はてなキーワード: 鳴かず飛ばずとは
んー。厳しいもちょろいもないんだよ。
たとえばある作家さんはデビューはしたものの2冊でシリーズ打ち切り。新規シリーズを半年かけてたてったものの、やはり最低部数しかでず打ち切り。鳴かず飛ばず。
これはもう、キツイとかじゃなく「食えない」「芽が出ない」でしかない。
しかしその一方で別の作家さんは、出せば出しただけ単巻で10万部20万部売れる。それも別段苦労して立ち上げた新シリーズというわけですらなく続刊で売れる。アニメ化されて知名度もあるから、別シリーズも出せば出しただけ売れる。もう生涯年収くらい貯金あるので、毎月旅行とかしながら書いてる。
こっちはもちろん「専業で楽に食える」。
もし「キツイ」があるとするならば「食えない程度の金しか入らない」けど「夢という自前燃料で補給しながら頑張ってる」からきつく感じるだけで、その実態はただ「食えてない個人」がいるだけ。「個人」だから「業界」とは一切関係がないんだよ。
とある書店でGJ部全巻(当時)が平置きされた棚に「ラノベに不要なもの、それはストーリーでした」なる手書きPOPが垂れ下がっていたのを見かけたのはもう何年も前のことで、この世にはそんなふうにまだアニメにすらなっていないガガガの売れもしない怪作のために棚の上段を使い潰す書店というものが存在する。近年では「書店員が本当に売りたかった本」なんて惹句がなにかqualifiedとconscientiousの合成語のようにして使われているけれど、いくら書店員が書物に通じているとはいえ現実問題としてかれらの大部分は時給で贖われる単純労働者であり、その無資格の書店員にキュレーターとしての資質まで期待する人間のほうがそもそも恥知らずなのであって、現実の書店員はガガガ文庫で、それもガガガ文庫のなかでも売れてないほうの作品で棚を使い潰しもすれば、そこに面白くもない手書きPOPを貼り散らして俺の心の甘皮をささくれさせもする。そんなに手書きPOPが嫌ならAmazonで買えばいいじゃない、という意見は確かに正論ではあるのだろうけれども、どうなんだろう、それはあくまで消費者側に向けた意見であるはずで、それを書店員たちが「人間がいなくちゃ本屋じゃないですから」なんて言いながら「書店員の顔が見える本屋」を構築し始めるのはどこか歪んでいるというか、個人的にはそういう手書き看板みたいのはラーメン屋に任せておけばいいと思う。話が逸れた。
GJ部原作の1巻が刊行されたときのキャッチコピーは「史上初、四コマ小説!」といったものだったと記憶している。GJ部の原作小説というのはひとつ数頁の独立した掌編が何の脈絡もなくただ三十も四十も寄せ集まって一冊の本になっており、ストーリーに類するものはまったく排除されていて、なるほど「四コマ小説」とは上手いことを言ったものだと思う。主人公的ポジションのキョロ君は「GJ部の部室の前を通りがかったところ突然袋詰めにされ拉致されて強制的に入部させられた」ことが節々でほのめかされるが、その具体的な様子については一向に語られる様子がないし、こないだアニメにも出てきた緑髪の後輩にしてもアニメ6話の時点では影も形もなかったのが7話の冒頭では既に部の一員になっていて、彼女もまた袋詰めで拉致されたということだがやはりその場面なり様子なりが具体的に描写されることはない。GJ部は万事その調子で、はじめは戸惑ったものの、やがて「これは実はよく考えられたシステムなのかもしれない」と思うようになった。
GJ部が面白いか、と問われれば首を傾げざるを得ない。すくなくとも原作には心動かされるようなものはなにもないし、作者の新木伸ならではの詩情や美意識といったものも感ぜられない。たとえばGJ部には紫音さんという紫髪の先輩がいて、彼女は完全記憶力を持つチェスの天才で喋りも衒学的という設定だが、その「衒学的な喋り」がなんというか、よくある「頭の悪い中学生が一生懸命考えた頭のいいキャラの喋り」という例のアレそのものであり、結果として紫音さんの喋りというのは口を開けばテレビやネットの受け売りを垂れ流す残念な女性のそれのようで、見ているとどうしても生暖かい失笑を浮かべてしまう。ポテチの重量の何十%は油だが油は美味しいからね、味覚というものは人間が常に飢餓にさいなまれていた頃から進歩していないものなんだよ、とかなんとか。作家の仕事というものはこんな愚にもつかないトリビアを並べて枚数を稼ぐことではないはずだ、と柄にもなく文学論をぶちたくなりもするというものだが、たとえばこれを杉井光に書かせればこうなる。
「ここで一晩膝抱いてればお父さんの気持ちがわかるとか、そんな馬鹿なことでも言い出すつもり?」
けれど探偵はそれには答えなかった。かわりに、問いを返す。
――「神様のメモ帳7」
薀蓄のお手本として壁に貼っておきたいくらいの素晴らしいフレーズだが、しかしこのレベルのクオリティで作品を量産しつづけるのは普通の作家には不可能であるし、たとえその離れ業が杉井光という超人には可能だったとしても、その属人的才気は模倣も複製も不可能で、だから杉井光という才能それ自体が神様のメモ帳という作品の限界になってしまうし、結果としてアニメ化は無残に失敗する。杉井光の詩情をアニメに翻訳することがそもそも困難だから。映像化不可能、という言葉はなにも特撮の困難さばかりを指すのではない。
唐突に杉井光を引用したのは、GJ部の原作者である新木伸はかつて若き日の杉井光を指導していたことがある、というよく知られたエピソードからの連想であるが、しかしよりにもよって新木伸と杉井光とは、つくづく扇情的な組み合わせだと思う。杉井光は業界レベルで見ても期待の星であり、対して新木伸は今となっては完全に過去の人で、書くものも時代に合っていない云々以前にそもそも単純に質が低い、という印象だったが、しかしGJ部のアニメ化はとても上手く回っているように見える。GJ部の原作からはスケールしない要素が注意深く排除されており、新木伸にしか書けないような描写はけして登場しないから、容易に原作を脚本に翻案できるし、違和感なくオリジナル要素を追加できる。ストーリーが存在しないから原作破壊の心配もなく、忙しいアクションや息詰まる心理劇もないから演出も難しくない。それはサザエさんやドラえもんのアニメが到達した地平に似るが、しかし教育的正しさの美名のもとに去勢されたドラえもんや長谷川町子の遺産を絞りつくした出し殻としてのサザエさんとは違い、GJ部はそもそもはじめから記号のみを志向していたという点で特異である。それがああして幸福にアニメ化されているのだから、作家としては疑問符の新木伸も原案者としては悪くなかったということなのだろうし、その意味では神様のメモ帳アニメ化失敗の原因の一端はある意味で杉井光に求められるといえるのかもしれない。結局神様のメモ帳のアニメはまったく話題にもならず、ヒロインのアリスが「神メモちゃん」として一部で消費された程度であったが、その消費のされ方が「喋るときは○○めも、と謎語尾で喋る。風呂に入ってないので臭い」というまったく原作と無関係の記号を与えられた上できわめて記号的に消費されたのは、考えようによっては皮肉ともいえる。
しかし人生は続く。平野耕太はアニメHELLSINGの最終回を見て「前座にしてやる」とのたまったそうだ。新木伸の物語が「杉井光は電撃文庫でデビューを果たし、新木伸はその後鳴かず飛ばずのまま引退しました」では終わらなかったように、杉井光もまたここで終わりではない。次の杉井光原作アニメがGJ部とは別の方向で大成功することを期待しつつ筆を置く。
そいつがドリブルを始めると誰も止められない。特にキックフェイントが絶妙で、分かっていても引っかかる。存在しないボールの軌跡を目で追ってしまう。まるで手品のようだった。紅白戦では、そいつがいる側が絶対勝ってしまうため、もう一方のチームを一人増やす、そんなレベル。
そいつは地元の強豪校に進学した。我々チームメイトは「あいつならすぐにエースになるだろう」と話していた。
しかし、強豪校とはそんなに甘いレベルではなかった。彼はエースどころかレギュラーも掴めず、3年間二軍暮らしだったらしい。技術は悪くなかったが、体の小ささが災いしたのだという。
さて、その強豪校。さぞかし全国に名を轟かせたか、というとそうでもない。我々の代では選手権に一度も出られなかった。なぜなら、ライバル校に『怪物』と呼ばれる程の選手が加入し、予選でことごとく蹴散らされたから。
では、そのライバル校は全国で……いや、まったく。せいぜい二回戦どまり。とはいえ、その『怪物』は目立っていて、その後プロ入りする。
その『怪物』はプロの世界でも暴れまわ……ったりはしなかった。レギュラーを掴んだ時期もあったが、後から入ってきた年代別代表の常連にポジションを奪われ、その後は鳴かず飛ばずのままひっそりと引退した。
その年代別代表常連はクラブにおいては重要な選手となったが、それもやはり、あくまでローカルヒーロー。A代表に呼ばれることはついぞなかった。
そんな化け物の中の化け物が集結する我らが日本代表も、ワールドカップではベスト16が最高成績。FIFAランクでは30位前後。相手によっては子供扱いされてしまうわけだ。
で、結局、何が言いたいかというとだね、
という事です。以上。
いや、うーん。団塊の世代が、逃げきりの世代 無責任世代と呼ばれている昨今に そういう発言をされてもなぁ。
大学の本質というものは、勉強したいから行くところであって、 行くために勉強するところじゃない。
大学に入って逃げきるつもりならともかく、学業の本質というのならば、恐ろしく簡単で 自分がやりたいことをやれ。その結果が大学なら、それはそれでと思う。
多くの場合、大学なんだろうが、この不況不況で、たとえば、寿司職人に中学生からなりました、一流店を経て今は自分の店を持っています。
という人生と、サラリーマンで、有名企業に務めたけれども、鳴かず飛ばずの中間管理職で、リストラに怯える毎日。
というのは、比較にならんだろ。
何が違うか?といえば、就職してからもモチベーションを持って、自分のスキルを上げていけるか?世間の荒波と自力で戦っていけるか?という話だよね。
これは俺がヘビーユーザーとして関わった、あるWebサービスの終焉の様子である。
そのWebサービスは、都内にある零細な会社によって開発・運営されていたSNS的なコミュニティサービスだった。リリース当初から殆ど話題になることはなかったが、地道に善良なユーザーを集め、わずかな課金とわずかな広告収入で細々と運営されていた。運営側とユーザーの関係も深く、俺は参加しなかったが開発者を交えたオフ会も開かれたそうだ。
このサービスの開発を行っていた2人のエンジニア、AとB、そしてAの妻であるA妻が主な登場人物である。A妻はサービスのヘビーユーザーであり、Aの妻であることを公言し、ユーザーからの要望をAに伝達する役割を自主的に担っていた。その役割もあってか他の多くのユーザーからも一目置かれる存在となっていて、彼女のひとあたりの良さもあってか、彼女の周りではいつも和気藹々としたコミュニティが形成されていた。俺は傍から見ていただけだったが、初心ユーザーにも積極的にコメントしたりしていたから、ユーザーの定着にかなりの貢献をしていたんじゃないかと思う。
あるとき、A妻がBと不倫をした。どちらがどのようにアプローチしたのかは分からないが、これはどうもそういうことらしかった。不倫開始以降、明らかにA妻の日記・コメントの様子がおかしくなり、ログイン頻度も落ちていった。また、サービスの不具合改善頻度もガタ落ちし、ユーザーたちは違和感を覚えていたと思う。不倫発覚後、AとBの関係が険悪になったことが原因だそうだ。
Bはとりあえず退社して別の会社に就職したが、それだけでは終わらなかった。AとA妻の関係も泥沼化し、子供もいたので離婚もできず、AはA妻に嫌がらせをするようになった。また、A妻はもともと社長と懇意にしていたこともあって、社長は中途半端などっちつかずの態度を取り、様相はますます混沌としていった。A妻はBの家に転がり込み、昼は自宅で育児をして夜Aが帰宅するのと入れ違いでBの家に行く、という二重生活のような状態になった。その間、サービスは全くの放置状態となり、A妻というコミュニティのハブ的存在がいなくなったこともあってか、ユーザーは徐々に離れていった。
その後、A妻とAの離婚が正式に行われると、すぐにA妻はBと同棲を開始した。風の噂では、A妻はBと再婚したと聞く。その頃になると、サービスは完全に停止状態になり、アクティブユーザは俺を含めて5人くらいになった。その会社はAのほか数人のエンジニアと別のサービスを立ち上げたが、リーダーを務めるAの情緒不安定もあって鳴かず飛ばずとなり、今も細々と会社は続いているが、傍から見ても倒産直前だと思えるような体たらくだ。
今もサービスのページ自体は存在しているが、まともに稼動していない。ページが一応残っているのはどうもAのA妻への想いからだそうだ。
ほかは全部失敗するのにAppleタブレットだけが成功する理由=米TBI
ttp://techwave.jp/archives/51375897.html
肝心のなぜほかのタブレット型PCが全部鳴かず飛ばずなのに、Appleタブレットが成功すると思うのかという質問に関しては、次の3つを挙げている。
(1)使い勝手のよさ。iPhoneを見ても分かるようにAppleは秀逸なユーザーエクスペリエンスを作るのがハンパなくうまいし、やはりみなここには期待しているということ。
(2)iTunesストアを既に持っていること。確かにこれはほかのメーカーには真似しようがない。「うちはハードメーカーだから」と自分で自分の仕事を定義し狭めてきた結果、まったくAppleに対抗できなくなったメーカーがいかに多いことか。
(3)エコシステムを構築しているから。多分これはAppStoreのことを言っているんだろう。サードパーティと共存共栄できるプラットフォームを持っているということなんだろう。
久しぶりに家庭用ゲーム機で普段やってるものとは別のゲームを遊んで「楽しい」と思えたことから、かつて通っていたゲームセンターに久しぶりに行きたいと思い始め、思い立ったそのすぐ今日に、昼から暇があったので、行ってみることにした。
約半年ぶりに、当時と同じ足取りで向かうと、騒音と共にその光景が憧憬として深く頭に残っていたゲーセンは、跡形もなく消え去っていた。デパート内の一角にあったそのゲーセンのフロアはシャッターで閉ざされ、入り口前の掲示板には、10月末に閉店したことと、これまでのご愛顧に対する感謝の旨を伝える文章が、それぞれ別のアニメ・ゲームの画像ネタと共にいくつも貼られていた。驚いたが、実は閉まっているんじゃないかという心配はちょっとだけあった。そのゲーセンは、その手ではおそらく中堅~大手の会社によるチェーン店だったが、単純に経営難に陥ったのか、やむを得ずに立ち退きをせざるを得なかった複雑な事情があったのか、理由はいくつも考えられたが真相を積極的に知ろうとは思わなかった。
閑散とした一角を前にして、こみ上げてくる寂しさと同時に、ゲーセンに通っていた思い出が蘇る。そのゲーセンに通い始めたのは2年半前のことだった。レバーとボタンを使ったゲームに大きな興味のあった自分は、インターネットで調べた結果、近くて通いやすく賑わっていそうなこの店に通い始めた。最初は多くのゲームをだらだら触っていたが、古めのゲームは対戦相手が少ない上に強すぎて勝負にならないこと、新しいゲームでもそのほとんどは操作が難しいなどの理由で肌に合わず、多くのゲーム、多くのキャラクターを試した中から一人だけ自分にマッチしたキャラを見つけ、そのゲームを集中的にプレイすることにした。それなりに歴史のあるゲームだったが、最新作が出てから日は浅く、プレイヤー数も多かった。
結局のところ、プレイしていた2年間はずっと負け続きだった。自分だけの力では手も足も出ず、インターネットで攻略情報を調べ、操作に慣れようとしては乱入され、コテンパンにされ続けた。やっとまともに動かせるように思い始めた頃からは、筐体の周りに出来た行列に並んで待ち、自分の番になると一回も相手に触れずに負けたこともあった。いくらお金を注いでも、上手くゲームを遊ばせてもらえなかったし、相手は自分を勝たせてはもらえなかった。それでも楽しかったのか、それとも上手くなれると信じきっていたのか、毎日のように通っては迷わずお金を落とし続けた。
プレイを始めてから一年半ほど経ち、ラインナップもそれなりに変わり始め、自分のやるゲームも古くなり、稼動しているセット数が減り、人口も減ってきたが、今やっているゲームほど自分を満足させるものはなく、同じゲームをプレイし続けた。しかし、同じゲームをプレイしていた人達は新作に移ったというわけではなさそうで、その頃には、自分が見た同じゲームのプレイヤーのほとんどはゲーセンに姿を見せなくなっていた。おそらく、自分はその9割には一回も勝てなかったであろう。行列に割り行っては手も足も出なかったあの頃とは違い、中級者程度なら初見ではそれなりに肉薄できるようになった代わりに、筐体の周りには休日にも人だかりはほとんど出来なくなっていた。
対戦ゲームと並行して一人用のゲームもいくつか嗜んでいたが、お金を山ほどつぎ込みながら、ノーコンティニューでクリアまで到達できたゲームはごく簡単と呼ばれるもののみを片手で数えるほどで、本格的なスコア稼ぎの領域まで手を出したゲームは一つも無かった。こちらも対戦ゲームと同じように、鳴かず飛ばずの大失敗だったと言えるだろう。
二年ほど経った頃、自分が全く上手くなっていないことにやっと気づき始めた。手先が不器用で反応も鈍いことや、妙な癖があり簡単に隙に付け入られること、攻略は他力本願で何も考えていないことなど、自分の弱さにとことん難癖をつけ始め、ネット上で上級プレイヤーの話を聞くと、自分ほどの高さに達するまではほとんど苦労はしてないであろうと思い込み、自分のセンスの無さに失望し、ゲームを続けることに面白さを見出せなくなっていき、ゲーセンから自然と足が遠のいていった。弱肉強食のゲーセンのゲーム事情において、弱い存在である自分は自然淘汰されたということである。自分のゲーセン通いは、いわゆる人生に数多い挫折の一つというやつで、こともあろうか自分は娯楽に対してそれをしてしまったというオチだった。通うのをやめてからは、そのゲーセンの近くには意識してかせずか立ち寄ることが全くなくなり、空白の半年の間は、店舗の様子を見たこともなかった。
自分にゲーセンで出来た知り合いはいなかった。個人的に同じゲームで同じキャラを使う上手いプレイヤーに尊敬や淡い思慕の念を持ったことはあったが、だからといって自分から話しかけることはなかったし、定期的に開催される大会に出たことはないし、コミュニケーションノートにも一筆添えることもなかった。それらは単に、ゲームを中心に回るコミュニティの中で自分の存在をアピールするためには当然ゲームの上手さが必要であるという思想から、他人による自己承認を求め、待ち続けていただけの臆病さによるものなのだと思う。その思いとは裏腹に、話しかけられて腕前を賛美されるといったこともなかった。むしろ、自分や筐体に対して罵言や殴打で怒りをぶちまけられることこそ無かったが、ゲーム内では対戦中に挑発や舐めプレイという形で自分を疎んじる態度を頻繁に表され、今でも枕で思い出しては後悔と戒めの念を抱くほどである。だから、自分はこのゲーセンのコミュニティの中に存在していたとは思えないし、そのゲーセンにいた人達と今、閉店に対する思いを共有できるかといったそうではない気がする。ただ、少しでもこのゲーセンに通っていた人なら、奥底には自分と同じような寂しさを持っていて欲しいと願う。あと、おそらくこのゲーセンが無くなったことで、中にはアーケードゲーム自体をやめてしまった人も少なからずいるのだろう。それは寂しいことだと思った。
思い出話はいい加減やめにする。通っていたゲーセンが閉まっている現実を目の当たりにしても、あのゲームをもう一度やりたい、という思いは失せることはなく、近くにあるもう一つのゲーセンに向かった。そこはアミューズメント事業では最大手のゲーム会社が運営しているため、そうそう閉店することはないであろう。ビデオゲームのフロアに足を運ぶ。平日の昼間だけあって人はほとんどいなかった。筐体の配置が変わった程度でラインナップは半年前とほとんど変わった様子が無く、自分のやりこんだゲームも変わらず対戦台で稼動しているのを見つけた。100円を入れ、自分の使っていたキャラを選ぶ。久しぶりのプレイで不安だったが、動かしてみるとそうコンパネの扱い方を忘れてはいないことに気づいた。さすがに応用となると怪しい部分もあったが、基本はおおむね満足に動かすことができた。かつて何度も練習した猶予2フレームのテクニックも、身体が覚えていて問題なく出すことができた。レバーをガチャガチャと動かし、いつもの癖でボタンを順々に思いっきり弾くように押す。外が寒く、暖房が強く効いていたせいもあるが、上着を脱ぎたくなるほど身体が火照った。乱入はなく、一人プレイをそこそこに終えた。楽しかった。次に、かつてノーコンティニュークリアしたこともある、簡単な一人用ゲームをプレイした。うろ覚えはしているものの、基本は思いつきだけで立ち回っていく。当然のように、後半になるとすぐに攻撃に追い込まれていく。最終ボスの最終形態でゲームオーバーになり、結局変わってないか、と上手くなっているのを期待していたことを自嘲した。それ以上ゲーセンでゲームをプレイする気にはならず、ゲーセンを後にした。
馴染みの深いゲーセンの閉店を目の当たりにして、これから、を思うと、これからは他のゲーセンのインカムに貢献して微小ながらゲーセン全体を盛り上げよう、などという気持ちはない。腕も無ければ人脈もない、ゲームセンターという文化に馴染めなかった人間なので、これからもなおさら、関わらないようにしようと考えている。
今の自分は、ゲーセンはおろか、今はゲームというものに対して良い思いを持っていない。今は一つのゲームのみを家でプレイしており、そのゲームのプレイ時間は150時間を既に越えたが、一向に上手くなる気配を見せない。最初に比べると随分な上達なのだろうが、普通のゲーマーなら1/4程度のプレイ時間で自分の高みには達せられるだろうと思う。もちろん最初は楽しくプレイできていたが、上手くならない自分に苛立ち、そのゲームに逆恨みを募らせていった。恨みを持ってまでそのゲームをするのは「諦めたくないから」という無駄な意地で、上を見てもキリがないし限界があるので、ある程度納得する結果が得られたら、そこでゲームとはしばらく縁を切ろうと思っている。何を娯楽に真剣に、と大笑いされるだろうが、自分にとってゲームとはそういうものになってしまっている。たぶんそれは悲しいことだと思う。
自分は非常に負けず嫌いでプライドが高いので、通っていたゲーセンに対して、そのゲーセンにいたプレイヤーを含め、自分を貶めたことについて憎悪の念を持っていたのだと、今思い返せば、そんな気がする。そして、ゲーセン通いをやめた時から今まで、いつかはゲームが上手くなって、見返してやろうと思っていたんだと思う。そんなこと、できるわけないのに。この胸の中に小さな穴が開いたような虚しさは、復讐の相手を失った感じという表現が合っている気がする。
今の自分を形成している、一つの大きなものが死んだという感覚は、初めてだった。
拙い語彙に、自己完結して他人が読むには意味の通らない文章、まとまりのないテーマ、過ぎた自分語り、抽象的すぎる表現。見てて不快感を催しても仕方ありません。申し訳ないです。
ただ、心の中にある複雑な思いをどこかにぶちまけたくて、増田に書かせてもらうことにしました。
長文、失礼します。
「ホントは売れる相応の実力もクリエイティビティも持ち合わせていないのに、初音ミクという冠を載せるだけで自分の作品を売り込むようなマネはやめろ」って事でしょ。
実際、今まで鳴かず飛ばずだった音屋達の中でも、音楽的にはともかく商売的センスには長けた人たちはこのブームで大躍進しているし。
それを見てメジャーレーベルまで一枚噛んできて甘い汁を横からごっそり吸いだそうとしているし、嫌気が指す人は居るだろうよ、そりゃ。
でも、自分は「嫌なら放っておけば?自分は自分の道で行けばいいじゃない」と思うけどね。
東方や初音ミクブームでいっきに売り上げを伸ばした音屋たちの答えは、いつか来るブームが去った時に出る。
東方アレンジで1000枚オーバー、初音ミクが○○歌ってみたで1000枚オーバー、そして自分の完全オリジナル作品で50枚も売れない。
そんな人たちが山ほど出てくるだろう。そういうのが嫌なら、初めからそれを尻目にコツコツ歩けばいいのよ。
「初音ミクで商売をするな」とか言うことすら未練がましいよ、と思わないでもない。
正直、同じ分野で父親を「超える」のは無理、ということは普通にあると思う。
だから違う分野で父親を「超える」ことができればいいのではないか?
…という話をするのは、院時代、教授の子が親である教授の研究室に来たのを見たことがあるからだ。つまり親と同じ専攻で研究者を目指そうとしていたわけだ。ちなみに親はその分野で確実に日本一に近い(まあ結構ニッチな分野ではあるが)偉大な研究者。無茶苦茶ハイレベルな壁だった。結果は……なんというかまあ、『無惨』の一言につきる。もともとその人は親とはタイプの違うアプローチをしていたはずなのに、気がつけば親の劣化コピーと化していて(そりゃ朝な夕な研究の話してれば厭でも影響は受けるだろう)自分の研究なんてどこにいったの?という状態。親の後押しやアドバイス、協力もあって博士号取得したものの、その人を独立した研究者として評価する人はほとんどおらず、以後は鳴かず飛ばず。
なんというか、増田は「親を超えたい」と言いつつ、「親に承認されること」を求めすぎている感じがする。本当は、親とは異なる価値観を獲得することの方が重要なのでは?
http://anond.hatelabo.jp/20080321212322
大手SIerは東大理系院生にとって面白いところとは思えないなあ。少なくともSEになるってのはあり得ない。楽して金儲けがしたいと考えたとしても大手SIerは基本的にメーカーだから給料は悪いし、東大で学んだ専門知識が使える職業では全然ないんだから。「コミュニケーション能力」が大事だと言われるんだしな。研究所ならまだあり得るけど、研究畑の人間にとってSEとの付き合いは正直疲れる。
ちなみにそういう俺自身、旧帝大の院を出て大手SIer(というかメーカー)の研究所に勤めてる身分だが、SI系の研究所にきたのは後悔してるね。もっとハードというか重電系の部門を選べばよかった。情報システム業界の人間の文化が俺の肌には全然合わない。技術よりも「コミュニケーション能力」を重視して「エンジニア」を名乗ってる人たちと付き合うのはかなわんよ。正直、「コミュニケーション能力」こそ大事とか言ってる奴は、自分の技術力の不足を丸投げ能力で糊塗しようとしてる奴が多いしな。
あとちなみに関係ないが
大学の成績なんてもんは全然アテにならんぞ。正直、成績表の中身と研究能力は全然関係ない。真面目にやっても単位が取れない奴は論外だが、遊んでて留年した奴でも研究室に配属されて化ける奴とかいる。研究室で鳴かず飛ばずでも就職して化ける奴もいる。はっきりいってそんな簡単な指標はないぞ。
なんでかっていうと、大学入試より余程一夜漬けの成果が大学の成績には反映されるからな。だから、学生の中には「単位が取れればいい」程度の勉強しかしてない奴が多い。最初から院に行く気の奴は、院試とか卒論とか必要なときに勉強できるだけのポテンシャルを整えることだけを考えてて、得意科目とか趣味とかにリソースを傾斜してたりする奴が多いんだよ。そして、旧帝大みたいな大学は基本的に6年制だからね。3年目までの成績に意味があるなんて意識を持ってる奴はほとんどいない。
何か色々コメントもらったけどね
人から聞いた話は特に指摘もなく無条件に支持されて、やってる人の突っ込みは疑われるってなんで?
そもそも元記事が印象論でしかないのに
元記事
http://www.meitai.net/archives/20080304/2008030407.html
電通とか企業とか、どうでもいいからさ、それ叩きたい人は叩けばいいけど、そもそもそれとその仮想世界のスペックって関係ないだろ?
例えば自分の企画が失敗しましたって言うのが現実世界のスペック問題だったりするの?
その世界で成功してる人はどうなるんだよ
元記事はそれをやってるんだよ
それからSecond Lifeやってもないのにこんな時だけ「セカンドライフ(笑)」とか「オワタ」って沸いてくる連中いるけど、いつ終わるの?
流行ってる記事が鳴かず飛ばずだったけど、それと変わらない稚拙さだろ
何か疑われるらしいのでLinden.Labが発表してるSecond Lifeの統計をグラフ化してるサイト
http://sheila6225.blogspot.com/
このグラフからしたらいつ終わるんですか?
最初に見たオワタ記事も、もうすぐで一年くらいなんだけど
セカンドライフってもう終わった?
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50313770.html
そしてSecond Lifeでよく言われる電通がどれだけ小さい存在か
Second Lifeの中の経済って世界の企業って世界の日本って世界の一部マスコミと繋がってる辺りのうちの一つ
そしてもっと的確に言えば一ユーザーでしかない
更にアイデア勝負の世界だから、つまらなかったらそれで終わりなんだよ
Second Lifeで企業がどんなもんかってエントリー
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/07/post-4.html
あとは少しはかじった内容だったので次のエントリーに対して書いてみる。
このへんは事実じゃないの?
正確にはSecond Life内で勝手な銀行業は禁止。
現実で許可があればOK。
ギャンブルは禁止。
コンテンツを本格的に楽しむには有料で複雑な手順の登録が必要
苦労して登録してもCG(コンピューターグラフィックス)の処理は利用者のパソコンの性能に左右され
アバターの操作性も低い
さらに一つのコンテンツが同時に閲覧できるのは数十人だけの小規模
このへんも特に大きく外してはないと思うけど。
特に鼻につくのはコンテンツって記述かな。
元々地面と海と空以外何もない=ほぼ全てがユーザーが作り上げたコンテンツなんだから。
それを一まとめにして有料コンテンツがどうのとかコンテンツの閲覧どうとか言うのはおかしくなるだろ。
無制限に配布できるコンテンツもある。
あと複雑な手順の登録って何と比べて?
苦労するほどの登録ってなんだよw
更に今じゃ日本人向けに簡易にされた登録も数箇所ある
アカウント登録サイトと最初のオリエンテーションランドも作れるものだから
日本企業メルティングドッツのSecond Life登録ページ
それを伝えるのに要らない枕詞ついてるだろ。
それが印象操作じゃなくて何?しかも聞いた話で。
セカンドライフはそもそもそんなに大々的に普及するような代物じゃない。
それを大々的に流行ってるとかしかもそこに金の匂いとか勘違いくっつけて壮大にコケたのがマスコミだよな。
Second Lifeにはそんなこと関係ないし、Linden.Labのインタビュー見ても物づくりとかシミュレータとか、どう見てもそこがSecond Lifeの趣旨だろ。
中の人はそんなこととっくにわかってるんだよ。
その趣旨を差し置いてどうもズレた感覚であーだこーだ好き勝手言ってるのが「セカンドライフ流行る」とか「セカンドライフオワタ」とかそう言う連中だろ。
だからオワタとか言ってる連中にとりあえず落ち着けって言いたいんだ俺は
セカンドライフ衰退に電通を持ってくるのは筋違いというのは同意。
先にあげた記事みたいに、Second Lifeからしても日本の一企業が失敗とか撤退とかどうでもいい話。例えそれが電通でも。
日本じゃ一企業とか言ってもSecond Lifeじゃ一ユーザーと同じだから。
互いそうならいい関係なんかもね?
ボニピンはデビュー当時には注目してたのだけど、鳴かず飛ばずで10年。
まさか去年あれほどヒットするとは思わなかった。
ジミにずっと活動はしていくだろうけど、
また浮き上がることはあるだろうか。
'80 年代の共和党レーガンから '90 年代のパパ・ブッシュに移った時期、日本はバブル崩壊の衝撃が社会を覆い始めた頃だった。
ただ、それまでの日本経済は生産から消費までアメリカのそれを明らかに圧倒していた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまことしやかに言われたのもちょうどその頃である。
経済が不調なアメリカの政権が衆目を集めるためにやったこと、それは言うまでもなくイラクのクウェート侵攻への介入だった。その泥沼が息子ブッシュの時代にまで受け継がれているとは何たる皮肉か。
パパ・ブッシュは、しかしながら、人気取りには失敗した。そこで登場したのが民主党の若手クリントンだった。彼の新興・ベンチャー振興策で IT 企業が潤い、20 世紀末に「IT バブル」が起きたのは知ってのとおり。
だが、クリントンはつまらないセックス・スキャンダルで失脚に至ることとなった。
翻って見た今の日本。
小泉構造改革を受け継いだとされる安倍政権は鳴かず飛ばずで、先の参院選では「歴史的大敗」を喫してしまった。一方アメリカでは、それまで過熱していた土地バブルがサブプライムのデフォルト問題によって今まさに崩壊しようとしている。
こういうときの日本に必要なのは、まさにクリントンのような人物だ。
クリントンが日本に登場すれば、少なくとも IT 企業は潤う。そして、IT がつかみどころのないモノから、本当に企業の業務プロセスの変革に寄与するモノとなるときが来るかもしれない。
そうなったときは、これまで「デジドカ」と呼ばれていた人がやっと陽の目を見ることになるだろう。また、インドをはじめとする近隣諸国の人材も多く流入してくるに違いない。
そうやって日本経済が潤ってきたところで、利権に不慣れな民主党はスキャンダルで政権を追われ、再度自民党の支配に戻る、というシナリオで良いのではないか。
歴史は繰り返すと言う。