変わってくる。
「快」っていう感覚は脳内物質で得ている。それは本能に従った行動をしている時にご褒美として放出される。
「子孫を残せ」「時間がないぞ」と。
だから少しずつ今の快適さは維持できなくなってくる。
具体的に言うと40代になっても結婚していない事実は、他人にマイナスとして評価されやすくなる。
社内の出世にも影響するし、人付き合いにも影響する。
子孫を残す=幸せと認識している多くの人間が、あなたをそう評価するのだ。
同年代の結婚した友人は遊べる機会が減っていくし彼らの興味は家族になるから話題も合わなくなるパターンが多い。
親からも孫見せろプレッシャーはかかるし、年上の世代からは人間的に何か問題があるのでは?というレッテルを貼られやすくなる。
どこかに旅行にいっても美味しい物を食べても仕事で成功しても一緒に思い出を共感してくれる家族はいない。
年を取るほど未婚の友人は少なくなり孤独感が増す。
子供が大学卒業前に定年も考えられるし、男性の精子劣化リスクも知っている女性が増えてきた。
だからよほど年収がよくない限りは40代になっての結婚は難しいんだ。
国勢調査によると40台を過ぎると男性も結婚できる可能性は極端に下がる。
http://matome.naver.jp/odai/2139321691696009301
俺たちが60代になるころの40代とかなら許されるかもしれないが、俺たちは無理なんだ。
「この手法は処理が遅い」っていう話には2種類ある。オーダーで差が出るものと、定数係数に影響するものだ。
オーダーで差が出るものは長期的にあまり色褪せないけど、今現在扱っているデータ量ではあまり差が出ないってこともある。定数係数を減らすものは条件が変われば無駄になることもあるが、今、目の前の問題を何とか解決してリリースするのにものすごく役立つことが多い。
元増田は後者の話だけしてるのかもしれないけど、負荷が増えたら破綻したから調べてみたらO(n)でできることがO(n^2)になってたとかちょくちょくあるよ。
(別に元のプログラマがタコだったってわけじゃなくて、最近の論文でオーダーの良いアルゴリズムが出てきたという場合もある。進歩してるなあと思うよ。)
ルールが変わるってやつですかね。
法律とかもいろいろとそうだけど、「こうするべきだ!そうすればみんな楽しい」って最初に決めたものがあっても、
最近はてなのピックアップにyahooニュースが並ぶことが多い気がする。
twitterやfacebookなら仕方ないけど、ここははてなだよね?
クリエイターとかコンテンツへのリスペクトを持ち合わせ、なんなら自分でも何かしら発信している人が多いと噂のはてなだよね?
だとしたら、yahooがコンテンツを買い叩いてPVを稼いでるyahooニュースじゃなくて、それを作った人の一次ソースをブックマークするのがいいんじゃないかと個人的に思うんだ。
どう思います?
瞬間的に長々とした文章を書く奴は精神が異常な状態にあるし,異常なまでの体力とか嫉妬とかの力で精神を運動させているだけなんだよな
なんかレイヤが混ざってる気がするな。
確かに最適化っていうのはプラットフォームに依存するんで、ハードやインフラが変化すれば不要になるものも多いよ。でもさ、ハードの進歩を1年待つより今出すことに意味があるってことはよくあるわけさ。
このゲームエンジン重いけど最適化しても次世代機ならどうせ無駄になるんだから、最適化やめましょう、ゲームタイトルは次世代機出た後にリリースしましょう、とか言ってたらいつまでたってもワクワクするものは出てこないよ。
で、アプリのプラクティスが下層に影響されるのはそのとおりなんだけど、例えばかつて中央のCPUで処理してたのが分散してローカルで処理しましょうってなってそれがまたサーバにアプリ乗っけようってなってそこからさらにいやクライアントにも振ろうってなって、でもこれって決して単に行ったり来たりしてるだけじゃなくて、スパイラルを描いて少しづつ昇ってるんじゃないかな。環境が一巡したときに、昔の技術のうち汎用性の高いものだけが蒸留されてさ。
グーグルグラスやスマートフォンによって現実世界での暮らしをより豊かにする流れがある。
ミンスキーがタブレットによる世界の拡張を予想したように、僕はVRによる世界の拡張を予想する。
現在はオキュラスリフトなどのデバイスによって没入できる世界が実現されている。
今はまだゲームで使われたり、映像を見たりすることに用途が限られているが、そう遠くない未来では、自己とアバターの区別がつかないようなVR空間が実現されると思う。
その世界では衣食住のみならず現実の世界では実現することができないの世界が実現できる。誰でもスーパーマンになれる。空間的、時間的な制限がなくなり、地球では実現できない新たな法則やアイディアが溢れる世界だ。
現在はVR空間で様々なことを実現しようとすると複数のデバイスを組み合わせる必要があるが、ムーアの法則的にもっと合理的に実現できるようになると考える。
倫理的な問題もあるが、『嫌なら見なければいい』というように、拡張現実で生活することを望まない人は現実世界で生きれば良い。拡張現実で生きる人が増えることにより、実質現実世界の人口が減るので資源問題も解消するだろう。新たな人口問題が生まれるかもしれないが。
トランセンデンス的な世界(肉体を持たず意識のみで生きる、人間をデジタル化する)が実現できればいいなぁ。
文章を書いて生計を立てている。
しかし、半年前から文章を書けなくなった。ごまかしごまかし書いているが、どうにも気持ち悪い文章になってしまう。
文章を書こうとすると、言葉が脳内に溢れて、まとまらない。てにをはを結べない。文末の言葉が見つからない。
主題を整理していないからだと指摘されそうだが、原稿を書く前には骨組みを作り、文の流れと結論は決めている。それなのに、肉付けができないのだ。
良い文章を書かなければ、というプレッシャーが私を殺す。良い文章を書かなければ、WEB原稿だからPVを稼がなくては、エッジーかつキャッチーな文で書かなければ、編集サンの気に入る文を書かなければ、リズムを意識しなければ、誤字脱はどうだろうか、構成はこれで正しいのだろうか、言葉選びは最善を尽くせているだろうか……。
WEBの進化により、誰もが「ライター」時代となった。編集プロダクションや出版社などで先輩や上司に添削された経験のない人間ですら「ライター」を名乗るようになった。はてブでも、ひどい文章で書かれた記事がホッテントリするのは決して珍しいことではない。
WEBでは、文章の上手さを求められない。だから、文章にこだわるWEBライターの単価は上がらない。
紙媒体はコネがモノをいう慣習がいまなお強く根付いている。新規参入は難しい。
金が稼げないという悩みと、文章がかけない苦しさを混同させているのは薄々理解している。理解しているんだ。でも、苦しいんだ。苦しくてたまらない。