はてなキーワード: 金属バットとは
ただ、解説から情景をイメージできるだけの事前知識は必要なので、やや上級者向けなのかも?
今ならセンバツが良い。
特に「投げました」「カキン!」のタイミングが心地よい。聞いたところによるとアナウンサーは自分のセリフと解説が被らないよう、かつ「カキン!」の前に投げたことを伝えられるようすごく気を遣っているらしい。
この金属バットの「カキン!」がまた爽やかな音で、その音だけで自分の視線が白球を追って青空に向いた気分になる。実際に雨天や曇天であっても、イメージの中ではいつもおだやかな晴天だ。
仕切り前には元力士とベテランアナウンサーが穏やかに会話していることが多くどこかほんわかした空気だが、時間いっぱいの行事の声、立会前の静寂のあとにドカン!バチン!と人間同士の衝突が出せるとは思えない轟音が響きドキッとする。
「筋肉質で均整の取れた体型」「赤い締め込みの上に丸いお腹」など、力士の外見を言葉で具体的に表現するのもラジオ独特で面白い。行事の装束の解説も個人的には結構好き。
もうすぐプロ野球の季節だ。
プロ野球の解説は高校野球よりは渋いというか落ち着いた雰囲気であることが多い気がする。
今年はどんな実況が聞けるだろうか、楽しみだ。
大阪桐蔭の選手が指名漏れているのが話題になっていた。自分も身長188センチで150キロを投げ、日本代表でも無失点投球だった川原までが指名漏れしたのは驚いた。最近、大阪桐蔭の選手が指名漏れしたり評価が低くなっている、個人的に考える理由。
2000年代にプロのスター選手を複数輩出したが、2010年代以降の卒業生で、1軍で常時出場しているのは森友哉ただ一人。過去の横浜高校やPL学園と比べても顕著であり、大阪桐蔭の環境で育つとプロの壁に当たる一般的な理由があるのではないか、とスカウトは見切っている。個人的には、初球から何も考えずマン振りする、完全に日本のガラパゴス高性能金属バットに最適化した打撃スタイルは全面的に見直すべきだと思う。
そもそも高校での活躍は、周りのチームメートに恵まれていることもあるので、その実力が2割引きで評価されてしまう。無名校を一人で県大会準優勝に導いた投手と、大阪桐蔭の複数いる投手の一人だったら、前者の評価がどうしても高くなる。野手の評価も同様。
実はこれが一番大きいように思う。六大学野球ので高い成績を残しているスター選手が指名漏れ、ということが毎年恒例行事になっているが、これも似たような問題がある。そもそもスカウトは「無名だが素材のいい選手」に目をつけて濃い関係を作る傾向がある。目をつけられた選手も、その高校や大学の指導者も、たいした実績もない自分たちに注目してくれるので感激し、「ぜひお願いします」と頭を下げる。スカウトもそれに応えようと、会議でその選手を全力で激推しする。もし大当たりしたら、そのスカウトの評価も非常に高くなる。他方、甲子園常連校や名門大学の有名選手は、学校がガードしていたりスカウトの出入りが激しいこともあり、そうした濃い関係をつくりにくい。スカウトが推して指名して当たったとしても、既に有名な選手なのでスカウトの功績とはみなされにくい。結果として、何年に一度の逸材とか、その年の目玉選手というレベルでなければ、スカウトが激推しする「中央では無名だが素材のいい選手」を指名リストに入れる。
個人的には六大学野球をよく見るが、リーグ戦でろくに結果を残していない立教の荘司が1位競合で、17勝している慶応の増居が指名漏れというのは、ちょっと納得できないところがある。
政府や世論がコンセプトレベルで矛盾しててゴールイメージがブレブレだからだよ。ブレまくったゴールに向かってその場その場で雰囲気で施策を決めてるからどこにも向かわないんだよ。
90年代以前を覚えている中年以降の世代なら分かると思うけど、少子化してなかった時代の日本は現代の感覚からすればそれはもう滅茶苦茶な社会だった。道端で立ちションするわ電車のホームはタバコの吸い殻でグチャグチャだわ、学校は荒れまくって金属バットをガラガラ言わせながら廊下を闊歩するヤンキーが沢山いたし、会社ではパワハラセクハラ当たり前、今のホームレスの方がマシなんじゃねーかってレベルの汚いオッサンが若い女の子のケツ撫でながら偉そうにしてたわけだ。そんな滅茶苦茶な社会で、今の感覚では有り得んレベルの汚くて社会性もないオッサンが何故か全員結婚して子供が2,3人はいた時代だったんだよな。
現代ではそんな連中は全く許容されないわけだが、人間のレベルはそんなに急に上がったりしないわけで、当時のオッサンと同じレベルの人間は今でも沢山いる。昔との違いは、そういう連中は大半が底辺労働の世界に追いやられて見えなくなったというところだ。少子化を解決するというのは、そういう追いやられた連中にも再び家族を持ってもらうということだ。
現代社会はそんなことは絶対に許容したくない。汚ねーオッサンのカスみたいな遺伝子と文化資本(笑)を受け継いだどうしようもないガキなんて見たくないわけだ。子供はみんな可愛くキラキラしていて欲しくて、意味不明に襟足が伸びたりしてない切り揃えられた髪型で、ちょっといい子供服ブランドに身を包んで将来の夢とかを嬉しそうに喋る子供であって欲しいというのが市民の願いだ。
政府も市民も、そういう不可能な願望を漠然とイメージして存在しないゴールに向かって施策を考えたり要望したりしている。それで上手くいくわけがないのだ。「なんかエーアイでいい感じにして欲しいんだよね!」というカスみたいな要求をする顧客に向かってフワフワしたエーアイベンチャーが「分かりました!俺らマジ最先端のエーアイ技術(github)持ってるんで、任せて下さい!」と言って虚無が納品される状況とあまり変わらない。
そんなものは無いんだよ。存在しないゴールに向かうのはやめろ。少子化を解決したいなら、汚くて頭の悪いオッサンをパパに持つ子供を増やすしかない。それかキラキラした子供だけの社会で安心してゆっくり衰退していくかだ。
「わし〇〇おりたわ」とたまにツッコミの友保が口にしており、それは「もう行かなくなった」や「使わなくなった」という意味で、主に売れたからもう安いスーパーや食材を買わなくなったという場面に使われている。
おりた。
箇条書きにしてみる。
ごつ盛り→カップ麺は今でも食べるが、もうごつ盛りは食べない。これは完全におりた。
激安スーパー→これは完全におりてはいない。基本OKストアだが、家から遠いので面倒な時はイトーヨーカドーで買う。
安いでかい総菜パン→とにかく安くて腹を満たせる物全般はおりたかもしれない
ユーロホップや100円以下のチューハイ→これは完全におりた。もう二度と飲まない
改めて考えてみるとそんなにない。思い出せないだけで、きっと色々あるに違いない。