はてなキーワード: 団地とは
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ご尊顔
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年齢: 38
性別: 男性
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ぼっさん(14)
スイーツ(13)
童貞力(49)
男の世界(34)
これが38歳既婚者のタグかぁ…
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東横線で帰ってるみたいだし。
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@yoshikochan0731 ウチのめっちゃ近所だw マックスバリュとミニストップに挟まれた通りを府中街道の方に抜ける途中にありますよー。ちょっと分かりづらいかも!
http://twitter.com/#!/manFromTomorrow/status/4362892149260288
そうなの?わかるかな?明日行きたいです。歩いて行けそう。目印なんかありますか?駅背にして右?左?RT @manFromTomorrow ウチのめっちゃ近所だw マックスバリュとミニストップに挟まれた通りを府中街道の方に抜ける途中にありますよー。ちょっと分かりづらいかも!
@yoshikochan0731 住吉中学、サークルKを抜けてちいさい川を渡ったらもうすぐですお! http://goo.gl/pPk2I
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住高は修学旅行か…雨のなか大変すなあ
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あわてて証明書更新してちょっと不具合。しかしVerisignサポセンのナイス判断で事なきを得た・・・Verisignは良い会社!w
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お勤め先はIT関係かー
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ヨメが切迫早産で急遽産休にフェードイン。Week36までは絶対安静とのこと。動くのが好きなコなんで家で寝させておくのが不憫でならないけど、ここは心を鬼にして安静にしておいてもらわねば・・・むー。心配だ。
38歳でも子作りとかするんだ。
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団地っぽいしこれ自宅内部かな
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「一周忌のため島根の実家に帰りますのでおとうさんが心配」→お父さんに電話してあげて
わたしは義理の父が大嫌い。生理的に大嫌い。絶対に世話などしたくないと思ってる。
でも、これは私の義務だから、指定の時間に指定の電話を入れる。
すごく腹が立った。
怒りを静めるために普段飲まないビールを飲んでみる。そして自己嫌悪。自己嫌悪している自分に更に自己嫌悪。
誰かと関わりあうということは、誰かの世話をすること。
いつからそうなったのだろう?
絆って何?誰かの世話をすること?孤独じゃ駄目なんだろうか?
私は孤独が好き。誰にも甘えなくてすむならそうしたいし、誰にも甘えられたくない。
でも、そう思っていることが甘えだってわかってる。
でも、テレビの人たちが言う絆って結局お年寄りのための言葉でしょ?団地で孤独死を若者がなんとかしろっていうことでしょ?
地震で津波来て、仮設住宅で孤独に暮らしているお年寄りの世話をしましょう、ということでしょ?
わたしはそんな人間関係いらない。そんなものが絆なら私は絆なんていらない。絆は気持ちが悪い。
団地で、仮設住宅で孤独死して何が悪い?もともと死にそうなのに、ずっと監視しておくのが絆なの?
でも、私は明日死ぬかもしれないし、99まで生きるかなんてわかんない。生きているのは今。
生きるって戦争だ。何かを大事にしたければ何かをすてていけばいい。
何かを捨てることは、残酷にみえる。だからクズな国営放送は金切り声で「絆」「絆」と叫びたがる。
すごく優秀な人間で、実直な銀行員で、沢山のお金を稼ぎ、社会的な立場は申し分なく人望もあった。社会にとっても死んで欲しくない人間の範疇に入っていた。
多分親は自分が代わりに死ねばよかったと思うだろうし、私も私が死んだ方がはるかにマシなことだと思った。
でも、彼が死んだことで私の何かがめざめた。
死んだら終わり。今、やることをやる。生きることは戦争。運命は気にしない。今私がやりたいことを、誰に後ろ指さされてもやる。無縁仏上等。
たとえ誰かの世話をしても、見返りなんてほしくないし求めたくもない。立派な人間なんて認められるよりは自分は自分に正直でいたい。
小さな団地で、僕の家はその端にあって、すこし間を置いて工場が建っていた。準工業地帯で、他にもいくつか工場があった。何を作っているのかよく分からなかったけど、半々の割合で稼働していて、稼働している時はどこもそれなりに大きな音がしていた。
四六時中というわけではなかったので大して気にすることもなく、どちらかといえば実家を思い起こす時には静かな暮らしだったイメージ。
最近会社の近くで工事をしているのだが、五月なので季節柄窓を開けている。その工事の聞こえてくる感じが実家とよく似ていることに今日気がついた。
ずっと工事してたのに今日まで気がつかなかったぐらい自然に受け止めていたのかと思うと、人間の育つ環境っていうのは凄い影響力があるんだなと思う。
自分は雪国でもなければ海辺でもない、ど田舎でもネオンが光り続ける都会でもない、平々凡々な町で何の特徴もなく育ったと思っていただけに、なかなかな発見だった。
それだけ。
「モンスター避難民」って言葉を聞いた時に「いやそれはねぇだろ流石に…言い過ぎじゃないのか」と思っていたのですが。
うちの団地にも避難民の方が数家族入居されたそうで(っていうかいわきナンバーの車が何台もあるから確実)、団地をあげて協力して行こうではないか、というのが自治会の方針。そりゃそうだ。
ちなみに都市公団なのですが、他の公団でも受け入れているところが多いとのこと。まぁ都市公団自体が受け入れ態勢を作ってるしね。
ただ、時を同じくしてゴミ捨てのマナーが酷くなった。それはもうあからさまに。
以前は数ヶ月〜半年くらいのスパンでたまーにルールを守らない人が現れたが、張り紙されていれば翌日ないしは翌々日には撤去されていたのに、数週間放ったらかし。
それがなくなったと思ったら日を置かずにまた別のゴミが放置してある。
もしそうならば、自分らは優遇されるべきと思ってる?何をしても許されると思ってる?
ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。
悲しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。
ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員の場合
■3/11以前
地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。
■3/11
その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常ではない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社がビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルやマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長や上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした。電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした。発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新党連合会という右翼の街宣車が自慢の拡声器で交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波が漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいのだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい。仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節もヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校が避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議したり予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこからは上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビのテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかわからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電で冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚やギター、パソコンのモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時、情報を得る手段がラジオとツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリンを無駄にしたはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。
■3/12
7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官が交通整理をしていた。父曰く倉庫にしまわれていた新車両のパトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニや携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニも開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器のキーンという音がした。電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫も電子レンジも炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社にカップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。
■3/13
この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出したく会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞。スーパー、コンビニ、ガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかい?ごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクはガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターやメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所が若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した。津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンション内はところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニ、ガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300の死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道やネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀正しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり、灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした。風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在にスタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。
■3/14
この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパーの情報や給水所の情報、ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件が震災で中止になったが、スーパーの広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい。広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事は仕事だから」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気と水道が通り、そこかしこで炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司がたまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円のカレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達と遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをした。ネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽな情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報はほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談みたいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災は過去の話ではなくて、現在進行中だ。
■3/15
そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列や渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所や時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい。原発に関する情報も、政府や報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。
ブログに書いても良いんだけど「あなたに届かない」かもしれないしね
http://anond.hatelabo.jp/20110118164145
若いアカウントばっかりフォローしてるおっさんは、自分の学生時代を思い出して欲しい。
同年代同士で楽しく喋ってるとき、好きでもないおじさんおばさんが介入してきたらどう感じたか。
歳を考えようよ。育った時代がまるで違うことを認識しようよ。
意図して「若いアカウントばっかり」をフォローしているつもりはないんだけど、結果として「若いアカウント」をフォローしているかもしれないね、とは思う。私の場合面倒臭がりなんでこちらからフォロー申請をする事は滅多にないし、最近はフォローを返すのすら面倒で半ば放置しているところはあるけれどそれはそれとしてだ。
文章の全体を読んで、あなたがtwitterでどういう振る舞いをしたいのかが理解出来なかった。
あなた自身は「19歳、都内在住の女子大生です」という「エサ情報」を書いているのか、いないのか。
私自身は「19歳、都内在住の女子大生」をエサ情報と感じた事すらなかったんだけど((都内在住の女子大生という属性を持つ知り合いは何人かいる。高校生とも知り合いはいる))
んでさ
「下手に」ってのが笑える、と書くと誤解を招きかねないけれど本当に影響力を持っているような著名な人だったりネットリテラシをわきまえているような人だったら小娘(失礼)一人にブロックかけられただけでそんな馬鹿な行動は起こさないよね。
ブロックしたくらいで「晒されて寄ってたかって中傷」するような馬鹿は私が強烈にdisってやると此処に約束をしておく。
痩せても枯れても一応は「はてな村」ではそこそこの力を持っているし、何よりパワーハラスメントな行為をするような卑劣漢は大嫌いだからだ。
大切なのは常日頃からツイログなどの情報を取得し、保管しておくこと。
個人的にはツイログとかも使って一連のツイートを細大漏らさず纏めて公開すればどちらに非があるのかは明白な筈だから。
元増田の言うように「19歳、都内在住の女子大生です」が「釣り餌」として発動するヴァカもいるかもしれない。
私は基本的に直接逢って話をするまではネットに書いてあるその手の情報は信じないんだが、信じる輩、そしてそういう属性にだけ興味を持つ輩がいるのも事実なんだろう。だから隠しておいたほうが楽っていうのもわかる。
それは自衛の姿勢として「正しい」とも思うんだけれど「19歳、都内在住の女子大生です」を出していても出していなくても「ウザい人はウザい」んでないか? 距離感置きたいなあ、と思ったらリムったりブロックしたりすれば良いと思うし、そこまでやらなくてもスルーしたりリスト作って「読む人」と「読まない人」に分けるとか対処の仕方はあるでしょう、とは思う。
絡まれて面倒だな、と思う人とはさよならするのがお互いの為なんだよ。
だって「19歳、都内在住の女子大生です」なんて「情報」にしか興味がないんだったら、特段「あなた」に粘着する理由も意味もないじゃないんだよ。だって世の中には「19歳、都内在住の女子大生」なんてゴマンといるんだからw
エントリ上げてから書くべき事が抜けてたのに気づいたので追記w
若いアカウントばっかりフォローしてるおっさんは、自分の学生時代を思い出して欲しい。
同年代同士で楽しく喋ってるとき、好きでもないおじさんおばさんが介入してきたらどう感じたか。
歳を考えようよ。育った時代がまるで違うことを認識しようよ。
私は社会人になってから、社会人サークルや地元の商工会、NPOでのボランティア、住んでいる団地の自治会役員など様々な場所で活動をしてきているせいか、付き合う相手の年齢に拘りはないんだよ。
でね「19歳、都内在住の女子大生です」って認識しながら同時にこういう引用をする意味がわからん、っていうか、結局元増田の人は「おっさん」に「おっさん」ってレッテルを「女子大生」というレッテルと同程度に他者に貼りつけて拒否っているに過ぎないようにも思えるのね。
私は「仲間」になる為に必要な要素は「そのひとが好き」か「アジェンダ(ここで言うところの「共通の趣味」もそれに入る)が共有出来るか」かのいずれかだと思っているのだけれども「女子大生」「おっさん」っていうレッテルを貼っちゃった瞬間に「ひと」も「アジェンダ」も阻害されちゃうんだよ。
同年代の人とだけ仲良くしていたいです、という価値観を否定したいわけじゃない。だったらハナっから「同年代の人とだけ仲良くしたいです」宣言しておくとかすれば良いんじゃね。最悪気の合う友達にだけ連絡して別アカウント作るとかmixiとかfacebookみたいな別のサービスに移転しても良いだろうし。
私は、たまたまはてなブックマークを経由してあなたのエントリを見つけて反応しているけれど「私が女子大生だから反応したのねのね」とか思ってないか?だとしたら自意識過剰も甚だしいぞ。私は無名だろうが有名だろうが反応したいと思った人と話をしている。それ以上でもそれ以下でもない。
「おっさん」「女子大生」なんてレッテルは、レッテルを意識した瞬間に発生するんだよ。自分にレッテルを貼られたくないと主張するんだったら他人にレッテルを貼るのもやめにする事だよ。さもなきゃ自分が本当に気が合う年齢の近い人とだけ交流出来る仕組みを自ら作るかのいずれかしかない。
「あなたは、人とどう繋がりたいのかを決める権利がある」とタイトルに書いたのは、こういう事です。
私は「話をして面白いひと」とだけ繋がっていたいと思ってます。
結果としていわゆる有名人とも個別に話をする機会も得てはいるけれど「有名人だから」話をしているわけでもない。
世の中には、私のような「おっさん」もいるってことを覚えておいてくれると嬉しいです。
あと、私は粘着するつもりもないんで、あなたのアカウントを教えて欲しいとも思わないし、フォロー申請を受けたとしても多分気づかないので念のためwww
書きたかったからレスポンスをして「id:ululunだ」と書いたのは「disってやんよ」を発言の責任者として担保するためのものに過ぎないんで。
追記:
背が縮んだ松山ケンイチといった容貌、メーカー下請企業の営業職。他の社員はオタクだらけ。
普通に就活して入社したらしい。手取りはギリギリ一人暮らしが成り立つレベル。
免許証の写真はホスト時代に撮ったものでガイアに囁かれているが、現在は黒髪短髪。
浮くのが苦痛で中学で不登校になり、高校受験もせず、先輩の紹介で水商売の世界へ。
父親違いの弟が一人居て、美容師。写メを見せてもらったけどまるで似てない。違った方向性のイケメン。
本人曰く14歳で童貞を捨てたという。女にだらしがない。短大生と32歳の人妻で二股かけている。
こちらも写メを見せてもらったが、短大生の方はあまり可愛くない。でも"素直で一途"なところがいいらしい。
パチンコから入ってエヴァオタになり、更に発展してアニオタ・ニコ厨化した。
おっさんと喫煙室で喋ったりマージャンしたりゴルフに付き合ったりして給料を得ている。
高校がつまらなかったので、在学中から水商売の世界に足を踏み入れる。
二十歳前後の頃、客のおっさんに非常に気に入られ、おっさんが社長をやっている会社に入社することになる。
奴隷的に働かされるヨソモン枠と、貴族で居られるコネ枠とのギャップが激しく、社内の空気は恒常的に悪い。
坂口安吾、澁澤龍彦、グランジロック、酒を愛する。ザル。病気のような飲みっぷり。
最近ボーダーの彼女に、叫びながら物を投げつけられた上に振られた。
振られたが、未だにメールや電話はガンガン来ると言う。ネットはあまりしない。
薄汚れた団地に黒塗りの高級車が出入りしていることの意味がわからなかった小学校中学年の頃、私は彼らと仲が良かった。
自動車整備工とスーパーのレジ打ちをしている両親が、無理をして私を四谷大塚に通わせるようになってからは、
急速に疎遠になり、長らく連絡を取らずにいたが、元ホストがmixi同級生で私を探し当て、元バーテンを交えて三人で飲むことになった。
あのころは何も知らなかったし、何も言わなかったな。
まあ「出来るのかよ」「相手がお断りだよ」は置いといて。
それなりの仕事と収入がある自分はこういう人との結婚を目指せば良いのだろうか。
でもなんていうか、こういう人は怖いのでちょっと結婚はしたくない。
こういう風に露骨に貧乏をバカにしたり怖いこと言う人も怖いけど、
ことあるごとにお金なんか気にしてませんよー風のアピールをする人は経験上もっと怖い。
でも、お金やスペックで選んでもらうのでなければ何かって言うと
恋愛とかそういう事になるわけだけど、その方面には自信も実感も全然無い。
自分のことをそういう意味で好きになる女の人なんかおらんだろうというのはわかる。
浮かない程度の身だしなみはするけど、お洒落を楽しむようなことはしたことない。
それに、なんていうか、「スイーツ(笑)」とか言うほどじゃないけど、
学生でもないのに恋愛で動いてるような女の人の気持ちは全然わからない。
お金が好きな人より更に理解できないのでわかりあうことは不可能。
以上、両選択肢が潰えた。
現実的におじさんやおじいさんになった時どうするのかって考えていくと
ってイメージになる。
普通とか普通じゃないとか、よく分からないけれど、やっぱり気持ち悪いと思う。
私が幼児の頃にこんなことがあった。
父の友人(男性)が家に遊びに来ていたのだが、時間が夜になって私はパジャマに着替えることになった。
当時は狭い団地に住んでおり、襖も開けっ放しの部屋だったから隣の部屋でも必然的に父の友人の視界に入った。
私は母にパンツ一枚の格好にさせられそうになったとき、襖を閉めてと言ったのだ。
その人がじっと私の姿を見ていた。
なんでそんなに私のことを見るのだろう?
その人の視線が怖いと思った。恥ずかしいと思った。
両親やその人は、ちっちゃくても恥ずかしいと思うんだね、なんて笑っていたけれど、なんだか私は腹が立った。ちっちゃいからって馬鹿にするなよと思う。
その人が上の記事のような性向を持つ人だったのかどうかは分からないけれど、小さな子供だってそういう興味本位の視線には気づく。
わたしの両親は残念なことに鈍感な人だったけれど、世の中のお父さんお母さんは子供を守ってくださいと思う。着替えのときなどは周囲に気をつかってください。
どんな人が見ているかわかりませんよ。
あああ、なんだかまとまらない文章だな。
ま、そゆことで。
運動ができなくて不細工だけど成績は良かった。
方角が同じだったので、通学時も帰宅時もその男子の家の前を通っていた。
大きな戸建てだった。うちは団地だったので、いい家に住めていいなーと思っていた。
庭の手入れをしている、その男子のお母さんをよく見かけた。
うちのお母さんより美人だし、やせているし、いつもよそゆきの服を着てて素敵なので、うらやましかった。
その男子の一家がクルマを出してどこかに出かけようとしていた。
男子のお父さんは太っていて不細工だった。お母さんと似合ってないなと思った。
中学に入って、私は塾に通うようになった。いじめられていた男子とはクラスは別れたけど塾で一緒だった。
中2の冬に、彼は不登校になったらしい。そういえば途中から塾にも来なくなっていた。
そのままずっと家に引きこもって今に至っているみたい。
それならそれでしょうがない
だけど、せめて私だけは幸せになりたい
そのために何が必要か考えてみた
私の隣の人が不幸せだったらどうだろうか?
不幸せな人は心に余裕がなく、周囲に気を配る余裕がないかもしれない
そうしたら、きっと隣の人の不幸せは私にも伝染するだろう
とするならば、隣の人にも幸せであってもらわなければならない
私が幸せを維持するために、私の周りも幸せで固めないといけない
どうすればそれができるだろう?
単純な方法は、幸せな人間との付き合いを選び、不幸せな人間を遠ざけることだろう
人間は生まれた時から平等ではない
私の小学校の学区は市内の中心部の住宅街で裕福な家庭が多かった
親も公務員や大きな会社の社員や役員、母親も専業主婦が多かった
そういった家庭の子供たちはみな勉強もできたし、余裕があって明るかった
友達の家に遊びに行けばお母さんがいてお菓子を出してくれた
夏休みにはみんなどこかに旅行に行ったし、お土産をクラス全員に配る子もいた
変わったのは中学校に上がってからのことである
中学校では学区が広がり、他の小学校の子たちと合流することになる
そうやって違った学区の子供たちと会って初めて、私の通っていた小学校が恵まれた子供の集まりだったと気付かされる
それはもう雰囲気で出身小学校がわかるほど決定的に性質が違っていた
問題行動を起こすのはB小学校
成績が悪いのはB小学校
当時の日本の社会に作られていた階層は、他の階層との交流の少ない小学校という限られた社会の中で完成された
中学校では、それら別々の社会で育ってきた子供たちを一緒の檻に入れた
高校では再び学力によって分けられることになったが、それまでの中学社会は言ってみれば社会の縮図だった
私は当時純粋であったがために、突然目の前に突きつけられた現実によって、人間の世界は一様ではないことを強く実感した
私は今でも心の底からは信じられない
社会の上と下と
彼らは本当に同じ人間かと疑う
同じ日本という社会で生きているはずなのに、彼らは絶対にわかり合えないのだ
その理由は、私が最初に書いたとおりだ
今もしあなたが幸せにならば、自分の周りの幸せな人間を逃さないように気をつけよう
不幸せな人間は自分が幸せになるために、幸せな人間を利用しようとするだろう
幸せな人間が幸せな人間同士で集まるように、不幸せな人間も不幸せな人間同士で集まるものだ
そういった場所には近づいてはいけない
不幸せな人間が、ふとしたきっかけで幸せを手に入れることも起こりえる
その時には冷静に自分のまわりを見てみるべきだ
自分のまわりが、少しの幸せを簡単に飲み込んでしまうような底無し沼だったとしたら
もたもたせず、すぐに逃げ出してしまうべきだ
まあ、そんな感じ
「何人いる? もうはじめる?」
「森口、まだ来てないじゃん」
「なんだあいつ、男のくせにピアノなんてならってんの?」
少ないときでも十人は面子が集まる。
今にして思えば、習い事でぽつりぽつりと面子が抜けていく直前だったから、小学校の低学年、しかも3年生ぐらいの年頃だったような気がする。
おれの住んでいた団地は新築で共働き世帯ばかりがどっと入った団地だったから、小学校のクラスでも団地の子供が占める割合が多く、揃いも揃って鍵っ子ばかり。それでランドセル姿のままでしょっちゅう一緒になって、あれこれ新しい遊びを始めるのが常だった。
そのとき流行っていた「どろけい」は、泥棒チームと警察チームの2チームに分かれて、泥棒はひたすらに逃げ、警察はひたすらに泥棒をつかまえるというシンプルなゲーム。泥棒はつかまれば開けたところにある刑務所に入れられ、仲間の泥棒にタッチして貰えれば見事脱獄ということになる。そうなってはたまったものではないので、警察チームは刑務所を陣地にして、あれこれと泥棒をつかまえる作戦を練る。
おれたち小学生にとっては、五号棟まであった団地は格好の遊び場で、当然ながら「どろけい」も団地を舞台に繰り広げられる。団地は、最上階が8階、左右に二棟のエレベーターホールがあり、両端はどちらも非常階段になっている。高島平のような左右に長い団地を想像すると分かりやすく、そこを小学生のおれたちは駆け抜けた。
よく迷惑だと苦情が来なかったものだと思うのだが、共働き世帯ばかりだったこと、そして、今よりも寛容な時代だったのだと、振り返って思う。
この「どろけい」という遊びは、逃げるにも追いかけるにも工夫とチームプレイが必要な遊びだ。
舞台となっていた団地には袋小路のようなものがなかったので、泥棒をつかまえるために警察チームは、複数人での挟み撃ちをする以外にない。泥棒が潜むことができるのは二棟のエレベータホールのみで、非常階段も廊下も警察の陣地から丸見えなので、捕物帖が始まれば、警察の陣地から指示が飛ぶようになる。
「錦原が、五階の西! 誰か西の非常階段を抑えろ!」
「非常階段、誰かいる! 降りてる!」
三人四人で泥棒の逃げ道を封鎖していくのだ。
「なあ、野々村どこにいると思う? エレベータの9階(作業室があった)みたよな?」
「みたみた。そういえばこの前は非常階段の裏に隠れてたな」
けっこう丸見えな割にはちょこっとずつ死角になるところがあり、そういった所に泥棒は好んで潜む。それを警察は必死になって探すのだ。
泥棒の方でも無策ではなく、エレベータホールなどでばったり出くわすと、情報交換になる。
「小田捕まった?」
「たぶん、みてないけど、走る音が聞こえないから」
「じゃあ、あと3人か。泉川はどこだろ?」
「あいつ、隠れてるの好きだからさ」
「じゃあ、こうしよう。おれは三階で仕掛けるから、木村は二階な。泉川は東の方にいる気がするから、おれは西の非常階段から脱獄かける。お前は東のエレベータホールな。泉川も気付いて、いっせいに脱獄かけれるかも」
「ちょ、ちょっと休ませてよ」
「たく、だらしねえな、60秒な」
そして、作戦開始。
それはたぶん子供の頃の大切な思い出だった。
「どろけい」は毎日のように号棟を換えて遊ばれる。
おれの住んでいた団地は、おそらく建設された時期が違っていたからだと思うが、それぞれの号棟に微妙な差異があった。たとえばエレベータホールが一棟しかなかったり、廊下の柵に隠れやすい板がついていたり、階が6階までしかなかったり、屋上と称する場所があったりする。
そうすると、号棟が変わる毎に作戦やセオリーが代わり、泥棒も警察も新しい手を考えなければならなくなるのだ。
なので、一号棟前にランドセル姿で集まって、今日の面子をながめながら、みんなでわいわいと相談する。
「なあ、今日どうする?」
「少ないから五号棟じゃん?」(五号棟は一番ちいさい号棟だった)
「五号棟好きじゃないんだよな」(エレベータホールが一棟しかないとつまらない)
「じゃあ、こうしよう3号棟で6階まで、これならどう?」
「作業室なしかぁ。あ、お前ずるとかするなよ」
「しないって。分かった。したら3回警察でいい」(警察は不人気だった)
「あ、あのさ、三号棟にするなら、刑務所近くしない?」(エレベータホールにの意)
「どの辺にするの?」
「え? 近すぎない?」
「いいよ! いいよ! ピロティーからなら警察見えないじゃん。そっちの方が絶対面白いよ!」
他のみんなはどうだったのかは分からないのだが、おれは分かってしまった。
こうやって、どうすれば「どろけい」が面白くなるかという事を相談しているときが一番楽しいって。「どろけい」をしているときももちろん楽しいのだけど、それよりもルールを決めながら、どんなルールにすれば、遊び方が広がるかを考えることは、小学生のおれにとっては、とてつもなく楽しいことだったのだ。
そうやって、少しずつ楽しさの源泉となるルールが積み上がっていき、「どろけい」はますます洗練されたゲームになっていく。おれたちは気付かないうちにゲームデザインをしていて、それは小学生のませた心に、楽しいってどういうことかって事を植え付けてしまった。
おれは「どろけい」をしている間にも、こんなルールにすれば「どろけい」はもっと面白くなるのに、ということをしきりに考えるようになった。それで、もっとみんなが面白くなれば、それはとても嬉しいし、楽しくなる。
この「どろけい」遊びがやがて終息していったのは、人数が増えすぎたというのが原因だった。
この面白い遊びが徐々に広まり、仲間が増えてくると、少人数の精鋭でやっていた頃とは格好が違ってくる。日曜日などには女子まで入って数十人で「どろけい」を行ってしまう。
そうなると、一号棟だけでは足りなくなって、一号棟から三号棟まで、といったように無秩序に規模が拡大していく。それはそれで楽しかったではあるが、やはり散漫で緊張感のない遊びになってしまった感は否めない。
さらに、休日に数十人の小学生たちが団地中を駆け巡り、大きな声で泥棒を追い詰めたりするとなると、さすがに周囲も迷惑を感じ始める。それで、どこだったか何号棟かで禁止令が出て、それから徐々に終息していたような気がする。折良く習い事で仲間もどんどんと抜けるようになり、外で大規模に遊ぶという事はこれが最後になってしまったと思う。
ただ、あの楽しさを味わってしまうと、今この歳になっても胸がうずく。
ああ「どろけい」がやりたい。
楽しかったって。
そして、あの初期にルールを作り上げていったときが一番楽しかったと。
おれは趣味でゲームを作っていると、しばしば言われて、誤解されて困ることがある。
おれは、そのたびに思う。
おれは、物語が作りたいんじゃない!
おれは、ゲームが作りたいんだ!
「どろけい」みたいにルールを考えるのが、好きなんだよ。
って。
弔い問答 その2
ttp://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2010/03/post_82b7.html
南 もっと問題なのは、おそらく『クレヨンしんちゃん』以降には家族マンガはでませんよ。だってここから先、一人しかいないもの。あれは大変な問題なんです。
家族マンガというのは、およそ三十年間近く『サザエさん』が独壇場だったんですよ。ところがその後、一九九〇年代に『ちびまる子ちゃん』が出たんですよ。この二つの決定的な違いは、じいさんの存在感なんです。波平さんと舟さんは家長としての存在感を持っていますが、『ちびまる子ちゃん』のじいさんは、からかわれる道化みたいな役になっています。でもまだ一応三世代なんです。事実上、核家族ですが。
ところが次の『クレヨンしんちゃん』が団地住まいの三十歳前後の夫婦に、五歳の手に負えない息子がいるという完全な核家族。ここから先に家族はいないですよ。
『サザエさん』には構造的に非常に優れたところがあって、あのマンガは、日本人が必ずどこかに自分を位置づけることが出来る。そのポイントは、マスオさんです。マスオさんは婿ではない、フグ田なんだから。だけど、あたかも婿であるかのように振舞っている。ということは、婿入りした男は全部そこに引っかかっている。『サザエさん』には、じいさん、ばあさん、親子関係、兄弟関係もあるが、実は叔父や姪と甥の関係もある。タラちゃんは弟じゃない。すると日本の家族構造として必要な要素が、全部そこで見えるようになっているんです。これはもうないんですよ。そして『クレヨンしんちゃん』の先はない。
『サザエさん』に対応していたのが、日本仏教の伝統的な教団で、おそらく事実上の核家族である『ちびまる子ちゃん』と『クレヨンしんちゃん』の世代に対応したのが、たぶん創価学会や立正佼成会などの新宗教ですよ。
その後、家族がなくなったところ、つまり単身者みたいなところに、もろにコミットしてきたのがオウム以降です。オウムの特徴的なのは「出家」と言うでしょう。鎌倉時代以来初めて、日本の宗教者が出家ということを真っ向から言った特異な例なんです。
私はオウム問題を、未だに完全に処理出来ていないんです。とても重要な問題で、日本の仏教は逃げまくっていると思いますからね。「オウムは仏教じゃない」と言っただけではダメなんです。「仏教じゃない」とは言いがたい側面があるから、ちゃんと処理しないといけない。
しかも特徴的なのは、「出家」を言った指導者が、出家者じゃないというのが日本的なんです。麻原は在家修行者です。人を出家させても、彼は結婚して、子供をつくっている。非常に日本的なんです。一方、同時に出た「幸福の科学」というのは、全国統一神理学試験というのを教師の選抜にやっていたんです。あれは共通一次テストがモデルです。学生みたいな人間を信者に想定している。つまり学生とは何か。家族を持たない世帯者ですよ。
うちの団地の民度が非常に低い。公営住宅だから我慢しているが、愚痴る。
自転車置き場の話。
一番自転車を取り出しやすいところはなぜかバイク・原付置き場になっている。その暗黙のルールが確立される前に、私がそこに自転車を置くと、雨の日でも野ざらしの場所に移動されていた。
そこがバイク・原付置き場になっているとは誰も知らされていない。公営住宅だから管轄の役所に問い合わせてもみたが、そのような区分は設けられていない。
バイクを所有する気違い(誇張ではなく、本当の意味で気違いだ。生活保護で暮らしている)が勝手にそこをバイク置き場と決め、勝手に自転車を撤去したのだ。
次会ったら一言言ってやろうと思ったが機会がなく一年が過ぎた。団地の組合の人たちにももちろん不公平は伝えたが、気違いのおじさんが怖くて何も言えない。
それはまあ仕方がないだろう。私だって頭のおかしい人とは関わりたくない。
というか組合の人も少しおかしい。
突然「私の自転車置く場所、雨がかかるからあなたの場所と変わってよ」と言ってきたり、インターネット回線のマンション契約を「よくわからないから」といった理由で却下されたり。
私は若輩で、近所付き合いというのをよく知らないから、これくらいのトラブルはごく普通のことかもしれない。けれどどうしても一部住民の頭の悪さを感じて苛々する。
組合の人たちは悪い人ではない、と思う。自分達の決めたルールや言動でほかの人が不満を感じるといったことに思い当たらないのだろう。
自転車置き場の場所を決めるために、自転車の台数を聞き取ることには思い当っても、そのアンケートをどう生かせばよいのか分からなかったのだろう。
組合の人が取り出しやすいようなめちゃくちゃな置き場の配置にしても、不平が起こると分からなかったか、もしくはそうしなければ損だと感じたのだろう。
そもそも、自転車置き場の場所を決めなければいけなかったのはなぜか? 団地外の住民が通勤に便利だからと勝手に自転車を置くのを防ぐためだ。
そんな土地に住んでいる人でも、公営住宅の敷地内を近道のために横切ったり、自転車置き場を勝手に使ったり、ゴミを散らかしたりしていく人がいる。
公営だからいいという意識なのだろうか?私には理解できない。
この団地には生活保護の人が何人も住んでいる。その人たちは特に、威張る。なぜか威張る。
頭のおかしいおじさんは、近所の小学校の登校時刻になると大威張りで街頭に立ち、汚らしい服で子供たちを出迎える。だけでなく、ハイタッチを強要する。
無論、保護者から苦情が殺到したらしいが今のところ彼が教師気取りの日課を控えるといったことはないので、何の注意もされていないのだろう。
ここまで愚痴愚痴言っておいてなんだけれど、住民なんざピンキリだ。けれど確実に傾向ってのはあると思う。公営住宅には公営住宅の傾向、民度の低さが。
なぜか? 当然、家賃が安いからです。
上のようなことをつらつら考えていて、ふと部落差別のことに思い当たった。
団地はその一区画だけが安いけれど、部落周辺は丸々地価が安い。
小学生の頃は部落差別なんて理解できなかった。教育で初めて部落の存在を知った。(あの教育がなければ部落差別なんて生まれないんじゃないのと思う)
なんだかひどいことがあったんだな、いけないことだな、という理解のもとすくすく育ち、中学生の頃だ。家族が部落差別的な発言をした。
私はもちろんそれは差別だ、いけないことだと反論し、彼女らの言い分には納得しなかったのだけれど、今なら理解できる。
同意できたところをかいつまんで言うと、こうだ。
特権を享受しなければ損だと考える人間性。補償されて当然だと感じるその精神を差別する。
その特権の一部には、異常に安い土地代や家賃、その他金銭的な補助が含まれる。
家賃が安い地区は民度が低い。治安が悪い。そしてどこか、卑しい。
生活保護を受けている人は恥ずかしくないのだろうか。貰わなければ損という考え方。
皆が皆そうではないと分かっているけれど、貰えてラッキー、労働厨ざまぁ、なんてのは釣りでも腹が立つ。人間性が卑しい。私が知る生活保護の八割までが尊大で卑屈で横柄だ。
生活保護受けたい、仕事辞めたいという冗談も、あまりいい気分にはならない。
生活保護を楽でずるいと感じるのは仕方がないけれど、そこで受給者を心底羨ましいと思うか、軽蔑するか。
羨ましいと思う人は、生活保護で暮らしている人が身近にいないんだろうね。
羨ましい環境だ。生活保護で「のうのうと」(これ重要)暮らしている人間は軽蔑するまいと思っても、無理です。大嫌い。
(ちなみに、部落差別に関する家族の意見で同意できなかったものもある。
運動ができなくて不細工だけど成績は良かった。
方角が同じだったので、通学時も帰宅時もその男子の家の前を通っていた。
大きな戸建てだった。うちは団地だったので、いい家に住めていいなーと思っていた。
庭の手入れをしている、その男子のお母さんをよく見かけた。
うちのお母さんより美人だし、やせているし、いつもよそゆきの服を着てて素敵なので、うらやましかった。
その男子の一家がクルマを出してどこかに出かけようとしていた。
男子のお父さんは太っていて不細工だった。お母さんと似合ってないなと思った。
中学に入って、私は塾に通うようになった。いじめられていた男子とはクラスは別れたけど塾で一緒だった。
中2の冬に、彼は不登校になったらしい。そういえば途中から塾にも来なくなっていた。
そのままずっと家に引きこもって今に至っているみたい。