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2014-04-02

親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

http://bokurasha.hatenablog.com/entry/2014/04/01/115953

受けた寂しさの、程度の差は相当あるけれど、

それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか?

母親から完全に離れて、一人の女性として見てあげませんか?

母親たちもまた、そのまた母親達と全く違う時代に生き、

私達と同じようにモデルケース不在の中、

手探りで、戸惑いなら、幸せ模索してきた女のひとり。

私達と同じ、「幸せ探し」に迷走した女のひとりです。

私たちはもう大人で、愛し愛される対象自分で探すことができる。

勇気をもって母親面影を優しく手放してあげましょうよ。

それが

自己肯定」へのはじめの一歩であり、

自分自身の人生」を生きることだと私は思います


※とりあえず改行うざいので若干詰めました。文字・文章等はいじってません。

結構ひどい母娘関係から脱出して今に至るんだが、これはちょっとなーと…まぁ間違っちゃないんだけどさ。順番が!順番が違うのよ!

あのですね。

子供の頃から「変な人」に育てられると、まずほぼ物心がついた時もしくは十代のうちに「自分ちは人んちとはなんか違う」という衝撃を受けます。つまり認知の順番としては

  1. 幼少期は母親の言動を受容し、その期待に応えようとする
  2. 幼児学童期に自分の親ないし家庭が異常であることに気づく
  3. 気づいた時点では異常ということを認められないため、「親ないし自分の家庭は至極ふつうだ」と思い込もうとする
  4. やがてその思い込みも限界が来るが、「親も人間なんだ、間違っても仕方がない、たぶんこれも親なりの愛なんだ⇒結果として自分ちょっと変わってるけど異常ではない」と思いこもうとする
  5. しかしそのうち現実と思い込みの乖離無視できなくなり、悩んだり精神的に病んだり自分を無理やり抑圧する。もとより自己肯定感が弱いためとにかく自分が間違っていることにして辻褄をつける
  6. 何らかのきっかけで不満が爆発し、親ないし家庭の問題を直視するようになる。自分ではなく育った家庭に問題があることが認められるようになる。憎しみが始まるとすればこの辺りから
  7. 「育ててもらったのだから親に感謝すべき」という善良な人々の言葉に傷つき、自分おかしいのではとますます自己肯定感が弱くなる
  8. 問題を直視した結果、親を憎むようになる
  9. 様々な問題が解決した結果、親に再び理解を示せるようになる
  10. 親を許したように振る舞うことが可能になる

自分の育った環境を否定するというのは結構難しいし、体力を使うことなんですね。一番簡単なのは普通環境で育ったにもかかわらず自分おかし人間に育った」と自分自身を貶めること。これが自己肯定感の低下の原因です。人と違うとか、うまくいかないことで自己肯定感が低下することももちろんありますが、自分原因のものであれば比較的容易に回復可能です。方法を変えればうまくいくからです。また環境をかえたり、そもそも諦めてしまったりすることで回復することもあります。毒親に育てられた場合は全てにおいて親に否定をされ、しか社会ともうまくやっていけないことが多いため、回復できず結果的自己肯定感縮退していくのです。

また虐待児に関しては普通によく知られている話ですが、学童期までは子供自分の親に従順で疑うことはあまりありません。特に抑圧されたタイプ被虐待児は特に顕著ですが)は親が世界の絶対だと思い込んでいるので、多少周囲と違っていることはもちろん認識していて、ちょっとしょうがない親だなとおもいつつ信頼しようと努力するものです。平和な家庭で育った同級生などが親のことを詰ったり喧嘩したとか言ってると、「もう少しおとなになったら?お母さんも疲れてたんじゃない?」などと言ってしまタイプ自己肯定感の低い人です。抑圧する親に育てられた子は、親の親代わりを幼少の頃から課せられているため、そういう発想が出ます

なお、親を憎むほどひどい抑圧を受けた場合はけっこう早いうちに限界が来て親から離れ、その後寛解することが多いですが、耐えられない程ではなかった人ほど気づくのが遅れ、三十を過ぎてからもしくは子供が生まれてから苦しんだりもします。全然気づかずに子に連鎖する人もいます。いわゆる虐待連鎖です。随分たってから苦しむのもつらいですし、下の世代負の遺産が引き継がれるのも避けたいものです。これを防ぐには早い段階で「うちの親はおかしい、自分は間違ってない、親から離れるべきだ」と気づくのが大事です。「親も人間から」「それでも愛してくれてはいるはず」とか言ってたら手遅れになります。とっとと親離れして、また親に子離れをさせて、正常な人間関係を取り戻さなければなりません。

それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか?

許す必要はありません。許したら離れられなくなります。ただ事実事実としと認め、許せないなら許さない、腹が立つなら腹をたてる、近寄りたくないなら近寄らないを徹底するのが自己肯定感を取り戻すための最初の一歩です。憎みたくなかったら別に憎まなくてもいいですが、憎みたかったら憎んでもいいんです。また離れるべきは母親だけではありません。父親もです。憎むのは母親だけではありません。そんなあなた母親放置した父親もです。父親にも問題があるのです。たいていこういう話題だと知らん顔してますが。

母親から完全に離れて、一人の女性として見てあげませんか?

完全に離れるのは良い方法です。

そして母親は一人の間違った人間で、自分に害をなす存在である認識しましょう。あなたの親をあなたが育てる必要はありません。あなたが親を一人の人間として解放してあげる必要はありません。あなたの親は大人なのですから自分自身で生きれるはずです。手を離して世話をやめても死んだりしません。大丈夫です。

追記:

文章のおかしいところ、読みにくいところ、繰り返しになる部分を修正しました。






追記:

人の親が毒親かどうかどうでもいいならタイトルに入ってる時点で引き返してください。あとメンヘラさんの自己正当化に使われているかどうか(もっと人格障害環境要因もあるらしいので、毒親の影響を受けてメンヘラ化した場合もあります)を知りたいなら、会話をよく聞いて、あらゆるものに文句をつけているか、それとも親や特定のものに対してだけ口が辛くなる(もしくは重くなる)かをみればよいと思います特に口が重くなる場合が親起因で自己肯定感の低いタイプの人です。

つい十年ほど前まで「親がおかしい」というのはどこにも相談できないことでした。そんな中で、「やっぱりおかしいんだ、そうだって認めてもいいんだ」と私が知ったのはネットの名もない文章でした。ポツポツと誰かが書いた文章に私は救われ、勇気づけられ、寛解に至ることができたと思っています。そうでなかったら未だ自由は得られていなかったかもしれない。もしかしたら死んでいたかもしれない。否定され続ければ、人は死にます自尊心を失えば、人は死にます

今でもまだ親がおかしい、好きになれないという話をネット以外でするのは非常に難しいことです。一人で悩んでいる人もたくさんいると思います。毒親という言葉が出てくる前、さらインターネットが普及する前はもっともっと沢山の人が悩んで、一人で絶望していたのかもしれません。一人でもそうして苦しむ人が減って欲しい。私はたくさん助けてもらったから、同じように「別にそれでもいいんだ」という文章を残していきたい。それが誰か一人のきっかけになれば嬉しい。ただの徒労であれば、悩んでいる人がぜんぜんいないのであればそれ以上によいことはない。

「許しなさい」と言われ、その通り許すのでは自分人生を生きていることにはなりません。人の意見を聞くのは大事なことです。でも、それを言われるがままに実行するのでは、なにも問題が解決されていない。母親が他人に変わっただけです。

聞いた上で許せないのなら許さなくていい。どんな些細なことでも、自分にとって大事ことなら許さなくたっていい。それが自由です。自由は苦しいし、辛いし、悩むことがたくさんあります。間違うことだってたくさんあります。でも、人の顔色をうかがって、自分が間違っていないか常に疑いながら生きる苦しみよりはずっとよいです。

2013-02-22

撮り鉄の悪行が理解できてしま

撮り鉄桜の木を切ったらしい、と話題になっていた。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1751728.html

もちろん本当に撮り鉄が切ったのかどうかはわからないし、切ったヤツが外道だとしても撮り鉄すべてがそんなキチガイなわけじゃないだろう。まぁ、柄の悪い撮り鉄がそれなりな数いるのは確かだと思うし、わたし自身も目にしてイヤな気持ちになったことはあるけれど。

で、これに対して「理解できん!」というコメントとかを見かけたのだけれど(それが真っ当)、自分は個人的にちょっと理解できてしまう。それが恐ろしい。

わたしはかつて、若気の至りで訳の分からない映像を作っていた時があった。実験映像系のコンペでそれなりに評価され、海外でも上映されたことがある。その後商売にならず(当たり前)、今はカタギになっている。

自分カメラを扱っていた時のことを思うと、ここまでしてしま撮り鉄狂気というのも、ちょっと分かってしまう。あの吸い込まれるような高揚感というのは、他に代えがたいものだ。

からこそ言うけれど、その快楽狂気から身を引き離さないといけない。あれは本当に恐ろしいものだ。

別に写真を撮るなというんじゃない。わたし自身も、現在でもスチール(普通写真)は撮る。ただ、思うように撮れようが撮れまいが、全部神様の思し召し、運次第だと思うことにしている。だからダメでも速攻諦める。

写真なんてその程度なんだよ。それくらいで気持ちを切り替えられないと、自分も周りも不幸にするんよ。

切り替えられない心理、その高揚感というのがよく分かるだけに、本当に「目を覚ませ!」と言いたくなる。

麻薬中毒患者が現患者に語りかけたい気持ちだ。まぁ大きなお世話だろうけれど。

その執念の果てにすごい作品が撮れたりすることは否定しないけれど、そんなもん、一歩離れて眺めればただの写真で、その一葉があろうがなかろうが世の中には何の影響もないし、自分以外誰も興味なんかない。

なんでもオタク的というか、極限に集中することで得られるものというのは確かにあるけれど、肩の力を抜いて楽しむやり方だってあるし、別にそれが劣っている訳でもない。むしろそういうやり方のほうが、世の中と調和して、自分も周りも幸せになれる。

執念なんて、所詮自己愛なんだよ。別にそんなもんあろうがなかろうが、誰も困らないんよ。そんでもって、その執念がなかったところで、その人に対する評価が上がりも下がりもしないんよ。所詮、ちっぽけな人間なんやから

ほそぼそ生きるのって良いもんだよ。

2013-01-15

ほんとに「生きる」のってしんどいよね。

家族のため、とか、友人のため、とか、会社のため、とか、社会のため、とか、国のため、とか、人類のため、とか、地球のため、とか。

そういうもののために生きろって自分に言い聞かせても。

あるいは、死ぬんじゃない、残されたひとたちのことを考えろって言われたとしても。

結局そういうのって「自分じゃない何か」のためでしかなくて。

生きがい、ってなんだろう。

生きる意味ってなんだろう。

人生意味自分の外部にある人もいるんだと思う。だけどそれは自分にはピンとこない。「~のため」って思えば思うほど、苦しくなるだけだ。

だって自分は本当に~のためになっているのか?」「~のためにもっと頑張らなきゃいけないんじゃないか?」って考えてしまうから

精神力が強い人達は、「まずは自分のため」っていうのがしっかりある気がする。そしてその先に「誰かのため」。強ければ強いほど「誰かのため」に頑張っている姿が目立つけれど、そういう人たちを根本で支えているのはやっぱりしっかりとした自己愛なんだよな。

もっと自分大事にしたいと思った瞬間、それは甘えだっていう気持ちになってしま自分はいつまでたっても負け犬だ。

2012-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20120427222208

そうだね。自殺する子どもの何割かは、そもそも「子どもが生き延びられる環境を与えられなかった」んだろうと私は考えてる。

私の父は再婚でね。兄が2人いるんだ。母は兄たちの面倒をみてもらうために、もらった女房で、母本人が「お父さんはお手伝いさん雇うより安いから、私と結婚したんだ」と言う。

最初に出来た子どもは、祖父に堕ろさせられたそうだよ。「自分の子どもなんか産んだら、先妻の子もの面倒がみられなくなるだろう。お手伝いさん代わりに娶ってやったのに図々しい」と罵られたのだとか。身体の弱かった母は、その後3人流産する。4人目が私。私のときは、どうしても産みたくて、病院に泣きついて入院させてもらい、祖父から私を守ったのだとか。

私は親に殺され損なった子どもなんだ。

で、そんなにまでして産んでおいて、母は私をいじめぬいた。兄たちをいじめると「継母だから」と言われるけど、実子ならいくらいじめても「躾けてる」で通るから

母は私に死んでほしいとは思ってないと思うけど、それは「ようやく、自分が好きに出来るおもちゃを手に入れたから」であって、愛情があるからじゃない。

でもさ。いろんな親子を見てきて、純粋愛情で結ばれた理想の親子、なんて、絵に描いた餅だと思うようになったよ。

私は結婚して子どもを産んだ。そだな。0歳から3歳くらいまでは、窓から放り出しそうになりながら育てた。でも、同時に、私自身は味わえなかった「母親愛情」もたっぷり注いだ。つもり。なんせ手本が無いから、トンチンカンなことも多かった。

自分が愛されなかった分、子どもは愛そうと思う。

子どもを育ててみると、子どもが親に注ぐ愛情こそが無償愛なんだってことが実感できると思う。それはそれは「甘くて良い香がする良いもの」だよ。

ちなみに、現在、母が認知症になったので介護中。記憶あいまいなくせに、なぜか、ときおり私を脅して言うことをきかせようとする。私が子どもだったときにみたいに「あんた、悪いことしてるでしょう。私は何でも知ってるんだからね」なんて言う。介護なんて放り出してやろうか、と思うけど、思うだけで実行しない。その代わり「私には母親はいない。生まれたときから母親はいない」と自分に言い聞かせている。

なんで、普通母親じゃなかったんだろうね。

こういう道もあるって話。ごめんよ。わかってくれそうな気がしたもんだから、長文になっちった。失礼。

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131130845

みんなありがとう 増田です

料理って、俺は学生時代から一人暮らし外食しないで自炊してきたから簡単にサッササとできるんだけど、妻はからっきしダメなんだ。

訓練というより料理教室とかに行ってもらいたいけど、初対面の人と話すのが嫌なんだな。妻は。

から友達もいない。俺さえいればいいって言ってくれるけど、俺としては、外の世界もっとつながって欲しいと思っている。

強制はできないけどね。

外食はしない。出来れば妻と一緒に食事したいから。出前とか頼めばいいんだろうけど、金かかるしな。

当面、がんばるよ。

仕方ないだろ、それが愛なんだよ 愛。

2011-05-04

彼は仕事中の私が好き。

彼は仕事中の私が好き。

ゴールデンウィーク中、仕事以外でずっと一緒にいて気づいてしまった。

彼は私の優柔不断さにいらついている。

彼は私の甘えをうっとおしく思ってる。

彼は二人の時間を消費的に感じている。

本当は前から気づいてたけど、

から仕事を頑張るけれど、

したら彼は喜んでくれるけど、

そのたびに私は普段の私を蔑むことになるんだ

ほんとは、

散歩しながら雑貨屋をのぞいたり、

ちょっとサブカルっぽいDVDを見たり、

ヘッドホン爆音音楽を聴いたり、

二人で餃子パーティーしたり、

そういうことがしたい。

タクシースーパーにいって買ってきた食材を一人で調理して

二度と思い出さないようなテレビ番組を見ながら二人で食べて、

翌々日になっても洗ってない食器が流しにある。

そんな二人はい

大学生とか高校生のころ憧れてた未来がある

彼と一緒に2階建てとかの和風アパートに住んでいて

1Kとかの、魚喃キリコ漫画に出てるみたいなぐだぐだの部屋で

私は夏の昼下がりにじっとり汗をかきながら畳にぺたんって座って

折りたたみの鏡を見ながら化粧してアルバイトに出かけていく

貧乏で将来性もないけど、楽しくて

手を伸ばせばそこに愛がある生活

でもそんな未来こなかった

踏み外さずに生きてきたら、そんな未来こなかった

仕事楽しい

24時間働ける

徹夜だって平気

やりがいがあるから

認めてもらえるから

彼と会ったとき感動したのを覚えてる

こんなに私を前向きにしてくれて

向上させてくれて

たくさんのことを教えてくれる

こんな素敵な人はいないと

でもやっぱり、わたしの生産的じゃない部分が、ほんとうの私なんだ

そう思うとやるせない

お母さんは、たわいのない話も聞いてくれた

落ちがなくても

ネガティブでも

じっとずっと聞いてくれた

それが愛なんだって私は思っちゃったか

から二人はうまくいかないのかな

ブックオフで買ったプレステ2DVDをいれて、

ブラウン管テレビうつる荒い映像を見ながら

やばいアナログ終了したツタヤ代ばかにならんかもーとか言って、

いつまでもいつまでもテレビは新しくならない

そういう毎日が送りたかった

2011-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20110104001101

よくわかんないけど、馬車馬のように働いたのは結果だと思うんだよね。

自己実現の結果、振り返れば馬車馬のように働いていた、というか。

いや、元増田のおかあさんがどうだったか知らないよ?

経済事情からやむを得ずそうなっていたのかもしれないしさ。

したくないのにそうせざるをえなかったのかもしれない。

そして、とても偉い尊敬できるお母さんだなって思うよ。

ただ、俺の彼女もかなりばりばり働いているけど、彼女には夢があるからそうしている。

そういう女の人もおおいと思う。

でもそれをやめさせることが彼女にとっていいことなのかわからないんだよな。

疲れてセックスも応じてくれないし、やめてくれたほうが俺にとってはありがたいと言えばありがたいんだけど。

でも、彼女の夢を尊重するのも、ひとつ彼女への愛なんだよね。

時間お金たっぷり用意してあげる、というのが唯一の善ではないし、やりたい仕事をさせてあげるのもひとつだと思うんだよ。

ただその夢の仕事が9時5時でできるような人もいるだろうし、それこそ馬車馬のようにならざるを得ない人もいるんだよね。

んー、別に元増田を批判してるわけじゃないよ。

俺も結婚に際して、彼女の忙しい仕事については考えることがあったから。

2010-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20100701113250

多分、お互いが自己愛なんだろうとは思うけど、相手にはもう子供がいる。

かわいい。あったことがある。配偶者とも会ったことがある。そして良い人だとおもった。思っている。嫌いになれないだろうなという気持ちがある。

妊娠中も、関係は続いている。

2010-06-27

一人じゃ生きられないから結婚したい

共同生活を送るという意味結婚したい。

もちろん共働きで、家事も分担。資産も別々。

何かあったとき助け合えるような関係がほしい。

それって愛なんだろうか?

相手にもよるのかもしれないけど

うちの両親は男尊女卑の典型で

父親は母親のことを召使のように扱っていた。

数年前まで母親離婚したがっていたけど

長年専業主婦として生活していたので

収入仕事不安があったのか結局離婚しなかった。

あんなんなるなら結婚したくないと思っていたけど

最近老後のこととか病気になったときのことを考える。

やっぱり愛がないと

何かあったとき助けることはできないのかな。

自分自身相手が病気になったとき支えることができるか不安だし

逆の場合見捨てられる事もあるかもしれないよね。

大人しく一人で生きていくと腹をくくったほうがいいの?

2009-12-12

弾き語り女の子歌手路上ライブに群がってるおっさんファンが醜悪な件。女の子コミュニケーション取りたいけど水商売の人は飲まされるしお金かかるしちょっと怖いけど、ファン獲得に熱心な女の子なら大概のことでは怒られることもないし基本タダだし親切だしチョットぐらいは媚びた感じも出してくれるし至れり尽くせりだっていう非モテの穴場。弾き語り彼女らから見てあのおっさんたちってどういう風に見えてるんだろう。

ビジュアル系に群がるコスプレ女子の忠誠度をファンの頂点とすれば、路上ライブに集まるおっさんは少なくともファンではないよなぁ・・・と思ったり。あいつら異常に見返り求めてるからなぁ。電車賃程度で偉そうにすんなと言いたい。ファン活動の基本は無償の愛なんだよ!!

2009-07-15

モンちゃんが宗教にはまった。

とうとうきたかという感じだ。

モンちゃんというのは高校の同級生でもう10年以上の付き合いになる友達なんだが、宗教にはまってしまった。宗教じゃないのかもしれないけどおれにはそうとしか思えない。自己啓発セミナーってやつだ。ベーシックエンカウンターグループとかいうあれ。なんでも1セッション3時間を11セットやるんだそうだ。

そのさあセッションって、あれだろ?大槻ケンヂ小説みたいに一昼夜「私は悪い人間です!!!」って泣き叫びあって、最後には車座でハーブティ飲んで談笑して打ち解けあうとか、なんかそんなようなやつだろ?人間同士の結びつきは秘密暴露と体験の共有がキモだと思っているおれには、そんな無理やりつり橋渡らせるようなやり口がすごくうさんくさく思えるんだが、モンちゃんはそれを「癒しだ」とか言い出した。

元々モンちゃんは、厄介な女の子――夜中に「これから死ぬから」って電話掛けてきちゃうような、手首にこれ見よがしな包帯巻いているような、飲んでる薬自慢するような、そういう女の子が好きで、好きというか、うっかり関係しては「ほっておけなくなっちゃって」とか言って疲弊しまくっている。

最初の彼女がそんなんでおれたちは本当に心配したけど、二人、三人、とその手の娘とばかり付き合うようになって、ああこれは共依存ですね\(^o^)/と合点がいったので心配するのをやめた、という経緯がある。そうしたくてしていて、かつハッピーなら、外野が口を出すことじゃないから。まあそれでも、思いつめた相手に刺されたりしないだろうかと危なっかしく思ってはいたのだが、「深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む」だっけ?いつのまにかモンちゃん自身も思わせぶりなmixi日記書いたり、批判を攻撃と受け取って排除しだしたり、メンタル系の薬を処方されていることを匂わせたり、「おまえはリア充だから俺の気持ちなんかわかんないよ」とか厭な笑顔で言うようになってしまった。

きっとモンちゃんはそのうち宗教まがいの自己啓発セミナーで知り合った厄介な女の子と付き合ったりするんだろう。そうなったら完全に終わりだ。絶縁覚悟で「いいかげんにしろ」と言うべきなんだろうけど、変わってしまったモンちゃんが悲しくて対峙できない。あんなにいいやつだったのに。もう32なんだからさ、モンちゃんのそれは「厄介な女の子の面倒を見る包容力のある俺カッコイイ」って自己愛なんだって気づいてくれよ。頼むよ。

2009-06-03

図書館で「静かに」と注意するときは殴られることを覚悟して

昨日、大学図書館プログラミングを必死にしていたら、知らないうちにちょっと大きな声で独り言を口走っていたらしく、席について10分もたたないうちに図書館員に注意された。

トントン、と肩を叩かれ、「すみません、お静かにやっていただけますか?苦情が来ておりますので・・・」(ヘラヘラ)

憎い。図書館員も、図書館員に注意した奴も。「苦情が来ておりますので」といわれたら、俺が異常者みたいじゃないか。そりゃ、1時間も奇声をあげていたのならわかるが、まだ、席について10分しかたってないんだぞ。ちょっと声を出しただけで、人を異常者みたいに扱いやがって。プログラミングが得意な奴が組んだら、瞬時に解けるところを俺が1時間ぐらいかかって悩んでいるから、バカにしているのか。こうやって無能な人間を有能な人間があざ笑って楽しむんだろうなぁ。知能や人格を否定されたように感じる。「そんな簡単なところで悩むなよ。頭が悪いんだよ、バカ」と言われている様に感じる。

憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い贈い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い増い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い贈い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い贈い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い増い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い増い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い贈い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い贈い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

こんな俺は、自分で言うのもなんだが、人前ではめったに怒らず、温厚な人間で通っている。まぁ、もちろん、表面上は、普通に「あ~、すみません。」と笑ってかえした。

さて、思うのだが、温厚ということになっている俺ですら、図書館で注意されるとこれほど憎く感じるのだから、図書館で注意されたことが原因で傷害事件が起こす奴がいてもおかしくないなぁ、と思う。皆、図書館で注意するときは殴られることを覚悟しよう。

P.S.

「温厚」って言うところに絡んでいる奴が多いけど、俺、彼女にも何度も「優しい」って言われたことあるよ。言っとくけど、彼女脳内彼女じゃないよ。美人ではないけど。そんな俺は東工大卒。

俺は自分は独り言を言う代わりに、別に周りがどんなにうるさくても仕事できる。ファミレスでもコンビニでも。だから、別に周りがうるさくても気にならない。そういう人はたくさんいると思う。そもそも、他人に「うるさい」って注意したこともない。そういう自分からすると、すぐ他人に「静かに」って言ったり、ましてや、自分で直接言うのが嫌だから、図書館員を使って遠まわしに注意する人って、よっぽど神経質な怖い人なのかなって思う。

P.S.2

こんな書き込みがあった。

シャドーボクシングっていうか、自分自分を殴ってるだけなのに、自分の拳を他人の拳だと思い込んでいる。

こうやって他人のせいにして他人に攻撃性を転化していること自体、温厚ではないんだけど。

>「俺プログラミング下手だよなぁ…(´・ω・`)」って思うだけに止めておけば良い。

>他人はそんなに、増田のことには興味ない。

うん、他人が俺のことに興味がないのはよく分かっている。でも、それって、俺が死んでも全く困らないってことだよね。つまり、他人っていうのは、自分利益のために俺を殺すことを考慮に入れている可能性があるっていうことだ。だって、他人にとって俺は無価値なんだから。だから、人と接するときは、常に「この人は俺を殺すかもしれない」ということを考慮するのが、真っ当な人との接し方だと思っている。どんなに親しい友人も、彼女も、ある日突然、寝ている時に包丁持って襲ってくるかもしれない。その可能性を受け入れるのが、愛なんだと思うよ。

普段、そう思って生きているから、テレビ親族が殺されたり死んだりして泣いている人とか何なんだと思う。他人にとって自分は無価値なんだから、自分は殺されても全くおかしくないし、他人は死んだり殺されたりしても全くおかしくない。そんなこと、みんな折込済みで生きているのが社会なんだと思うけど。他人から何か攻撃されて、本気で泣いたり怒ったりする人は、なんというのかな、心構えが出来ていないというか。死んだり殺されたりなんて、みんな折込済みで社会は成り立っているわけじゃん。他人に殺されても、許せる気概を持つのが人として正しいと思うんだ。

で、何がいいたいかっていうと、俺は殺されても他人を許せるぐらい心が広いんだから、図書館で注意されたときにちょっとムカつくぐらいいいじゃんってこと。子供や親が死んだぐらいで他人を本気で憎んだりするなんて、みんな心が狭すぎるよ。図書館で注意されたときも、親族が殺されたときも、同じぐらいで怒るようにしておけばいいんだよ。そうすれば、仮に何かあったときでも、くだらない復讐の気持ちなどで残りの人生苦痛にすることはなくなる。彼女が出来たら、「この人、いつか死ぬ/俺を殺すかも」って思っておけばいい。子供ができても「この子、いつか死ぬ/俺を殺すかも」って思っておけばいい。そうやって普段から心の準備しておけば、いざ、ものすごいひどいことをされたときにも、最終的には相手を許すことが出来る。

所詮、他人は他人、自分自分なんだよね。

P.S.3

>公共意識ないなら家から出ないこと

っていう書き込みがあったけど。家から出ないのが公共意識なの?心が狭いなぁって思う。俺は、図書館員とのコミュニケーションはちゃんと取れているわけだ。内心はムカついていたっていう、ただそれだけ。さて、世の中には、俺以上にひどい人がたくさんいる。コミュニケーションが取れないとか、そもそも知的障害で知能が足りないとか、顔がつぶれてひどく醜いとか。そういう人は図書館を使ってはいけないのかね?

障害者っていうと、車椅子に乗った人とか目の見えない人とかを想像するかもしれないけど、そういう人ばかりが障害者なわけじゃないんだぞ。外見的には健常者と全く同じだけど、二階に上がるだけで息が切れる心臓病の人だっているんだぞ。「公共意識ないなら家から出ないこと」っていうのは、「うざい奴は死ね」っていうのと大差ない。

2009-01-20

純愛への憧れ

http://anond.hatelabo.jp/20090120000623

聞いた話なんだけどね、「純愛への憧れ」っていうのがあるんだってさ。

第一印象(の悪さ)を越えた愛、距離を越えた愛、身分を越えた愛、…で、行き着いた先が性別を越えた愛なんだとか。

性別っていう、どうしたって越えがたいものを越えてもなお、その人のことを愛しているっていうのが、究極の純愛に思えるっていうのは、何となく分かる気がする。

それが「そんな腐女子である自分に向けられる愛」への憧れに転化すると、スパイラルが起こるかもね。

その純愛への憧れを想像すると、カマトトに写る言動も想像に難くないんじゃない? なんせ純愛に憧れちゃうくらいだから。

全般、聞いた話が元だから、本当かどうかは知らない。

2009-01-18

悪いのは・・・おてんとうさまだよ!

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2

というのが話題にあがっていた。

実は、昨日行った某企業の説明会のグループディスカッションでも、同じような話が出てきた。

ある婚約者(L美とB男)、その妻に思いを寄せる男性(S郎)、資産家(M夫)、そして関係の無い若者(H男)。

L美とB男は川の向かい側にそれぞれ住んでいて、彼らは普段橋を渡って会っていた。

二人は将来結婚するはずの幸せ婚約者同士だったのだが・・・ある日突然台風が川を襲い、橋を壊してしまった。

橋が修復するのにどれくらい時間がかかるのかは分からない。数週間後かもしれないし、数か月後かもしれない。

橋が壊れてしまったので、L美がB男に会いに行くには船を出して捜索するしかないが、L美には船をつくる能力もなければ、船を所持していない。

そこで二人が助け舟を出した。一人はM夫だった。

M夫「船ならすぐに出せるよ。ただ、100万円を渡してくれなければそれは無理だね」

彼は資産家だったのだが、渋チン野郎でもあったのだ。L美はそれを断った。

L美はもう一人の男性、S郎に頼んだ。「船を出してください。B男に会いたいのです」と。

S郎は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とはS夫と一夜限りの関係を持つこと。

「あなたのことがずっと好きでした。あなたに婚約者がいることも知っています。一夜だけでもいいんです」

L美は結局、S郎と関係を持った。S郎は約束を守り、船を出した。

向こう岸についたB男は驚いた。「何で君がここにいるんだ」と。

L美は夫に、B男に会うため、船を出してもらうために男性関係を持ってしまったことを告白した。

B男はL美を許さなかった。不貞であると。B男はL美との婚約を破棄した。

すべてを見守っていたH男はL美にこう言った。

「あなたはとても正直な方です。B男に嘘をつくことができたのに、それをしなかった。そんな正直なあなたのことが好きです」

本筋はだいちょっと違う部分もあるが

・最後の人がおじいさんではなかった

無人島ではなく、川が出てくる

・渋チン資産家が出てくる

他はだいたい同じだろう。

・船が出てくる

・船を出すために、女が関係を持つ

・すべてを見守る人(関係ない人)が出てくる

・夫が妻の不貞を許さず、関係を破棄する

さて、誰が一番悪いのか?

…というのはどうでもよくて、「何を重視するかによって、物事の価値は変わってくる」

ということを言いたかったらしい。

・L美-LOVE 企業愛、会社愛とかそういう愛なんだろうか?

・M夫-MONEY 金はやっぱり重要ですよねー。金がないと企業が成り立たない

・S郎-SEX  不倫愛とかセクハラ的な要素は会社にとってもマイナスなんじゃないんですかね

・H男-HUMANITY 「人間を大切にする」「お客様第一」的な要素なのだろう

・B男-BUSINESS  合理的判断をするのがビジネス、という意味合いなんだろうか

多少こじつけっぽい感じもするし、何だか「疑似科学的」なそういう気持ち悪さすら感じた。

さらに、はてブコメントでも書いたが、キャラクター名前がM夫だったから

「こいつ、マゾ野郎なのか?」という事が気になっていて質問やディスカッションに全然集中出来なかった。

以上、とりとめも無い話でしたとさ。チャンチャン。

タケルンバDisられたじいさんがかわいそう

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2

というのが話題にあがっていた。

実は、昨日行った某企業の説明会のグループディスカッションでも、同じような話が出てきた。

ある婚約者(L美とB男)、その妻に思いを寄せる男性(S郎)、資産家(M夫)、そして関係の無い若者(H男)。

L美とB男は川の向かい側にそれぞれ住んでいて、彼らは普段橋を渡って会っていた。

二人は将来結婚するはずの幸せ婚約者同士だったのだが・・・ある日突然台風が川を襲い、橋を壊してしまった。

橋が修復するのにどれくらい時間がかかるのかは分からない。数週間後かもしれないし、数か月後かもしれない。

橋が壊れてしまったので、L美がB男に会いに行くには船を出して捜索するしかないが、L美には船をつくる能力もなければ、船を所持していない。

そこで二人が助け舟を出した。一人はM夫だった。

M夫「船ならすぐに出せるよ。ただ、100万円を渡してくれなければそれは無理だね」

彼は資産家だったのだが、渋チン野郎でもあったのだ。L美はそれを断った。

L美はもう一人の男性、S郎に頼んだ。「船を出してください。B男に会いたいのです」と。

S郎は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とはS夫と一夜限りの関係を持つこと。

「あなたのことがずっと好きでした。あなたに婚約者がいることも知っています。一夜だけでもいいんです」

L美は結局、S郎と関係を持った。S郎は約束を守り、船を出した。

向こう岸についたB男は驚いた。「何で君がここにいるんだ」と。

L美は夫に、B男に会うため、船を出してもらうために男性関係を持ってしまったことを告白した。

B男はL美を許さなかった。不貞であると。B男はL美との婚約を破棄した。

すべてを見守っていたH男はL美にこう言った。

「あなたはとても正直な方です。B男に嘘をつくことができたのに、それをしなかった。そんな正直なあなたのことが好きです」

本筋はだいちょっと違う部分もあるが

・最後の人がおじいさんではなかった

無人島ではなく、川が出てくる

・渋チン資産家が出てくる

他はだいたい同じだろう。

・船が出てくる

・船を出すために、女が関係を持つ

・すべてを見守る人(関係ない人)が出てくる

・夫が妻の不貞を許さず、関係を破棄する

さて、誰が一番悪いのか?

…というのはどうでもよくて、「何を重視するかによって、物事の価値は変わってくる」

ということを言いたかったらしい。

・L美-LOVE 企業愛、会社愛とかそういう愛なんだろうか?

・M夫-MONEY 金はやっぱり重要ですよねー。金がないと企業が成り立たない

・S郎-SEX  不倫愛とかセクハラ的な要素は会社にとってもマイナスなんじゃないんですかね

・H男-HUMANITY 「人間を大切にする」「お客様第一」的な要素なのだろう

・B男-BUSINESS  合理的判断をするのがビジネス、という意味合いなんだろうか

多少こじつけっぽい感じもするし、何だか「疑似科学的」なそういう気持ち悪さすら感じた。

さらに、はてブコメントでも書いたが、キャラクター名前がM夫だったから

「こいつ、マゾ野郎なのか?」という事が気になっていて質問やディスカッションに全然集中出来なかった。

以上、とりとめも無い話でしたとさ。チャンチャン。

2008-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20081209231643

それはネタだろうけど、俺は今の彼女も歴代の彼女全員にも「他の男とセックスしても全然オッケーだよ」とは必ず宣言してる。

「気にしない」レベルじゃなくて「むしろ望ましい」んだみたいなことも言う。。

たいてい「えー?んー」くらいの反応しか返ってこないけど。多分試されてると思ってるんだろうね。

本当に心の底からオッケーなんだけど。そりゃ他の男の子供ができたら認知はしないけどさ、避妊すりゃどんどんやっていいよと。

で、俺の方もすると。他に女作るのめんどくさいから風俗行くだけだけどねと言う。実際行きまくるし。

お互いそうやってもなおお互いを必要としてる関係だけが本当の愛なんだと俺は思ってる。

2008-12-08

人間には、愛情が必要。

恥ずかしいけど。愛。愛なんだよ!!!!!!!!

2008-07-19

誰か僕にかまってください

あー、もうぱっとしないしすべてがいやだしなんかほんとセンソウでもおこればいいのにというかほんとまじきつい。

だいがくをまともにそつぎょうさえすればなんかばっとするんじゃないかなとゆめみがちでいて、でもげんじつはだいがくをそつぎょうしたってぱっとするどころか、むしろよりどんよりなかんじになることは、さすがに3ねんにもなるとわかって、でもじゃあなにかどりょくをするかといえば……

いつだってそうだったなぁ。じぶんののうりょくいじょうのちいをもとめたくなるんだけど、でもよりのうりょくを高めるどりょくはできなくて、それでじぶんのののうりょくそうおうのところにいっては、つまらないなぁとぐちをたれる。だったらせめてちょうせんすればいいのに、臆病だからそれもできない

要するに「本当の自分」教というかな。何も考えずにただ今ある自分、そしてその自分がなっていく自分を自分であると認めれば、悩むことなんてないのに、「本当の自分はこんなんじゃない」と思いたがる。でもそのくせじゃあ自分を変えるって話になると、「変えたら本当の自分じゃなくなる」と思う

女の子に後ろからいきなり包丁で刺されたい、正面からいきなり刀でばっさりと切り捨てられたい、ピアノ線で首を括られたい、車に縄で括りつけられて引きづられたい、五寸釘で打ち付けられたい、空気注射されたい、鉄パイプでぼっこぼこにされたい、髪の毛つかまれて水中に顔を突っ込まれたい

ほんと1日1回ヤンデレCDを聞かないともうそのまま今すぐ身の周りの大事な予定とかすべて捨ててどっかに放浪したくなる。

あーちきしょう、これでもう少し学がなければ前世のこととか守護霊さまの声とか聞こえるのに!

守護霊とか妄想でもいいから現れてよ!そして呟いてよ、私がずっとそばについているから、あなたはそのままでいい、何もしなくていい、それだけで十分なんだって!

24時間常に誰か一緒にいることなんてできやしない。恋人だ友達だなんだ言ったって、結局それはかりそめのものでしかない、「本当の友達」なんて馬鹿なことを考えてたら、友達なんて一生出来ない、そんなの分かってる、分かってるはずなのにー!

嫌ってくれるならまだ良い、一番怖いのが無関心。僕という存在は今ここに居る、ここに居るのに、もしかしたら僕のことを今誰も思っていてくれてないのかもしれない、僕は誰の心の中にも居ないのかもしれない

誰かに気にかけられたら、それだけで良い、それでいい、けど、誰にも気にかけられないとしたら、いくら金があったって、いくら長生きできたって、そんな人生意味は・・・

好きな人の不幸を願うのはヤンデレの始まり

killing me softly(直訳的な意味で)

不安が次々と襲ってくる。もうだめぽ

自分も助けられない状態で人を愛したいとか人を助けたいとか寝言ぬかしてんじゃねぇよ糞が!

結局ね、あんた(=僕)は、あの子を愛しているわけじゃないんだよ、ただあの子に慰めてほしいだけなんだよ、「あなたはダメ人間だけど、私はあなたが好き」って承認してもらいたいんだ。ふざけんな、そんなの愛じゃない。

相手を助けたいって、それ以外の何も求めないのが愛なんだ。対価なんか求めるのは愛とは呼ばない。それは単なる風俗だ。キャバクラにでも行ってきやがれ!

はてな界隈アイドルを気取っている連中を見ていて思うのは、「おまえらはもうアキハバラのこと忘れたんだなぁ」って

同じインターネット上で僕が居て、加藤君が居たってだけでこんなに気に病む僕がおかしいのかもしれないけど。でも、もしそういう風に「インターネットを共有していることなんかに何の意味もない」、と思ったら、インターネット孤独の象徴でしかない

でも、僕だって時にはクネクネしてみるんだよ。してみるんだけど、やっぱりそれでも、クネクネしてるときは楽しいけど、クネクネが終わった後、どうせ僕のことなんか誰も考えてくれないって思うと、やっぱり寂しくて、楽しいことの後の寂しさだから余計苦しくて

こんなさみしがりやで不器用な僕ですけれど、ちょっとでもかわいそうだと思ったら、Twitterででも話しかけてみてください。おねがいします。

2008-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20080112041409

母べえ」みろ。あれが女の本来の姿。女は論理じゃなくて情愛なんだよ。女が論理を追求するのは大自然の原則に反してるよ。

2007-09-27

俺は記録魔

僕のハードディスクの中に眠っている数MB程のテキストファイルと数千枚の写真、絵などの映像ファイルは全てインターネット上に、製作者が公開していたものを自分で拾ってきたものです。彼ら、彼女らはネット上では(ですら)有名人ではありません。普通に生活している、ごく平凡なありふれた人達です。月並みです。僕はそういった他愛も無い、各々の些細な自己主張の場であるHPホームページっていう呼称は僕は気に入らないけどこっちの方が一般的だと思う。ウェブサイトと書くと企業や法人がやってるような堅苦しいイメージもするしね。単なる偏見だけど。)を多数巡回し、しかし良質、有益な情報を選別し集めてきました。

彼ら、彼女らは有名ではありません。これは、後にも先にも同じ事です。インターネット依存しにくい普通の生活を送っている人達が、単なる暇潰しや、それに準ずるあまり価値の無いものを求めて活動しているので、ほとんどの人が簡単に始め、簡単に終わりを迎えるという事がよくあります。(逆にそういう気軽な心がけが大切かもしれません。これは実感してみないと分からないと思います。)僕の所持しているファイルは殆どが数年前ものです。年単位のオーダーは個人で情報を発信する側が半年から1年で活動停止になるのが殆どという事を考えると、僕の収集活動から見れば長いものです。古い情報です。その情報を生み出した人間も、同じ名義ではもうネット上で活動をしていません。大袈裟な表現だと思いますが、これらの様な、同じ名義上での活動の停止とは一つの人格の死に等しいと僕は考えてます(勿論実際には誰も死にやしないし、生まれもしませんが)。その名前で発信され続けてきた様々な情報は、何らかの連続性を持っています。例えば、その人が文章を書く時に題材にされやすいもの、絵を描く時のタッチなど。そういった連続性こそが一つの人格と言えますし、その人格に何らかの価値や興味を見出して(あ、これって愛なんだ、と今更ながら思った。)、その為にその情報を求める、という普遍的な動機も世の中には存在します。

勿論僕はそういった動機も大切にします。だからこそ愛着を込めて同一名義上での活動の停止を『死』とか表現したり、僕の所持しているHDに蓄積された情報を自分の中では『形見』だとか表現して勝手セピアな雰囲気に浸ってますが、前述の通りネット上での『死』は気軽な分日常茶飯事の事なので、ある程度慣れ、それに伴いあまり有益でない情報は無視する様になりました。これによって細かなディティールは急激に失われてしまっています。非常に残念な事ですが、記録を完全に保存する事は事実上不可能なので仕方の無い事です。

彼ら、彼女らの活動の証を保存しているのはきっとGoogleと僕以外にはいないと思います。そしてGoogleですらスタンドアロンなページのキャッシュは数ヶ月で消去される事を考えると、僕の持っている情報は少なくとも僕にとってはとても貴重なものです。ショーケースに飾られた、器用に作られた煌びやかな小物も同然です。客観的な価値なんてありません。しかし僕はそれらを大事に思います。愛しているからです。

2007-05-20

宗教国家日本の駄目な所

まるちゃんじゃないんだけどさ、愛って恋だけじゃないんだよね。

でも無宗教国家日本じゃ愛は恋しかなくて、恋愛至上主義なっちゃうんじゃないかな?

宗教ってもっと軽い物なんだけどな。恋みたいな物だよ。

そりゃ、盲目になったり嫉妬したりする事もあるだろうけどさ、基本は愛なんだよ。

そのためにはまず出会いだよね。

家に籠ってないでちょっと出かけてみようよ。

夏に向かってすてきな出会いを見つけてみようよ。

もっと気楽に、素直に。ちょっとお寺とか教会覗いてみようよ。

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