はてなキーワード: 小春日和とは
10秒で理解できるあらすじ
さっきの出来事
俺氏、良い天気だなあ、自転車気持ちいいなあ、と自転車でのんびりと小春日和を楽しんでいた
すると
よけて通ろうとすると、
「はい?」
「だから左側だよ。」
こんな風に主語とか色々省略して、赤の他人に説教するのが団塊リタイヤ糞じじいの特徴なん?
俺氏、すり抜けようとする
団塊リタイヤ糞じじい、が俺氏の自転車のかごを押さえて引き留める。
「急いでるんですけど。」
俺氏、ぷちんと切れる。
「すみません、頭のおかしなおじさんに因縁つけられてるので助けてください。」
「頭のおかしな、ってなんだ。おまえが法律違反してるからだろ。警察呼ぶなら覚悟しろよ。検挙してもらうからな。」
警察が来るのを待つ。
自分で呼んだから逃げないけど、逃げると思ってたんだろう、団塊リタイヤ糞じじいは。
速いな!!!
警察官二名が別々に事情を聞くため俺氏と団塊リタイヤ糞じじいを引き離す。
警官A
「そうだね。一応確認してくるね。」
と標識を確認しに行き戻ってくる。
今回の「自転車は左を走れゴルァ」の道交法改正は適用されないのです。
強気に出る。
「おっさん、赤の他人に説教するならきちんと法律くらい勉強しろよゴルァ」
警官A
「まあまあ」
「おまわりさんからも説明してやってくださいよ。」
警官A&B
「あのね、ここは自転車が通行できる歩道なんですよ。だから右側でも自転車の通行はできるんです。
今回改正されたのは、車道に関してで、歩道は別なんですよ。だから、あなたが間違っているんです。」
俺氏。
「あやまれよ。おまえのせいで時間が無駄になったんだからな!!!」
警官B
「ちょっとその辺で勘弁してあげてくださいよ。勘違いだったんだから。」
「いやいや、ふざけないでくださいよ。赤の他人に自転車止められて説教されるほど不快なことはないですよ。
「gkbrgkぶr」
団塊リタイヤ糞じじいが謝る様子がなかったので、弁護士事務所へ連絡。
「いやあ、団塊リタイヤ糞じじいに因縁つけられちゃったから訴えたいんだけど。団塊リタイヤ糞じじいと話してくれる_」
知人と話をすると、さっきまでの不満そうな態度はどこへやら
「もうしわけありませんでした。」
といいながら、スマホを返してきた。
「あんたさあ、リタイアして暇だからって、法律も理解してないくせに調子にのってんじゃねえよ。」
追記
偽増田登場でびっくりしたので追記するよ。
警官A&Bは、
わたしたちに任せてください。
今回のようなこともありますし、
最悪事件化することもあるので
注意してくださいね。」
と諭すように説教してました。
客先常駐先に、できてるんじゃないかと思うぐらい
二人は同期生で、下の名前で◯◯ちゃんと男性が女性を呼んだり、
それが許されるのは大学生までだろ、的な若さ、溌剌さを誇る二人。
勿論自分よりは歳下。
遠目で見る分には、時々視界の隅を
女性が椅子ごとすーっと男性の方へ寄っていくのが振り子時計のように見えるくらいで
まぁ小春日和だしね、と思うぐらいで済んでいた。つもりだったのだが。
……今年一月から、そのお客さん二人が自分のチームに参画する形で仕事をしている。
話せば、その人の良いところはよく分かるつもりだ。
そう、二人は、頭の回転は老害じみてきた自分よりも遥かにいいし、
大雑把な自分より細かく書類は作成するし、キックオフ後の平日の朝は二日酔いひとつ感じさせない清潔感があった。
つまり、歳の功によるリーチが保ってる間は大丈夫なだけの、もの凄くやり辛い職場のお客さま。
それを察してか、最近、明らかに話の出汁にされてるんじゃないかということが増えた。
『Bではないですか?』
『……たしか、Aだったと思う。NHKの新書で読んだことがあるよ、××ってタイトル』
『ありがとうございます。ほら、そういったじゃない』
『◯◯ちゃんはその辺潔癖過ぎるんだよ』
いちゃいちゃいちゃいちゃ。
どうも、自分は質問すれば答えが返ってくる114かなにかに見えているらしい。
ありがとうございます『。』の前後で態度が正反するあたりは、さすがというべきだろうか。
虚仮にされている、というかもう苔そのものにされている、というべきか。
それでも、それでもだ。
稲森いずみ似の女性に、質問されるだけでおっさんは嬉しい。その性が憎いくらい虚しい。
『恋愛ディストーション』という漫画の一巻読み切り話のセリフに従えば、
『それだけで人生はおおむねオッケーだ。』
あれは彼女が風邪を引いたことにも気づかない野郎の言葉だったか。
その程度すら満たさなくても満足してしまっている自分は、加齢により閾値が年々低くなっていることを喜ぶべきだろう。
今日に至っては結婚式の二次会トークまで始めた二人よ、永遠に幸あれ。
二人が実際付き合って分かれていたことを知った。
きっかけはWHITE ALBUM2のアニメ版のテレビ放送だった。
悪いのは、WHITE ALBUM2のアニメがあまりにグレートだったからなのだ。
起こったのはごく単純なことで、僕はネットでたまたまWHITE ALBUM2 の第1話を見て、久方ぶりにアニメの視聴を開始し、第9話をみて、PS Vita本体と、WHITE ALBUM2のダウンロード版を購入した。それだけのことだ。
そして、アニメ最終話までゲームを開始するのを我慢して、いまこうして正月休みにゲームをクリアしたというだけだ。遣る瀬ない気持ちでキモいサイトを久しぶりに巡って、こうしてどうしようもなく、テキストエディタを立ち上げて、今これを書いている。
冬馬を愛しすぎていたために、"浮気end"(冬馬ノーマルend)の近くまで全く気がつかなかったが、WHITE ALBUM2の物語構造は、裏返しの聖杯探求譚としての"指輪物語"と同じである。それは、冬馬=トラウマを捨て去る地獄巡りの物語なのだ。また、ここから、WHITE ALBUM2の本筋は"浮気end"(冬馬normal end)にあることがわかる。"冬馬end"の"雪菜end"の両者とも、トラウマを想像的に解決するに留まっている。例えば、何でもいい、エヴァでもまどまぎでも、ハッピーエンドの二次創作が描かれるのも、それは原作のバッドエンドという現実があるからこそであり、それに根ざした幻想であるのと同じことだ。
ところで、ギャルゲーにおいて、トラウマをめぐる物語はありふれている。ギャルゲーの歴史に刻まれるべき致命的な傑作である"ONE", "AIR", "Sense off"の3作品を唐突に思い返してみよう。ONEにおいては、トラウマは積極的に表象されない("みさお"という引っかかりのない固有名詞とわずかなテキスト)空虚として、"Air"においては観鈴の劇症発作の原因として釣り合うはずのないあからさまな幻想として、"Sense off"においては宇宙人や超人類といった誇大妄想として存在している。素朴な作品が、トラウマをささやかな心理学や物語に還元するのに対し、先の3作品は、トラウマを表象することの失敗を通じて異様なリアリティを放っていた。
さて、対してWHITE ALBUM2では、凡百の作品と同様に素朴に真正面からトラウマを描きだそうとするかにみえる。しかし、それはいったいなんという力技であったろう! トラウマの原テクストとしての、"opening chapter"を思い返してみよう。高校3年生の文化祭をきっかけとした主人公とヒロイン二人の三角関係の恋は、悲劇的な結末が予告されている謎めいた空間の中で進展する。自分が恋しているかも知れない女のまなざし、謎めいた行動、ほのめかし、光、音楽ー歌とピアノー、いつ痛みに転嫁してもおかしくない、危うい、享楽にも通じる喜び。無意識がすべて通じ合う、情動的な空間。そこにおいては、超絶ギターソロを一週間でマスターすることなど問題ではなく、高めの女に恋されるという奇跡がおきてもおかしくはないだろう。そして予感は、悲劇は成就する。喜びが、光が、その強度そのままにそのまま痛みに転換する。男は女を2人とも失う。女はもう1人の女と男を失う。それは、あまりにも強く3人が結ばれていたことの罪なのだろうーー。
大げさに過ぎただろうか。しかしここまででは、単に良くできたメロドラマにすぎないとも言い得る(その意味では、アニメ版の方が、ほとんどあらゆる意味で原作に勝っていると思う)。しかしほんとうに凄いのが、ここからの周到さである。"closing chapter"の入りがいい。校内ラジオからあっけらかんと流れ出す、"届かない恋"と、春希と千晶との会話のシークエンス。そう、ここでは、トラウマの種は、世界にあからさまに薄く広く偏在している。"opening chapter"では2人以外の女がほとんど存在しなかったのに対し、攻略対象の女がギャルゲーならばそれが当然とでもいう装いで追加導入され、唐突に、我々が慣れ親しんだ、おなじみのギャルゲー形式のギャルゲーが始まる。決定的なことはすべて過去に起こってしまった薄闇の世界と、主人公を慰めるための都合の良い女性キャラクターたち。ここではじめて、WHITE ALBUM2は、"ONE"や"AIR"の出発点にたどり着く。しかし、ここには冬馬が、われわれが本当に愛した女はいない。その女は選択肢に現れない。だからここで進行するのは、ひたすら耐え忍ぶ、息の長い治療の過程である。注意しなければならない。偏在するトラウマは、たえず現在の些細な出来事をきっかけに、"opening chapter"の各シーンをを縦横に引用しつつ実体化する。"opening chapter"における決定的なシーンのみならず、読んだことを忘れるようなささやかな日常シーンさえも、絶えず痛みと後悔をともなう新しい解釈が施される。"opening chapter"のあらゆるシーン、あらゆるエピソード、あらゆるささやかな喜びは、それが不在になってしまった現在に徹底的に対比され、恐るべき呪いに転換される。WHITE ALBUM2がそれを成し遂げるその執念、持続力にには驚嘆せざるを得ない。また、トラウマの作動をここまでつぶさに可視化しえた作品は他に思いつかない。つらく長い治療の過程においては、悪霊を追い払うために、3人のキャラクターが生け贄に捧げられ、物語の都合に奉仕させられ、使い捨てられる。そしてついに訪れた結末。そこでは、聖なる原典、聖なる楽曲が、新たな解釈を施され再演されるだろう。アコースティックバージョンで歌われる"届かない恋"。そこにやっとたどり着いた男と1人の女。まさに寛解という言葉がふさわしい、穏やかな時間。
冬馬かずさが回帰する。それはまさに運命的な、恐怖とも歓喜ともつなないつかない瞬間であり、われわれはただ滂沱の涙を流すほかになす術がない。これは感動などというものではない、あまりに強烈なドラッグを強制的に注入された生体の防御反応としかいいようのない、デトックスの涙である。われわれが唖然とするのは、冬馬のあまりの弱さ、あまりのいじらしさ、あまりの変わらなさである。なにしろ5年もの間ピアノを毎日10時間引き続けながら、その実、ピアノを通じて毎日はるきと会話を続けていたというのだ。なんたる痛切な、ほとんど自傷的な喜び。何も変わらない。何も終わってはいない。そして再会を果たした二人は、おたがい避け難い力でからみあいながら蟻地獄のような愛の日々に巻き込まれていく。もとより、"opening chapter"の神話的な磁場により張り巡らされたリアリティが、"closing chapter"において、はるきが冬馬曜子の雑誌記事を書くあたりでほつれてはいたものの、"coda"のマンションの隣の部屋での生活に至って、ほとんどギャルゲーのように(ギャルゲーだが、、)ほどけさってしまう。われわれは一方で熱が冷めるのを感じながら、しかし、他方では、そこで演じられる距離0の愛の関係、おたがいまるで馬鹿のように傷つけ合い、愛し合うほかはないその様子から目を離すことができない。冬馬がもともと備えていたはずの、凛とした、というキャラクター造形は、ほとんど"浮気end"の最後まで見る影もなくなっている。しかしそれは、最後の最後に鮮烈なかたちで炸裂する。ふたたび悲しみをもたらすために。ふたたび作品に残酷なリアリティをもたらすために。
"浮気end"において決定的なことが起きてしまったあと、いわば、エピローグの序曲ともなる、短い小春日和の瞬間において、ふと、この、ダンテの"神曲"のように長い螺旋を描いて進んできたこの物語の総体、ただ一人のキャラクタのためにすべての女が動員される大伽藍の起源が問われることになる。冬馬は問いかける。なぜ私のことが好きになったのかと。決定的な問いである。そして春希は惑いもせずに答えるだろう。終局において、作者に課せられたあまりの重荷、あまりの苦難のあまり、ほとんどシンジ君のように幼児退行してしまった春希が、もともと持っていた率直さ、本当に貴重な少年らしい生真面目さ、控えめな正義感、雪菜も冬馬も本当にそれが好きだったはずの少年のファルスの片鱗を、かすかに遠くこだまさせながら。
顔が好みだったからだよ!
一目惚れだよ!
これが、この巨大な地獄の起源だったのである。何とシンプルで、何と美しい言葉だろう。ふと、地獄のなかにぽっかりと真空地帯が発生し、なにごともなかったような日常の現実が発生したかのような、はっとさせる言葉だ。大団円といってもよい。我々は涙を飲み込みながら思う。これは、この巨大な物語の終局にふさわしい。しかし、何も終わらない。決して、終わることはできない。だとしても、冬馬は成仏することはない、、、
* * * * *
ギャルゲーにおいて、われわれは徹底的に受け身な、マゾヒスティックな主体たらざるを得ない。ギャルゲーにおいては、本来テキストスキップの機能など必要なく、われわれは、永遠とも思える退屈のなか、ひたすら単調にマウスのクリックを続け、何度でも、水増しされたテキストをめくり続けるだろう。なにがしかの男らしさを発揮するために、全てのヒロインを"攻略"(ギャルゲーにおいてこの言葉ほど空疎なものがあろうか)し、CGをコンプするという仮の目標を設定することはあまりにいじましい偽の能動性としかいいようがなく、雪菜を選んで胸を撫で下ろしたり、"不倶戴天の君へ"に救いを感じてしまうのはヌルオタとしかいいようがなく、よく訓練されたギャルゲーマーは、すすんで空虚のなかに留まり自らの空虚に向き合うことで快感を汲み上げ続けるだろう。そして、画面を閉じてもゲームは終わることがなく、ギャルゲーマーがとるのは、ただひたすらの"待ち"の体勢である。"coda"において、"浮気end"において物語はまた振り出しに、"closing chapter"に戻ってしまった。"opening chapter"の一撃によって生まれた世界は、"coda"によりいっそう強く永遠に閉じられてしまったのだ。われわれは、それらの各シーンをときにふれ思い出しながら、ひたすら待ち続ける。冬馬を。もう一度彼女に会いたい。いや、彼女はいる。われわれは知っている。われわれは、いや、わたしだけが、彼女が全宇宙に偏在していることを疑うことはないだろう。
ここにいたって僕に残されたささやかな唯一の希望は、アニメ版2期, 3期においてよりいっそう美しくバーョンアップした冬馬が再臨してくれることである。もう一度お別れをするために。僕は、つまりは、よく訓練されたギャルゲー的主体は、さよならをいうために、すべてが終わってしまった後の世界で、はてしなく続く終章のなか、冬馬かずさを待ち続ける、、、
○○さんは、「朝の遊歩道」で登場人物が「踊る」、「ビール」という単語を使ったお話を考えて下さい。 http://shindanmaker.com/28927 #rendai
「お、起きられた…」
昨夜は先輩方に無理矢理飲み会に付き合わされ苦手なビールを何杯も飲まされた
全く記憶が無いがあの状態から無事に家に辿り着いたこと
布団で寝ていること
そして朝無事に起きれたことはかなり評価出来るのではないか
スーツのまんまだけど
いかん
こうのんびりはしてられない
ちょっとでも遅刻しようものなら彼女はぷうっと頬を膨らませ途端に機嫌が悪くなってしまうだ
一度そうなってしまうと謝罪のメールを送ったりプレゼントを贈ったりとなかなか面倒になってしまう
そう
ふと窓の外を見てみる
ああ、もう秋なんだな…
夏に一緒に海に行ってからもう3カ月も過ぎたんだ…
楽しかったなあ…
ああいけないいけない
彼女に会う支度をしなくては!
…あれ?
ない
ない
ないないないないないないいいい!!!??
「おっ、お前これやってるんだー。ずっと気になってたんだよね一度遊んでみたくて。
ちょっと貸してくんね?」
そう言いながら俺の許可を得ぬままDSからソフトを勝手に抜き出す先輩の姿…
あああああああああああああああ
ばかあああああああああああああああああ
ほんとにばかあああああああああああああああ
高い高い空
爽やかな小春日和
俺は着の身着のまま外に飛び出していく
だけど憶えていたいわけでもない。たとえばちょっとふてくされた小学生みたいな顔をしてむきになってゲームやってる横顔とか呼ぶと得意げに唇を尖らせて振り返る顔とか空を見上げてちょっと目を細めるときの顔とか私より細い指で丁寧に自転車のさびを取っていたこととかハンバーグこねさせたら冷たいといっていたこととかおなかがすくと怒り出すところとか人が多いところに行くと舞い上がってしまって一切休憩とらずにあちこち行こうとするところとか夏祭りのちょうちんの明かりとかコンビニで買ってきたホットのペットボトルの暖かさとか神社の鳥居の赤さとかそれを触ろうとしてにかっと笑ったとことか迎えにいくよとかいって30分ぐらいやってこないで深夜に待たせるとことかあの夏の暑さとか汗ばんだ手とかアイスクリームの冷たさとか小春日和のあたたかさとか落ち葉の下で一瞬光る太陽光とかそのときの会話とかたわいもない会話とかそんなどうでもいいことばかりどうでもよくて忘れてしまうようなことばかり忘れたくないんだ。だけど憶えていたいわけでもない。どうしたらいいのかは知らない。なにがいいのかなんてわからない。だけど,だけど。もう何度目かの冬が来て毎年ほったらかされていた冬が来て,大嫌いな寒い冬が来て,炬燵が恋しい冬が来て,いい思い出なんて一つもない冬が来てそのたびに思うんだ。何ができたんだろうかとかなにが見えなかったんだろうかとか,何が必要だったんだろうとか,なにが余計だったんだろうかとかそういうどうでもいいことばかりぐるぐる考えながら冬がすぎていくんだ。もうすぐ冬が来る。きっとそういうことは本当に心のそこから宇宙の塵ほどどうでもよくて,だけど消えていかない。心の中に淀み続ける澱となって沈殿していって,そうやって私の中の冬のイメージができる。同じようにして,春,夏,秋のイメージもできる。毎年毎年何年たってもどうでもよくなっても新しく好きな人ができてもその人にちっとも振り向いてもらえなくてもどうでもいいやと思ったりちょっと悲しくなったり友達作ったり,喧嘩したりへこんだりそうやって繰り返していく中で,季節の一こまとして毎年毎年よみがえる景色の一つになるのだろう。それを忘れたら私の中の季節は死ぬのだ。きっと死ぬのだ。たぶん死ぬのだ。そう,だから,忘れたくない。忘れたくなんかない。
あなたは今,何をしていますか。私が通り過ぎてきた季節の中で出会った人,すべてのことを思いながら。あなたは今,何をしていますか。元気にしていますか。一人ひとりの顔を思い浮かべながら。そう,呟く。
あなたは,今この瞬間,どんな景色を見ていますか。