はてなキーワード: 埼玉県とは
ネットスーパーがあるのでそちらをお使いください
特に首都圏は感染確認後もお外に買い出しに出るケースが後を経たないそうだ
▼自宅療養者急増 滞る支援 食料「1000人待ち」届かず
https://mainichi.jp/articles/20210821/k00/00m/040/232000c
>埼玉県の20代女性は8月上旬、同居の夫が感染したのを機に検査を受け、陽性が判明したため自宅療養を始めた。健康観察の連絡や、食料など支援物資が届かないことに疑問を持ち、センターに何度も電話をしたがつながらず。発症から10日ほどたち、ようやく保健所から連絡があったという。その後も連絡はしばらくなく、結局、女性に「自宅療養解除」の連絡が入ったのは、本来解除されるはずの日から5日も遅れてからだった。
> 千葉県の40代女性もその一人。今月中旬に発症し、自宅療養に入った。自治体に食料など支援物資を希望したが、「1000人待ちで、届くのに1週間程度かかる」と言われたという。支援物資は結局届かないまま、自宅療養の期間が過ぎた。
「Don’t Be Silent #変わる男たち」の参加者でもある
北関東民独特の感覚だと思うのだけど、栃木群馬茨城県民は互いに自分が上だと思ってる。
自分もその例に漏れず、栃木県こそ北関東のテッペンだと思っていた。
茨城県には親近感はあった。
あらゆる面で似てる。
他県からのイメージは栃木が餃子、茨城は干し芋くらいのもんだろう。
栃木県民だからって餃子が好きなわけでもなく、茨城県民だからって干し芋ばかり食べてるわけでもないが、他県からみたらそう思われてるのが現実だろう。、
製造業も、茨城は海、栃木県は東北道と東北本線東北新幹線と地理的には恵まれているのに、互いにパッとしない。
正直、HITACHIには嫉妬してるが、HITACHIは本社は東京だし、HITACHIをカウントしなければ栃木県の勝ちだ。それに、今は県民所得としても栃木県が上なのだ。
たぶん勝因は、茨城県民の自滅だと思う。茨城県民は怒りっぽく協調性がない。互いに足を引っ張りあってたから、平成の大合併まで村ばっかりだった。天狗党の乱から成長してない。
港を擁するからには、天下人を何人も輩出し東海地方を見習って欲しい。東海地方からトヨタホンダが生まれたのは偶然ではあるまい。
さて、前置きが長くなった。
故郷を離れて上京するまでは、群馬県のことなんてほとんど意識しなかった。
空気のような県であった。
海無し県の栃木県に生まれると、海水浴のために茨城に行くことはあるのだが(栃木の海浜自然の家は茨城にある。租借地みたいなものだ)、群馬とはとんと縁がない。
草津伊香保くらいは聞いたことがあるが、温泉など栃木県内で間に合ってる。
焼きまんじゅうとかいう具なしの小麦菓子があるとか、蒟蒻や葱を好むという情報は流れてくるが、別段憧れもしなかった。
群馬が総理大臣を多く輩出したことは知っていたが、その中に特に思い入れがある人物もいなかったので、コンプレックスを感じることもなかった。初めて群馬の地に足を踏み入れたとき、道の広さに政治家の力を感じたがその程度であった。
埼玉県民は蕎麦も食べない。蕎麦より小麦だ。未開人群馬県民みたいな食生活だった。
栃木県民は海無し県だというのに魚介類を好んで食べるというのに。
そしてロードサイドのヤマダ電機、栃木県の誇りコジマはすっかり埼玉から駆逐されてしまった。
カインズホームが群馬企業のベイシア系列と知った時は衝撃だった。
ベイシア系列のベイシア、カインズホーム、オートアールズ、前述のヤマダ電機、築地銀だこ、悔しいが強い。
自分が中学生の時、宇都宮線の名称の由来について次のような逸話を先生から聞かされた。
東北本線の愛称を決めるため、沿線自治体である栃木県、埼玉県、東京都の3知事が集まった。侃々諤々の議論の末、栃木県知事がこう言った。
長じてインターネットが登場しGoogleで検索して見るも、この逸話を語っている人は誰もいない。Wikipediaの宇都宮線の記事によると、実際に当時の栃木県知事が上野駅 - 黒磯駅間の名称を「宇都宮線」とすることをJR東日本に提案したようだが、この逸話は出てこない。おそらく「掴み」として、先生がでっち上げた作り話だったのだろうが、誰かこの作り話を知っている人は他にいないだろうか(栃木県内でも非常に狭い範囲で流通していた作り話という気がするが)。