はてなキーワード: 精神力とは
見た目体力精神力とも弱々なので、よく人から要りもしない圧をかけられたり見下されたりします
弱々なので反撃して戦うのも一苦労ですし、だいたい、あーはいはいしんだしんだと返事します
けれども、会心の一撃出されるとね、これはもうスルー出来なくてね
反撃するんですよ
と言っても悪意のある無視とかないものとして扱うとか、その程度です。スライムですからね。攻撃力ないんで。
でもね、そうすると勇者気取りめっちゃ怯むんですよ。例外なく。
もうね、情けないですよ。君は勇者気取ってマウントとってきたんじゃないのかと。
ドン引きです。もっと私を怒らせて決定的にキレさせてほしいです。
何を怯んでるんですか。機嫌とろうとしてこないでほしいです。
情けないです。
ここ4,5年、息子みたいな歳の人と近い関係になってはあまりの年齢差に続かないことが続いてる
もう子供も産めないし精神力使いたくないので婚活する気はないんだけど
普通に暮らしてて突然やってくる出会いに心が揺れたり落ちたりする
雑談してたら穏やかですねと言われライン交換。何回かデートするも、当時はまだ結婚願望がありサラリーマンがいいと思っていたので続かず。
・ツイキャスで知り合った人
16歳下。「増田さんアラフォーと言っても見えないし…」「ごはん作ってください」とか言われて一緒にごはん食べたりした
魅力的な人だったけどさすがに下すぎる
好きだったけどしんどかった。
10歳下。引っ越しで家具家電ゆずったときに「こういうご縁もないですから…」と言われライン交換。
15ぐらい下。予備役がかかる寸前らしく不安そうな日々を送っている。
ほんとに徴兵されそうになったら配偶者ビザで日本おいでって言ったら
ずっとそれを求めていた。恥ずかしいですがそうなったらよろしくお願いしますとの返事。
なんか最後のは違うな
将来に続かない出会いばかりくりかえしてなにになるんだろう
なにかの練習になるのかな
自分はボーナス無しの年収160万の田舎暮らし。責任ゼロの仕事。のんびり仕事して、のんびり家庭菜園して暮らしている。
田舎にいる前、低学歴ながらも中小企業で年収400万円に達し、少し出世してボーナス込みで年収500万円になろうかという時、仕事の責任が増え、休みでも会社の携帯が鳴り、仕事外での付き合いが増え、いとも簡単に諦めた。
年収(だけではないが)が高い人の精神力というのは、持とうと思って持てるものではなく、プロのスポーツ選手並に強靭。
それなりに年収を貰う為に生じる責任と仕事をこなす能力というのは、凡人がそう簡単に持てるものではない。
自分の能力と合った環境を客観的に判断できれば、割と楽に生きられる。
もちろん消費が生じる贅沢はできないが、そんなのは当たり前で、物欲を駆り立てられる広告が町にもスマホにも溢れ毒されてしまっている(ちょっと極端な言い方)人がこれに気付くのは難しいかもしれない。
とにかく、個人的には社会の仕組みやサービスを作る人などなど年収が高いサラリーマンは自分にとってはプロのスポーツ選手やアーティストと同等だと思っている。
今の若い子はよりそう思っている様な気がするけど。
子どもがどうしても行きたいと言うのでしぶしぶ連れて行ったけど、やっぱり大変だった……。まず東京駅から激混みで「さすが東京」と思った。舞浜は千葉だけど。
歩く+並ぶだから、どうしても子どもにはきついね。開園前から並ぶのは嫌がるので10時前に入ったけど、その頃には40周年パスも全然取れなくて結局並ばなきゃ乗れないし。ディズニーの混雑を体験させて「次来るなら覚悟が必要」ということを学ばせることができたのは親として良かった。
園内はホコリや汚れがなくてすごいなと思った。あれだけ客がくるのにゴミで溢れてるゴミ箱とかも無いし。いつ掃除してるんだろう。
花や樹木があるのに虫がいないのもすごいというか、ちょっと怖いと思った。シーだから水辺なんだけど、浮いてる虫一匹いない。すごい高性能な浄水設備があるのかな。
園内はフォトスポットや40周年ウォールアートもたくさんあって素敵だった。町並みやクリスマス飾りもおしゃれで、見ながら歩いているだけで楽しい。「並んで乗り物に乗らなきゃいけない」という制約さえなければもっと楽しめただろうなと思った。夜もライトアップが綺麗で、ショーを見て食事してお土産買うだけでも楽しそう。
リゾートライナーに乗ってたらキャストさんが手を振ってくれたのも嬉しかった。ここで働くの大変だろうな。混雑日に来てごめんなさいという感じ。ミニーのアイスバー1本買うにも20分並んで流石の混み具合だった。「飛ぶように売れる」という表現が適切な状況で、品切れしないよう補充したり配達する仕組みはすごいなと思った。園内にポップコーンワゴンが多いのは種の状態なら在庫をたくさん置いておけるからなのかな。
コーヒーカップみたいな乗り物があるんだけど、くっついて座るとよく回って面白かった。カップル向きだろうね。ディズニーに来れるカップルはすごいと思う。財力、体力、精神力全て試される。私も子連れじゃなければ来てないけど、子どものお陰で園内の建築や装飾を見られたのは良かった。
「次来るとしたら平日か、もっと大きくなって並べるようになってからね」という約束を子どもとした。願わくは次は友達同士で回ってほしい。自分で来るなら15時以降のチケットを買って平日来たい。あとディズニーキャスト募集を見てたら「クラークキャスト」という事務職があった。こういう見えない仕事して特典もらえたら嬉しいね。
自己愛性パーソナリティ障害は誇大性,賞賛への欲求,および共感の欠如の広汎なパターンを特徴とする。診断は臨床基準による。治療は精神力動的精神療法による。
自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心の調節に困難を有するため,賞賛および特別な人物または機関との関係を必要とする;優位性を維持するために,他者を低く評価する傾向もある。
自己愛性パーソナリティ障害の推定生涯有病率には大きな幅があるが,米国の一般集団では最大6.2%にも上る可能性があり,女性より男性に多い。
併存症がよくみられる。患者は 抑うつ障害(例,うつ病,持続性抑うつ障害), 神経性やせ症, 物質使用障害(特に コカイン),または他のパーソナリティ障害(演技性, 境界性, 妄想性)を有していることも多い。
NPDの病因
自己愛性パーソナリティ障害に寄与する生物学的因子に関する研究はほとんど行われていないが,発症に関わる有意な遺伝要素が存在すると考えられている。養育者が子供を適切に扱わなかった(例えば,過度に批判的であったり,過度に子供を賞賛,称揚,または甘やかしたりすることによる)可能性を仮定する理論もある。
特別な才能や能力をもっており,自己像および自己感覚を他者の賞賛や尊敬と結びつけるのに慣れている患者もいる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は自分の能力を過大評価し,自分の業績を誇張する。自分が優れている,独特である,または特別であると考えている。患者の自分に関する価値および業績についての過大評価はしばしば他者に関する価値および業績の過小評価を含意する。
患者は大きな業績という空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること,名声および影響力をもつこと,または素晴らしい恋愛を経験すること―にとらわれている。普通の人とではなく,自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えている。このような並はずれた人々との付き合いは患者の自尊心を裏付け,高めるために利用される。
自己愛性パーソナリティ障害患者は賞賛を受ける必要があるため,患者の自尊心は他者からの肯定的評価に依存し,このため通常は非常に脆弱である。この障害を有する患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており,自分がどれだけうまくやっているかを評定している。他者による批判ならびに恥辱感および敗北感を味わわせる失敗に敏感であり,これらを気にしている。怒りまたは軽蔑をもって反応したり,悪意をもって反撃したりすることがある。または,自分のうぬぼれの感覚(誇大性)を守るために,引きこもったり,その状況を表向きは受け入れたりすることがある。失敗する可能性のある状況を避けることがある。
NPDの診断
診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition[DSM-5])
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには,患者に以下が認められる必要がある:
このパターンは,以下のうちの5つ以上が認められることによって示される:
自分の重要性および才能についての誇大な,根拠のない感覚(誇大性)
途方もない業績,影響力,権力,知能,美しさ,または無欠の恋という空想にとらわれている
自分が特別かつ独特であり,最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている
共感の欠如
傲慢,横柄
また,症状は成人期早期までに始まっている必要がある。
鑑別診断
自己愛性パーソナリティ障害は以下の障害と鑑別することができる:
双極性障害:自己愛性パーソナリティ障害患者はしばしば抑うつを訴えて受診し,その誇大性のために,双極性障害と誤診されることがある。自己愛性パーソナリティ障害では 抑うつがみられることがあるが,他者より上の立場にいたいという欲求が常にあることで,双極性障害と鑑別される。また,自己愛性パーソナリティ障害では,気分の変化は自尊心に対する侮辱によって引き起こされる。
反社会性パーソナリティ障害:自分のために他者を利用することは両方のパーソナリティ障害の特徴である。しかしながら,その動機は異なる。反社会性パーソナリティ障害患者は物質的な利益のために他者を利用するが,自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心を維持するために利用する。
演技性パーソナリティ障害:他者の注意を惹こうとすることは両方のパーソナリティ障害に特徴的である。しかし,自己愛性パーソナリティ障害患者は,演技性パーソナリティ障害患者とは異なり,注意を惹くために気取ったことやばかげたことをするのを非常に嫌い,賞賛されることを望む。
自己愛性パーソナリティ障害の 一般的治療は全てのパーソナリティ障害に対するものと同じである。
基礎にある葛藤に焦点を当てた精神力動的精神療法が有効なことがある。境界性パーソナリティ障害のために開発されたアプローチの一部は,自己愛性パーソナリティ障害の患者用に効果的に改変できる場合がある。具体的には以下のものがある:
これらのアプローチでは,自分および他者を感情的に経験するあり方の問題に焦点を合わせる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は,習熟度を高める機会を魅力的と捉えることがあるため,認知行動療法が患者にとって魅力的となる場合がある;患者の賞賛への欲求により治療者が患者の行動を方向づけられる場合がある。自己愛性パーソナリティ障害患者の中には,マニュアル化された認知行動療法のアプローチを簡単すぎる,または自分の特殊な欲求を満たすには一般的すぎると考える。
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TEST YOUR KNOWLEDGE
汚部屋脱出には、時間と精神的な余裕と、運用管理保管技術、それに金銭的物質的フローが必要なのでハードルが高い。
・目に入った物体が必要なものか、不要なものか、再利用価値がないか判断して処分を決断する精神力
・判断の結果、手入れして保管するのか、捨てるのか、リサイクルに出すのかを実施する知識と実行力
・ゴミ捨て場やリサイクルショップへのアクセスや、捨てに行く服がない、容器がない、分別やゴミ出し曜日時間、人目が嫌というハードルを越える実行力
・「自分の部屋」「自分の暮らし」を自分の好きなようにステキにしてよいのだという確信
精神力実行力をつかわないで済むように仕組み化自動化したいとみんな考えるのだが、
だいたいみんなそんなのできない。だからゴミ捨て場には電池とかガラスとか家電とかプラスチックケースとか入り交じって一杯捨てられている
そもそも復讐とか攻撃とか嫉妬とかそういうネチョネチョ系の行為自体が定型に特徴的なことで、原理すら理解できない傾向が強い部類のものだと思う
窒素に対してきらめきという感情を感じた!とか、そういうレベルの全く未知の生物の未知の感性とかを考えたらわかるかな
私はあなたにきらめいたよとか言われても、良い意味だろうと悪い意味だろうと意味もわからないし、きらめかれても、嬉しくも悲しくもならないだろう
アスペは、悪意や意地悪の意思を他人に対して抱くことはあまりないから、相手にはあなたを苦しめるつもりがないかもしれない
変に刺激してこだわりスイッチに変に触れると、死ぬほど粘着される可能性もある
アスペは定型と違って嫌なことに対する記憶力が非常に高いので、定型人の精神力では理解できないほど長い時間強く恨まれる可能性もある
忘れ忘れられる方が合理的ではあるね
アスペに対して反省させるのに最も有効な手段とは、端的に、反省とは何かを説明し、反省をしてほしいと頼むことである
ただし、感情や常識を一切排斥して、まるでパソコンにプログラムを打ち込むかのごとく正確に、具体的に、してほしいことを口述しなければならない
歌が一番わかり易いのだが、音に込める感情の起伏や細やかさといった表現のレベルと、音程や発声といった技術のレベルは正比例していることが多い。
これはまあ当たり前で、表現を突き詰めるために高度な技法があるわけだし、表現の高みを目指すモチベーションこそが、実力を高める原動力になるのだから。
したがって技法の身につけ方も、まず最初に「あるべき理想」を思い、恋い焦がれ、それを実現するために技術を身に着けていく。
音程の正確さだったら、そのフレーズの理想を思い描き、そこにマッチする音をはめ込んでいくことで正確さを実現するわけだ。
そのときの練習の意識は「自分の出したい音のために、ちゃんと音符がハマらないと気が済まない。だから頑張る」という感じ。
そしてこれは歌に限らず楽器もそうで、一番の好例はエレキギターやベースギターだろう。
音程の精緻さという観点で見ると荒削りではあるんだけど、でも圧倒される音/痺れる音を実現するのに十分ハマった音程なわけで。
しかし、このアプローチが全く当てはまらない楽器も世の中に存在するのだ。
その最たるものがヴァイオリンで、次点は吹奏楽の、特にコンクール偏重な環境で管楽器を学んだ人達かな。
どういうことかというと、
「そんな微妙過ぎる表現で、音程だけがそこまで正確に合うはずないんだけどな…」
と感じる演奏が極端に多いのだ。
ちなみに微妙というのは大味or貧弱だけでなく、指導されるがまま演奏してるのが見え見えな、悪い意味で指導者の劣化コピー的なわざとらしい表現も含む。
これは、「表現よりも先に正確さだ!」という方針で、そもそも表現とは?音楽とは?みたいな話を学習者が理解できないうちに、指導者から一方的に芸を仕込まれた結果である。
具体的には、フレーズの中の音譜を1個ずつ取り上げては「高い」「低い」あるいは「フォルテ!フォルテ!」という具合だ。
こういう、学習者の自発的な音楽へのモチベを引き出さないどころかガン無視するような指導は、習う方からしたら苦痛でしかない。
そして上達するために必須の条件というか適性が、この練習の苦痛に耐えることになってしまう。
この時点で多数の脱落者が出ることは確定である。
脱落しなかったとしても、表現と技法がアンバランスな、「普通の下手」よりも聴くに耐えない演奏をする、雑魚奏者を量産する可能性が高い。
音楽を習うのに、音楽を後回しにするんだから当然の結果だろう。
しかも、あるべき表現というセンスの涵養を後回しにしてしまう結果、何かの曲の演奏を完成させるにも試行錯誤の回数だけが桁違いに。
(逆にどう表現したいかが先に定まっていれば、そのために必要な試行そのものはシンプルなのだ。)
この傾向は曲が難しくなればなるほど加速度的に大きくなるため、最終的には百万回さらう体力・精神力が要求されるようになる。
こういう指導で幸せになれる人は、最初から表現のモチベーションに燃えに燃え、あるいは練習の早い段階でモチベに火が付き、それを最後まで絶やさず続けられた人だけである。
飲み込みが早い/要領がいいのも必要条件ではあるが、それだけだと「自分のやりたいことはコレジャナイ」という思いを秘めたたまプロとして食うしかないという、これまた苦しい人生が待っている。
というわけで、ごく一部のモチベーション超人かつ強靭な体力気力の持ち主しか、楽しい音楽家人生を送れない構造なのだ。
とはいえ、少なくともヴァイオリンについてはもう少し本人も周囲も幸せになるような育成をして欲しいと思う次第である。
幼少に初めたヴァイオリンで自らの雑魚な演奏に苦しみ、大人になって再入門後に長い年月を経て、ようやく憧れだった結構難しい曲(音大入試レベル)を心底楽しく学んでいる筆者の、ささやかな願いだったり。