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はてなキーワード: 清水寺とは

2013-08-09

わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。

中学入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネット世界にのめり込んでいった。

中でも楽しかったのはチャット

友達放課後マックに行ったり、クラス男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、

ちょっと不良ちっくな男の子達のリアル体験談にわくわくした。

わたしは地味で目立たないタイプ中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。

というか、クラス友達がいるっていうだけで、クラスメイト普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。

そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。

あの人に出会ったのも同じチャットルームだった。

あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、

そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。

毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然あいさつとかするようになった。

あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、

(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)

あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。

あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。

つの間にかそれを心待ちにしている自分がいて、

つの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。

あなたはどんな人なんだろう、

どんな生活をしてるんだろう

どうやら新潟県在住の歳はひとつ上。

人望厚く、生徒会長をやってるらしい。

(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)

部活野球部ポジションは不明。

すきなマンガはるろけん。

てゆーかけっこうオタク

(じゃぁ私もアニメ詳しくなろうかな!?

シニカル時事問題論破!そこがまたかっこいいよー!!

って思っていた。

ある日あの人が自分小学生の頃の恋愛について話し始めた。

それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、

というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、

(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)

その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。

でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。

私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。

だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。

そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、

使い方が謎すぎて放置していたメーラー説明書100万回読んでメールのやり方を会得し、

メールの画面が夢にまで出てきた)

やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。

あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、

あの人から毎日メールが届くのが嬉しくて仕方なかった。

何回も何回も推敲推敲をかさねて返事を書いた。

他愛のないお話ばかりをしたと思う。

学校友達部活先生

そして、友達たくさんいて楽しい生活送ってんだー!

みたいな見栄もはったきがする。

本当はクラス友達なんていないし、

楽しいことなんかなにひとつない毎日だったけど。

でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、

チャットだけではわからなかったあの人の本当の姿が、

少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。

夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。

あの人がどんどん近くなって来るような気がした。

ずっと昔から友達みたいに。

ある日わたしは決心した。

どうしてもあの人が同じ世界にいることを確かめたくなった。

あの人が生活する街を見てみたくなった。

本当は会いたかったけど、言えなかった。

から誰にも秘密で行ってみた。

電車で六時間雪国

そこは穏やかに時間が流れる真っ白い世界だった。

あの人が歩いているだろう道を歩いて、

あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。

源氏物語みたいなやつ。

今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。

ストーカー・・・??

ではないと思いたい。

帰ってからもそんなことは書かずにずっとメールを続けた。

そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。

それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。

文字以外のあの人のことを何も知らない、

会ったことも見たこともない。

でも気持ちだけは本当だった。

そしてあの人にはあっさりふられた。

理由は好きな人いるか・・・だったと思う。

まり覚えていない(笑)

都合のいい脳みそだな(笑)

そして私たちの1年間のメル友生活は終わった。

それから一年間はあの人のことが頭をよぎって仕方なかった。

あの人からメールが恋しかった。

そのあいだにわたしは高校に上がった。

高校生活は最悪だった。

高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。

唯一仲がよかった友達からも口を聞いてもらえなくなった。

成績もガタ落ちで留年寸前だった。

先生からは通信の高校定時制に編入することを勧められた。

私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。

心を閉ざして暗い顔をしている私に家族も冷たかった。

両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて

わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。

私は中学の頃以上に孤独だった。

誰かに理解されたかったんだろうけど、

それをうまく言葉にすることもできなかった。

勇気をふりしぼってあの人にメールを送ってみた。

あの夏の夜、あの人からメールの返信が来た。

絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。

どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、

私たち携帯の番号を交換して電話で話すことになった。

たぶん私が言いだしたようなきがする。

心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。

その時、わたしははじめてあなたの当の名前を知った。

それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンHNでやりとりしてたの笑

なんか本当に不思議な感じだった。

はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。

私たちは何時間も何時間も話した。

なにをあんなに話したんだろう?

たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。

気づくと朝日が昇って、朝になってた。

そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。

「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」

・・・わかんないよ笑」

・・・すき。」

どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。

たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑

でもわたしたちはこの電話きっかけに付き合いはじめることになった。

その日から私たちは何回も好きだよって言い合って、

毎日明け方まで電話お話しをした。

携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)

会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、

どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。

あの人は早朝の高速バスで遠い学校に通っていた。

その登校時間ギリギリまで話してることもあった気がする。

あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデル女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)

そうしているうちにあの人からあることを告白された。

それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。

それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。

当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。

今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。

自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。

でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。

本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。

それを説明することともできなくて、

たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。

実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。

なんでそんなこと言ったんだろうね、10年前のわたし。(笑)

変だよね。(笑)支離滅裂だ。

壊れる前にぶち壊しにして安心たかったのかなとも思う。

大切なものからこそ。

よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。

あの人と別れてすぐに私は高校中退した。

やめる前後はピークに荒んでいたけど、

いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、

それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。

わたしは友達がほしかった。

から信頼できる仲間が欲しかった。

身も心も生まれ変わって新しい自分になりたかった。

それから3カ月。

今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに

冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。

私の誕生日に短いメールを送ってくれた。

そのメールきっかけにあの人とまた連絡を取るようになった。

ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。

厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。

家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。

付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。

でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。

相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。

というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw

わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。

でも自分からはとても言い出せなかった。

あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。

春、私は高校入学して天理の寮に入った。

ぞの生活の厳しさたるや、それはもう想像を絶するものだった。

朝6時に起きて掃除点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校

はげしいルーティン。

金曜日ジェイソンとかよりずっとずっとこわーい先輩。(笑)

ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、

それでも自分自分で決めたことだから頑張ろうと思った。

もちろん携帯電話は禁止。

どじでまぬけな私は入学早々携帯が見つかり没収(笑)

反省10枚は書いた)

というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、

どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。

この公衆電話がまたすっごいの!

長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!

でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)

ちょー不便!!!(笑)

そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、

あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)

あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。

別に電話しても何を話すわけでもなかったけどさ。笑

それでも。

地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。

そうだ、手紙も何通か交換したんだ。

今でも大事にとってある。

あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。

(確かにあの人は字がへただった(笑)

そういう生活が4年目に突入した頃、

あの人と実際に会おうかって話になった。

あの人は大学生になっていて、

サークル関係京都に来ることになったので、

せっかくだからついでに会おうよってことになった。

その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。

あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、

みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。

わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール

でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。

だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから

と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。

いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、

誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。

から私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。

家族との間に感じている確執にも、

ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、

なんにも向き合えてなかった。

実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。

会うのが怖かった。

実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。

あの時、わたしはもう本当に緊張していた。

心臓爆発だった。

京都駅アトムの下で私たちははじめて会った。

2007年5月12日

出会ってから7年がたってた

わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を

わたしは一生忘れないと思う。

あの人は細くて折れそうな体で

外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。

黒いジャケットに黒いジーンズの全身黒づくめの人だった。

京都駅の長いエレベーターをあがりながら

あの人は私に一言

「でかっ!」

って言ったんだ笑

不思議な感じだった。

はじめて見たあの人は知らない人だったけど、

声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。

人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、

それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。

よく晴れた気持ちのいい日で、清水寺散歩に行った。

綺麗な新緑のさわやかな感じも、

景色の良いお店で食べたカレーの味も、

あの人の横顔も

今もあの日のように思い出せるよ。

よく歩いて、よくしゃべった。

あなた大学の話を、

わたしは寮生活の話を。

帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。

手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、

あのときの私にはそれがどうしてなのかわからなかった。

寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。

あの人からメールが来た。

「楽しかった。また会いたい」って。

私もおなじ気持ちだった。

数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。

いま考えれば不思議なことはなんにもない。

必然だったと思う。

私は寮生活仕事学校で本当に時間がなかったけど、

時間を作っては早朝まであの人と長電話した。

あの人は高校生の頃からずっと苦しみ続けてたみたいだった。

自分の些細な一言のせいで大切な人を亡くしてしまって、

もう人と深く関わるのが怖いって。

ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。

自分は生きてる意味なんかないのかもとも。

私になにかできることはないのか?って思った。

少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。

あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、

本当はものすごく苦しんでるように見えたから。

怖くないって言いたかった。

そうしながら少しづつわたしもあの人に自分のことを話した。

あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉不思議とすらすら出てきた。

いじめられてたこと、家族について、自分性格について。

そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。

混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。

私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。

それは数年前の私たちにはできなかったことだ。

今までどうしても踏み込むことができなかった、

でもとても知りたかった、

知って欲しかったことだった。

話しても話しても話したりなかった。

やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。

ずっとそうしたかったんだと思う。

たぶん14歳ときから

一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。

あの人が私に言葉をくれたんだ。

はじめてあの人に会いに新潟に行った夏休み

本当はわたしは不安だった。

戸惑ってたんだ。

あの人と話すのは楽しいっていう言葉意味を超えて楽しい

でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。

それが無意味不安だってすぐに分かった。

あの人がはじめて私に作ってくれた料理ペペロンチーノ

そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。

帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。

あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、

離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。

あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。

わたしも同じだった。

出会ったことが奇跡なんだって思った。

メール電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、

あの人は神様かそうでなければスーパーマンみたいな人だった。

いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、

私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。

自分のことがよくわからなくなってすぐに投げ出す私の、

私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。

ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。

お父さんみたいだった。

肉親以上の愛情を注いでくれた。

あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。

思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。

わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。

わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。

なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。

それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。

幸せエピソードを並べはじめたらきりがない。

真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、

会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸栃木クリスマスに買いすぎたモスチキン

大学ピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、

別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。

ねえ、わたしはおかしいのかな?

思い出を美化しているだけなのかな?

もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。

たまに幸せ妄想をするんだよ

あの人に出会うために何回も何回もの生を生きて

やっとこの世界めぐり会えたのかもしれないなって

からはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ

あの人がいればなんだってできるような気がした

あの人に話してないことがひとつだけある。

わたしはそれでも迷っていたんだ

私は若くて無知だった

本物がどれなのか判別がつかない程に。

奇跡だと思ってた

完璧だと思ってた

からこそ関係が変化するのが怖くて仕方なかった

わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた

いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った

しろそうなるべきとも思った

そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから

早くあの人を大切にできる自分になりたい

つの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、

あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、

あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった

わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした

わたしは確信がほしくてほしくてたまらなかった

あの人を失ったわたしは

かたずっぽになって

うまく立つことができなくなった

うまく声も出せなった

うまく笑えなくなった

うまく人と話せなくなった

世界は違うものに見えた

怖くてわたしを押しつぶしてくるの

何時の間にかわたしはあなた

荷物を預けて楽してたみたいだ

全部がのしかかってきて

息ができなくなった

笑顔は今でも引きつってる気がしてる

それでも

時間と一緒に少しづ

あの人がいない新しい灰色世界

わたしは受け入れていった

考えることをはじめた

どうしてこうなってしまったのか、

ここはどこなのか、

これからどう生きていくべきなのか 、

あの人のことを何度も思った

ずっと考えていて

分かったことはふたつだった。

ひとつめは、

自分感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと

どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ

ふたつめは、

本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなた出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。

出会えたことがすべてってこと。

ここは確かにあの人がいない Permalink | 記事への反応(2) | 23:51

2011-02-13

京都行政区どうしのヒエラルキー

http://anond.hatelabo.jp/20110211132856

プライドの高い上位階

 東山区 清水寺三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光観光といえば東山

 上京区 京都御苑京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都政治・経済の中心地。

 左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。

表向きトップは譲りながら、したたか自分こそが京都を支えていると思っている中位階

 北区  高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』

 右京区 仁和寺嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』

 中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』

 下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』

 南区  工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しか京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』

コンプレックスを感じながらも『京都市であることでプライドを保つ下位階

 西京区 桂川で区切るな! はよ地下鉄とおしてくれや!

 伏見区 伏見村って言うな! 宇治よりマシや!

 山科区 山科村って言うな! 滋賀よりマシや!

2010-12-07

アラサーにして初めて京都へいった

修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間京都へ行ってきたよ!

東山から四条三条北上後、大宮壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。

所感

  • 細い裏路地あるけば寺社仏閣にあたる

どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった

  • 町のいたる場所に社や祠

路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった

ごく自然にそういう文化根付いてるなと感じる都市だった

条例高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い

京都タワー以外高いものがない凄さ

  • 町並みが当然古い!

都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ

金沢で見た武家屋敷の通りよりも広範囲

あらゆる人種が居る

マナー観念が違うので注意(普通に足踏まれてスルーされた)

交差点クラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた

首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり

それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった

そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ

車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり

都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅普通にトイレットペーパー無かった

金閣寺もなかった(流石に旅館にはあったが)

その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった

盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して

京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・

総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに

阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル

コンビニ歩道で何度かぶつかりかけた

はい京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様

京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと

阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有

病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった

これが噂の・・・と思った

しか観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた

昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた

新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上

都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な

恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う

なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大

ヲタ的には金閣銀閣触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、

歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない

勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人リピーターになるレベルまでは行かない気がした


勝手におススメな歩き方

  • 細い路地はどんどん入れ

本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める

道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず

そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有

殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だがバスは平日でもかなり混雑している

観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分適当接続ルートを探して乗るとかなり空いていた

例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたい

ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩ブラタモリするのがおススメ

湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離

壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る

寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいか

高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位

カメラ撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須

  • 土日祝日は有名どころを外す

親の付き添いで金閣寺へ行ったら浅草並みの混雑で泣いた

しか弥勒菩薩が居る広隆寺平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺スムーズに入れた

ツアーコースに入らない寺は国宝があるとはいえ案外空いてる

どうしても土日なら土曜日に有名所へ

  • 行動は朝9時から18時に

寺社仏閣の参拝時間が長くなっているとはいえ、夜間拝観除いてこの時間内に周らないと見れない

2009-01-22

京都原爆落とされたら、相手の国民皆殺しにしてもいんじゃね?

もし日本戦争が起きて、東京原爆落とさたら「日本壊滅状態だね、ヤバイね、俺も死んじゃうね」と思うんだけど、

京都原爆落とされたらどうしようと考えたら、頭に血が上ってきた。

世界に誇る1000年の都が、一瞬にして灰だよ。

清水寺平等院龍安寺金閣寺西本願寺二条城に全滅?

アスタルテ書房も影も形もない?

鴨川宇治川も干上がっちゃう?

あ、はてなも消えちゃうね。

なっにー!

日本人の誇りに賭けて、敵国を完膚無きまでに破壊破壊破壊しつくすべきだろ。

国民全部抹殺してもいいくらい。てか抹殺。

ムキー!!!

・・・おかしいな、俺、めっちゃ平和主義者なんだけど。

電車で座ってても、おばあちゃんに席譲っちゃう心優しき青年なんだけど。

死刑はどーだろうね、世界状況を鑑みる終身刑の方がいいだろうね、と思っちゃうくらい、

たとえ国家によるものでも、人殺すのはどうかと思ってるんだけど。

基本的にね、俺、戦争反対なんだけど、人の被害もだけど、

文化財が壊されちゃうでしょ。絵とか彫刻とか。それが嫌なの。

もし戦争起きたら、美術館博物館には、絶対被害が及ばないように爆撃するわけじゃないでしょ?

絵とかってね、人類の共通の宝だと思うのよ。未来人類にも残すべき至宝なんですよ。

だから絶対破壊しちゃいけないわけですよ。

・・・だからこそ、京都原爆が落とされたら、ムキー!!!ですよ。

ねえねえ、増田さん、京都原爆が落とされても、僕らは「戦争はんたーい!」って言えばいいのかな。

わかんなくなっちゃった

2008-02-25

「知らない人に付いていっちゃダメってあれほど言ったでしょ!!」

18歳の時、友達に会うために夜行バス京都に行った。夜行バスは初めてで、なかなかぐっすり寝ることもできず、朝6時半頃京都駅に着いた時には憔悴気味だった。それでも、初めての地にドキドキし、人がほとんどいない駅をうろうろし、何とかトイレを探し出し、個室で着替えたり、洗面所で顔を洗ったりした。

友人と会うのは彼女の都合で夕方だったため、それまで観光名所でもブラブラしようと、バス停のある入り口に向かって地下らしき通路を歩いていた。案の定、そこもガラガラ。というより、私以外人っこ一人見当たらなかった。そこにひょっこり一人の30代っぽい男性が目に入った。お、ぐらいには思ったが、大して気にもしなかった。けれど、何故かその男は私を見るや否やこちらに歩み寄ってきた。

「あの…今時間あります?」

「え…あ、はあ」

思わず立ち止まってしまったのは、てっきり道でも聞かれるのだと思ったからだ。私のその時の格好は、登山でもするんか?ってぐらいでかいリュックスッピン。尚且つ容姿は幼少期の陰口「デブ」「ブタ」がそのまま成長したもので、"ナンパ"という考えがそもそもなかった。地元の人じゃないので道はわかりません…と言いかけた時、「これからどこ行くの?」と聞かれ、そこでやっと、これってもしやナンパ…?と気付いた。

いや、待て。ナンパ?私に?こんな朝早くから?ただ暇だから話しかけただけじゃないのか?と頭の中でたくさんの疑問符が泳ぎ始めるも、男が早口の関西弁で有無を言わさぬ雰囲気だったので、私は威圧され「ええと、清水寺にでも行こうかと…」としどろもどろに答えた。ここのやりとりはよく覚えていないが、最後には「じゃあ、送ってあげるよ」と言われて、バス代が浮く!と思った私はのこのこ付いていってしまったのだった。ナンパだという可能性も考えていたが、清水寺に着いて一緒に観るんじゃないか、ぐらいに思っていた。

男の車に乗り込むと、彼は色々と自分のことを話し始めた。広島から出張京都に来ていること。車で寝泊りして丸一日風呂に入っていないこと。私みたいなデブタイプだということ。…最後の言葉を聞いて、流石にまずい!と思った。よりによって見知らぬ土地の早朝にデブ専と遭ってしまうなんて…どん確率だよ…と心の中で嘆いたが、時既に遅し。彼は会話の合間にちょくちょく「ほんとに君みたいなぽっちゃりした子がタイプなんだ」と言った。

はっきり言って、そんな風に口説かれたって全然嬉しくない。自分の不摂生と怠慢でここまで肥えたことは重々承知しているし、その脂肪を愛して欲しいなんて思わない。脂肪はあくまでオプション。よってデブ専あるいはぽちゃ専の方は初めて会った女性を口説く時は、顔のパーツを褒めることをお勧めします。こんなに脂肪を纏った君でも愛してる…!の方が好感度高いです。多分きっとメイビー。

閑話休題。早く清水寺着かないかな…!といよいよ焦り始めた時、急に車が止まった。もう着いたの?と思ったが、どう見ても違う。ひっそりとした公園の脇に車は停められていた。私がこの場所を、この状況を尋ねようとした時、男は言った。

清水寺、こんな早くから開いてないから…」

何故それを今頃言う!?とショックを受ける間もなく、無理矢理キスされた。胸も揉まれた。正確には、男に威圧されて怖くて抵抗できなかった。とりあえず、なされるがままになっていた。そして、何故か男はベロンチョとイチモツを出して、私の手をソレに持っていった。ふにゃっとしていた。

逃げたり抵抗したりすれば良かったのだろうけど、車から逃げても見知らぬ場所でどうすれば良いかわからない、抵抗して暴力を振るわれたらどうしよう、という思いがあって、ズルズルとラブホに連れて行かれた。実は、車を停めた右斜め前がラブホだったのだが、私はその建物をちょっと奇抜なマンションだと思っていたのだ。最初からラブホに行く気満々なら、わざわざベロンチョとチンコを出してしまうなんて面倒臭いことするなよ、と今になって思う。

ただ、私には切り札があった。それは生理。絶賛二日目だった。色々されても最終的に挿入だけ避けられれば…!と萎縮気味になりながらも思った。今更ではあるが、私は処女だった。(今も処女だけど)

いわゆる前戯的なものをされ、いよいよ男が挿☆入となった頃、言ってやった。

「私、今生理で……」

どうだ!これで挿入はできまい、ふはは!と何故か(本当に何故か)勝ち誇った気持ちでいたが、そんな私を一蹴するように男は言った。

「ああ。じゃ、うつ伏せになってお尻出して」

前の穴がダメなら後ろの穴へGOー!ってアンタ。何ですかその切り替えの早さ。それとも、アナルがそんなノーマルなことじゃないって思ってた私がとんだ世間知らずで、実際はアナル普通なの?そうなの?教えておじいさん!とハイジになってテンパり、戸惑いながら、すっごくビビった。これで最悪の事態は回避できると思っていたのに、よもや処女喪失前にアナル開通してしまうなんて!それだけは避けたい!

そう思ったけど、やっぱり怖くて、言えなかった。どれだけか弱い女気取ってんだ、って今なら思うけど、男が上を脱いだ時に、刺青が見えたのよ。そりゃあ怯えるよ。893とまでは思わなかったけど、逆らったら絶対叩かれるか殴られる…!と思った。で、覚悟を決めてケツを出して、男は後ろでゴムをはめたりしてるみたいだった。うつ伏せだったのでよくわからなかったけど。

それでも、覚悟を決めても怖いもんは怖くて。男の先端が尻穴に当たった瞬間、号泣してた。ほいほいと付いて来た自分をバカだと思うのも勿論、こんな格好でいることが情けなくって、未知の痛みへの恐怖で、めちゃくちゃ泣いた。嗜虐的な人ならこういうのも興奮材料なのかもしれないけど、男はどうやら違ったみたいで、そんな私に興醒めしたらしい。

「もう挿れるのは良いから…」

と言われて、ぐすぐすと鼻水を啜りながら私は起き上がった。これで開放される…と思ったが、それもまた早合点だった。男は勃起したチンコを目の前に差し出して、フェラチオを要求してきた。恐ろしいことに挿入よりはマシ、という思いがあり、ヤケクソで風呂に入っていないというだけはある臭いソレをくわえた。処女だけど、漫画エロ本だけはそれなりに読んできて、でもこういうのと現実は全然違うんだろうなーと思っていた。が、くわえてる最中男が

「大きいだろ?なあ、大きいだろ?」

と聞いてきて、コイツ二次元の生き物か…!?と驚愕した。ちなみに男のブツは太さは普通だったけど、ホモソーセージ四分の一サイズ出ました!ってぐらいの長さ。車でふにゃちん見たけど、勃起してもこんなもんか、って思ってスマン。

で、すったもんだでラブホは出たが、男に仕事電話がかかってきて結局清水寺まで送ってもらえず、京都駅で降ろされた。バス代が浮くどころか、私は何かを失い、代わりに「知らない人についていっちゃいけません!」という常套句を教訓としたのであった。

2007-12-11

今年の漢字は「偽」や「疑」… 識者や市民が予想

「偽」「謝」「変」「苦」…。日本漢字能力検定協会(京都市)が募集する「今年の漢字」が12日、今年も京都市東山区清水寺発表される。昨年は41年ぶりの男子皇族となった秋篠宮ご夫妻の長男「悠仁さま」のご誕生や、相次ぐいじめ自殺などにからみ、「命」が選ばれたが、さて今年は…。一足早く市民有識者に予想してもらうと、やっぱり“あの字”が浮かんできた。

阪神も期待通り活躍できなかったし、今年は『偽装』の『偽』に尽きる1年でした」と話すのは、阪神タイガース経済効果などで知られる関西大学大学院宮本勝浩教授(62)。中でも、船場吉兆食品偽装事件について、「大阪の信用を失墜させた」と批判する。

神戸市中央区湊川神社広報室の鈴木智子さん(29)も「偽」。「食肉、洋菓子和菓子と次々に偽装が発覚し、年金問題防衛省汚職事件もあり結局、市民消費者がだまされた格好だ」

街の人は言う。「食品偽装に伴って化粧美人や雰囲気イケメンが増えた。構造は同じ。偽装は偽装、若者は外見より中身をみがいて欲しい。食品偽装と同じで、薄皮一枚の美しさなど何の意味もない」

2007-07-16

日本人

クリック戦争なんてやっている間に、「新・世界の七不思議」で清水寺投票した方がよかったんじゃないか?

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