はてなキーワード: 「なう」とは
自分はその発端になったツイートは見ていないが、トレンドになる程度には話題になって物議を醸した。
その話題に対してオタクが大喜利のように茶化して、また叩かれたりもした。
よく見る光景といえばよく見る光景である。しかし正直私はこの一連の流れに辟易としている。
が、まぁ今はそういう時代なんだろうなとも思う。
私は古いオタクである。ツイッターがまだRTを実装していないような時代に1つ目のアカウントを作った。
ユーザは元々インターネットにどっぷり浸かっているようなオタクばかり。
2ちゃんやら個人ブログ個人サイトやらの延長で初めた人ばかりだっただろう。
初めはRTも画像投稿もない時代、本当に独り言を横から勝手に見るサービスでしかなかった。
非公式RTなるコピペでRTする方々も存在していたが、それにしても拡散性は低く、フォロワーのフォロワーに届くくらいなものだった。
画像も公式で投稿はできないので、イラストや写真も外部サイトに投稿してそのリンクをコピペ、というのが一般的だった。
その時代私はまだガラケーだった。スマホもまだ市場に出たばかり。
家にいるときはパソコンで見ていたが、日中タイムラインを取得するのは『メールを利用してタイムラインを取得する』クライアントを使っていた。
今のようなリアルタイム制もあんまりない。なくても全然情報が追える時代だった。
むしろ夜だけパソコンの前にいるのでツイートがやたら多くて、公式に規制されるからと、複数アカウント持ってるやつもいっぱいいた。
この時代のTwitterはSNSではなかった。SNSとはWikipediaさんいわく
『ソーシャル・ネットワーキング・サービス(social networking service, SNS)とは、Web上で社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築可能にするサービスである』
だそうだ。この時代のTwitterは少なくとも社会的ネットワークなんて構築できてなかったと思う。
この時代のツイッターはオタクの遊び場だった。チラ裏を実際に書くところだった。
2009年には公式RT機能が追加され、2011年には公式で画像をサポートし、他のSNSと同じ程度の機能を有することになった。
とはいえこの頃にはまだガラケーユーザーも多く、2012年にはまだ過半数がwebからのアクセス(=PCユーザ)だったようだ。
Twitterがオタク以外への広がりを見せたのは、ここ近年、スマホ普及に伴うSNSの活発化だろう。
2015年くらいまでは当たり前のように使われていた「なう」も気付いたらいなくなっていたし、「ふろりだ」「ほかいま」「●REC」は過去の遺物であり、伝わるのはごく一部。
Twitterって何?って言うような人は今どきもう爺さん婆さんくらいだと思うし、何なら爺さん婆さんすらTwitterをやる時代である。
TwitterはSNSになってしまった。オタクの遊び場ではなくなってしまった。
さてこの時代において、前時代の思考のままのオタクがツイッターを使ったらどうなるか。
『独り言を横から覗き見るサービスだと思っている人間が』である。
それが冒頭の話につながる。
公式でRT機能あるし、トレンドなんてものもあるし、なんなら公式は『他の人がいいねしました』とか言いながら流してくる。
Twitterに限らず、如何に選択させないかを基準にUI/UX構築するのが主流になってきつつもある時代である。
RTボタンを生み出した開発者のクリス・ウェザレル氏は「弾丸を込めた銃を4歳児に手渡してしまったのかも知れない」と言っていたらしい。
これがオタクの遊び場、まだ身内ノリの通じる時代のTwitterであったならばよかった。
けれど今やオタクの言う一般人、ノリの違う、住む世界の違うような人間との共有空間、公共の場になってしまった。
数少ないフォロワーにだけ話しかけた、もしくは独り言のつもりが、世界中の人に届き、討論を呼ぶ時代である。
度々起こる炎上挙げ句の個人特定なんてのも、結局これが根本の理由なのである。
フォロワーというのは一般的にはある程度住む世界の近い、考え方の近い他人だ(有名人とかのフォロワーは除く)。
そういう相手であれば、身内ノリで不謹慎な話題を話したところで、はいはい、で済まされただろう。
けれど今はそれが外に届く。届いてしまう。
Twitterに限らずインターネット全般がそういうものに変わるくらい普及した。
身内ノリでふざけた自分の安易なツイートが炎上しないとは限らないし、フォロワーに向けたエロ画像は未成年を含む全世界に公開される。
有名人の画像やイラスト漫画を使ったコラ画像は本人に届いて、叩かれることもあれば公認になることもある。
いろいろチヤホヤされて勘違いしちゃって起業というと、すぐには名前を思い出せないが、「孫正義にツイッターでフォローされた高校生」というよくわからない肩書きで一部で話題になった彼を思い出す。
確か「なう」が流行語大賞を取った時の受賞者も彼だった。彼が使い始めた言葉ではないことは当然、広めた張本人でもないのも明確なのだけど、なにやら大きな力が働いたのであろう。
彼はいったい今何をやっているのか調べてみたが、起業して何かアプリを作っているらしいのは分かったが、それ以上の事はよくわからなかった。
ツイッターを見た感じでは実業家ではなく、未だに「起業家」としてそこそこマスコミに取り上げられているようだ。もう起業して5年たっているみたいなのに。ゴールはどこだったの。
彼ほど華々しく?起業しても現在こんな感じなので、ちゃんと考えて行動を起こした方がいいんじゃないかなと思う。俺が思ったところで何も変わらないだろうけど。
ひとり酒しながら考えて最終的に諦めたことを書いてみる
ゆるい就職は、週3日勤務で月収15万円(派遣で手取り12~13万)なライフスタイルだそうだ。
そうすると、今の日本で、比較的昭和な小市民的な幸せを築いている家庭ほど、批判しづらい。
なぜなら、住宅ローンだ子供の養育費だ、学費だ保険だ老後資金だと言って着実に生活すると、
お父さん小遣い月1万です、とか良く聞くね。
ゆるい就職の方が、2万(= 手取り13 - (家賃6+光熱費1+食費3+携帯1) )と多いかも知れない。
親が死んだら手取り13万でどうやって生きてく気?
こんな強い口調で言われると、言葉に詰まる。
「オマエ、今の会社クビになって、家族が守れると思ってんの?」
と詰め寄られているような気になるからだ。
このご時世、正社員もいつどうなるか判らない。
まあ、オッサンの頃の独身貴族の定義は、今だとパラサイト・シングルとか言うのだろうか。
夫婦共働きで子供が居ないので、自由な時間や使えるお金が多い。
彼ら彼女らは、結局のところ、配偶者を食わせなくて良いから、子供を育てなくて良いから、
自由な時間やお金が多い、というところが良い、とされてきたワケだ。
この、「自由な時間」を増やして「お金が多い」を減らします、と言うライフスタイルは
結局のところ、諦めることで余裕を生んでるということに気がついた。
独身OLまずりんの提案した「ギブアップ制度」にすごく似てる。
もう、結婚も子供を持つことも、老後の暮らしも諦めるから、ギブアップで!という。
さっきも言ったけど、家庭を持つお父さんの小遣いは少ない。
独身貴族(パラサイト・シングル)は自由になる時間もお金も多い。
家庭を諦めて、貴族であることを諦めて、独身よりも多い時間と、お父さんより多い小遣いを貰う。
ちょっとだけ羨ましい。
老人が医療を食いつぶしていると言われながら、
誰もがアイドルにはなれないし、これといった夢もない。
無職でモラトリアムを続けられるニートほどには堕ちてもいない。
何かを極めたいという焦燥に身を焦がすこと無く、アスリートでもなく。
だから、諦めた。
少なくとも、諦めた人にとっては理想的なライフスタイルに見える。
ティムは2007年に『「週4時間」だけ働く(The 4-Hour Workweek)』という本を書いて、一躍有名になった。
はてブにも読んだ人がいるはずだ。忘れてるかもしれないけど。
航空券の値段を調べ、貯金をみて、上司を説得して一ヶ月まるまる休んで旅に出てしまう。
老人になる前に、若者や壮年の間に、やりたい事をやらないでいる理由はなんだ?と言う。
なぜ触れなかったかというと、これは「希望」の先取りだからだ。
「輝けるリタイア後の生活」を先取りしない理由はないよ、という提案だった。
でも、「ゆるい就職」は違う。彼ら彼女らには先取りしたいリタイア後が無い。
老後の資金を溜める気力もわかないし、
頑張って会社にしがみついたところで、いつリストラされるかも知れない。
叶えたい夢も無ければ、やり遂げたい志も無い。
じゃあ、フリーターよりもカッチリと契約で区切って、週3回働けば良いんじゃね?
というのは、多分すごく魅力的に見えると思う。水は低きに流る。
そしてきっと、そういった人が実際にどん詰まるのは、
老々介護が問題になるような、青春を終え、壮年を終え、老年に差し掛かった頃なんだと思う。
冷静に考えて、20歳の若者の父親が45歳だったとして、平均余命から見れば親父は80までは死なない。
平均的な親父が死ぬのは、平均的な息子が55歳の時だ。
50歳時の平均未婚率を、生涯未婚率と言う。つまり、もうタイムアップだと社会的に宣告される。
夢も希望もなく消費するだけの「ゆるい生活」なら、充分な時間じゃないだろうか。
そして「平均じゃなく親父が死んだら?」は「平均じゃなくリストラされたら?」と置き換え可能なのだ。
(もしかしたら現代の『漁師とコンサルタント』なのかも知れない)
「ゆるい就職」の話題は、賃貸と持ち家の話と、なんとなく既視感を感じる。
だって、正社員だからと言ってその会社内のノウハウが蓄積されるだけの人だっているのだ。
子供が出来て家庭を持って、給料が低いとなじられながら、家に居場所がない父親もいる。
「ゆるい就職(週3)」は、「キツ目の就職(週5)」に簡単になれるだろうけど、
正社員は、緩めの正社員には簡単になれない。(短時間勤務が無理だとは言わないけど)
家庭を持ったところで、幸せにはなれないと諦めて、
ただソコに「なう」だけがある消化試合をこなしていくのには、少し憧れる。
「なう」は古いか。
twitterをやっていて、意味不明な言葉(暗号?)が沢山出て来る。
いわゆる、ネットスラングというやつ。2ちゃんねるから発生した言葉が多いらしい。
時々、「禿同」という文字が送られて来て、全然意味が分からなかった。
「禿げ同士、頑張ろう」とか「同じ禿げ」とか「禿げた同級生」とか、てっきり、そういう意味だと思っていた。
意味が分からなかったので、思い切って、twitterの中で聞いてみた。
途端、2000通くらいのRT(QT?)があった。
分からないものだ。勉強になる。
RT(RetweeTs)の中に、「ググレカス」と言うのがあり、これまた分からない。
「一々人に聞かないで、自分で検索しろ!このカス!」という感じだろうか?
お叱りを受けた。他に、「垢」=「アカウント」、「w」=「笑い」、「なう」=「now」
・・・・・・・・ハマコーさんは「だう!」と使っている。これがまた分からないw。
「ぬるぽ」というのも分からない。twitterの中で聞くと、フォロワーが一斉に教えてくれたり、
突っ込まれたり、ボコボコに言われたりw、するので、「ぬるぽ」については、まだ聞いて無い。